3話:レオンハイム=エヴァンドールは盲信的な教徒である。
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雲一つ無い晴天。こんな日は心が軽やかになる。今日は良い日になりそうだ。
そう思い意気揚々と事務所のドアを開けた。外の爽やかな空気から一変、事務所内には只ならぬ空気が流れていた。
事務所は真ん中に仕切りを兼ねたカウンターがあり、入り口から見て奥が職員のスペースで、手前が来訪者のスペースとなっている。
来訪者側に、ブロンドの髪をオールバックに固めて、背が高く、紫紺のロングコートの詰襟に細いスラックスの審査官制服に身を包んだ男が立っていた。奥には朝から珍しく起きており、服を着替えているとはいえラフな格好のルナリスが眉間に皺を寄せて椅子に座り、頬杖をつきながら何かを書いていた。
男のことは知っている。名前はレオンハイム=エヴァンドール。昨日、ルナリスが異議申し立てをした竜の討伐依頼書、その作成者だ。
「おや、依頼の受け付けかな」
俺に気付いたレオンハイムが笑みを浮かべた。顔は笑っているが目の奥が笑っていない。
「こんな事務所よりも、エヴァンドール事務所の方をオススメする」
近づいて俺の肩に気安く手を置いたレオンハイムに俺は「いえ、あの」と言い淀む。その様子を見ていたルナリスが「彼はうちで働いている審査官見習いよ」と冷たく言い放った。
それを聞いたレオンハイムは作り笑顔をやめて敵意を込めて睨んできた。
俺は軽く会釈をしてそそくさと奥側へ入った。ルナリスの隣に行き小声で尋ねる。
「こんな時間から起きてるなんて珍しいですね」
「一時間も事務所のドアのノッカーを叩き続けられたら誰でも起きるわよ」
ルナリスはレオンハイムを顎で指した。一時間も叩く方もだが、無視した方も凄いな。
「それで、あの人がここに来た理由って」
まだ小声で話していたが、聞こえてしまったらしい。レオンハイムが大きな声を上げた。
「君達が提出した異議申し立てについて話に来たに決まっているだろう!」
その言葉にルナリスに目を向けると、何も言わずに小さく頷いた。
やっぱりそうだった。まあでも、ここに来る理由なんてそれしかないよな。
「君達は審査官でありながら、竜の討伐に異議を申し立てた。もしかしたら竜のことを何一つも知らないのかと思ってわざわざ小生が教えに来たのだ。君にも教える必要がありそうだ」
そう言って、レオンハイムは分厚い本を鞄から取り出した。
ずっと何かを書いていたルナリスが驚いた表情を浮かべて、「えっ、ちょっ、待っ」と言っていたが、その声を掻き消すようにレオンハイムがよく通る大きな声を上げた。
「もちろんこのくらいは知っていると思うが、これはヴァルティス神聖教の聖典だ。小生は典戒派でさっき聞いたところによるとそこの審査官は啓悠派とのことだが、宗派によって聖典に違いは無いから後でよく見直すと良い!」
ルナリスが俺のことを睨んできた。そんな睨まれても困る。
「竜は聖典にも登場する。第六章第五節だ。竜が如何に凶悪で秩序を乱す魔物かを書かれた部分のみ抜粋して読み上げよう」
レオンハイムは軽く咳払いをした。そして、抑揚を強調したまるで舞台役者のような口調で聖典の一部を音読し始めた。
「彼の者は天より現れ、雷を纏いし翼を広げる。眼は人を射抜き、彼の咆哮は大地を揺るがす。竜は天の戒めを破り、火を吐きて神の民の家々を焦がし、その羽ばたきにより城塞をも倒す。竜は身を霧に溶かし、肉の眼には捉え難き。神は彼に言葉を投げかけた。『何ゆえこの世を焼き払わんとするか』と。されど、竜は笑みて応えり。『汝らの子の行為は耐え難き。我はこのような秩序は認めぬ。もし神が我に打ち勝つならば、この世は神と子のものであろう』」
レオンハイムは聖典を片手で持ちながら、わざとらしく身震いしてみせた。
「なんと竜は恐ろしい生き物だ。理解できたか。いや、君達も聖典を持っている筈だがその恐ろしさを知らず意義申し立てをしたのだったな。では、そんな君達にもわかるように小生が訳してあげようではないか!」
レオンハイムはもう一度咳払いをした。
「むかしむかし、そらから りっぱな つばさをもった りゅうが おりてきました」
「理解してるわよ」
俺達を馬鹿にした態度にルナリスが苛立ちを隠せない様子で言葉を遮った。俺も腹が立って仕方ないが、ここで怒りを爆発させても仕方ない。
「理解しておきながら討伐依頼に対して異議申し立てるとは、馬鹿げたことをしてくれた。それにお前も知らないわけではあるまい。六年前、フローカ大陸で起きた竜被害を」
レオンハイムがルナリスを睨む。フローカ大陸の竜被害。一番最近起きた竜による被害だ。このオルシスティアがあるタリステル大陸と大海を挟んで南にあるフローカ大陸、そこに赤竜が現れ、いくつもの雷を街や村に落とした。多くの死傷者が出て、小さな村では壊滅的な被害を受けたと聞く。その後、その赤竜は姿を見せていない。
「もちろん知ってるわよ」
「ならそれで十分だろう。申し立てを取り下げてくれるな?」
さっきまでの小馬鹿にするような態度とは違って真剣に異議申し立ての取り下げを要求してきた。怒りという心情とは別に、意見としては俺もレオンハイム寄りだ。だが、申し立てをしたのはルナリスだ。判断はルナリスに任せるしかない。
「この目で実際に見ないことにはその判断は下せないわ。はいこれ、審問会への同意書よ」
ルナリスが、さっきまで書いていた紙をレオンハイムに差し出した。
「そこにも書いた通り、それを討伐庁に提出した場合、その一週間後に審問会を開くわ。場所はオルシスティア大聖堂。より公正である為に一般の観覧ありってことでどうかしら」
レオンハイムが「ハンッ」と鼻で笑い、カウンターの上に置いてある羽ペンを手に取ってサインした。同意したということだ。
「それじゃ、竜を見て審問会を開くべきだと判断したら、私もサインをして提出するわ」
「それで良い」
レオンハイムは聖典を鞄の中に入れて歩き出す。ドアを開いて一歩外に出たところで、こちらに顔だけを振り向かせた。
「せいぜい気をつけて竜に会いに行くことだな。もし帰ってこなかったら依頼書の更新をしよう。報奨金を上げ、『勇敢な審査官を殺した竜は尚更許せぬ』と添え書きを付けてな」
そう言い残すとドアを閉めた。ドア越しに高笑いが聞こえてくる。
「クッソムカつく! 何あいつ! 出禁って貼り紙しとくわ」
ルナリスは依頼書作成用紙に『レオンハイム=エヴァンドール立ち入り禁止』と書き殴った。
それ紙の無駄使いだぞ。そう思いながらも、俺は足を震わせた。その理由はただ一つ。
今から竜を見に行くって、それ俺も付き添いしなくちゃいけないよな。
竜に対する恐怖心に包まれていたからだった。




