2章 -Cafe Break-
どうも、朝習 亮です。
どうにか1週以内で更新できました。
最近やっとタイピングに慣れてきたような気がします。
時刻、午後9時過ぎ
新小新町の臨海地区に、ひときわ目立つ大きな建造物がある。
繁華街や都市区画とは違う、落ち着いた雰囲気をコンセプトとして演出された複合型大規模観光ホテル。
そのホテルには、一般向けの客室から離れたところに、いわゆるハイエンドスイートルームとして作られた特別なコテージがあった。もっとも、コテージというには少々大きすぎるものではあったが。
そんな、一泊で一般的なサラリーマンの月収が吹っ飛ぶようなコテージを週単位で借りた2人組の客がいる、と、ホテルマンの間で噂になっていた。
「……おい、アレ」
紺と白のツートンカラーの制服に身を包んだホテルマンが、目線で同僚に合図を出す。
「あぁ、例のお客様か…何者なんだろうな」
2人の視線の先ににいたのは、ワンピースにポニーテールの、碧眼の女性。
「噂でしかないが、なんでも、いわゆる貴族家系だとよ」
「貴族ぅ?今の時代にそんなもんあるのかよ」
実のところ、中世の貴族は今現在でも高い権力を保持していたりもするのだが、眉唾物であるという事実に変わりはない。
小声でやりとりをする2人のホテルマンの視線に気づいたのか、碧眼の女性は2人に柔らかな微笑を投げかける。
見るものを魅了すると言うより、見るものに安心と信頼感を抱かせるような柔和な笑み。
「À quel ètage allez-vous?【何階にいかれますか?】」
ホテルマンが日本人にしては流暢なフランス語でたずねると、女性は笑顔のまま
「Quarante-sept【47階です】」
そうホテルマンに告げる。
ホテルマンの喉が鳴った。
47階は、このホテルの最上階。
一定のグレード以上の部屋に宿泊している客、もしくはその客の招待を受けた者でなければ立ち入ることの許されていない特別なフロア。
もちろん、彼女と、彼女の相方が泊まっているグレードであれば何の問題もない。
そのフロアにあるのは、シークレットバーだ。
外に一切の情報の漏れない、ちいさな密室。
ホテルマンは無言でボタンを押した。
いっそ聞いてしまえばいいのかもしれない。
彼女に面と向かって、「一体あんたは何者なのか」と。
聞いてしまえば。
しかし、聞いてしまえば、彼女はおそらく答えないだろうし、その後回ってくるツケを払うことなどできないと彼は自覚していた。
だからこそ、静かに上へと上ってゆく感覚だけを感じながら、ただただ無言でいる。
自分のすぐ真後ろに立っている女性すら、意識の外へとはずす。
そうしなければ、重圧や緊張に到底耐え切れそうになかった。
実際時間にしてわずか40秒、体感では10分、あるいはそれ以上。
キン。
と無機質で澄んだ音とともにエレベーターの籠は止まり、ドアがゆっくりと開く。
彼はそう設定された機械であるかのように、真っ白な手袋をはめた手でエレベーターの開ボタンを押す。
「merci【どうも、ありがとう】」
彼女がそう告げて、エレベーターを降り、エレベーターが来た道を今度は下り始めた、やっとそのとき。
「はは、は…息、止まってたな…」
彼は自分が息をすることにすら緊張していたことを自覚した。
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「こんばんは」
碧眼の彼女は、バーに入り一言目にそう言う。
相手は、バーにあった丸いテーブルの向こうでじっと座っている。
「何か飲まれますか?こう見えても、わたしメイドですので、それなりに一通り飲み物は作れますが」
彼女の申し出に、相手は一瞬考えるように間を置いてから、
「こんばんは、アルコールは苦手でね、コーヒーでいい」
そう短く告げる。
その言葉に彼女はにっこりと微笑むと。
「銘柄にこだわりはございますか?見たところ、なかなか数がそろっていますけれども」
「あぁ、ありがたい気遣いだけれど、申し訳ない。生憎、缶コーヒーもコピ・ルアクも一緒に感じてしまう性格でね。適当に作ってくれればいい」
相手の言葉に、彼女は少し意外そうな顔をしてから、
「そうですか、こだわりの強い人だとばかり思っていました」
そう言ってバーに備えられているキッチンに立つ。
「こだわりか……。こだわりはあるさ、コーヒーにはとりあえず山ほど砂糖とミルクを入れることにしてるよ」
「何故です?」
「苦くて飲めたものじゃないだろう。あんな焼いた豆の煮汁なんて。コーヒーってのはカフェオレとかコーヒー牛乳を作るための調味料みたいな物だよ」
ふふ、と。
彼女の口から自然と笑いがこぼれた。
「なんだい?やはり可笑しいかな」
相手は少しきまりが悪そうに頭をかく。
いえ、と彼女は前置きをして、ミルで豆を挽きながら答える。
「そういうのもいいんじゃないでしょうか。少なくとも、したり顔で薀蓄を周りに披露したがる人より、そちらのほうが好感が持てます。では、カフェオレで?」
彼女がそう言うと、相手は口角を少し持ち上げて笑った。
「あぁ、頼むよ。砂糖は自分で入れる」
かしこまりました、と彼女は言い、慣れた滑らかな手つきで調理を続ける。
濃い目に入れたコーヒーと暖めたミルクを、1:1の割合で泡を立てないように静かにゆっくりとマグカップに同時に注ぐ。
「何か軽く食べるものもお作りしましょうか?」
彼女が提案するが、相手は静かに首を振った。
「こんなときじゃなければお願いしたいがね。残念だけど今はそんなときじゃぁない。何せこれから」
すっ、と間を空け、
「命の掛かった話し合いだ」
瞬間的に空気がきりりと引き絞られる。
そこら中にピアノ線が張り巡らされたかのような錯覚を彼女は覚えた。
つい今しがたのコーヒー談義が嘘のようだ。
相手は、間違いなく、私を、殺す覚悟がある。
彼女はカップを運びながらそう直感し、そしてそれは間違いなく正しかった。
カップをテーブルに置くわずかな動作ですら隙を見せたくない。
「緊張しないでくれ。戦闘は専門外だ」
……見透かされた。
隠し切ったつもりだった。そういう訓練を受けてきていた。
どんな状況であれ、相手に内心を悟られないようにする技術とメンタルを叩き込まれていたはずだった。
なのに、
やはり、化け物だ。と、彼女は自分が相手取ったモノが何なのかを再認する。
「するなといわれてもしてしまいますよ」
彼女は相手に正対する位置の椅子に座りながら言う。
「最高の蒐集家にして最高の研究家を相手にするとなれば、それは、もう」
そして、彼女は居住まいを正して、意を決したように言い放った。
「ですが、貴女を相手にするだけの覚悟と用意はあるのです。浮橋 織々さん。はじめましょうか、その、命の掛かった話し合いとやらを」
そう言われた織々は、テーブルに置かれていたスティックシュガーの束から5本を取り出し、一本ずつカフェオレに入れていく。
そして、すべての砂糖を入れ終わった後、スプーンでゆっくりとかき混ぜながら口を開いた。
「ナーシャ・インウッドさん、か。なんと呼べばいいかな」
「お好きなように、どうぞ」
「ではナーシャ、君は、私のコレクションを譲って欲しい、ということだったね」
織々の言葉に、ナーシャは一度軽く頷く。
「だけれど、そう簡単に私が首を縦に振ると思うかい?私の苦心の成果を、はいそうですか、と、易々と渡してしまうと?」
「もちろん、それ相応の代償はお支払いします。金銭でも、権利でも、あるいは別の何かでも、私たちにできることであれば、何なりと」
ナーシャの言葉に、織々は、ふん、と面白くなさそうに顔をしかめた。
「人の理解と知能のはるか先。それにつながるかもしれない欠片を、金や物で買えると思っているのかい」
織々はそして、カフェオレを口に運ぶ。
「うん、おいしいね、さすが本物のメイドだ。電気街にいるまがい物とは違う…、いや、電気街の方をよく知らないからなんともいえないのだけれど」
「それはよかったです」
義務的な返事をしながらも、ナーシャはいつも作り慣れているはずの笑顔が強張っているのを感じる。
「できれば私たちも…いえ、私としては戦闘は避けたいのです。……正直に申し上げて、今の状況は私にとって望ましいことではありません。なるべく穏便に、静かに済ませることができれば、それが最良です」
「……疲れているな。何があったかは詳しく聞くつもりはないが、今の主を支えるのは大変かい?」
カフェオレを啜りながら、織々がやや柔らかみを含んだ口調で言うと、ナーシャは首を横に振って答えた。
「いえ、私の忠誠心はそれほど生易しくはありません。それに、主の間違いを正すのも従者の務めのひとつです」
「なら、正してあげればいいじゃないか。まだ若い主だ。間違いの1つや2つあるだろう」
「……一概に、ただ間違いだとも言い切れないのです。見方によっては純粋すぎるほどの正義です。……触れるものすべてを砕いてしまいかねないほどに純粋な、正義です」
織々は察したのか、ふむ、と小さくつぶやき、
「そうか…、つまり君の主は…そうか。難しい話になってしまったね。同情はするよ、いや、勘違いしないでくれ。君たちを哀れんでいるわけじゃぁないんだ、ただの事実として、同情する」
だけど、と、織々は続け、
「それでも、ただですべてを渡すわけにはいかない。申し訳ないね」
そう、ナーシャに告げた。
「えぇ、わかっています。あれのせいで狂ってしまったのは私たちだけではありませんから。あれにかかわったすべての人が、私たちと同じように、いえ、あるいは私たちよりもはるかに凄惨な思いをしている人もいます。……これにかかわった時点で、覚悟は、決めていますから」
ナーシャはそう言うと、鋭い視線で織々を射抜くように見つめ、
「ですから。浮橋さん、貴女に…」
「いや、待ってくれ。“すべてを”渡すことはできないといっただけだ」
織々はそう言うと、手帳サイズのバインダーをテーブルの上にほうり投げるようにして置いた。
革でできたそれをみて、織々は続ける。
「すべてを渡すことはできないが、“フラグメント”の付いていない、研究済みのページ、72枚。これを差し上げよう」
「え…。あの…」
ナーシャはあっけにとられたように目を見開いた。
「どうした、いらないのかい?」
「あ、貴女、分かっているんですか……?1枚でも欠けていたら、成立しないんですよ?」
ナーシャが戸惑いを隠しきれない様子でそう訊くと、織々は、あぁなんだ、と。
「私は正直に言って、叡智だなんだと、そういう高尚なものには執着していないんだ。ただ、読みたかっただけでね。読んでしまったし、別にそれはもう君に差し上げてしまうよ。代わりといっては何だが、私の生活をあまり荒らさないでくれ。……今の生活が、気に入っているんだ。鍛え甲斐のある弟子もできた。店もどうにかやっていけている。それに、ゆっくり本が読める。これ以上望むべくもない、満足した生活ができているんだ」
そう告げて、織々はゆっくりとカフェオレを飲み干し、眼鏡の位置をそっと直す。
「ありがとうございます。本当に…。ありがとうございます」
そう言ってナーシャが頭を下げるのをみて、織々はどこか居心地悪そうにしながら言う。
「礼はいいよ。言われなれていなくてむず痒い。これは対等な取引だ。いや、むしろ私のほうが礼を言うべきかもしれないね。ありがとう」
そう言って。
織々は椅子から立ち上がった。
その時。
「待ってよ。はいそれで終わりってのは都合が良すぎるよ。全部だ。全部渡してくれなきゃ終われない。蒐集ってそういうものでしょう?」
バーのドア口に赤髪の少年が立って、そう。言い放つ。
「やぁ。こんばんは、名乗る必要はあるかな?」
織々がそう声をかけると、少年は睨み付けるようにして、
「アンタの選択肢は、」
「まずは挨拶が先だ。礼儀を軽んじるなよ少年」
織々の鋭い言葉に少年が口ごもる。
少年の顔は高潮し、怒りと恥ずかしさの混ざり合った奇妙な表情になったが、彼は意を決したように。
「こんばんは、アンタの名前は知ってる、有名だからね。そしてボクは、」
「梅枝 コニール君だね。私も君の事は知っている。もっとも、名前だけだが」
織々は微笑んでそう言い、コニールに一歩近づくと、
「生意気な言葉遣いは、まぁ、年頃だから仕方ないが、挨拶はしっかりとな」
「…子供だからって舐めて欲しくはないんだけれどね。挨拶のご忠告は、一応としてありがたく受け取っておくよ。そしてだけど、選択肢は2つ、全部渡すか、ボクと戦争するか、どっちかだよ」
指を2本立て、コニールはやはり冷めた瞳で織々を睨み付ける。
「コニール様。ここは一度…」
「ナーシャ。お前も分かってるだろう、全部揃えないと意味がないんだ…!」
「少年。君がそれほどまでに欲する理由は何だ。まだ若い、いや、幼いとまでいえるそんな身空で、どうしてそこまで、死んだような眼をしてまでこんなくだらないことに首をつっこんむんだ」
諭すような口調だった。
織々は心底心配するようなようすでコニールに問う。
「死んだような…か」
コニールは自嘲的に嗤い、
「死んだような、じゃ、ないかもね。ボクはもう死んでしまってるのと大差ない、大差ないなら、死んでいるのと同義だよ……。うん、ボクはもう死んでる」
「厭世家を気取るには少しばかり若いと思うがね。いっそあきらめてやり直すって選択肢は、無いのかい?」
織々が言うが、コニールはやはり自嘲的な笑みを崩さないままに、乾いた声で、は、と息を吐くと、
「こんなナリになって、まだ、やり直すチャンスが与えられているとは思えないよ」
コニールの両手を銀色が包み込む。
あの、手甲、
いや。違った。
よく見ればそれは手甲などではない。
肘から先が、銀の義手に変質し、置換されてしまっているのだ。
「…契約、してしまっていたのか」
織々が苦々しく吐き捨てる。
「コニール様、そう軽々しく…!」
ナーシャが制すが、コニールは一切の聞く耳を持たない様子で織々に言う。
「そうだ。もうボクは途中棄権なんてできないんだよ。すげてを失うか、すべてを手にするまでボクはもう終われない」
銀の義手はとても冷ややかな光沢を放っている。
コニールの心を写すように。
「ボクだって、アンタに恨みはない。だから、全部寄越してくれるって言うならボクは何もしないよ」
でも、
と、コニールは続ける。
「もし、断れば、アンタのお気に入りの弟子も、一緒に潰す」
「……少年。自分が何を言っているのか理解しているか?少年。自分が言ってしまった台詞を自覚しているか?言うだけならタダだが、言ってしまえば言葉は消えないんだぞ。少年。君は今、まさに、私の大事な領土を土足で踏み荒らそうとしていることに気が付いているか?」
織々の瞳が、すぅ、と細められた。
「血気盛んな若人は嫌いじゃないがね。周りの見えない盲目な愚か者は大嫌いだ」
織々はポケットからキャンディを取り出す。
「いいのか?私は戦闘は専門外だが、領土を守るための自己防衛ぐらいはさせてもらうぞ」
なんなら、今この場でも、な。
と、織々は静かで平坦だが、それでいて威圧的な語調で一歩コニールに詰め寄る。
対し、コニールも銀の擦れる音を立てながら拳を握り締め、応じるように一歩前に出る。
あと、2メートルの間合い。
お互いの殺気は、より鋭くギリギリまで引き絞られていく。
待ったなし、一触即発。
が、
「おやめください!この場で事を荒立ててどうするのですかっ!」
2人の間にすばやく割り入ったナーシャの叫声がバーに響く。
「いい加減にしてください、コニール様も、浮橋さんも!冷静になってください!こんなところで闘えば被害が出ます、無関係な人を大勢巻き込んでまでおやりになるおつもりですか!」
彼女がここまで声を荒げることは珍しかった。
コニールの顔に驚きと戸惑いが浮かぶ。
ナーシャはまくし立てた。
「コニール様!貴方が今何をなさろうとしたのかわかっておられますか!?貴方が今ここで思うがままに力を振るえば、それは彼等と同じではないのですか!?」
その台詞に、コニールの拳が緩む。
「浮橋さんもです!」
ナーシャは織々に言う。
「貴女ならわかるでしょう!ここで争うことになんの利益も特もないことなど!貴女ほど聡明な方が感情に流されるなど…」
「…大丈夫だよ。軽い挨拶だ。本気じゃぁないさ、少なくとも私は、ね」
織々は、息を荒げ滝のような勢いで台詞を吐き続けるナーシャの肩を、軽くたたく。
「いい従者さんじゃないか。少年。この人の言って入ることは間違っているのかな?それとも、やはり続けるかい?」
「……っ」
コニールの両腕から、銀がゆっくりと、粒になるようにして霧散していく。
「あぁ、そうだね。そうだ、…クソっ…なにをやっているんだボクは…」
彼はため息を深くこぼすと、そばの椅子に半ば崩れるようにして腰を下ろした。
それを見て、織々はいつものトーンに戻った声で、
「なんだか、白けてしまったね。今日はもうお開きにしようか。私の答えは単純明快だよ。君たちが何もしてこないなら、私から喧嘩を吹っかけるような真似はしない。が、もし私の領土に僅かでも無許可で入ってくるような不躾な輩がいたのならば」
容赦はしないよ。
そう言って、出入り口へと向かう。
「浮橋さん、これを…」
出る寸前、ナーシャがあわてた様に革のバインダーを差し出す。
しかし織々は薄く微笑んで手を振り答えた。
「それはいいよ、かまわない」
「ですが、今回の無礼を…」
なおも差し出し続けるナーシャに、織々は、ふ、と笑って。
「カフェオレ、おいしかったよ。私のような味音痴でもはっきりとわかるくらいにおいしかった。その礼としてもらってくれるとうれしい」
どうだったでしょうか。
今回は主人公不在で状況が進みました。
この作品ではコニールの過去話を深く掘り下げる予定はありませんが、
番外編という形で書こうと考えています。
個人的にはコニールのほうが主人公ぽい気がしてきた。