第2章 剣帝マギの誕生
【章の主役】エイムズ警部
【作者前書き】この人、モブキャラ・オブ・モブキャラです。
ただし市井の人視点で描かれるので実は貴重な存在です。
一応、出番が少ないながら再登場させる予定です。
ローザス市は恐慌状態であった。
避難誘導は当初、住民の危機感のなさから遅々として進まず、悪い意味で平穏を保っていた。
だが、魔王のおぞましい咆哮が街に轟くと街の雰囲気が一変する。
人々は我先に逃げまどい、警察官や市の職員では制御できない状況に陥ってしまったのだ。
この地の名士でもあり魔剣師の名門オールストン家に仕えるという人物がローザス警察署に駆けこんで来たのがおよそ1時間前のことだ。
街の近くに魔王と思しき怪異<ストレンジ>が出現したと捲くし立て、住民の避難指示を要請してきたのだ。
署の建物は高く、屋上で双眼鏡を使えばオールストン家の敷地のさらに向こう側まで見渡せる。
そして巨大な亀の化け物が木々をなぎ倒しながら森を抜け、草原に出てきてまっすぐこちらに向かってくるのが確認できた。
急いで署員をかき集めて住民の誘導を始め、今に至るわけだ。
そもそも魔王は出現の数週間前からその前兆を観測することができるそうで、この街にも早期警戒網が整備されている。
しかし、広大な国土をすべてカバーできているわけではなく、人が住んでいる地域と過去の魔王出現ポイント以外はほとんど手つかずだそうだ。
エイムズ警部は生まれてこのかたずっとローザスで育ってきたが、魔王がこの近くに姿を見せたことなど一度もなかった。
そのため魔王のことは一般常識程度しか知らない。
恐ろしく強大であること、剣帝と呼ばれる最強の魔剣師がそのほとんどを倒していること、何年かに一度ぐらいは剣帝以外の魔剣師が魔王を倒して新たな剣帝になっていること。
そして、この街に住む者の常識として、オールストン家の初代当主が剣帝であったことぐらいだ。
ローザス警察のエイムズ警部も早くこの場から逃げ出したかったが、幼い子供を抱えた母親が目に付き、手を貸す。
と同時に連続した爆発音が響きわたる。
オールストン家の魔剣師たちと魔王の戦端が開かれたのだろうか――――。
警察署の目前、西大通りの避難がおおよそ完了したころ、上から声がかかる。
「警部!やつがこっちに来ます!」
屋上から声をかけてきたのは、たしか去年配属されたばかりのべック巡査だったか。
「オールストン家の連中はどうした!」
「ど、どうやら全員やられたみたいです!」
双眼鏡を手にしたべック巡査が柵から身を乗り出して答える。
巡査の見ている方角を振り返って見るが、この位置からは建物が邪魔して魔王の姿が見えない。
どれほど接近しているかを聞こうかとも思ったが、もはや意味はない。
「お前も逃げろ!先に行くぞ!」
巡査を置いて先に逃げるとは我ながらひどい発言だとは思うが、自分も彼も公務員だ。
おそらく住民のほとんどが街の反対側に逃れた後だろうから、もはやここにとどまる理由はない。
そのとき、空が一瞬明るくなり遅れてガガーンという音が聞こえる。
雷だろうか。たしかに見渡す限りの曇天で真昼にしては薄暗いが、そこまで天気が悪いわけでもない。
「だれかまだ戦っています!ってなに今の!?すげえ!いけるんじゃね!?」
巡査が何やら興奮しており、素が出たのか砕けた口調で叫んでいる。
彼が何を見ているのか分からないが、どうもはしゃぎたくなるほど状況が好転したようだ。
「そっちに行く!」
どうせ逃げても助かる保証はない。好奇心が勝った瞬間だった。
5階建ての警察署の階段を登りきるのに2分ほどかかってしまった(屋上なので実質6階だ)。
息を切らして屋上に出るドアを開けると同時に魔王の苦悶の声が聞こえる。
甲羅を背負った亀のような怪獣が、市街地の端まで数百メートルという所まで迫っており、もはやその巨躯は双眼鏡なしでもはっきり見える。
しかし、べック巡査は双眼鏡を眼から離さず、スポーツ観戦でもしているかのような歓声を上げている。
「どうなっている!」
呼吸を荒げながら尋ねるも、この若い巡査はこちらを振り向かずに双眼鏡を構えたまま答える。
「いや、さっきから誰か1人戦ってるんですけど、マジすごいです。なんか魔剣師っつーよりまるで魔法使いみたいですよ。」
意味がわからない。
いや、魔剣師はだれもが魔術使いだ。
そしてわずかだが魔法使いもいると聞いたことがある。
もっともエイムズは魔術と魔法は何がどう違うのかも知らない。
しかも疑似魔法とかいうのもあるらしいのだから頭が痛くなる。
「見せろ!」
巡査から双眼鏡をひったくる。
抗議の声をあげるが無視して巨大な亀に焦点を合わせる。
当初こちらに向かって真っすぐ向かってきているという話だったが、今は体全体が右を向いており、例の“誰か”に注意を奪われているようで、頭を目まぐるしく動かしている。
もっと目まぐるしいのは尻尾の方で、炎をあげながら地面にドシンバシンとたたきつけている。
「あんな化け物に襲われたら街中火の海だな。」
「あれはさっき“あの人”が尻尾に火をつけたんですよ。ひょっとしてあれが剣帝なんですかね?なにせ空飛んでるし。」
巡査が気になる発言をする。
そのとき、件の人物を双眼鏡越しの視界にとらえる。
さすがに距離があるので顔までは見えない。
服装からは男性のようにも見えるが、はっきり見えないうえに体格も大きくなさそうなので断言は難しい。
だがはっきり見えたものもある。
2本の剣を持ち、腰にもう2本差しているように見える。
そして最大の特徴は彼(便宜上そう呼ぶ)が宙に浮いていることだ。
そのとき魔王が咆哮とともに口から黒い霧を吐き出す。
上空に向かって放たれたブレスは彼を飲み込むかと思われたが、魔王の真上に向かってまるで鳥のように移動して回避する。
魔王の頭は真上を向けるほど稼働域が広くないようで2本の前足を上体ごと浮かせて無理やり当てようとする。
だが彼はアクロバット飛行で高度を急速に落として魔王の甲羅の向こう側、すなわち右足のあたりに着地する。
と同時にすさまじい地響きがして、こちら側に見える魔王の左足3本すべてが地面から浮きあがる。
いや、右足側の地面が陥没して沈み込み、左足が投げ出されたのだ。
よく見ると地面が陥没した辺りに細い溝のようなものが見え、水が染み出している。
用水路!そうだ、あのあたりには幅1メートルほどの用水路が走っていたはず。
そこを陥没させて亀を横倒しにしたのだ。
おそらくブレスを上に避けたのは魔王の重心を高くし、不安定にさせる狙いがあったのだろう。
甲羅は卵型で高さがあって上部も丸みを帯びているため、完全にひっくり返すことは不可能だろう。
だが、完全に横転した亀は移動の自由を奪われたはずだ。
それでも真上を向いた左足がじたばたして元の体勢に戻ろうとする。
そこで眼を見張る現象が起きた。
地面からさらに水があふれ出して亀がずぶずぶと地面に沈み込んでいく。
さらに水が魔王の右半身を伝わり登り始め、ある程度の高さまで来ると凍り始めたのだ。
こちらに無防備な腹を見せつけた状態で固定されてしまった。
「いったいどうなっているんだ。これも魔術だか魔法なのか?」
べックがあれほどまで興奮し騒ぎ立てるのも分かるが、自分としては空いた口がふさがらない。
魔剣師の戦いをその目で見たことがないわけではない。
だからこそ分かる。
これなら剣士というより魔法使いという方がしっくりくる。
――――それでも魔王は抵抗を続け、なおも激しい死闘が繰り広げられた。
二人の警察官が見守る中、最終的に魔王の撃破という形で決着がついた。
その数日後、すべての剣帝を統制する組織―剣帝会議―が声明を発表した。
現在10人目となる新たな剣帝“マギ”の誕生を承認する旨の声明を。