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1話:ルナリス=ラ=サクレーシアは怠惰である。

 ★


 事務所のバックヤードから、ゆっくりと階段を下りてくる足音が聞こえてきた。


 俺は机の上に積まれた依頼書の束を整える。


 壁際にある焦げ茶色いのホールクロックに目を向けると、午後一時を過ぎたところだった。


「ふぁい、バド、おはよう」


 欠伸交じりにこの事務所の長であり唯一の依頼審査官のルナリスが姿を現した。相変わらずの昼起きに呆れて溜息をついた。


 違う。俺が想像していた審査官は、こんな風にだらけて良いものじゃない。


 俺は自分の右手中指にはめた四衡晶しこうしょうが象られた銀の指輪を眺める。


 四衡晶(しこうしょう)は菱形を二つに重ねた審査官の記章で、均衡と治安を意味する。審査官は公平な目で魔物の討伐依頼を審査するのが仕事であり、魔物を実際に討伐する認可討伐者が無用な危険に晒されないよう責任を持たなければならない。審査官が怠れば、依頼書に書いていた危険度より凶悪な魔物が相手かもしれず、討伐者が命を落とすことだってある。


 ルナリスは優秀な審査官だと思う。彼女が審査官試験に合格したのは今から七年前の十二歳の時だ。今でも史上最年少合格者として名は知られている。


 仕事をすれば文句の無い依頼書を作成する。だからこそ、怠惰な姿勢が余計に目につく。審査官たるもの毅然とした態度でいるべきだ。


 募る苛立ちに、一言くらい文句を言ってやろうと、勢いよく振り返った。が、言いたいことが喉の奥で詰まった。


 薄水色のネグリジェに、肩から無造作にストールを羽織っただけの、あまりにも無防備な姿。薄紫のウェーブがかった長髪を揺らして頭を掻いている彼女に、俺は思わず目を逸らした。


「ルナリス先生は若い女性ですし、もっと身なりに気をつけるべきではないでしょうか?」


 ちらりと横目でルナリスを見る。肩にかけていたストールの片方がずり落ち、白く艶やかな肩が露わになっていた。


「なにそれ、気になって仕事に集中できないってこと? まだ朝なのに元気なのね」


 ルナリスは悪戯っぽく笑う。


「違います! それに、もう昼ですよ!」


「必死に否定しちゃって、可愛いとこあるんだから。それと、私の方が五つも年下なんだし先生はいらないっていつも言ってるでしょ」


 ルナリスが顔を鼻先十センチまで近づけてきた。林檎のような香りが鼻をくすぐる。大きなつり目の琥珀色の瞳に見つめられ、顔が熱くなった。


「もういいですから! ほら、着替えてきてください」


 ルナリスは面倒くさそうに「はいはい」と相槌を打って、再びバックヤードへと消えていく。


 階段を上がる音を聞きながら、俺はまた小さく溜息をついた。


 この事務所で働き始めて一年と少し。最初の頃はルナリスも朝起きて指導してくれていた。だが、俺が仕事に慣れてきた頃から、午前中は完全に寝て過ごすようになった。


 けれど、午後からはきちんと仕事をする。その仕事ぶりは勉強になるし、なるほどと感心することも多い。だからこそ、もう少し朝から真面目にやって欲しいと思う。


 文句ばかり考えていても仕方ない。午後からは午前中に受け付けた依頼の査定だ。ルナリスは過去の事例の確認もするが実地調査を大切にしている。


 俺はそれに帯同する為に、束ねた書類を仕事鞄に入れ、壁にかけていた薄灰色の見習い用制服のジャケットに袖を通した。


「お待たせ。バドはもう準備万端って感じね」


 バックヤードから着替え終えたルナリスが姿を現した。


 ゆったりとした生成りのチュニックに薄手の羽織りを肩にかけていた。


「ルナリスはやっぱり制服は着ないんですね」


「制服ってあんまり好きじゃないのよね。堅苦しくて余計に疲れるっていうか」


「でも、審査官の正式な制服ってかっこいいじゃないですか」


 俺はそう言いながら、頭の中で紫紺の制服を身に纏ったルナリスの姿を想像した。まだ見習いという立場だからか、あの紫紺に金糸の刺繍が入った制服は憧れてしまう。


「まあ好きは人それぞれだから否定はしないけど、私はこういうラフな方が好きなの」


 ルナリスがその場でくるりと一回転する。茶色のロングスカートがはためき、白い足首がちらりと見えた。


「危な! 腰紐の結びが緩かったわ。もうすぐでズレ落ちちゃうとこだった」


 慌てて腰紐を結び直すルナリスに、俺は呆れて苦笑いを浮かべるしかなかった。


 腰紐を結び直し終わったルナリスが「さあ、行くわよ」と外に出た。俺もそれに続く。


 街の中心には白い石造りの大聖堂がそびえ立ち、その周りには商工所や認可討伐者詰所がある。ルナリスの事務所もその区域にある。


「今日の依頼はどこから?」


 俺が鍵を閉めたのを見てルナリスが尋ねてきた。


「近くだとこの先の住宅地に住んでいる男性ですね。他にも大体は壁内ですが、一件だけ外のミリー村からの依頼もあります」


「それじゃ外から行って、仕事をこなしながら帰ってくるルートで行きましょうか」


 ルナリスはそう言うと、スカートのポケットから布袋を取りだした。袋の中から割れたビスケットを摘まんで口に入れてから歩き始めた。


「またそんな乱雑に入れて。だからポケットの中がいつもカスだらけになるんですよ」


「別にいいでしょ。私の服で洗濯するのも私なんだし」


 ルナリスが不満げに口を尖らせた。だけど、次のビスケットを食べるとすぐに幸せそうに顔を綻ばせた。


 大聖堂の前を通る大通りを歩くと露店や商店が建ち並ぶエリアが広がる。住宅地を抜けると街を囲む高い城壁が見えてきた。門兵に四衡晶の指輪を見せて壁外に出る。


 城壁の外側にある水堀に架けられた石の橋を渡り、ミリー村へと向かった。

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