-否定-
気づけば彼は<勇者>だった。
両親は田舎の村に住む農家の夫婦らしいが、彼が<勇者>であったために多額の報奨金――夫婦2人が一生を余裕で暮らせるほどの――と引き換えに国へと引き取られた。
別段そのことを彼が嘆いたことはなく、両親に会いたいと思ったこともない。報奨金を独り占めするために母親を殺し、あまつさえ国王に金を要求した恥さらしの父親と、『私が生んだのだから、私がお金を受け取るべきだ』と父親に言った母親。どちらも彼にとっては汚点でしかなかった。
そんなどうしようもない親たちのことを考えるよりも、みんなの期待に応えるために彼は日々勉強と鍛錬を励んだ。……彼に与えられた唯一の存在意義を果たすために。
なぜならば彼の名前は<ロー・アスムウェル>。
そう。
彼は当代の<勇者>であり、それはつまり、<魔王>という存在がなければこの世に存在しない、そんなちっぽけな<人間>だった。
だからこそ。
だからこそ、彼は認めるわけにはいかなかった。目の前に悠然と佇む男が<魔王>であることを。
ずっとずっと言い聞かせられていた。<魔王>とは絶対悪であり、その姿は見るのも耐えないほどに醜悪で、性格は残忍。同族の魔族ですら平然と殺し、自分の血肉に変える忌まわしき存在だと。
彼の知っている<魔王>と目の前にいる男は、あまりにもかけ離れていた。頭に生えたくすんだ黄色の角を除けば、普通の人間と変わらない姿の美丈夫は、うねった黒髪ごしに彼を見つめていた。自分を見つめてくる知的な黒い瞳は、とても美しく輝いている。見たことのない美しい瞳だった。黒とは、こんなに美しく輝く色だったのだろうか。
いや、違う。違うんだ。と、彼は必死に言い聞かせても、男の身体から感じられる途方もない魔力が、彼の努力をぶち壊していく。<勇者>よりもはるかに濃く、かつ、膨大な魔力の持ち主など、<魔王>以外にはありえなかった。
彼の身体も心も目の前の男が<魔王>だと理解していた。従者たちなどは、とっくの昔に男の魔力にやられて地面へと座り込み、恍惚の表情で男を見上げていた。開けっ放しの口からはよだれが垂れているが、誰も気にしていない。なんともだらしない姿だが、常人よりはるかに魔力の高い彼ですら男の前にひざ間つきたく思うのだから、多少魔力の高いだけの従者たちが抵抗できない気持ちは分かる。正直、うらやましいと彼は思った。
この存在を自分に倒せというのか。どうやって?。倒せたとして、ぞれで枯れ果てた土地が復活するのか。人々の荒れた心が清純になるのか。本当に世界のためになるのか。
むしろ男を失う方が、世界にとっての損失であるように思えてならない。
疑問は尽きない。だが、彼はどこまでも『ただの<勇者>』でしかなかった。
「我が名は<ロー・アスムウェル>。当代の<勇者>だ。お前が<魔王>だな」
「ああ、そうだ」
なんども練習させられた口上を述べる。男は眉一つ動かさずに肯定した。浅黒くたくましい両腕を組んだまま、ただそこに立っている。表情から考えを読み取ることはできない。
――しかしどこかで。男が浮かべている表情を見た気がした。あれは――
しばし考えた末に、彼はどこで見たのかを思い出し、カッと身体が熱くなった。
「貴様っこちらが名乗ったというのに、名乗らないとはどういうつもりだ! 名前を言え」
苛立ちを男にぶつける。八つ当たりなのは彼自身よく分かっていたが、そうでもしなければ彼は<勇者>を保てなかった。
初めて男が表情を変えた。
「カウクス。カウクス・ゴーリェ」
己の名を告げた男はどこか嬉しそうで、彼は……嫉妬した。男を、どうしようもなく、憎んだ。そして、否定するのだ。否定しなければならない。
――こいつが! こんな奴が<魔王>であってたまるか。自分は夢を見ているだけなんだ。そうだろう? だって、
毎朝鏡で見る自分には、名前などないのだから。
一行に出来上がる気配がなかったので、掲載してプレッシャーをかける作戦。
といいますか、謎な雰囲気を残すために描写を弾きすぎた気がする。うーん。難しいなぁ。