はじまりと小学校時代
好き勝手に思うがままに書かせて頂きます。
私は所謂元いじめられっ子の不登校児。
今はどうにか社会人としてアルバイトで生活しているが、10年以上前
本気で、
この世の中 いや 世界から消えて無くなったら
死んでしまったら楽なんだろう
と思っていた。
まぁそれを実行に移す勇気すら無かったから、
こうやって、もがき苦しみながら生活している訳で
今現在、
当時の小中学校時代のクラスメイトの奴らに恨みはない
時代と当時の奴らは許せないとは思う。
そう思っていないと、
マイナスのエネルギーを使って原動力にするのは労力を使う
当時私をいじめた奴らは、
私の事をすっかり忘れていると思う。
初恋の相手を思い続ける乙女みたいなロマンチックなモノじゃないし、いつの日からかバカらしくなったのを、覚えている。
そろそろこの一連の出来事を
綺麗さっぱり清算したいので、
ここに、思うがままに書きたいと思う。
過去にも、そうやってこの出来事を少しづつ清算していった。
まぁ。のんびりとお付き合いくださいませ。
前置きが長くなったが、
さっくりと、私が何故 いじめられ 不登校になったのかを 私が記憶している範囲で
書いておこうと思う。
始まりは、2005年小5の時
仲のいい男子グループ(4人位)と私で遊んでいたら、少し太めの男の子を永遠とかくれんぼの鬼にするという、
今思えば、これもいじめに当たる可能性の大きな 遊びをしていて、
それに次第に飽きてきた私は、体育の授業…そして、当時の担任が得意だったバスケに興味を持ち始め
一人でバスケゴールに向かってフリースローをやっていた。
いじめが始まる理由は、それだったらしい。
「何も言わずに遊ばなくなったから。」だと、彼らはそう言っていた。
そう。当時も今も納得はしていなかったし
当時も今も
いじめられ始めた頃の記憶がないので、
いじめていた本人達が言うんだからそうなんだろう。と思うしかない。
何かのタイミングで担任が知り、その元友達のいじめっ子と私が担任に話をしてる時のことは、
覚えている…というか…忘れる訳がない。
いじめっ子達に話を聞いた後担任は私に
「そうなのか?」と聞いたが、私は覚えてないし、
「覚えてない。わからない。」と泣いて訴えると
何度もその押し問答をした後で話が進まないので、その担任は新任で経験も浅かったので、
「そういうことに、しといてくれないか?? そうしないとヤツらが納得してくれないから。」
って言っていたは覚えている。
(うろ覚えなので確かな言い方ではない。)
覚えが無いのに納得しなければならないという、その時点で私は先生 いや 大人を信用出来なくなった。
それは今でも、『新任の先生だからこの対応しか、出来なかったから仕方ない。』と思うしか無くなるキッカケになった。
まぁ。
そこからは酷かった。
あまり、見た目を気にしないタイプだったのもあって(今も少しそう)、
病原菌扱いをされ、私に触れたら汚いとか、
私が触ったモノはもう使えないだとか
机や椅子を掃除の時間に触るだけて、病原菌に感染するだの
仲間外れにするなんて可愛いく思える程だった。
その頃から、不登校になって行ったが
周りに所謂
優等生的な女の子が中心のグループがいてくれたおかげで、
宿泊行事などの年中行事はなるべく出れていた。
今思うと、内申点狙いなのか 担任が押し付けたのか。
本人の意思で助けたのか 真相は謎だな。と本気で思う。
小5の頃クラス全員でドロケイをやろう!とお楽しみ会か何かの時になって、
警察側になった私は、お宝を陣地の滑り台近くで守るという役割だった。
その役割に選らばれた理由をその時は、気にしていなかったが
ゲームが、始まりすぐさま理由が判明した。
当時避けられていた私は、既に病原菌扱いをされていた。
まぁ。ここまで言えば皆さんお分かりだろう。
触れたくない 近づきたくない 相手を宝の近くに置けば誰も近づかないだろう。
こういう考えで、運動も出来ない私は重要ポジションに割り当てられた訳だ。
私は楽しんでドロケイをやろうと思っていたのに、泥棒チームが来た瞬間に
「ずるい!」と言っているのをみて
これは、遊びなんかじゃない。
完全に いじめの延長だ。 そう思ったのは、覚えている。
やったことは許せないが
なんだか大人になって思い出すと、10年以上前の小5のガキにしてみれば、
まぁ。頭を使った作戦だ。と、褒めてやりたい程ではある。
何だかんだ言っても、学年が上がり小6になると、
ベテランの先生が海外赴任から戻り、
なかば学級崩壊で不登校が私以外にも、居る最悪のクラスの担任になった。
そこからは、クラスどころか学年も いじめは悪い という風潮に仕立てあげ、
私の居ないところで クラスに話し合いをさせていたらしい。
その敏腕担任のお陰で、卒業式はしっかりと、出席するまでに回復した。
だが、その回復も
これからの更なる酷い日々への休憩時間に過ぎなかった。
小学校編終了。
今現在本当に
もう小学校に恨みはありません。
中学年3年間はまたのんびりと書きます。