形あるもの
扉を開ける。
その音で、貴方が振り返る。
そして、人好きする笑顔の中で、両眸が一層柔らかくなる。
何を語るわけでも、何をするわけでもないけれど。
ただ、あなたの傍にいられることが嬉しい。ただ、それだけ。
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「そろそろお茶にしようか」
レポートを記入し終えてそう言う片手には、彼愛用のマイ・カップ……
もとい、マイ・ビーカー。
――あれ?
先月末の誕生日に、彼の好きな紺色の縁取りのマグカップを贈ったはず。
この間まで「職場用」と喜んで使っていたのに、何故元に戻ってるんだろう?
「主任。例のマグ……もしや、うっかり割れちゃいました?」
疑問という名の不安が頭に浮かんだと思ったその時には、訊いていた。
些細〔ささい〕なことであっても――否。些細なことだけに、
一端気になると棘の様に引っかかってしまうから。
そしてそのままにしておくと、却ってどんどんわだかまってしまうから。
こんな時は、すぐに本人に訊くに限る。
凸凹な数年を経て、覚束ないながら付き合い始めて、やっと半月。
ようやくそんな風に考えられるようになってきた。
きっと、彼にはまた彼なりの理由があるのだから。
話したくなければ、それで良いし。
と。
「そ、そんなこと無いよ。うん。凄く嬉しかったし、好きな色だったし、うっかりもしてない。
ただ――何だか勿体ない気がしてきて、家に持って帰っちゃったんだ」
「勿体ない、ですか?」
「うん。君から貰った物だから。
――ここで使っていたら、いずれ欠けたり割れたりしてしまうだろう?
ぼくもだけど、他のみんなも結構私物の扱いは適当だし。
もし壊れたりしたら、嫌だから。その……」
困ったように恥ずかしそうに、そしてどこか申し訳なさそうにそう言う。
そんな姿を見ている内に、私の中の猜疑心はあっという間に溶けて消えた。
「大丈夫ですよ。欠けても割れても壊れても。
軽ければ直せますし、無理そうなら探します」
「え?」
きょとんとした彼に、私は嬉しさそのままの笑みを浮かべて言った。
「その時は、もっと主任に似合うマグ、また探して贈ります。
だからどんどん使って下さい」
「……うん。明日、また持ってくる」
「では、今日が最後のビーカーカップということで」
「そうだね」
差し出したカラフェの注ぎ口にぴったりの場所に、500ccビーカーが
コトンと置かれた。
とぽぽぽぽ……と350ccきっかり注いで、はい、と手渡す。
お茶を受け取りながらの、ほにゃっとした笑顔が好きで、毎回密かに
ドキドキしているのは、内緒だ。
「ありがとう。……あの、不束者ですが、末永くよろしくお願いします」
「っ――はい。こちらこそ」
え、なにこれ。立場逆じゃない?あ、でも、それっていつもか。
ま、いっか。
形在るものは、いつかは壊れる。
けれど気持ちは育んでいくことが出来る。
大体、大好きな人への贈り物ほど幸福な探し物なんて、そうそうそんなに他にない。
何度だって嬉しくて、わくわくしながら探しに行くし、ドキドキしながら贈るだろう。
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「もし割れちゃったら、今度は一緒に選びに行きましょうか?」
「うん、それもいいね。あ、折角だから今度はペアカップが欲しいなぁ」
「……主任って、時々ほんっとに乙女ですよね……」
「え、そう? でも、ほら、うちは恋人が男前だから。バランス的には、
丁度良いんじゃない?」
「…………褒められている気がしませんが」
「いや、褒めるというかフォローというか……今日の帰りにでも、家用に
ペア買って行きたいんだけど」
「………………天然タラシ」
「えええ、何で!?」