第15章 学院長室にて
【章の主役】クラーク・ビショップ
【作者前書き】リンストン高等魔剣師学院の学院長が初登場します(名前だけは出ていましたが)。
リンクスがこの学校に転校するきっかけを作ったのはこの人です。
そして、リンクスとクラークの会話の真意についていけてないアヴィエル教頭がなんだかかわいそうです。
空が暗くなってから大分経った頃、リンストン高等魔剣師学院の最高責任者であるクラーク・ビショップは学院長室で書類を読んでいた。
それは一昨年のとある受験生の入試の採点結果であった。
結果は不合格。
合格者のテスト用紙は5年間の保管が定められているが、不合格者のそれは1年を過ぎたら焼却処分されることになっていた。
用務員にこの不合格のテスト用紙を探し出してもらうのは一苦労だったらしい。
なにせ名前順に整理されているわけでもなく、ただ箱に封印され、焼却処分を待つだけだったのだから。
受験者の名前はリンクス・シェフィールド。
彼は14ヶ月前の去年2月にこの学校を受験し、落ちていたのだ。
しかし、採点の詳細を見てみると確かに不合格なのだが、これを不合格にして良かったのか疑問が残る。
ペーパーテストはほとんどの科目がギリギリとはいえ合格点だった。
むしろ魔術理論の成績は受験者全体でも同率1位という高得点。
実技でも魔術の実演は「A+」がついていたが、剣技が「C」だったために総合でも不合格とされたのだ。
剣技は「B-」以上が合格ラインであり、これは当校の絶対の基準だった。
彼に特記事項でもあれば自分の目に留まって合格にした可能性はあるが、彼の存在を知ったのは去年の7月末のことだ。
その5ヶ月の間に彼は魔法保有者<マジックホルダー>となり、当校の代表選手を打ち破るほどの逸材に化けていたのだ。
そして先月、出張先でたまたま彼と出会い、話をする機会に恵まれ、この学院に特待生としてスカウトすることになったのだ。
コンッコンッ。
ノックの音とともに、アヴィエル教頭の声が聞こえる。
「学院長先生、シェフィールドさまをお連れいたしました。」
「ああ、入ってくれたまえ。」
入試結果を机にしまい、ドアの方を向き直る。
緊張した様子のアヴィエルとリラックスしきったリンクスが対照的だ。
先月話をした時と比べると彼の表情は柔らかく、どこか上機嫌に見える。
「こんばんは学院長先生。それから教頭先生、俺はただの一生徒なんで敬語は要りませんよ。」
アヴィエルが困惑した顔をしている。まだ彼との接し方に悩んでいるというのか。堅物すぎるのも考えものだ。
「ささ、座ってくれたまえ、飲み物はレモンティーでいいかな。私は最近これに凝っていてね。」
「じゃあ俺もそれで。」
アヴィエルがそそくさとお茶の準備をする。
本当なら教頭にそんなことをさせるのもどうかと思うが、秘密厳守のためにも他の者をこの部屋に入れるわけにはいかない。
「ところでどんなご用件です?」
「なあに、特待生が初日からさんざん愉快な事件に巻き込まれたと聞いたのでね。雑談がしたかったというか、転校の感想を聞いてみたかっただけなのだよ。」
今日1日の顛末はすべて報告があがっている。
彼がヴィータ・ブリッジスをパートナーに選んだこと、学院一の問題児を締め上げて風紀委員に連行されたこと、フラタニティに勧誘されたこと、履修や入寮の手続きを済ませたものの何故かパートナーに暴行されたこと。
彼の転校で何か波乱が起きる可能性は考えていたが、初日から予想の倍以上の騒動を起こしてみせた。
特に学院長として困るようなことではなく、彼自身も学院生活を楽しんでくれるなら何も問題はないのだが。
「雑談ですか、まあ初日から本当にいろいろありましたね。」
彼はやれやれといったポーズをとる。
だがそこに、かつての憂鬱そうな雰囲気はなく、むしろ喜んでさえいるような感じがある。
「楽しんでいるようだね。君を当校に招いた甲斐があったというものだよ。」
「とりあえず先生には感謝していますよ。転校初日からそう思える程度には充実した生活を送れそうです。ところで、」
リンクスが何やら切り出す。
「俺がパートナーにヴィータを選ぶ可能性を考えていましたか?」
彼は本当に鋭い。驚くほど聡明だ。
人の心を読むのが上手いから下手にウソはつかない方が賢明だ。
「そうなるかもとは思っていた。いや、むしろそれを期待していたのかもしれないね。」
「本当に驚きましたよ。エリザベスの元パートナーとか、下手すると俺の正体が露見する危険がありますよ。」
確かにそれは困る。彼にはできるだけ長くこの学院にとどまってほしい。
「なあに、アヴィエル君はその手の情報操作がお手の物だからね。要は世間にバレなければ良いんだろう?」
アヴィエルが何やら無表情でレモンティーとクッキーを差し出す。
ようやく“鉄面皮の女”を取り戻したようだ。
「できればパートナーにこそバレたくないですね。俺に対する態度が変わらないか心配ですよ。」
そう言ってレモンティーに口をつける。うまい、とつぶやくのが聞こえた。
「明日はどうする予定かね。」
今度はこちらから切り出す。
「ひとまず友達づくりを。それからヴィータと特訓ですかね。」
「明後日の剣技考査に向けてのかね。君はいったいどういう闘いをするつもりかね。」
「そんなことは俺をスカウトするときに聞くべきだったんじゃないですか?まあ、普通に頑張りますよ。俺は所詮未熟者なんで。」
「ははっ、謙遜が過ぎるのではないかね。去年からの君の成長ぶりには舌を巻いているよ。」
「謙遜じゃなくてただの皮肉です。たぶんびっくりしますよ、俺のあまりの弱さに。」
なるほど、そういうことか。
彼が何をしようとしているのかおおよそ見当がついた。
「なら自分の弱さを見つめなおすことだ。そうすればきっと君の探している答えは見つかるはずだ。ここは魔剣師の学校なのだから。」
「心強い限りです。安心して今日以上に学生生活に精を出すので、先生も頑張って時間を稼いでください。」
「本日はお招きいただきありがとうございました。それでは失礼します。」
一礼してリンクスは退室する。
時間にして30分にも満たない会話だったが、相変わらず興味深い少年だった。
「学院長。どうして彼を当校に招いたのですか。」
アヴィエルが質問してくる。
「なあに、迷える若者を導くのが教育者の務めだと思ったまでよ。」
適当なことを答えておく。
「ご謙遜を。あなたの腹黒さは私が一番良く分かっています。」
ずいぶんな言われようだ。
「いいや、分かっていないね。彼は私の思惑を理解したうえでなお、私の勧誘に乗ったのだよ。」
「…どういうことでしょう。」
「彼と私はギブアンドテイクの関係ということだよ。そして先程のやり取りで、彼の方が私よりよっぽど強か|したたか|であることがはっきりした。」
それでも別にかまわない。彼と私の利害は今のところ一致している。
お互いにウィンウィンの関係を築ければそれでいい。
窓の外を眺める。空にはきれいな三日月が見える。
おそらくこの月は彼と私の力関係を表している、そんなことを思い浮かべる。