第23章 過去と目標と手段
【章の主役】ヴィータ・ブリッジス
【作者前書き】剣技考査を明日に控え、ヴィータは自らの過去を振り返ります。
リンクスへの期待と不安がないまぜになりつつ彼に望みを託すしかない彼女は、理想と現実の板挟みに苦しみます。
蛇口をひねるとシャワーヘッドから温かいお湯が降り注ぐ。
ヴィータは女子風呂で1日の汗を洗い流していた。
他の女子が何やら盛り上がってくだらない話をしているが、その内容は頭に入ってこない。
考えごとで一杯だからだ。
もちろんその考えごととは、彼女のパートナーのリンクス・シェフィールドのことだ。
突如失ったパートナーの替えとしては、おそらく掘り出し物だろう。
魔術の知識も技量も学院トップクラスと対等に渡り合える逸材だと思う。
魔法が使えるのも今の学院には彼1人だけだ(去年の卒業生に1人いたが、あとは学院長先生ぐらいだ)。
しかし剣技の方は今一つパッとしない。平均レベルの腕前はある。
でも剣技考査にそれでは相当に足りない。
考査では、魔術的な攻撃はルール違反ではないがポイントにならない。
ダメージを累積させて優位を保とうとしても、“堅護の呪布”があるので攻撃力大幅減のうえに相手は常に最大防御力。
とても魔術が役に立つような条件ではない。
ファーストインプレッションなるあの魔力増幅魔法を使えば、魔術攻撃も有効打になりえるのだろうが、彼は試合でそれを使う気がないと公言していた。
それなのに彼や同級生たちはどういう訳か楽観視していた。
彼にエリザベス先輩と同等以上の実力があると仮定しても、初日からノーシードで勝ち上がるとなると絶対安心ではない。
そもそも魔法無しのリンクスでは、エリザベス先輩ほどの実力があるとも思えない。
それでも絶対に勝ち上がる。
ブリッジス家再興の足がかりには、どうしても必要なことだから。
タオルで体をふき、脱衣所に上がる。
かつてブリッジス家は百家の序列89位だった。
創設から100年あまりの比較的新しい家で、決して大きくも裕福でも無かったが、一族は逸材ぞろいだった。
父は腕の立つ剣士で、“呪言”という魔術が得意だった。
これは魔術回路に魔術を流して発動する現在の主流とは異なり、言葉で術式を編むというものだ。
詠唱があるため発動までの時間はかかるが、魔術演算領域を鞘の疑似魔法に多く割り当てることができる上、いくらでもバリエーションを増やせるという利点がある。
8歳年上の姉は魔剣で、とても強く優しく美しかった。
年が離れていたものの大変可愛がってもらった記憶が懐かしい。
叔父と叔母も仲の良い夫婦で、子供はいなかったが自分たち姉妹のことを実の子のように扱ってくれた。
そんな愛すべき家族たちは、魔王に殺された。
5年ほど前、新興の家が共同して魔王討伐作戦を実行した。
その目的は当然、剣帝を輩出すること。
新興の家にしか声がかからなかったのは、現行の百家序列に風穴を開けようという理由からだったらしい。
それを立案したのは転校してしまった同級生ニーナ・レイノルズの父親、フィリップ・レイノルズだったという。
しかし、この作戦には16組32名が参加したが、うち6組12名が死亡して失敗に終わる。
そのうちの2組4名がヴィータの父と姉と叔父と叔母だった。
そのときの魔王は剣帝によって討伐されたが、ブリッジス家の残存戦力は百家に残留できるほどではないとして“百家堕ち”が決定された。
このことが原因で、母は心身が不安定になってしまった。
もっとも、最近は比較的容体も安定しており、去年はヴィータが1年生であるにもかかわらず、補欠とはいえ大会選手団に加われたことを非常に喜んでくれた。
しかし、今年は補欠にもなれなかったと聞いたりすれば、どれだけ悲しむことか。
母の笑顔のためにもブリッジス家を再興する。
それがヴィータの願いであった。
服を着終わり、廊下に出る。
するとリンクスが数人の同級生と談笑しているのが目に付く。
全員がいかにも風呂上がりといった格好だ。
「おっ、ヴィータも今上がったとこ?部屋に戻るなら一緒に帰ろう。」
本当に緊張感のかけらもない奴だ。
悩みなんて何もなさそうな顔をしている。
少し喝を入れておかないといけなさそうだ。
「ちょっとあんたに良いたいことがあるの。部屋で話しましょう。」
リンクスがなんだか不思議そうな顔をしているが、同級生たちと一言別れの挨拶をしてからついてくる。
部屋に戻るとリンクスは早速ソファーに腰掛ける。
ヴィータは勉強机に備え付けの椅子を持ってきて、彼と向かい合うように座る。
「私ね、目標があるの。この学院を首席で卒業して奨学金は返済を免除。そのためにもまず今年の大会はレギュラーとして参加する。去年は補欠だったから一歩前進したいの。だけどはっきし言って、あんたとのペアじゃ補欠も難しいんじゃないかって思っている。勝ち残れば文句は言わないからあんたも死力を尽くしてちょうだい。」
こいつの剣技だと、シード権を持っている実力上位連中に勝つのは、どう考えても厳しい。
だが、午後の自主練で見た魔法があれば希望はある。
彼はなぜかそれを使わないと言ったが、ルール違反でないのなら使うべきだ。
勝てなければ意味はないのだから。
「俺だって大会レギュラーの座はほしいよ。決勝トーナメント進出が必須条件なら、それまで頑張って残ってみせる。」
その言葉が聞きたかった。
彼の言動はどこか本気を感じさせなかったため、ずっと不安感が付きまとっていたのだ。
「だけど、俺にも俺の目標がある。その手段として、魔法を使わずに学院代表選手団に選ばれてみせる。」
「…どういうこと?」
「俺の目標について今は言えない。だけど君には俺というパートナーの意思をもう少し尊重してほしい。将来の夢とか悩み事があるのは君だけじゃない。」
「な、何よ。私のことなんて何も知らないくせに。」
「ブリッジス家の現状なら聞いている。君が実家の再興のために努力しているのは応援したいけど、俺に直接関係ある話じゃない。」
事情はおそらくメディあたりが教えたのだろう。それは意外でも何でもない。
しかし、リンクスに冷たい一面があったことの方が驚きだ。
「勝ち残れば文句は言わないわよ。だから私の夢を壊さないで。」
「君の本当の夢って何?剣技考査の勝ち残り?ブリッジス家の再興?その先に何かを求めている?」
「私は取り戻したいだけよ!また家族で笑って暮らせるようになるために!そのために私は力を証明しないといけないの!」
「死んだ人はもう戻らない。」
「まだお母さまがいる!いつか私も結婚して、家族を増やして、ブリッジス家を盛り立ててみせる!」
「なら友達はもっといっぱい作った方がいいよ。」
「はあ!?」
話が変な方向へ飛躍したように思う。
「俺の目標は友達づくりと剣の腕を磨くこと。剣技考査や大会出場とか魔法の使用はそのための手段だから。」
何だそれは。自分とは手段と目標がまるで逆だ。
だから彼は友達づくりとやらのために魔法をダシにするのに、剣技を磨くのには邪魔だからと考査で魔法を使わないつもりなのか。
「あんたじゃエリザベス先輩の代わりにはならないわね。」
「俺をリジーと一緒にしないでくれ。俺たち相性が悪かったんだ。縁談を無かったことにしようとお互いに言い出したぐらいだぞ。」
「とにかく勝ってよね。でないと強い相手と戦って腕を磨くこともできないわよ。」
「そういうこと。つまり俺には勝利する動機がある。だから心配ご無用。」
何なんだこいつは。それを言いたいが為に、あれだけ話をかきまぜたのか。
私もエリザベス先輩と同じで、こいつとの相性は悪そうだ。
エリザベス先輩が戻ってくるのは大会の後、夏休み明けの予定だ。
なんとも歯痒いが、それまではこいつにすがるしかない。
「明日からハードな1週間なんだから、今日はもう寝ましょう。おやすみ!」
「ああ、おやすみ。」