-盲目-
彼女、【メイマーギ・デイ】は、<勇者>が苦手だった。
デイが少年と出会ったのは今から7年前。<勇者>が5歳の誕生日を迎えた日のことだ。当時10歳だったデイは、<勇者>の従者候補として少年に仕えることになった。
期待に胸を膨らませていたのをデイはよく覚えている。<勇者>に会えるだけでなく、ずっと傍にいることができるのだから、仕方ないだろう。《魔力持ち》に生んでくれた両親へと心から感謝したほどだ。
が、初めて出会った<勇者>は、緊張したデイを青い瞳――<勇者>だけが持つ瞳の色だ――でちらと見ただけで、何も言わなかった。
初めて見た青い瞳はとても綺麗だったが、どうしてだろうか。デイには死んでいるように見えた。
その日からデイは<勇者>に仕えることとなったが、少年の態度はまるで変わらなかった。細かく決められた鍛錬のスケジュールを文句1つ言わずにこなし、ほとんど部屋から出ない。5歳とは思えない生活ぶりだ。友だちなどいるわけがない。いや、そもそも。<勇者>に近づくことのできるものは少ない。魔力に当てられて気絶してしまうのだ。
なんとか<勇者>と仲良くなろうと試みたデイだが、周囲に止められた。彼らは言う。
『<勇者>は孤独でなければならない』
と。
その話を聞いた後でデイは気づいた。綺麗なはずの青い瞳が、どうして死んでいるように見えるのか。
彼は、諦めているのだ。
何をか。それはデイには分からない。きっと、分かってしまったらダメなのだろう。<勇者>が孤独でなくなった時、<勇者>はいなくなるのだ。
だからデイは、大好きなはずの<勇者>が苦手だった。仲良くなりたいのに、仲良くなれば彼は<勇者>ではなくなる。デイが仕えたいのは<勇者>である彼であって、<勇者>でない彼ではない。そんな、傲慢な考えを抱いていることに気づいてしまうから。デイは<勇者>が苦手だった。
とはいえ、<勇者>の従者であるデイには「苦手だから会いたくありません」などという我侭はいえない。今も食事を届ける最中だった。抱えている食事はすでに冷え切っている。長々と毒見の時間があるのと、調理場から<勇者>の部屋が離れているためだ。そこまで離れていないと料理人達が仕事をできないのだ。
「<勇者>様、メイマーギです。朝食をお持ちいたしました」
「ああ」
入室の許可を得てデイが部屋に入ると、少年はすでに身支度を整え完璧な様子で立っている。今年15を向かえ、聖人の儀――聖なる名を持つものが15歳になると行われる儀式――を終えた少年は、世界でただ1人、青を身にまとうことが許された。背に見事な青い外套を羽織っており、金色の髪と合わせて絵本から飛び出した<勇者>の姿そのものだ。魔力云々の前に、この神々しい姿を拝見するだけで気絶するものがいるのも仕方がない。デイは大分なれたものの、人々にとって<勇者>とはそれほど神聖な存在なのだ。
一応デイの仕事のひとつに、<勇者>の身支度を手伝うと言うものがあるが、デイは一度も手伝ったことがない。赤子の頃はさておき、幼少期に少年へ近づけるものがほとんどいなかったため、身支度を覚えたらしい。身支度だけではない。彼は料理以外の全てを自分で行える。正直、従者としてする仕事はほとんどない。
デイは眉1つ動かさずに食事をテーブルに置いた。この後一礼して部屋を出れば、昼食までデイは暇になる。
「朝食はもう食べたのか?」
頭を下げようとした時、普段と違うことが起きた。<勇者>が話しかけてきたのだ。デイは赤い瞳を何度か開閉させた。この部屋には自分と<勇者>しかいない。どう考えても自分に話しかけてきたのだ。驚いたデイが顔を上げると、ここ数年でぐんと身長が伸びた<勇者>がデイを見下ろしていた。青い瞳は、やはり綺麗で――そこにはデイの姿がはっきりと映っていた。
デイは歓喜のあまり叫びそうになった。
デイは恐怖のあまり倒れそうになった。
「はい。もうすませております」
「そう、か」
青い瞳が、一瞬だけ寂しげに揺れた。そんな姿ですら、息を呑むほど魅力的で。
「では何かあればお呼びください」
「ああ」
なんとかいつもと同じ台詞を口にして退出した。
足早に歩くデイに、通りすがったものたちが尊敬の目を向けながら一礼する。デイには、挨拶を返す余裕はなかった。昔言われた言葉が頭をめぐる。
『<勇者>は孤独でなければならない』
そう。孤独でなければならない。なのに、どうしてだろうか。<勇者>から孤独が薄れている。なぜだ。なぜだ。なぜだ。
「そうか。あいつが。<魔王>が」
デイは憎憎しげにその名を吐き出した。汚いものを口にしたかのように、顔をゆがめて。
勇者は12の頃から何度か《魔族狩り》に出ている。デイも従者として参加した。その《魔族狩り》に、毎回の如く現れて妨害する存在がいた。<魔王>である。
しかし、遭遇したことは覚えていても、どんな会話をしたのか。デイはほとんど覚えていない。他の従者達もだ。勇者だけは覚えているようだったが、詳細を聞いたことはないし、語らなかった。
城には噂だけが独り歩きし「やはり<魔王>は3メートルをこす巨体で~」「手が5本も6本も生え~」「目が1つの醜悪な姿で~」などと言われているが、デイは少しだけ覚えている。<魔王>が、とても美しい存在だったと。
が、そんなわけはない。噂の方が本当なのだ。きっと出会ったときに何かされたに違いない。考えるだけでぞっとするが、<勇者>もそうなのだ。<勇者>も<魔王>に何かされたに違いない。
思い返してみれば、<勇者>の変化は唐突ではない。<魔王>に会うたび、青い瞳に感情が浮き始めていた気がする。いや、そうなのだ。
まおうめ。
デイは、ギラギラと輝く赤黒い瞳で、廊下の壁を睨んだ。その壁の一部は、赤かった。魔王が身にまとっていた赤い外套を思い出す。
「土地だけでなく、私たちから希望まで奪うつもりか」
卑劣なやつめ。
そう呟く彼女の目には、醜く残虐な<魔王>の姿が、はっきりと映っていた。