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※今日で○○辞める!(完結済)  作者: 舞傘 真紅染
今日で魔王辞める!
2/9

-孤独-


 1人の老人が城の廊下を急ぎ足で歩いていた。彼は【アベスタゴウローンドヘッジメンティアス・ミルデェナボムヴァ】という名の、魔界国の<大臣>――今回の魔王は右利きなので右大臣のことを指す――だ。ガリガリの手足は今にも倒れそうで、体中にはシワとシミが広がり、禿げた頭、横と後ろに残った銀髪はわずか残っているという、なんとも頼りない姿をしている。見目だけを考えれば、この国の先行きが不安になってしまうだろう。こんな年寄りがこの国のナンバー2か、と。

 だがもちろん、普通の年寄りではない。【アベスタ】(長いため普段はこう略している)の背中には、こうもりの羽とよく似たものが合計5つ、不規則に生えていた。羽の大きさは、手のひらほどから彼の身長より大きいものまである。彼は魔族――それも親を介さず自然に生まれた《士族しぞく》と呼ばれる尊い存在――だった。

 普通の魔族より強大な魔力を持っている《士族》は、他の魔族から尊敬される対象となる。

「《モートン》、アベスタ右大臣」

「……《モートン》」

 すれ違ったトラに似た顔の魔族がアベスタに挨拶をした。《モートン》、とは朝に用いる貴族の挨拶である。トラの魔族は顔をゆがめたまま、頭を下げた。アベスタは内心の苛立ちをなんとか押しとどめて立ち止まり、挨拶を返す。急いでいるのだが、彼が再び頭を上げるまで歩き出すことはできない。それが宮廷での(貴族たちの)礼儀である。

 アベスタの苛立ちを知ってか知らずか。トラの魔族は腕を大きく、かつ、ゆっくり回すように振り下ろしながら上半身を倒し、のろのろと頭を上げる。持ち上がった彼の顔を見て、アベスタはまたか、とうんざりした。

 目の前の魔族はアベスタが急いでいるのを知っていて、わざと動作を遅らせている。血走った目と、大きく開いた口を見れば分かる。嘲笑の笑みだ。<魔王>の側近中の側近である<利大臣>にして《士族》であるアベスタへの態度ではない。

 しかしアベスタは短い挨拶以外何も言わず――先ほどの礼は目下のものが目上に対して行う――に歩き始めた。背中に視線が注がれているのを感じつつ、ただ急ぐ。なんでもない顔をしておきながら、彼はつい背中に生えた羽を意識してしまう。『5つ』の羽が、痙攣するように動いた。

 魔族の中で『5』は不吉な数字とされていた。

 アベスタの背に生えている羽の数は5つ。羽が5つあることは、彼が《士族》であるよりも、<大臣>であるよりも罪深い。『5』を身に宿している魔族は、魔界では家畜以下の存在であった。なので、身体のどこかに『5』を持つ魔族のほとんどは、魔力を操作して姿を変える。アベスタのように堂々と晒している者はほぼいない。

「いけませんな。慣れたつもりでありましたが」

 やれやれ。ふと我に返ってそう息を吐き出したアベスタは、揺れていた背中の羽をピンと伸ばした。あちこちから降り注ぐ好奇の目線を堂々と浴びる。生まれたままの姿を隠す必要はどこにもない。自分は恥じることを何もしていないのだから。

 胸を張って歩く彼に向けられている視線には、嘲りだけではないものもあった。同じく『5』を持つ者かもしれないし、どれだけ差別されようと意に介さない彼への純粋な敬意かもしれないが、こうして『5』への認識を変えていく存在はたしかにいた。そのことが彼の支えであり、彼がここまで出世した理由でもある。

 考え込んでいたアベスタだったが、とある部屋の前で足を止めた。

「<魔王>様、アベスタです」

「ああ。入れ」

「失礼いたします」

 声をかけてから部屋へと入る。真正面に置かれている机、その机の上に置かれた書類を手早く処理している男が見えると、アベスタは一瞬だけ息を止めてしまう。耐性のない者だとそのまま倒れてしまうので、これでもアベスタは慣れている方だ。側近が<魔王>に会うたび、彼の魅力に気絶するわけにはいかない。アベスタは腹に力を入れた。

「どうした。会議は明日のはずだが」

 低い声がアベスタの鼓膜を狂わせる。<魔王>は書類から目を離していない。現<魔王>は先代とは違って真面目なようで、毎日こうして淡々と仕事をこなしていた。

 書類を読むために伏せられた瞳、うねった豊かな髪は共に黒い。先代<魔王>とはまったく異なる魅力を辺りに散布している。<魔王>の側近は大変名誉な仕事だが、自分の意識を保ち続けなければならないのが一苦労だ。アベスタは苦笑気味にため息をつく。

「いえ、《人界じんかい》の様子を探ってきましたのでご報告をと」

「そうか」

 返ってくる反応はそっけない。しかしながら現<魔王>は始終この調子だ。拒絶されなかったのでアベスタは気にせず報告する。

「<魔王>様が復活なされてから51年経ちますが、どうやら<勇者>はまだ誕生していないようです」

 書類をめくっていた<魔王>の指が一瞬だけ止まるも、すぐに動き出す。

「人間たちの様子は?」

「ほとんどの人間が変わらぬ生活を送っております。<魔王>様の復活を知らぬのでしょう。ですが一部の地域では不作が続き、国王への不満が溜まっている模様です。近々《魔族狩り》が懸念されます」

「どの地域だ」

「《メニグイア》です」

「ふむ……《斜栓しゃせん》――人界と魔界の間にある森――から近いな。念のため、近隣の住民を避難させておけ」

「かしこまりました。兵の派遣はどうされますか?」

「今動かすのは人間たちへ無意味に警戒を与えるだろう。もう少し様子を見てからだな。だが偵察はこのまま続けろ。あとしばらくは《斜栓》での狩猟を控えるように、通達を」

 他にも2、3話し合った後、<魔王>はようやく顔を上げてアベスタを見た。明るい黒の瞳にアベスタが写っている。アベスタの呼吸が1秒といわず10秒ほど止まったが、すぐに持ち直し、膝をついて臣下の礼をとった。アベスタは知っている。臣下の礼を自分たちがとるたび、<魔王>の目がいつも孤独に揺れているのを。

 それでもアベスタは臣下としての姿勢を崩さない。<魔王>が孤独から開放された時、『ここ』からいなくなるのを本能で悟っていた。どれだけ蔑まされようと、彼がいなくなるのだけは、アベスタには耐えられそうになかった。

 彼もまた、知っていた。魔族というものが、そういう風に作られていることを。

「いや、私もか」

「何か?」

「ん? ああ悪いがアベスタ、この書類を2人に届けてくれ」

「は、はい」

 書類をアベスタに差し出した<魔王>は、何事もなかったように仕事を続けた。


 かっこ、をつけくわえ。

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