あの場所がぬるま湯だと気付いた日
社会人編スタートですね
あともう少しで今に追い付きますね。
時系列は少し戻るが、
高校卒業が迫る数ヵ月前に母から
「4月1日までにバイト決めないと、ご飯出さないからね。
うちは、"働かざる者食うべからず"だからね。解ってるでしょ?」
と言われていた
我が家というかこれは母の考えで、
母は本気で、ご飯を働かない人には出さない様な人だ。
働きに出ず、家にいる父にご飯を出していたのはいま思えば、
単に口論になるのが面倒だったから、なのかもしれない。
そんな性格を充分理解しているので、
私は焦りはじめた。
「学生のうちは甘えてもいいけどね」ともよく言われていた。
だが、自己肯定感が低い私は
全くと言っていいほどバイトが決まらなかった。
やっとバイトが決まったのは、
高校を卒業して1ヶ月経った頃だった。
…その間有り難いことに、ご飯ぬきにはならなかった。
「あと1ヶ月だけ待ってあげるから、それでに探しなさい。」と猶予を1ヶ月貰えたので、どうにかバイトは決まった。
私自身が切羽詰まる状況でなければ、
やる気を出さない事をわかっていたのかもしれない。
そして、小・中の地元のコンビニでアルバイトをはじめた頃
高校生や学生と違って、責任感もあり 色々嫌な思い 辛いと思った事は沢山あった。
やむを得ない状況とはいえ、なぜ辛い記憶のある場所の周辺をバイト先に選んだのかは、よく覚えていない。
もしかしたら、当時もう生まれ育った地元に負の想いを持ちたくなかったんじゃないか。いまになってそう考えるの事ができる。
トラブルや落ち込んだりすると、ふと 適応教室や高校は
ぬるま湯の環境でしかなかったんだ。
そう思った。
学校へ通えなかった時は、学校へ向かうという行為自体が熱湯に足を入れるような、我慢できない事だったのに
いつの間にか、人と一緒に居ることや
学校や教室が居心地が良くなっていて
熱さも感じなくなっていた。
適応教室と高校で考えると、ぬるま湯に浸かっていたのは5年と言うことになるが、
社会的に甘やかされていた。と考えるのであれば…18年間ぬるま湯の状態に浸かっていた事になる。
その間に、熱湯へ浸かったりしたが、
恵まれた環境にいたのは違いない。
18歳にしてやっと、社会の厳しさに触れた私だったが、
その頃だろうか…
母から
「この家にいるのが、大変だから
出ていこうと思う。」と聞かされたのは。
現在進行形で、抱えている問題なので
あまり詳しく書くことができないが
父が家にいる様になり母 姉 私は、ストレスがたまり始め、常に誰かがイライラしている状態だった。
父に気を使うのが通常化していて、
皆が内に秘めていた感情が爆発寸前だった。
と曖昧な説明になってしまうが、
そこは理解して欲しい。
そうして、バイトをはじめて1年が過ぎた、19歳になりたての冬。
忘れもしない。
忘れられない。
また、私は暗闇に足を踏み入れることになり、
人を信じることが出来なくなった。
その話はまた次回…
このあとは色々整理出来てないし
ここで語るべき内容も少なくなってくるので…




