10話:決着。
大聖堂の身廊を出てすぐの廊下をルナリスが急ぐように歩く。
その後ろ姿を見ながら、俺は今日の光景は一生忘れないだろうなと確信していた。
ついさっき判決が出たところだ。聖職者の中でも一際年老いた男が皆にこう宣言したのだ。
「件の黒龍をこの街の守り神とする」
その言葉を聞いたルナリスは、顔を天に向けて笑った。彩色ガラスの窓から射し込んだ光がルナリスを照らし、白い肌が輝いて見えて幻想的だと見惚れてしまった。
しかしそれも一瞬で、ルナリスは誰よりも早く身廊から飛び出した。遅れて俺も追いかけているのだが、何故か早足で歩いていてなかなか追いつけない。
「どうしてそんなに急ぐんですか」
「この制服窮屈で嫌なのよ。早く帰って着替えたいの!」
あまりにルナリスらしい返答に、俺は笑ってしまった。しかし、俺はルナリスに「どうしても聞きたいことがあるので止まって下さい」と声をかける。ルナリスは立ち止まり振り返った。
「なに? ちょっとだけよ」
「レオンハイムに対してどのタイミングから勝算があると思っていたんですか」
竜の討伐依頼の取り下げなんて、普通なら勝てる見込みのない要求だった。それなのにルナリスはそれを押し通した。それには勝算があったからだろう。
「依頼書を作ったのが、あの宗教家で、典戒派の盲信者レオンハイムって知ったときよ」
「えっ?! そんな早い段階で勝てる見込みあったんですか」
「良い? 覚えておいて」
ルナリスが俺の胸元に白くて細い指を押し当ててきた。
「盲信や盲目はどんなに優秀な人でも馬鹿になるのよ。レオンハイムは確かに優秀なんでしょう。でも彼は盲信しすぎて聖典に書いてあることが全てだと思っていた。そこに付けいる隙があったのよ」
ルナリスの言葉が突き刺さる。俺自身も以前、グリムファングの依頼書を作った際、グリムファングはこういうものだと盲信して訂正された。ルナリスの言う通り盲信や盲目は、人に考えることを放棄させてしまうのだ。
「でも、今回私も馬鹿だった」
「えっ?」
「私も竜と魔物の被害だけに目が行ってて、人間の犯罪なんて考えもしなかったわ。だからレオンハイムに結界の影響を指摘されて何も言えなかった。バドには助けられたわ。ありがと」
ルナリスが、俺よりも随分小さい身長なのに背伸びをして無理矢理俺の頭を撫でてきた。大人になってから頭を撫でて褒められるなんて初めてだ。案外悪くは無かったが、恥ずかしさが勝って手を払いのけた。そして、照れ隠しに思いついたことを口にする。
「でも、最初にルナリスに向かって聖典を読んだことあるのかって野次はびっくりしました。あれで今日は完全にアウェーなんだと身構えましたよ」
俺の言葉に、ルナリスは悪戯な笑みを浮かべた。
「あれ、私の仕込み」
「はっ?! 仕込み? えっと、どういうことですか。意味がわからないんですけど」
俺は困惑して素っ頓狂な声を上げる。
「レオンハイムに聖典以外の話を持ち出されたら分が悪かったのよ。だから、あの野次を言わせるようにしたの。そうすればプライドも高そうで、盲信者のレオンハイムなら聖典を使うって思ったの。実際その通りになったでしょ?」
胸を張るルナリスを見て、俺は呆れを通り超して怖いとさえ感じた。なんて狡猾なのだろうか。口論になっても勝てる気が一切しない。ふと、昨夜のことを思い出した。
「もしかして、昨日のデートって」
それだけでルナリスも理解したらしい。また悪そうな笑みを浮かべて「そうよ」と頷いた。
「ザッカーに頼んだの。晩ご飯奢るのと引き換えに『聖典を読んだことないだろ』って野次を飛ばしてって。そしたらあいつ店で一番高い酒頼みやがって。痛い出費だったわ」
ルナリスはそう言うと眉間に皺を寄せた。
「どうしてそこまでしたんですか」
「どうしてって、竜を討たなくてよくなれば人が死なないでしょ。竜が神なら誰も討伐しようなんて思わないし、今後も魔物被害は少ないままよ。私も穏やかで安寧の暮らしが保たれる。良いことずくめじゃない」
ルナリスはあけすけにそう言った。そして「はい、もう終わり」と手を軽く叩いて、踵を返し早足で歩き始めた。
俺はその後ろ姿をただ呆然と見送ることしかできなかった。




