二回生~リーグ戦~
愈々、明日から、新学期が、新学年が始る。星山大学蹴球部の部員、及び、希望する新入生は、視聴覚室に集められた。
無論、昨年も行った、日内による蹴球部のオリエンテーションの為だ。
内容は、去年のものがベースで、下記のようなものだった。
・日内の自己紹介
・昨年度、星山大学蹴球部が、九州大学二部リーグを輝かしい成績で、制覇したこと
・ロベカルのビデオを見せながらの、必殺技の話
・スポーツ奨学生になれるチャンスがあること
智也の予想通り、練習に参加していた新三年生は、全員、奨学生になった。試合にレギュラーとして、出ていた深石、追木、大黒、戸井田はもちろん、サブに甘んじている内藤も奨学生になった。智也としては、宇城が言っていた、内藤はゴール前で俺と競り合えるCBだぜ、という言葉が忘れられない。
また、新二年生の中では、西山が、奨学生になった。これも、試合への出場実績からすると、不思議でないというか、むしろ、ならない方が、不自然だろう。
智也は、教室中を見回したが、宇城の姿は無かった。
昨年、RedFishのメンバーを、宇城のお姉さんに引き合わせた後、宇城から、お礼の電話があった。それで、もしかして、という思いもあったので、智也は、幾らか、がっかりした。
秋津子さんからは、宇城からのお礼の一週間後ぐらいに、電話があった。不思議なことに、その電話で秋津子さんが、有難う、と言っていたことだ。そのセリフは、智也が言うべきセリフであるだろうに。智也が尋ねようとすると、その時、秋津子さんは、慌ただしかったようで、ごめん、と言って、携帯が切れてしまった。
そして、次に、キャプテン太田を中心に、四部構成の練習内容に関して説明があった。新入生と思われる者は、真剣な眼差しで聞き入っているが、智也など在校生からすると、どれも、既知なものなので、刺激がない。
智也は、ふと、気になって、日内を覗き見してみると、例によって、大人のニヤニヤ笑いをしている。
ん?
と、智也が思っていると、太田の説明が終わった。
太田から、バトンタッチを受けた、日内が教壇に立つと、教室中を見回した。
智也は、今年は、この瞬間、去年に比べて、教室中が、スッと、静かになったのを感じた。日内が、真顔になって言う。
「日本代表のベストゴールって何だと思う?」
明確な答えの無い質問だ。
明確な答えの無い質問をする時は、答えが用意されているものだ。
「私は、二〇〇二年、日韓W杯の鈴木隆行のゴールだと思う」
日内は、そう言うと、スクリーンに、そのゴールシーンを、二度再生する。
二〇〇二年と言えば、智也は未だ、生まれていない。
しかし、このゴールシーンは見たことがあった。
鈴木隆行に、約四十mのパスを、ベルベットパスを送ったのが、小野伸二だからだ。去年の必殺技の教本として、このゴールシーンも見た訳だ。
因みに、この時の小野のパスは、ピンポイントパスという訳ではない、と思う。
何故なら、バウンドしたボールが、DFラインをすり抜け、鈴木隆行自身も、DFラインをすり抜ける様にして、シュートを打っている。
今となっては、毎回、W杯への連続出場を果たしている日本代表だが、W杯への初出場は、一九九八年のフランスW杯だ。この時の日本代表は、コレクティブなサッカーをしたものの、Gリーグを三戦全敗で敗退している。
そして、迎えた、地元開催のW杯。ホスト国としては、Gリーグ突破がマストと言われた大会だった。
ところが、大事な大事な初戦で、後半、ベルギーに先制されてしまう。
鈴木隆行のゴールが生まれたのは、その二分後だった。
この二分間の間、日本中のサッカー関係者、サポーターが、日本は、やはり、勝てないのか、と思っていただろう。
だが、鈴木隆行は、諦めていなかった。
日内は、次に、スライドを見せた。
それは、鈴木隆行の経歴だった。
鈴木隆行は、いわゆるストライカーではない。正確に言えば、点取り屋としては、ひどく寂しい実績である。
J1 出場試合 百八試合 得点十七
J2 出場試合 百二十八試合得点二十四
二〇〇二年の代表にも、滑り込むような形で、シンデレラボーイという形で、抜擢された選手だ。
平均パフォーマンスとしては、日本代表でも、そして、所属チームの鹿島アントラーズでも、相方FWである、柳沢敦の方が、上だろう。W杯で鈴木隆行が、先発したのも、柳沢敦との、2トップとしてのコンビネーションを重視した、という考え方もある。
そういうことを、日内は、淡々と、付け加えた。
そうして、もう一度、日内は、ゴールシーンを、二度、再生した。
鈴木が、DFラインの裏に抜けたボールに、スライディングをするようにして、足を延ばす。ボールに触れたのは、文字通り、つま先だった。鈴木は、ボールが、ゴールネットに到達するのを確認すると、起き上がって、二度三度、咆哮する。雄叫びを上げる。
呼応するかのように、スタジアム全体が、揺れる。しばらく、興奮がおさまらない。
日内は、ビデオを消すと、教室中に、語り掛ける様に、言った。
「今年は、一部での戦いです。福岡帝国を初め、格上との戦いが続きます」
次に、日内は、一度、軽く目を瞑ってから、選手一人一人の顔を覗き込むようにして、言った。
「でも、だからこそ、私は、今日、言いたいです。優勝しましょう。九州大学リーグ一部を、制覇しましょう。例え、大敗することがあっても、諦めないで下さい。もし仮に、自分を、自分の力を信じられなくなっても、かまいません。でも、その時は、今、ここにいるチームメイトの力を信じて下さい。少なくとも、私は、決して、最後まで、皆さんの、諦めない心を信じています」
そして、日内は、去年と同じ様に、拳を突き上げる様にして、言った。
「今年の目標は、九州制覇です。頑張りましょう」
去年、智也は、日内のこの仕草を見た時、白けたものだったが、今年は、違った。それは、部員全員が、同じであった様で、日内が話し終わって、ちょっと、間があった後、教室中が、咆哮、というか、怒号にも近い声が上がった。
さて、新入生の推薦組は三人だった。
智也達の代に比べると、少ない。
これには、おおよそ、理由が三つある。
一つ目は、何よりも、星山大学に、選手獲得の上で、競争力がないことだ。
九州大学リーグは、ここ数年、頂点に君臨する福岡帝国大学に、亜細亜文理大学、佐屋体育大学が、挑む構図となっていた。気の早い者は、三強時代と表現する者もいた。
では、なんで、去年は、多くの人材を獲得することが出来たのか。
それは、試合出場を、ほぼ、確約することが出来たからであろう。
Jリーグから、声がかかるほどの高校生であっても、大学進学を選ぶ高校生もいる。それは、ひとえに、Jリーグに比べて、大学の方が試合に出れる可能性が高いからである。考えてみれば、J1のFWであれば、元セレソンのブラジル人などと、ポジション争いする訳である。因みに、Jリーグでは、二〇一九年に外国人枠が大きく変更され、J1だと、最大五名まで、外国籍の者が出場出来る。
二つ目は、去年は、日内が、選手補強に、労力を割かなかったことだ。日本全国のユースや高校に足を運ばなかったことにある。これは無論、リーグ戦に集中する為だ。
三つ目は、入学当初、結城が言っていた通り、リクルーティングの勝負は、今年の冬に、置いているからだ。智也達が四年の冬に、大学日本一を目指す。その時に、戦力となれているのは、四年生から二年生までだろう。だから、星山大学は、今年、確固たる実績が欲しかった。少なくとも、三強に対して、五分の戦いをする必要があった。
三人の推薦組のうち、一人目は、FWの小栗茂で、長身のポストプレーヤーだった。宇城に誘いを掛けていたものの、先行きが不透明でありーー実際、智也からの勧誘も失敗した訳だがーー、ポストプレーヤーは、喉から手が出る程、欲しい存在だった。
日内は、足元の上手いCBを揃えていることからも分かる様に、つなぐサッカーを志向している。いわゆる、ポゼッションサッカーである。だが、ポゼッションサッカーは、その原理上、一つの大命題を抱え込むことになる。
それは、押し込んだ相手、引いて守る相手をどう、崩すか、という命題である。
そもそも、自分達で、ポゼッションを握る、ボールを支配することを目論んでいるのだから、これに対して、相手が引いて守ってきたなら、それはそれで、想定通りというか、期待通りの筈だ。だが、ここが、サッカーの難しいところで、この引かれた相手、ゴール前を固めた相手を崩す、というのは、今も昔も難しい。
その一つの解決策、打開策として、ゴール前の高さ、というものがある。
何も、そのFWが点を決めるだけではない。
ゴール前で、相手GKが飛び出せない領域で、空中戦を仕掛ければ、そして、そこで、負けなければ、何かが起きる。ある種のパワープレイである。
オシム監督が、巻誠一郎を重宝した様に、そして、Jリーグでは、川崎フロンターレを強豪チームとする礎を作り、ポゼッションサッカーを志向する風間八宏が、長身FWを求め続けた様に、一つの、或いは、最後のピースとして、ポゼッションサッカーには、長身ポストプレーヤーが必要になる。
小栗茂は、身長が一八八あり、この面では十分だが、体が未だ出来て無くて、ひょろっとしてる感じが否めない。また、足元の技術も覚束ない面がある。
今年で言えば、秋に、パワープレイ要員として、使えようになれば、御の字という感じだろう
二人目が、レフティーのMF、西花渚だった。
西花は、ユース出身で、基礎技術はしっかりしてるし、パスセンスもある。だが、如何せん、根性無し、というか、怠け者だった。根性には自信の無い智也から見ても、西花の根性無さは相当なもので、智也自身は、俺も捨てたものじゃない、と、変な自信がついた。
それで、西花を、リクルートするかは、日内とGMである高見の間で、相当、議論になったらしい。
西花推しの日内が、開花する才能なんてごく一部で、西花君は投資対象としては悪くないですよ、と言ったら、高見が、お金を出すのは貴女じゃないでしょう、と言ったとか言わない、とか。
因みに、西花は、プライベートでは、イケメンで、爽やかな笑顔を自然に作れ、そして、清潔感のある奴だった。つまり、誰もが認める、これはモテル、という奴で、西山には、いい刺激になったのではないか。
三人目が、CBの平内拓海で、先輩のCB四人衆と同様に、足元のしっかりしていて、身長も一八〇ぐらいある。平内は、向坂の高校の後輩で、向坂から、ウチの大学面白いから来いよ、と誘われたらしい。
確かに、チームの骨格となっているCB四人衆からしたら、やりがいのあるチームであることは間違いない。
星山大学蹴球部は、日内の野心を旗頭に、部員達の去年二部リーグを制覇した自信を梃子として、一部リーグを戦っていくことになる。
ここで、九州大学一部リーグの年間のシステムを簡単に説明しておく。
参加大学は、十六チームで、先ず、四月~六月に、八チームずつに分け、それぞれ一回ずつの総当たりで予選リーグ戦を行う。このそれぞれの上位四チームが、七月~十一月に行われる、ファイナルリーグの上位リーグを、ホームアンドアウェイ方式で戦う。つまり、ファイナルリーグは、十四節ということになる。但し、予選リーグ戦では、それぞれ四位と五位になったチームが、もう片方のリーグの四位と五位になったチームと、たすき掛けで、順位決定戦を行う。
こうして、ファイナルリーグの上位三チームが、十二月に行われる、全日本大学サッカー選手権大会に、九州地区代表として、参加することが出来る。
つまり、大学日本一になる為には、予選リーグで、三位以上になるか、或いは、四位か五位になり、順位決定戦を勝ち抜き、ファイナルリーグで、三位までになることが必要となる。
――六月第四週 順位決定戦 日本共立大学戦。
予選リーグAグループで四位の成績だった星山大学は、上位リーグ進出をかけて、Bグループで五位だった日本共立大学と、順位決定戦を戦うことになった。
この試合、仮に引き分けなら、順位が上である星山大学が、勝ち抜けになる。
だが、サッカーの試合で、引き分け狙いで、計算通り、引き分けという成果を得ることは極めて難しい。それは、サッカーにおいて、選手のプレイ選択に大きな影響を与えるのが、その選手の気持ちだからだ。
一番顕著なのが、DFラインの押し上げだ。
失点を防ぐためには、短期的には、例えば、十分、十五分の話であるならば、ゴール前を固めてしまうのが、一番、手堅い様に思える。実は、このこと自体、正解かどうか分からないのだが、少なくとも、子供の頃からボールを蹴って来た選手からすると、感覚的に、このことは正しい様に思える。
だが、一試合を通して、或いは、三十分以上の時間を、ゴール前に引きこもって、凌ぐことは、先ず、出来ない。これもまた、サッカー選手は、或いは、監督ならば、経験則として、身に染みている。
しかし、点を取られなければいい、という気持ちが、どうしても、選手たちをして、ゴール前を固めてしまうことになる。全体的に、自陣に押し下げられることになる。
そして、この日は、朝から、どんよりとした空模様だった。
試合前、珍しく、日内が、心もとなげに、ぼんやりと、空を見上げてるので、智也は、声をかけた。
「天気予報だと、あと、二時間は大丈夫ですよ」
大丈夫とは、雨が降らない、という意味だ。
日内が、智也を振り返って、言う。
「あら、午後は、雨じゃなかったけ?」
「一時間単位での話です」
「細かいわね。……そんなんじゃ、女の子にモテないわよ」
智也が、ちょっとムッとして、やり返す。
「雨が降るかどうかで、先発メンバーも違うんじゃないですか?」
「そうだけどさ……」
と、日内が、呟く様にして言う。「でもまあ、どっちにしろ、井形君は、先発させたいしね」
智也が、ちょっと、考えて、呟く。
「それは、そうですね」
予選リーグで、星山大学が苦しんだ理由は、明らかだった。
得点力不足だった。換言すれば、自分達の攻撃の型が無かった。4ー3ー3なのか、3ー4ー3なのか、システムも未だ、定まっていなかった。先発メンバーも、去年とは違って、色々なパターンを試している段階だった。
チーム作りは、中位のチームであるほど、難しい。
例えば、各国の一部リーグであれば、十八~二十チーム程で、リーグ戦を戦う。
監督としては、上位三チームくらい、優勝争いが宿命づけられたチームの監督、或いは、逆に、下位五チームくらい、一にも二にも残留が目標の監督は、戦術的な面では、チームの指揮を取りやすい。
優勝争いをするのであれば、攻撃的に戦えばいいし、残留が目標であるならば、先ずは、手堅い守備を一にも二にも考えればいい。ここが定まれば、先発メンバーも、大体、決まって来る。
ところが、頑張れば、優勝争い出来る様でもあるし、状況によっては、残留争いに巻き込まれてしまう、というチームの監督の指揮は、本当に、難しい。
これには、理由が二つある。
先ず、有体に言ってしまえば、格上と格下とで戦い方を、細目に微調整しなければならないからだ。
もちろん、実際の試合が始まってしまえば、選手任せになるので、先発メンバーの人選や、特定の対戦相手を想定した練習によって、監督の手腕が発揮されることになる。
次に、サッカーにおける監督の本質的な難しさなのだが、実は、プロの監督であっても、多くの者は、攻撃の型を作ることが出来ない。何をしているかといえば、選手をパラパラと並べているだけなのだ。
だから、一般に、プロの監督として、守備を構築出来れば、六十点、つまり、合格で、攻撃を構築出来れば、八十点、これに、カリスマが加われば、百点の監督となる。
例えば、現代サッカーの監督で、百点の監督を二人、挙げよう。
ジョゼップ・グアルディオラ、通称、ペップ。
ユルゲン・クロップ。
ペップは、二〇一六年から、マンチェスター・シティを率いて、クロップは、二〇一五年から、リヴァプールを率いて、プレミアリーグで覇権を争っている。
攻撃に関しては、この二人の監督の出発点は違う。
ペップは、スペインのパスサッカーをベースにしたものであり、クロップは、ブンデスリーグを制覇したゲーゲンプレスを元にしている。しかし、プレミアリーグが、世界中から資金と選手を集めている結果、つまりは、スペイン人やドイツ人といった特性を、捨象することにより、現在のプレミアリーグは、監督の指針や個性は、もちろん、残るものの、基本的には、戦術の共通化が行われているように思える。
話を戻す。
つまりは、星山大学の様に、強からず弱からずといったチームが、どうやって、点を取るか、自分達の型を何処に求めるか、というのは、本当に難しい。
毎試合、攻撃的な布陣で、戦術で戦えば、格上相手には、勝ち点を落としていくことになる。だから、本来であれば、相手が格上か、格下かによって、先発メンバーも戦術も変えていけばいいように思えるが、一方、選手としては、毎週、試合に先発することによって、コンディションを整え、試合勘を磨いていく。或いは、九十分、戦う体力、気力を養っている。
だから、それゆえ、結局は、そのリーグに置いて、その年における、最適解を監督が見つけ出すしかないのだが、これには、チームとしての試行錯誤、監督としての経験が要求される。
この課題を、今、星山大学は、日内監督は、消化しきれずにいた。
試合が動いたのは、後半十分のことだった。
先制点を挙げたのは、日本共立大学だった。
試合開始から、一点を取らなければいけない日本共立大学と、引き分けでいい、という星山大学では、選手の積極性に違いがあるのは、明らかだった。
前半は、太田を中心に、なんとか、凌いでいた守備陣も、遂に、決壊することになる。失点の原因は、FKからのオフサイド崩れだった。
◆星山大学システム 4ー4ー2
FW:深石(三年)、九条(二年)
MF:戸井田(三年)、追木(三年)、向坂(二年)、井形(二年)
DF:西山(二年)、太田(二年)、毛内(二年)、久良(二年)
GK:検見崎(二年)
選手の気持ちが、消極的になることは予想され、その為、日内は、積極的な仕掛けが持ち味の井形を、先発メンバーに、起用していた。しかし、チーム全体が、後ろ重心の為、井形も、持ち味を発揮する機会が少ない。あっても、味方のフォローが無いこともあり、空回りしてしまう。更に、前半二十分過ぎから、振り出した雨も、井形の動きを鈍くしてしまう。振り続けた雨は、ドリブルへも影響していた。
そうした中で、中盤でタクトを振るうのが持ち味の追木が、細目なオフサイドラインの調整についていけず、失点を許してしまう。
しかし、日内は、この事態を、先制点を許してしまうことを、予想していたのだろう。
後半開始から、控えメンバーには、ウォーミングアップを指示していた。
日内は、相手チームの選手が、歓喜の輪を作るのと同時に、智也と楓太を呼び寄せいた。
日内が、智也に向かって言う。
「アンカーで行くよ」
「了解」
「智也、今年の必殺技は?」
智也が、何を今更、と言った体で、応える。
「クレイジーラップ」
「今がその時。……攻守のバランスは無視していい」
「そりゃそうでしょ」
今年も、智也は、取得すべき必殺技を、決めかねていた。
昨年のテーマである、ベルベット・ループは、楓太のアドバイスもあり、様になって来たように思う。思うが、試合では、ほとんど使えてない。使えてはいないが、今年は、新しいテーマでいいだろう、と、智也も思っていた。
テーマを決める期限である、五月末の直前、智也は、日内に、見透かした様に呼ばれた。
「今年の必殺技は決めた?」
「未だです」
「ベルベット・ループはどんな感じ?」
「……ボチボチ、です」
「ふーん。……じゃ新しいの行こうか?……やりたいのある?」
「それが無くて……」
「よし、オーバラーップで行こう」
「オーバラーップ?」
「インナーラップでもいい」
オーバラップもインナーラップも、味方選手を追い越す動きである。
例えば、サイドライン際で、SHがボールを保持している時に、SBが、その外側から、つまり、サイドライン沿いに、追い越す動きが、オーバーラップ。内側から、追い越す動きが、インナーラップである。
智也が、ぼんやりと応える。
「オーバラーップにインナーラップですか……。必殺技ってほどじゃあ」
日内、ニヤリとして笑って言う。
「そう? ……オーバラーップもインナーラップも、無駄走りになる時の方が多いでしょ?」
「そりゃあ、そういうもんですから」
「それを、智也には、アンカーの位置でやって欲しい。ボランチの位置でやって欲しい。追い越すのは、IH、SHだけじゃない、時には、FWも追い越して欲しい」
「……それって」
「そう。……もちろん、守備にも戻って欲しい」
智也は、内心、呟く。
……こりゃ、今年も、無茶ぶりだ。……無茶ぶりではあるが、去年のベルベット・ループは、なんとか、形になってきたのも、事実である。
智也が、言う。
「何か、名前はあります? ベルベット・ループみたいにカッコいいの」
「もちろん」
と、日内が微笑んで言う。「クレイジーラップ。……ぶっ倒れるまで、追い越して」
井形と向坂が下がり、智也と楓太が、ピッチに送られた。
◆星山大学システム 4ー3ー3(←4ー4ー2)
FW:戸井田(三年)、深石(三年)、九条(二年)
MF:斎藤(二年)、三上(二年)、追木(三年)
DF:西山(二年)、太田(二年)、毛内(二年)、久良(二年)
GK:検見崎(二年)
智也は、ピッチに入ると、太田に一声かけた。
「俺は、ガンガン上がるぜ。それから、楓太に預けて行こう」
太田が、ニヤッと笑う。
「分かってるって。……智也なら分かってるだろうけど、楓太って凄いぜ」
智也も、ニヤッと笑い返す。
「太田には悪いけど、楓太が、俺らの代の目玉だからな」
太田が、嬉しそうに、応える。
「そんなことは、高校時代から分かってる」
そうだ、こいつが、太田が、恐らく、楓太のサポーター第一号だ。
続いて、智也は、西山に声をかける。
「日内さんが、ガンガン上がれって」
西山が、生真面目に、頷く。
「もちろん」
何せ、残り、三十分。とにかく、一点を取るしかない。取れなければ、七月からは、下位リーグだ。
誰が、交代でピッチに入ろうと、日内の意図は明らかだ。
交代選手を活かして、点を取りなさい。
智也は、軽く目を閉じて、深く、深呼吸する。
下位リーグ行きになれば、恐らく、日内のクビも飛ぶだろう。
星山大学のオーナーである結城慎太郎は、一代で財を成し、財閥を創り上げた人物だ。
この辺は容赦、無いだろう。
しかし、智也は、もうしばらく、日内の指導者としての能力を見ていたかった。来年も、オリエンテーションで、照れ臭そうに上げる、日内の拳を見て見たかった。
それもこれも、これから、一点取れるかどうかだ。
智也は、自分の体が、奥底から、ブルブルと震えているのが分かった。
もちろん、寒いわけじゃない。逆に、気分は高揚してる。
……これが、武者震いってやつか。
智也は、思わず、呟く。
「サッカーって、最高!」
サッカーという競技は、面白い程、メンタルのスポーツである。
例えば、今の星山大学と日本共立大学のイレブンがそうだ。
試合開始時、一点を取らなければ、下位リーグ行きという日本共立大学は、試合開始から、死に物狂いで、点を取りに来た。対する、星山大学は、受け身になってはいけない、と思いつつも、受け身になってしまっていた。
ところが、そして、日本共立大学が、一点を取った。
日本共立大学としては、このまま、今まで通り、攻めればいいのである。
ところが、そうは行かない。
もちろん、それは、今度は、自分達が死に物狂いになる星山大学のイレブンの存在がある。でも、一方、日本共立大学のイレブンにしても、駄目だ、と思いつつも、受け身になってしまう。
サッカーの試合で、得点直後の失点、失点直後の得点は、本当に、よくある試合展開だ。
星山大学に、逆襲のチャンスは、直ぐに訪れた。
相手のロングボールを、太田が、ヘッドで弾き返す。
太田が、狙ったかどうかは、分からない。
でも、そのボールが、智也の元にやって来た。智也は、体を滑らす様にして、そのボールを、胸でトラップすると、ダイレクトで、そのまま、楓太の足元に付けた。楓太の位置は、太田がヘッドをする前に、確認してある。
智也は、楓太の足元にパスを送ると、サイドラインの西山を見やる。
西山は、既に、前方を、猛然とダッシュをしていた。
智也は、我知らず、笑みを浮かべる。
西山も、分かって来たじゃねーか。
ボールを受けた楓太は、ボールを二m、三mと運ぶ。
寄せて来た、相手DFの前で、楓太は減速する。
大学入学以来、筋トレをして来て、厳しい練習をして来た、楓太の真骨頂はここだ。
楓太の足元の技術が、格段、上手くなったわけじゃない。
だが、幾らか、厚くなった胸元、逞しくなった太腿を、目の前にした相手DFは、戸惑う。
パワーでは、押しつぶすことは出来ないんじゃないか。
その躊躇いが、楓太の前に、戸井田にパスを送るスペースを与える。
だが、ここまでは、相手DFも計算の内だろう。
ボールを受けた戸井田が、一瞬、自分でしかけるかどうか、躊躇う。
しかし、その躊躇いの横を、猛然と、西山が駆け抜けていく。
戸井田が、思わず、西山の前方にパスを送り、自らは、ゴール前に寄せていく。
相手SBは、死に物狂いで、西山に食らいついていく。
ボールを受けた西山は、相手の思わぬ早い寄せに戸惑う。
その西山の戸惑いを打ち消す様な、智也の声が、後方からした。
「西山、寄越せ」
楓太にパスを送るや否や、猛然とダッシュした智也の声だった。
西山が、智也の迫力に気圧されたように、ボールを後ろに戻す。
ゴール前に視線をやった、智也の視界に、相手ゴール前に走りこむ深石、フォアーに詰める九条の姿が、飛び込んで来る。
ボールに再び、視線を戻した智也は、九条の前方一m程に、クロスを優しくあげてやる。
「九条、決めろ!」
ゴール前に飛び込んだ九条は、相手CBと競り合う。
しかし、相手CBの頭の方が、先にボールに触れる。
相手DFのクリアしたボールは、この一年、ミドルシュートを鍛錬して来た、楓太の元に転がった。
楓太が、ファー上を狙いすまして、インステップで、叩き込む。
相手GKは、一点をリードしたことにより、星山大学の猛攻を予想していたのだろう。或は、このGKは、今日、当たっている日だったのかもしれない。
楓太のシュートは、相手GKのパンチングで、ゴールラインに、弾かれてしまう。
相手GKが、自らのビッグセーブに、思わず、両拳を地面に突き刺す様にして、雄叫びを上げる。
智也は、思わず、苦笑いする。
「チェッ、決まらねーか」
だが、智也が、相手DFに視線をやると、星山大学の波状攻撃に、呆然としている様子だった。
智也は、ピッチを揺るがす様な、声を上げた。
「楓太、ナイスシュート!」
楓太が、智也の大声に、驚いた様に、智也に顔を向け、照れ臭そうに、笑う。
これが、失点してから、僅か、三分後のことだった。
そして、星山大学に得点が生まれたのは、その四分後のことだった。
ボールを受けた智也は、ペナ角にいる楓太に、ボールを押しやると、猛然とダッシュをして、楓太に横並びになるような形になった。
相手DFが、智也に、視線をやった僅かな隙を、楓太は、見逃さなかった。
楓太は、アウターにクレイジーラップした智也を、囮にすると、細かなステップで、内側に切り込み、シュートを打った。ボールは、ニアのサイドネットに、こする様に、突き刺さる。
「こりゃ、凄えや」
と、智也は、内心、舌を巻きながら、誰よりも早く、楓太の元に駆け寄る。
しかし、智也が、誰からも祝福されるべき、賞賛されるべきゴールを突き刺した楓太の笑みに見たのは、マユミの笑みだった。あの、ある種の厭世観を感じさせる笑みだった。
智也は、悪寒が走るのを感じた。
慌てて、首を振った、気のせいだろう。
だが、それは、決して、気のせいではなかった……。
そして、もう一つ、智也は、感じたことがあった。
マユミの顔を思い浮かべても、左程、胸が痛まなかったのだ。
今日は、チクリと刺す程度だった……。
そして、試合が再開され、星山大学は、再び、日本共立大学の猛攻に晒されることになった。
雨も強さを増していた。
智也は、内心、舌打ちする。
「分かっちゃいるけど……」
チーム全体が、後ろ重心になるのは、智也一人の力では、どうしようもなかった。
相手の攻撃のストロングは、右サイドで、つまり、西山のサイドで、そこを丹念に突いてくる。
だが、前半ベンチで、相手チームを研究していた、智也には、相手の攻撃パターンが分かっていた。
相手八番が、攻撃の起点だった。
そこを、先回りして、或いは、潰していけばいい。
相手八番にボールが入るか入らないかのタイミングで、智也は、雨で濡れたグランドを滑るようして、スライディングをかけた。
相手八番が、つんのめるようにして、前方に転ぶ。
「大丈夫。……ボールに行っている」
しかし、智也は、思わず、駆け寄って来た、主審を仰ぎ見る。
主審は、ファールはありませんよ、と首を横に振る……。
「智也君、凄い」
ベンチで、日内の横に腰かけていた、胡桃が、思わず、声を上げる。
日内が、ニヤリと笑いながら、言う。
「今日の、智也、気合入ってるわ」
「そうですよね、智也君って、こんな激しいプレーする選手じゃなかった」
「そう、そう」
と、日内は頷きながら、不意に、何かを思い出したかの様に、アッと叫んだ。
日内は、交代選手として、三年のCB内藤と、二年の結城を呼び寄せた。
日内は、結城に、
「遠目でもいい。コースを狙わなくてもいい。早めにシュートを打つ」
「はい」
「それから、残り二十分、倒れるまでチェイスする」
「はい」
と、結城が神妙に頷く。
続いて、日内は、内藤に、声を掛けた。
「内藤君、部に残ってくれて、有難う。これからもよろしく」
「俺、今、サッカーしてて、楽しいです」
内藤の爽やかだが、力強い言葉に、何故か、日内の方が神妙に頷く。
後半二十五分、CBの毛内に代えて内藤、深石に代えて結城が投入された。
1トップには、九条が入った。
◆星山大学システム 4ー3ー3
FW:戸井田(三年)、九条(二年)、結城(二年)
MF:斎藤(二年)、三上(二年)、追木(三年)
DF:西山(二年)、太田(二年)、内藤(三年)、久良(二年)
GK:検見崎(二年)
智也は、ピッチに入った結城の元に駆け寄ると、
「日内さんの指示は?」
「俺への?」
「ああ」
「ミドルシュートを打て、チェイスしろ、だって」
「ふーん」
智也は、ベンチの日内を見やった。
足元の弱い内藤さんに、テクニックの劣る結城の投入だ。つなぐサッカーを身上とする日内にしては珍しい。
リスクを取らない、ゲームを殺して行け、ということだろう。
智也は、今度は、太田の元に、駆け寄ると、言った。
「泥サッカーで行くらしい」
「だろうな。……まあ、今日はそんな感じがしてた」
「でも、俺は、前からチェックするぜ」
太田が、内藤を見やりながら、応える。
「任せろ。後ろは、俺と内藤さんでなんとかする」
「頼む」
ピッチで、仲間に声をかける智也を見ながら、日内は、一昨年、選手探しに、智也のユースの監督である鬼武の元を訪れた時のことを思い出していた。
かつて、日内が、智也本人に告げた様に、鬼武は、智也のことを評して、こう言った。
「こいつは、絶対、ピッチに、十一人の中に、必要な奴です」
だが、その時、鬼武が、日内に言ったのは、それだけでは無かった。
鬼武は、言葉を選ぶようにして、言った。
「智也は時々、凄い選手じゃないか、凄い選手になるんじゃないか、って思う時があるんですよ」
「……」
「私の言うことを先取りする、というか、或いは、相手選手の動きを予想する動きが、長けている、というか」
「戦術眼がある、ということでしょうか?」
「分かりやすい言葉を使えば、そうなります。……でも、もっと、広い意味というか……」
「だったら、トップチームに昇格させればいいじゃないですか?」
すると、鬼武は、照れ臭そうに笑った。
「うーん。……それがまあ、智也の能力って、曖昧模糊としてるですよね。……例えば、遠藤保仁に、鈴木啓太に、中村剣豪を、足して割った感じです、って言って、上層部を説得出来ると思います?」
日内は、おかしそうに笑って、即答した。
「無理ですね。……私でも却下ですよ」
「でしょ。……でもまあ、智也は、そういう選手です」
試合は、単調な展開が続いていた。
智也が、無謀とも言える感じで、楓太や追木を煽る様にして、前目からプレスをかける。
すると、相手DF、MFは苦し紛れに、前方に蹴り出す展開になる。
その蹴り出されたボールを、内藤が、孤軍奮闘という形で、弾き返す形が続いていた。そのフォローに回る太田は、内心、舌を巻いていた。
内藤は、CBとして、決して上背がある方じゃない。
だが、空中戦では、圧倒的な勝率を誇っていた。
ガッシリした、胸板のある体格だからだろうか?
ポジショニングがいいからだろうか?
ボールの落下地点への予測がいいからだろうか?
太田には、分からなかった。
でも、今、星山大学のDFラインを支えているのは、内藤である、ということだけは明らかだった。
ロスタイムは、五分だった。
しかし、その五分間も、星山大学は、何とか耐え凌ぎ、上位リーグへの切符を勝ち取ることになる。
試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、日内は、へなへなと崩れ落ちそうになる自分を、なんとか、元なでしこの意地で支えるのがやっとだった。
ピッチでは、智也が、降りしきる雨に目を細めながら、崩れ落ちる日本共立大学の選手を横目に見ながら、内心、呟いていた。
「ダイスケ、待ってろよ。お前らテーコクに一泡吹かせてやる」
日本共立大学との順位決定戦を、なんとか引き分けに持ち込んだ夜は、流石に、部員、皆で、打ち上げに行った。
手回しが良く、居酒屋は、日内の方で、予約してあった。
幾らか、座が砕けた後、智也は、日内に聞いてみた。
「もし、負けてたらどうしてたんですか?」
すると、日内は、即答した。
「そりゃ、勝ってもらわないと、困るわよ」
「だから、負けてたら?」
「……私の、お別れ会かな」
「やっぱり」
日内は、ちょっと、驚いた様に、訊き返す。
「結城君から、聞いてた?」
「まさか。そんなこと、訊きませんよ。……あれ、結城は、知ってたの?」
「まあね。順位決定戦に回ることが決まってから、一度、結城慎之介に、呼ばれたのよ」
「へえー、ご老体にですか」
「うん。ご老体っていうか、怪物ね。元気矍鑠って感じ」
「元気溌剌は聞いたことあるけど、元気矍鑠は聞いたことないなあ」
「……そうだっけ?」
「そうですよ」
「まあ、そういうことにしときましょ。……それで、その席に、結城君も居たのよ。ただ、私のクビがかかってるのは、その場で、知った感じ。……あれが、GMの英才教育なのかしら」
「さあ。じゃあ、高見さんも?」
「もちろん、高見さんも居たわよ」
智也は、ちょっと、今日の試合で、ピッチに投入された時の、結城の神妙な顔を、そして、死に物狂いで、チェイスしていた結城の顔を思い出した。
「じゃあ、今日、結城を使ったのは……」
「いや、それは、関係ないわよ。……ボールを変な奪われ方をしない、ミドルシュートをガンガン打つFWを入れたかっただけ」
「まあ、それが、結城の必殺技ですからねえ」
「モノにはなってないけど、打つだけなら、出来るでしょ」
「ハハッ」
と、智也は、苦笑いをする。
日内は、ビールを、一口飲むと、言った。
「そうそう、胡桃ちゃんが驚いてたわよ。……今日の智也は、気合入ってるって」
「やだなあ。僕は、いつも、気合入ってますよ」
智也は、ダイスケと、福岡帝国と戦いたいからだ、とは言わなかった。
そして、智也は、ちょっと、考えて、言った。
「ただ……」
「ただ?」
「今、サッカーするのが面白いんですよ。どうせなら、それを、上位リーグでやりたい、っていうか」
「内藤君も、同じこと言ってた」
「へえー」
「多分、内藤君のプレー自体は、去年、一昨年と変わってないのにね」
「そうですよね。……来たボールを弾き返す、それが、内藤さんの真骨頂ですから」
「うん。今日のMVPは、内藤君よね」
「それは、僕もそう思います」
それでも、と、智也は、内心、呟く。
今のままじゃ、テーコクには、勝てないよなあ。
翌日、待ち合わせの駅前広場に、若干早く、着いた智也は、通りを眺めていた。
待ち合わせの、立ち止まる人々の視線の多くは、斜め上にやられていた。
そこには、巨大なモニターが設置されていて、広告などが流れていた。
智也も、ぼんやりと、見やっていると、中里舞が現れた。
中里舞は、歌唱力もあるし、もちろん、可愛いのだが、人気の面で伸び悩んでいる、というのが、西山の評だった。
智也は、中里舞に興味は無かったが、マユミに似ている中里舞を見ても、胸が痛まなくなっている、自分に気づいていた。もちろん、それは、歓迎すべきことなのだが、心の片隅に、ちょっと、淋しい気持ちがあるのも確かだった。
だが、自分がこうやって、モニターに映る中里舞を見ていられるのは、間違いなく、秋津子さんと直人さんのおかげだった。
その秋津子さんから、昨晩、智也君に、お礼がしたい、と電話があった。
お礼とは、RedFishに、宇城のお姉さんを紹介したことらしい。
もちろん、お礼を言うべきはこちらの方だ。
だが、智也は、携帯の向こうの、秋津子さんの息遣いに、すぐに、気が付いた。
秋津子さんは、智也に、お礼などではなく、何か、話したいことがあるのだろう。
智也も、そこまでは、分かった。だが、話の内容に関しては、さっぱり、見当がつかなかった。だが、秋津子さんには、重ね重ね、恩がある。
それで、明日なら、暇です、というと、秋津子さんは、午後の早い時間を指定して来た。
智也が、モニターの中の中里舞を、ぼんやり、眺めていると、不意に、視界の片隅に、秋津子さんが、現れた。
「智也君、お久しぶり」
「お久しぶりです」
「お腹、空いている?」
「いえ、お昼、食べて来たんで」
「そう。……近くに公園があるから、そこまで歩こうか」
「はい」
秋津さんは、昨日の星山大学の順位決定戦のことは、知っているらしく、そのことに関して、あれやこれと、智也に訊いて来た。秋津子さんが、何処まで、興味を持っているかは、謎だったが、智也からすると、サッカーの話をするのは、気楽で、また、楽しいので、つまりは、秋津子さんが、気を使ってくれているのだろう、と思った。
公園に付くと、ベンチが幾つか、並んでいて、今日は天気も良く、八割方、カップルや家族連れなどで、埋まっていた。その空いているベンチに、秋津子さんが、えいや、と座ったので、智也も、それに倣った。
ところが、ベンチに腰掛けた秋津子さんが、ちょっと、言い淀んでるいる感じだったので、智也から、口を開いた。
「話って、なんでしょうか。宇城さんのお姉さんの件で、お礼を言わないといけないのは、こっちの方で。宇城さんからも、僕の方に、お礼の電話がありました。……それと、関係した話ですか?」
秋津子さんは、ちょっと、考えると、軽く微笑んだ。
「ううん。私から、というか、RedFishからだけど、宇城加奈さんに、つまりは、智也君にも、ということだけど、お礼を言わなければいけないと思ってるのは、本当の気持ちなの」
智也が、怪訝な顔をすると、秋津さんは、ポツリポツリと喋りだした。
私達、RedFishの四人が、宇城加奈さんと会ったのは、二月のことだった。
加奈さんは、闘病の生活の影響か、顔がむくんでいる、とか、痩せているとか、そういう表現でも、決して、間違っていないんだけど、でも、影が薄い、いや、これも、違う、……ローソクの炎が燃え尽きてしまいそう、というのがピッタリだった。
その加奈さんが、RedFishのセカンドアルバムのことを、話す時は、本当に、目がキラキラしていて、チアフルな感じだった。
私は、なんだろう、バンドをしていて、RedFishを、高校時代に、ミキ、トモヨ、カオリと結成して、本当に、初めて、良かった、と思った。
病院からの帰り道、皆、寡黙だった。
ほとんど、誰も、一口も、言葉を発しなかった。
RedFishは、これまで、七枚のアルバムをリリースしている。
でも、加奈さんが、目を輝かせたのは、今も尚、輝かせているのは、二枚目だ。
私たちは、この五年間、何をしていたのだろう?
ガールズバンドということで、チヤホヤされて、
それでいつの間にか、年月が過ぎて、
……私たちは、何をしたかったのだろう?
私たちには、何が出来るのだろう?
今からでも、これから、未だ見ぬ誰かの心を、加奈さんの様に、私たちの音楽で、心を揺さぶることが出来るのだろうか?
その日、以来、メンバーの全員が、もう一度、音楽に真剣に向き合おう、という気持ちが、メンバーの誰にも伝わる様になった。そして、誰もが、一人一人の意見に耳を傾けよう、という気持ちになってるのも伝わって来た。
秋津子さんは、以上のことを、ポツリポツリと、でも、短時間で、喋り終わった。
恐らく、喋る内容を、考えて来たのだろう。
智也は、ちょっと、考えて言った。
「僕は、音楽の事、バンドのことは、全く分からないので、適当なこと言いますけど、加奈さんに会って、RedFishにも、プラスになったなら、本当に、良かったです」
「うん。間違いなく、プラスになった。だから、有難う」
「はあ。……それで、話は、ハッピーエンドな気がしますけど……」
秋津子さんは、苦笑した。
「だからもちろん、続きがあるの。……私達、加奈さんに会う前から、マンネリというか、このままじゃ駄目というか、ポツリポツリ話し合っていたのよ。それで、加奈さんに会って、自分達の音楽を好きな人がいるって、分かって、とても嬉しかった。でも、それは、セカンドアルバムでさ。逆に言うと、今の私達の音楽ってなんだろう、って話じゃない? それで、一人一人が、もう一度、音楽について考えてみた。話し合ってみた。……でも、駄目だった。何か、新しい展望が開ける訳じゃなかった」
「僕に、音楽のことは分かりませんよ」
「うん。それは分かってる。……話はここから。愈々、解散か、と、誰も具体的には、口にしないものの、皆がそう考えているのは、皆が感じてた。でも、ある日、先週、マネージャーが、ある話を持って来たの。中里舞のバックバンドにならないかって」
「へえー。……それっていい話なんじゃ?」
「うん、そうとも言える」
智也は、ちょっと、イメージしてみる。
歌唱力のある中里舞を、RedFishがサポートするのは、素人目にも絵になるし、いい楽曲が提供されれば、話題にもなるだろう。
……でも、待てよ。こうやって、秋津子さんが、目の前にいるってことは……。
「反対するメンバーもいたんですか?」
「うん。先ず、ギター兼ボーカルのミキが反対。ミキは、ボーカルじゃなくなっちゃう訳だしね。私とトモヨとカオリは、正直、いい話かな、と思ったけど、ミキに、私達がやりたかったのって、そういうこと? って訊かれちゃうとね」
「まあ、バックバンド目指して、バンド結成するって話は、聞いたことないですね」
「そう。……それで、ちょっと、一人一人で、よく考えてみようって」
「でも、そういう相談なら、直人さんの方が、適任なんじゃないですか?」
「直人さんは駄目よ。直人さんに相談したら、僕と結婚しましょう、で終わりでしょ」
智也は、そう言う直人さんの様子が目に浮かんで、思わず、笑ってしまう。
「それはそうですね。……でも、何で、僕に?」
秋津子さんは、真面目な顔つきになると、言った。
「智也君は、サッカーやってるじゃない。九十分、走ることは大変だってのは、私でも分かる。……別に、プロになる訳でもないでしょ?」
「僕は、無理ですね」
「大学生なんだもん。もっと、他に楽しいことあるんじゃないの? でも、毎日、厳しい練習をやってる」
「まあ、僕は、成り行きですよ」
「成り行き?」
「特に将来、成りたいものがある訳じゃなくて、受験勉強なんてしてないところに、星山大学から奨学生の話があって、それに飛び乗っただけ」
「……そうか」
「それと、秋津子さんのおかげですよ」
「私の?」
「秋津子さん、言ってくれたじゃないですか。……先ずは今を生き延びよう、って」
「うん」
「サッカーっていいんですよ。今を生き延びるには」
「ふーん」
「ただ、心の奥底で、蜃気楼みたいなものは持っているかもしれませんね」
「蜃気楼?」
「いつか、日の丸をつけて戦いたい、日本代表として戦いたいって。日本代表のチームカラーが青なんで、ブルーミラージュって、感じかな」
「でも、さっきは、プロになるのは無理だって……」
「大学だって、世界大会はあるんですよ。昔はユニバーシアードでやってて、今は、ちょっと、過渡期ですけど」
「ふーん」
「でもまあ、大学生の日本代表にまでなれれば、プロにもなれるような実力なんですけどね」
「なるほど」
「でも、プロになりたい、ってのと、日の丸をつけて戦いたい、ってのは、また、ちょっと違うんですよね」
「いいね。サッカーには、そういうのがあって」
「音楽だって、そういうのあるんじゃないんですか?……何か、憧れる蜃気楼みたいの。でも、叶わない、みたいな」
「叶わないのか。それは、やだな」
「そりゃ、蜃気楼ですから」
智也は、そう言うと、秋津子さんと顔を見合わせて、笑いあった。
智也は、穏やかな日差しの下で、こうやって、サッカーの話をするのがとても楽しかった。今日は、秋津子さんの相談話なのに、結局、智也の方が、得るものが大きい気がする。
「でも、星山大学に入って、日内さんという監督と出会って……何か、変わったんですよね」
「日内さん?」
「女性なんですよ。確か、三十七」
「へえー、珍しいわね」
「はい。……初め、見た時は、小柄な女性に、男子大学生のサッカーの監督なんてやってけるかと思ったけど、やっぱ、色々考えてるんですよ。まあ、僕より、約十八年、サッカーについて考えて来たんだから、当たり前っちゃあ、当たり前なんですけど」
「そうか」
「それで、目標と、あともう一つ、新しい蜃気楼が出来た気がするんですよ」
「目標に蜃気楼か、いいじゃない」
「はい。先ず、大学日本一になること。これは、部の目標なんですが、考えてみれば、僕ら奨学生って、金貰ってサッカーやってる訳だから、そういう意味では、プロじゃないですか。部の目標は、何としても達成しないと」
「それはそんな感じするわね。……新しく見えた蜃気楼の方は?」
「最近、何だか、サッカーが楽しいんですよね。で、その楽しいってのが、僕だけじゃなくて、色んな部員が感じてるらしいです」
「それは変じゃない?……サッカーが楽しいから、今までやって来たんじゃないの?」
「うーん、それはそうなんだけど、違う楽しみが見えて来たっていうか」
「へー、どんなの?」
「それが蜃気楼なんで、上手く説明できないんですけど……」
「あっ、何か、ずるい。イメージでいいからさ」
「そうですね。……こう、単にゴールを決める、とか、いいプレーをする、とか、勝利する、とか、そういうんじゃなくて……。それこそ、バンドで言えば、セッションしてるみたいな」
「……セッション?」
「チームメイトと、もっと言えば、対戦相手とも、かけがえのない時間を共有しているというか」
「……」
「もちろん、未だ、そんな時間は、瞬間は無くて、……ただ、その欠片みたいなものを拾えている、というか」
「……セッションか」
「はい」
秋津子さんは、ちょっと、遠い目をみると、不意に、立ち上がった。
智也も釣られて、立ち上がる。
秋津子が、智也の瞳を覗き込んで、言う。
「有難う。今日は、智也君に会って、良かった」
「僕こそ。喋りたいこと喋っちゃって。……それで、どうするか、バックバンドやるか、決まったんですか?」
「分からない。でも、何だか、もやもやもやっとしてたものが、もやっとぐらいにはなった気がする」
「それは、良かったです」
そして、二人は、智也が最近聞いた音楽の話などをしながら、駅への道を戻った。
秋津子が智也と会ってから、三日後の昼下がり、RedFishの四人は、福岡のある芸能事務所に居た。RedFishを、中里舞のバックバンドにしようと発案したプロデューサーに会う為だ。無論、アポイントは、取りつけてある。
四人が、足を踏み入れた事務所は、そう大きなものでは無かった。中里舞のプロデューサーは、業界では、有名で、やり手で通っていた。名前を、菅崎実といった。
今日の菅崎は、ブラックジーンズに、グレーのチェックのジャケットという出で立ちだった。身長は小柄で、瘦せ身だが、妙な迫力があった。
菅崎は、ニコッと笑うと、四人を、ソファーに座らせた。
「どう、決めてくれた? というか、こうやって、来てくれたってことは、そういうことだよね?」
四人が、ちょっと、押し黙ってしまう。
RedFishでは、ボーカルのミキが、マイク担当に、いつからか、なっていた。ミキが、一つ息を吸うと、意を決した様にして、話し出した。
「今日は、一つ、提案が、……お願いが、あって来ました」
菅崎が、怪訝な顔を作る。
「ほう」
「私達をプロデュースして下さい」
「……」
「上手くいけば、ヒットすれば、菅崎さんの名声が更に上がりますし、駄目なら、その時は、中里舞さんのバックバンドをやらせて下さい」
秋津子が提案して、四人で話し合って決めたことだった。
菅崎の顔から、笑みが消えたかと思うと、菅崎は、事務所中に響き渡る大声を出した。
「甘ったれるな!」
「……」
「お前ら位の技術、ルックスのガールズバンドなんて腐るほどいる」
「……」
「お前らだって、そん位、分かっているだろうが」
勝ち気なミキが、菅崎の罵声に耐え、絞り出す様にして声を出す。
「それは、分かっています。でも、菅崎さんが、その腐るほどいるバンドから、私達を選んだのはどうしですか?」
「選んだのは、中里舞のバックバンドとしてだ」
「だから、どうして……」
と、尚もいいかけたミキを、遮るようにして、不意に、菅崎が、心底、可笑しそうに、笑いだした。
「いや、いいよ、君たち面白いね。この展開は予想してなかった」
ミキが、パッと目を輝かした。
「それじゃあ、私たちのプロデュース、OKですか?」
菅崎は、ニヤリと笑って答えた。
「その答えは、NOだ。お前らじゃ、俺のギャラは払えん」
思わず、四人とも肩を落としてしまう。
菅崎は、ちょっと考えると、言った。
「誰のアイデアだ?」
ミキが答える。
「四人で、話し合って決めました」
菅崎は、フン、と鼻で笑って、言った。
「もしかしたら、本当にそうかもしれん。だがな、大抵、どんなアイデアも、誰か一人の発案で、後は、それをアレンジしてるだけだ。これは、作曲や作詞なら猶更だ」
秋津子は、菅崎が、何か提案をしてくれそうなのを感じ取って、菅崎の視線を捉えた。
「私が、考えました」
「お前か。……よく、思いついたな」
秋津子は、宇城加奈と智也の顔を思い浮かべながら、答えた。
「私達には、RedFishには、心から私達を応援してくれているファンが、少なくとも、この世に一人はいることを、数か月前、知りました。だから、RedFishの音楽には、何かがある筈です。そして、今の私達では、私達だけでは、袋小路を抜け出せないことも、感じています。だから、バックバンドの話を持って来てくれた、菅崎さんに、それは、もしかしたら本当に、バックバンドとしてかもしれないけど、それでも、私たちの良さを認めてくれた、菅崎さんに、お願いしてみることにしました」
「なんだ、ボーカル以外も、喋れるじゃねえか」
「……」
菅崎は、シニカルな表情を、自らの顔から消すと、言った。
「一曲作って見ろ。アドバイスはやらん。だが、駄目出しはしてやる。それで、いい曲が出来たら、多少は金かけて、売り出してやる。でもそれは、俺が納得出来る曲が出来たらの話だ」
四人は、パッと、立ち上がると、揃って、菅崎に頭を下げた。
「お願いします!」
秋津子は、頭を下げながら、内心、可笑しくてしょうがないと同時に、心から、菅崎に感謝していた。何故なら、菅崎は、アドバイスはやらん、と言いながら、今日も、早速、アドバイスをしてくれてるからだ。
歴史にifが禁句であるならば、サッカーの代表にも禁句であろう。
この場合の、ifとは、あの時のW杯に、あの選手が出場していたなら、といった具合だ。だが、仮に、サッカー日本代表に、サムライブルーに、一度だけ、ifを使わせて貰えるなら、私は、名波浩の名前を挙げたい。
もちろん、名波は、一九九八年のW杯には、十番を背負って、出場している。
なので、この場合のifは、二〇〇二年の日韓W杯のことになる。
世界的な名将であり、二〇〇六年からは、サムライブルーの監督も務めた、イビチャオシムは、かつて、こう言った。
「テクニックがある選手を走れるようにするのと、走れる選手にテクニックをつけるのと、どちらが簡単か。一般的には前者の方が簡単に思われがちだが、走らない選手は本当に走らない」
表現を変えれば、こういう言葉もある。
「ピッチには、一人の王様と十人の労働者が必要だ」
おおよそ、三十年ぐらいまでは、フィールドプレーヤーとはそういうものだった。
テクニックのある選手は、九十分の間において、一度か二度、決定的な仕事をする。それが、得点に結びつけば、いい。全てが許され、賞賛される。残りの八十九分間は、寝ていてもいい。
それほど、サッカーにおいて、一点を取るということは、難しい。
だが、アリゴサッキのゾーンプレスを契機に、長い時間をかけて、コンパクト――DFラインから最前線のFWまでの距離を短く保つこと――であることが、現代サッカーの至上命題となるようになった。
チーム全体で、コンパクトにする為には、ピッチの全ての選手が、九十分間、常に、状況観察をし、走り続けなければならない。
つまり、王様は追放されるか、或いは、また、王様も労働者にならなければ、ならなくなった。
王様にとっては、苦痛であろう。
だが、二〇〇〇年、レバノンで行われたアジアカップで、自ら、労働者になることを選んだ、望んだ、王様がいた。
それが、名波浩である。
チームには、中村俊輔、小野伸二といった、日本サッカー史上でも、名前の上がるテクニシャンを擁しながら、背番号十を背負ったのは、名波浩だった。
この大会、名波浩は、誰よりも走った。誰よりも、汗をかいた。
チームで一番上手い選手が走る。
このチームが弱いわけがなかった。
サムライブルーは、圧倒的な攻撃力を見せ、見事、大会を制する。
そして、大会MVPには、ボランチで出場していた名波浩が選ばれた。
名波は、三ゴールを挙げているが、チームメイトの高原直泰も、西澤明訓も、五ゴールを挙げている。
だが、チームの中心は、誰の目にも明らかだった。
しかし、名波浩は、二〇〇一年に右膝半月板を痛め、代表から長期離脱し、二〇〇二年の日韓W杯にも選ばれることは無かった。
もし、二〇〇二年のW杯、名波浩が出場していたなら。
或は、現実と同様に、決勝トーナメントの一回戦でトルコに敗れていたかもしれない。だが、日本のサポーターが、負けてなお、誇れる試合をしていたことだけは間違いない。
今年の福岡帝国は強かった。
もちろん、常勝チームで毎年強いのだが、今年は、その試合内容が、例年と違っていた。
それは、端的には、スコアになって、現れる。
ほとんどの対戦相手が、四対〇、三対一、といったスコアで粉砕されていた。
そのチームの中心にいるのが、二年生ながら、背番号十を託された三浦大輔だった。
システムは、3ー4ー1ー2で、大輔は、その1に入る。
いわゆるトップ下のポジションなのだが、ここ数年のトップ下のポジションでは、4ー2ー3ー1の、3の中央に入る形のトップ下が多いだろう。
だが、トップ下の選手の前にFWが一枚いるか、二枚いるかは、驚く程の大きさを生む。
FWが二枚居れば、相手のDFライン全体を、FW二枚によって、引き下げることが出来る。トップ下の選手は、そのフォローと、そして、相手のDFラインと二列目のラインに出来るギャップを突くことに集中することが出来る。
もちろん、3ー4ー1ー2にすることには、デメリットもある。
それは、守備面で、4ー4ブロックを形成する時に、問題点が二つあるからである。
一つは、当然、3ー4ー1ー2の場合には、一の選手、つまり、トップ下の選手が、守備ブロックを形成しなければならないので、守備に対する強度と、そして、運動量が要求されることになる。
もう一つは、(同じこととも言えるのだが)、トップ下の選手が、4ー4ブロックを形成する時の、受け入れ側、つまり、3ー4の七人の側の問題である。この七人からトップ下の選手を加えて、4ー4ブロックを形成する為には、どうしても、選手の動きに、左右対称性が崩れてしまう。
左右対称性が、崩れるということは、試合中に目まぐるしくポジション取りするサッカーという競技に於いて、右側の選手と左側の選手で、違う動きを要求することになる。
これが、如何に、練習の時間的コストを要求することか。
仮に、一年間に行われる全ての試合を、十一人だけで行うなら、これもまた、可能であろう。だが、もちろん、実際は、一年間を、十五人~二十人のグループで、戦うことが常である。
例えば、4ー2ー3ー1から、4ー4ブロックを形成する場合、トップ下の選手は、ブロックを形成せずに、3の両サイドが、降りてきて、ブロックを形成すればいい。
しかし、3ー4ー1ー2の場合には、トップ下の選手が、ブロックを形成する一員にならざるえない。この前提条件で、既に、システムの左右対称性が崩壊してしまうことは、安易に理解できるであろう。
では、福岡帝国はどうしたか。
それは、ダイスケが、二列目のラインの両サイド、右MF、或いは、左MFに入ることに、チーム全体を連動させた。
例えば、右MFに落ちて来た場合には、それまで、右MFに居た選手が、右SBの位置に入り、DFラインの三枚は、左にスライドすることになる。
この場合、後方の選手にとっては、ダイスケが、右サイドに入る予定なのか、左サイドに入る予定なのかを、知りたい。だから、福岡帝国は、ネガティブトランジション、即ち、ボールを失った時のプレスを徹底させた。相手DFラインがサイドに蹴り出す、逃げ出さざる得ない様に、プレスをかけることを徹底させた。もちろん、ダイスケは、ボールが蹴り出されたサイドのMFのポジションに入るのである。
それで、大抵の試合で、後半十五分ぐらいまでに、二~三点をリードし、ダイスケが、ベンチに引っ込むのが常だった。これは、ダイスケの疲労を蓄積させない為もあるが、ダイスケが居ない場合のチーム力の向上、メンバー間の連携を図る意味合いもあっただろう。
去年、福岡帝国に関して、ダイスケっていう凄い一年が入ったらしい、という風評が流れた。そして、今年は、ダイスケが来たぞ、と、九州大学リーグの関係者の間では、噂になっていた。
一方、星山大学蹴球部は、もがき苦しんでいた。
負け試合が先行し、リーグ戦では、中位に留まっていた。順位決定戦をして、辛うじて、上位リーグに参入したチームであり、また、二年生・三年生、特に、二年生が主軸のチームな訳だから、健闘しているとも言えるのだが……。
問題点は、攻守両面にあった。
仮に、試合開始から、五分の戦いを行っていく中で、先制点を取れた場合には、それ以後の、相手のチームの猛攻に耐えきれずに失点しまう。システムは、4ー3ー3や3ー4ー3を試していた。引いた守備、自陣にセットする守備をする時には、4ー5ブロックや5ー4ブロックを形成するのだが、徐々に、DFラインが下がり、守備ブロック全体が、下がることにより、相手の猛攻に耐えきれずに、失点してしまうパターンが続いていた。
また、相手に先制された場合には、辛うじて、九条や楓太を起点として、反撃をしていくのだが、それも、リーグ戦が進むにつれて、相手に警戒されてしまい、得点パターンというとこまでは、行ってなかった。
日内としては、相手に守備ブロックをセットされてしまっても、崩し切るサッカーを理想としているのだが、引いてしまった相手を、崩し切るのは、強豪チームでも、そうた易いことでは無い。
――九月の第四週 九州大学上位リーグ 第七節 福岡帝国大学戦。
その日、試合開始は午前十一時からで、智也が、楓太から、電話を受けたのは、午前九時のことだった。
「智也、おはよう」
「おお」
「悪い、今日、試合には行けない」
「……風邪か?」
「……うん」
嘘だ。
智也には、嘘だということが、直ぐに分かった。
智也の脳裏には、楓太が、順位決定戦で貴重なゴールを決めた時に見せた、マユミに似た笑顔が、よぎった。
「そうか。今日は仕方がない。病院には行けよ」
「うん。……それと、日内さんには、智也から、言ってくれないかな?」
楓太の気持ちはよく分かった。
思慮深くはあるが、何処か、能天気な日内の声を聞きたくはないのだろう。
「分かった。俺から、言っとく」
「それじゃ」
と、楓太が、電話を切ろうとするので、慌てて、智也は、言葉を継いだ。
「ああ、楓太」
「……何?」
そう聞かれて、智也は、本当に困った。
マユミに何と言えば良かったのか。
あれから、何百回、何千回、考えただろう。
でも、答えは、見つからずじまいだった。
智也は、大きく一つ、息を吸った。すると、スルスルと言葉が出て来た。
「俺たちは、未だ、サッカーの面白さを分かっちゃいねーよ」
すると、楓太は、可笑しそうに笑った。
「何それ。……でも、有難う」
「じゃあな。……俺は楓太とサッカーしたいぜ」
「うん」
星山大学は、福岡帝国に、3ー4ー3のシステムで臨んだ。
相対的に実力の劣るチームが、三バックで臨む場合、得てして、五バックの時間が長くなる。むしろ、そうなることを想定して、三バックを選択している、といってもいい。
だが、五バックで、つまり、後ろ足重心で試合をしては、結果としては負ける確率が高くなるだろう。
そうならない為の、キーとなるポジションが、両WBつまり、4の左右の選手だった。
WBは、何しろ、運動量が要求される。
右WBには、去年一年間、左SBで経験を積んだ西山が入った。西山は、元々、右利きの選手なので、右サイドは、やりやすくもあるだろう。西山は、とにかくそのスタミナを活かして、上下動を繰り返す。
そして、左WBには、智也が入ることが多かった。
智也の今年の必殺技に、クレイジーラップを選んだ時点で、日内は、このポジションを想定していたのだろう。
◆星山大学システム 4ー3ー3
FW:戸井田(三年)、深石(三年)、九条(二年)
MF:三上(二年)、太田(二年)、追木(三年)、西山(二年)
DF:毛内(二年)、内藤(三年)、久良(二年)
GK:検見崎(二年)
この布陣で、智也と西山に対する指示は、次のようなものだった。
「縦に行ける時は、行こう。でも、抜き切らないで、アーリーを挙げていこう」
左サイドは、智也と太田、毛内のパス交換から、智也が、縦に行く機会を窺う。
右サイドは、西山がフリーな場合には、太田から、ミドルレンジで、パスを通す、ことになっていた。
後ろの七枚は、基本的には、守備重視で、いわゆる、ある程度、前後分断サッカーを覚悟した布陣だった。
本来であれば、直接、前三枚に、ボールをつけていくことが出来ればいいのだが、福岡帝国相手には、それも、難しいことが予想され、サイドを起点に、という指示だった。
日内の目指す、つなぐサッカーを諦めた形で、現在の星山大学の、これが、格上に対する戦い方だった。
それも、今日の相手は、今年は覇道を突き進んでいる感のある、福岡帝国だった。
ピッチに入る、星山大学のイレブンの顔は、戦う前から、重苦しいものだった。
対する、福岡帝国のイレブンの顔は、自信と余裕で、満ち溢れていた。
智也には、ダイスケの笑顔が眩しかった。
この試合、星山大学は、〇対五で敗れることになる。
一失点目は、前半二十分のことだった。
星山大学は、それまで、福岡帝国の猛攻に良く耐えていたと言える。
帝国の左WBが、ダイスケとのワンツーから、縦に抜け出し、西山が何とか食らいついたものの、帝国はCKを得る。既に、四本目のCKだった。帝国の選手が、数人、ゴールエリアのニアに隊列を組む。ボールは、鋭いライナー性で、ペナ中央付近に放り込まれたと思ったら、そこに、長身FWの十一番がいた。十一番が身をよじる様にして、ヘディングすると、ボールは、GK検見崎が延ばした左手を、かすめるようにして、サイドネットに吸い込まれた。
二失点目は、前半三十二分のことだった。
バイタルに、走り込む様な形で、ボールを受けたダイスケが、チェックに行った、太田と追木を、ステップを踏んで、かわしてしまう。更に、DFラインに対しても、ドリブルで仕掛けるかと思われたが、嘲笑うかのように、ペナ内に、キーパスを通す。受けた九番が、シュートフェイントを入れて、更に、横にはたくと、そこには、フリーになっていた十一番が居た。あとは、ゴールに蹴りこむだけだった。
これで、星山大学のイレブンの気持ちが切れた。二失点したことに対してではない。
ダイスケを止めるのは無理だ、と、誰もが思った。
それで、落ち着け、冷静になれ、と、心に念じつつも、前がかりになる。
三失点目は、前半三十五分のことだった。
智也も、前がかりになっていて、その裏を、帝国の右WB・八番につかれた。八番は、ゴールライン手前まで、侵入すると、速いグランダーのマイナスのパスを折り返す。ボールには、角度がついていて、星山DF陣の間を、スルスルっと抜けたボールは、ペナルティエリアを抜け出そうかというとこまで、戻された。そこに走りこんて来たのが、ダイスケだった。ダイスケは、バウンドしているボールを、決して簡単では無いはずだったが、見事に右足のインステップで、ボールを捉えると、検見崎が一瞬、見送ってしまう程の、弾丸シュートを、ゴール右上に叩き込んだ。
四失点目は、前半四十二分のことだった。
追木が、帝国のプレスにはまってしまった。帝国の2トップのプレスをかいくぐる様にして、ボールを受けた追木が、しかし、ダイスケのチェックにはまる。ボールをカットしたダイスケは、カットしたかと思うと、そのまま、前線にボールを送る。そこには、九番がいて、九番は、十一番とワンツーをする形で、あっさりと、検見崎のゴールを割る。
前半は、〇対四で折り返した。
ハーフタイムに、日内は、選手に檄を飛ばした。
「後半は、〇対〇のつもりで、もう一試合、戦うつもりで、戦おう」
そんな日内の言葉を、智也は、心も体もクタクタな中で、ぼんやりと聞いていた。
仮に、後半を、〇対〇で終われて、それが何になるのだろう。
だが、確かに、今の自分達に、他に出来ることは、何も無い様に思えた。
星山大学は、後半頭から、一年生の長身FW小栗、二年生ドリブラー井形、一年生アタッカー西花を投入する。つまり、前線の三枚を、そっくり入れ替えたことになる。
この交代が、功を奏したのか、或いは、帝国がギアを落としたのか、後半開始から、五分の戦いを行う。
後半十五分、お役御免という形で、ダイスケは、ベンチに引っ込む。
五失点目は、後半二十五分のことだった。
得点を決めたのは、後半十五分に投入された十七番で、えぐった左WGからのライナーを、ゴールエリアにかかろうという地点で、軽くジャンプして、左足のアウトフロントで、器用にトラップすると、ボールが地面に弾む瞬間を見計らったかのように、右足のインサイドを振り抜いた。ボールは、ニアを切っていた検見崎の左手のボール二個分上を通過し、クロスバーとゴールポストの角に当たる様にして、ゴールに吸い込まれた。
試合後、福岡帝国のベンチ裏に、人だかりが出来ていた。
「なんだ、あれ」
と、九条が呟く。
「中里舞だよ」
と、西山が答える。「福岡テレビの取材だって。舞ちゃん、レポーターやってんだよ」
西山は、中里舞のファンなので、詳しいのだろう。
「大学サッカーの取材なんて、珍しいな」
「何だっていいんだよ」
と、西山が呟く。
「何が?」
「……勢いがあればさ」
智也は、内心、なんだ、そりゃ、という想いと同時に、西山の言わんとすることも分かる気がした。
それだけ、今年の福岡帝国は、例年と異質のサッカーをしている、ということだろう。
不意に、福岡帝国のベンチ裏の人だかりから、人影が、一つ、抜け出て来た。
人影は、カメラマンで、その後に、中里舞が続く。
西山は、軽く、口笛を吹くが、智也は、人だかりに取り残された、人影に目が行った。ダイスケだった。今まで、恐らく、中里舞に、インタビューを受けていたのだろう。
今日の試合も、これまでの試合も、福岡帝国で、得点を多く挙げているのは、九番や十一番だ。
でも、誰もが、誰が王様だか、分かっていた。
そして、その王様は、勤勉な勤労者でもある。
智也は、同じく、ダイスケを見つめる、日内と目が合った。
智也は、内心、日内に、問いかける。
……俺たち、テーコクに、ダイスケに、勝てるんですか?
日内は、智也から視線を外すと、じっと、尚も、ダイスケを見つめ続けるだけだった。
プロデューサーの菅崎の言葉に嘘は無かった。
RedFishのプロデューサーになって下さい、とお願いしてから、曲を三度、作って持って行ったが、駄目出しされるだけだった。アドバイスは、何もない。デモ音源を聞いて、単に、やり直し、と一言、言うだけだ。
目の前で、演奏すらさせてくれない。
三度目に、ミキが食って掛かった。
「ちょっと、演奏ぐらい聞いて下さいよ」
すると、菅崎は、薄い茶色の色つきサングラスの奥の目を、細めた。表情は読めないが、目が笑ってないのは、分かった。
「同じ話だ」
秋津子が、ミキの腕を取る様にして、菅崎に、言う。
「今日は、有難うございました。また、来ます」
菅崎が、呟く様に、頷く。
「おう」
秋津子は、そろそろかな、と、内心、呟いていた。
事務所を出ると、四人は、近くのファミレスに行った。ファミレスは、スペースにゆとりがあるので、持って来たそれぞれの楽器が、そうは、邪魔にならない。
四人が、思い思いのオーダーをすると、口火を切ったのは、ミキだった。
「菅崎ってどうなのよ」
「どう、って?」
秋津子が、合いの手を入れる。
「私達をプロデュースする気がある様には見えない、って話よ」
「まあね」
と、ミキに続いて、短気なベースのトモヨが、相鎚を打つ。
「何処がどう駄目だか、言ってくれないとねえ」
秋津子には、菅崎が、何が言いたいか、ぼんやり、分かっていた。
でも、それを、自分の口から言うのは、言い辛かった。
しかし、意外なことに、自分と同じ思いを口にしたのは、作曲をしているキーボードのカオリだった。作詞は、ミキがしている。
「マンネリなのよねえ」
ミキにも、思い当たるフシがあるのだろう、ギョッとして、しかし、反論する。
「でも、それが、RedFishの音楽じゃん」
「そうなんだけどさ」
と、カオリが、ぼんやりと、頷く。
秋津子が、チャンスだと、思っていたことを口にする。
「でもさ、高校の時って、もっと、私達、音楽の話してたよね」
「あっ、それはそう」
と、トモヨが相鎚を打つ。「このアーティストのこのメロディーがいい、とか、歌詞がいい、とかさ」
カオリが、カオリにしては珍しく、声を弾ませる。
「そうそう、それをアレンジする感じで、私が、作曲をして、ミキが歌詞をつけてさ」
ミキは、ミキで、秋津子が何か言いたげなことは察していたのだろう。ミキが、秋津子に、ちょっと、声を荒立てるような感じで、話を振った。
「何よ、秋津子、別に秋津子だって、作詞すればいいじゃん」
すると、秋津子は、照れ笑いして、応える。
「それがそれで、難しいのよね。フレーズは浮かぶんだけど、それを、一つの曲の歌詞にするってのがさ」
「あっ、そうそう。作曲も、そんな感じ。サビは浮かぶんだけど、それ止まり」
と、トモヨが、秋津子に同調する。
ミキが、ちょっと黙っていた、作曲をしているカオリに話を振る。
「カオリはどうなのよ。作詞もしたい感じ?」
「うーん。私は、作曲なんだけど……」
「今、してるじゃん」
「それが、もっと、ロックというか、ダンスっぽいのやりたいっていうか……。まあ、踊りたくなる、っていうか、元気になる感じなの?」
「だから、やればいいじゃん」
「でも、今って、ミキから歌詞貰って、曲作る感じでしょ。何か、似たような感じになるのよね」
「それは、皆で、日本語を大事にしよう、って決めたからでしょ。日本語で、ロックって難しいのよ」
と、ミキが応える。
トモヨが、スムージーに口をつけてから、言う。
「……菅崎さんが言いたいのは、こういうことなんじゃないの」
「こういうことって何よ」
「言葉にすると、嫌だけど……」
「言いなさいよ」
「売れても無いのにマンネリになるな、かな」
四人とも黙り込んでしまった。
しばらくして、沈黙を破る様に、ミキが、呟いた。
「じゃあ、そう言えばいいじゃん。駄目出しだけはしてやるなんて、偉そうに」
秋津子は、ちょっと意を決した様に、言った。
「でもさ、駄目出しされて、それで、RedFishの音楽はこういうものです、ってそこで終わらせるか、或いは、もうちょっと違う音楽を作ってくかは、私達次第じゃん」
再び、四人は、黙り込んでしまった。
トモヨが、ぼんやりと、声を出す。
「……今さ、皆、どんな音楽、聞いてるの?」
秋津子は、内心、呟く。
そうだ、いつからか、スタジオに集まれば練習か録音。あとは、バイトバイトで、皆と、音楽の話をしてなかった。
カオリが、ちょっと嬉しそうに、目を輝かせて、言う。
「だから、私は、九十年代のダンスミュージックにはまってる……」
それから、四人は、音楽に始まって、最近見た映画や彼氏のことなど、いつまでも、話し込んだ。
――九月半ば。
デモ音源を聞いた菅崎は、しばらく、黙り込んだ後、おもむろに、サングラスを外すと、RedFishの四人に、頭を下げながら、言った。
「この曲を、俺に、プロデュースさせて欲しい」
四人の目がパッと輝く。
その四人の反応を見届けると、菅崎は、言葉を継いだ。
「但し、提案がある」
ミキが、プっと頬を膨らませて、声を荒立てる。
「この後に及んで、条件とかそういうのは……」
「よく聞け、提案だ。先ず、この曲を、ブルーミラージュを、RedFishで売り出すのはもちろん、いい。そこそこ売れるだろう」
四人が、なーんだ、とホッとする。
菅崎が、話を続ける。
「だが、中里舞が歌えば、もっと売れるだろう。……そうだな、中里舞 with RedFishというクレジットでどうだ? もちろん、作詞作曲はRedFishだ」
秋津子は、目を閉じて、中里舞がブルーミラージュを歌ってる姿をイメージした。
ブラーミラージュのポップでダンサブルな曲調は、確かに、キュートな中里舞が唄えば、より、マッチする。……でも、ミキは……。
四人は、しばらく、黙り込んだが、沈黙を破ったのは、ミキだった。
「菅崎さん、ちょっとだけ、十分だけ、四人で考えさせてください」
「別に、今、決める必要は無いぞ。一晩でも、一週間でも考えろ」
「いえ、そんな時間はかからないと思います」
翌日の午後、秋津子は、宇城加奈が入院している病院に急いだ。
昨日、ミキは、言った。
「私は、舞ちゃんに歌って欲しい。確かに、ブルーミラージュは、私より、舞ちゃんにマッチしていると思う。でも、舞ちゃんより、私にマッチしている曲の時は、私に歌わせて欲しい。うんうん、秋津子にだって、トモヨにだって、カオリにだって、そういう曲があるかもしれない」
結局、ブルーミラージュは、中里舞が歌って、中里舞 with RedFishで売り出すことになった。
ミキの言葉を聞いて、菅崎は、四人に向かって、深々と頭を下げながら、言った。
「任せろ。ブルーミラージュは、絶対にヒットさせてやる」
秋津子は、その報告を、いや、ブルーミラージュを、加奈に聞いて欲しかった。
秋津子は、受付の面会用紙の面会先に、部屋番号と宇城加奈の名前を書き込む。
受け取った女性の事務員は、用紙に目を通すと、
「ちょっとお待ちください」
と言って、奥に引っ込んだ。
やがて、その事務員は、上役と思われる女性を伴って、現れた。
その上役と思われる女性が、秋津子に、訊いた。
「宇城加奈さんとは、どういうご関係ですか?」
どういうご関係と訊かれて、秋津子は、言葉に詰まるが、言葉を絞り出した。
「友達です。……学校の、後輩、先輩です」
すると、その女性は、申し訳なさそうな顔をして、言った。
「そうですか。……宇城加奈さんは、昨日、亡くなられました」
――十月第一週。
その日、智也が、練習グランドに、行くと、珍しく、ゴール前に小さな輪が出来ていた。通常であれば、練習開始が間近なので、ウォームアップがてら、各自が思い思いの練習をしているところだった。ある者は、パス交換をしてたり、ある者は、ドリブルの練習をしていたり。
輪は、深石や内藤など、三年生の輪だった。
内藤が、智也に気づいて、こっちを見たかと思うと、輪の中心から、人影が出て来た。
長身の宇城京介だった。
宇城は、二月に会った時、もう八か月も前になるが、その彫りの深い整った顔立ちに、どこか、影が落ちている様な、或いは、ピリピリした雰囲気を漂わせていたが、今日は、吹っ切れた様な、表情をしていた。
宇城は、智也に、ツカツカと歩み寄ると、不意に、腰を追って、頭を下げた。
「先日は、有難う。姉貴が、とても喜んでいた」
一つとはいえ、年上の、強面とも言える宇城に頭を下げられて、智也は、モゴモゴと対応が困ると同時に、どうして、今更、宇城が、練習に参加するのだろう、という思いで、宇城を見つめ返した。
宇城は、その様な智也の想いを知ってか知らずか、淡々と、言葉を紡いだ。
「先月、姉貴が亡くなってな。……サッカーをやってる京介も好き、が、俺への最後の言葉だ」
「……」
宇城は、スカッと笑うと、気さくに言った。
「まあ、そういう訳だ。……FWは、パスが来ねえと、点取れないからな。智也は、中盤の軸だって、内藤が言ってたぞ。よろしくな。多少、ラフでも、ボール納めてやるから、俺に、寄越しな」
もともと、宇城が、練習に来なくなったのは、約二年前に不祥事を起こしたからで、その具体的な内容を知っているのは、現三年生だけだろう。その三年生が、和気藹々と、宇城を迎えているのを見て、異議を唱える二年生、一年生はいなかった。
数年後、智也が、星山大学を卒業した後、内藤から聞いたところによると、宇城は、バンド活動を行っていたのも事実だが、お姉さんの入院費の為に、バイト三昧だったらしい。それでも、大学を辞めなかったのは、サッカーに未練があったからか。いずれにしろ、練習に復帰した、宇城の体は、その日から、キレていた。
日内も、宇城の実力、プレースタイルを確認したかったのだろう。
その日のボード練習は、FWの動きを見るものが中心だった。
智也は、ゴール前で競る宇城を見て、背中がゾクゾクするのを感じた。
宇城は、間違いなく、楓太と同じく、全国レベル、プロに成るべき類の選手だった。
そして、二月に、宇城自身が言っていた様に、宇城と互角に競り合えるのは、内藤だけだった。太田なども、吹っ飛ばされる、と言えば、大袈裟だが、宇城が多少遅れても、ポジション取りで負けるのは、太田の方だった。他の二年生のCBもそうだった。
先日の、福岡帝国戦で、既に、リーグ戦は一巡している。
つまり、九州上位リーグのFWは、一通り、見たことになる。その誰と比較しても、宇城は、決して、引けを取らなかった。むしろ、優位にある、と言っていいだろう。
智也は、面白いものだ、と思った。
こういった選手が、Jリーグのスカウトにも、有名大学のスカウトにも、引っかからず、こうして、今、自分と同じピッチで、練習をしている。……宇城のことだ、高校時代から、素行が悪かったのかもしれない。
智也は、チーム全体が、先日の福岡帝国戦の惨敗から、首をもたげるのを感じた。
いや、もっと、積極的な何か、チームが初めて、その骨格を見せた様に思えた。
この智也の想いは、宇城と競り合う者、ピッチに立つもの、全ての者が感じた様で、練習は、思わぬ熱気を帯びることとなった。
宇城が練習に参加し出した週の、金曜日の練習の後、智也は、日内に呼び止められた。
「あっ、智也、ちょっと、ちょっと」
「……何でしょう?」
「楓太が練習に参加しなくなって、何日目?」
「何日目も何も、福岡帝国との試合に、楓太が来なくて、それからですから、一週間ぐらいでしょう?」
「そうなんだけどさ。……どうしよう?」
智也は、日内を、じっと見つめた。
「どうしようも何も、太田や胡桃さんには相談したんですか?」
「もちろん、したよ。……でもさ……楓太が、福岡帝国との試合に来れないって、連絡したのは、智也にだったよね?」
「……それは、他人というか、新しい関係というか……軽い関係だからじゃないですか?」
日内は、時々、大人になる、……探偵になる。
日内は、智也を、じっと見つめると、言った。
「本当に、そう、思う?」
智也は、内心、ため息をつきながら、言った。
「……もちろん、そうは、思いませんよ」
「でしょ、でしょ?」
「でもね、だからこそ、日内さん……」
「何?」
「楓太を、練習に、試合に、参加する様、説得する自信は、僕にはありませんよ?」
「それは、分かってる。……明日の試合が終わったら、或いは、日曜日に、楓太のアパートに行ってみて」
智也は、マユミにゾットする程似た、楓太の笑顔を思い出した。
……あの笑顔だけは、幾ら、言葉を継ぎ足しても、説明仕切れない……。
「分かりました、日曜日に、楓太のアパートに行ってみます」
最後に、日内は呟く様に言った。
「楓太が、楓太で有る様にあれば、私は嬉しいし、智也が、智也で有る様にあれば、私は嬉しいよ」
楓太が、一人暮らしを始めたのは、星山大学に入ってからだという。つまりは、大学生になってからのことだ。
その楓太の部屋は、智也にとっては、驚く程、奇麗で、整理整頓がされていた。
智也は、思わず、呟く様に、訊いた。
「いつも、こんな感じ?」
「こんな感じって?」
「……いやまあ、……片付いてるって感じ?」
楓太は、ちょっと、考えて、言った。
「智也は、実家だっけ?」
「うん」
「そうだと思った。……一人暮らしだと、掃除しないと、本当に、際限が無くなるというか、ある日、本当に、掃除しなきゃと思うんだよ」
いやいやと、智也は、内心、思った。
楓太と同じ様に、大学生から、一人暮らしを始めた者を、何人も知っていて、そして、また、部屋を訪れたこともある。彼らの部屋は、こんなに、奇麗に整頓されてはいなかった……。
「はい」
と、楓太が、いつの間にか、お茶を出してくれていた。
それも、ティーパックではなくて、急須で入れたものだった。
智也は、湯飲みのお茶を、一口すすって、思わず、呟いた。
「……美味しい」
楓太が、クスッと笑って、言う。
「大袈裟な」
「……いや、美味しいものは、美味しいよ」
「そんなものかな」
「それはそうさ」
智也は、自然さを装って、部屋中を、グルリと見回した。
サッカー関係の物は、何、一つ、無かった。
だが、これは、智也の部屋もある程度、同じだ。大学生にもなって、サッカー選手のポスターを張る者は少ないし、また、特定クラブのサポーターでもなければ、その関連のグッズも無いだろう。
そして、これは、決して、レアケースで無いだろう。
ある選手の熱狂的なファンでも無ければ、特定のクラブのサポーターでも無い。
それでも、日々の厳しい練習に参加する……。
いつの間にか、しばらく、沈黙が流れて、智也が何といおうかと考えていると、楓太が、口を開いた。
「今日は、練習に来い、って話でしょ?」
「……そりゃ、まあ、そうだけど……」
「何だか、歯切れが悪いね」
と、楓太は、苦笑いした。
「まあ、俺も何だか、時々、分からなくなる、というか、プロになる訳でもないのにこのままサッカーしていて、何になるというか」
とまで智也は言って、慌てて、付け足した。
「いや、楓太なら、J2どころか、J1にだって、入れると思うよ」
うーん、と、楓太は、唸りながら、言った。
「どうだろうな、J1は無理じゃないの。かと行って、J2に行くには、ハングリーさがないし……」
そう言われてみれば、それがひどく正解の様に思えて、智也は、黙り込んでしまった。楓太も、黙り込んでしまったが、沈黙を破ったのは、やはり、楓太だった。
「智也はさ、何で、サッカー、続けてるの?」
智也は、今は、割かし冷静に、マユミのことを考えられる。マユミの面影を思い浮かべる。
もし、仮に、マユミがサッカーをしていたとする。
それで、これから、体も出来て来た、頭を使うってことがどういうことか、分かる様になって来た、九十分、走る切る体力もついて来た、だから、これから、ドンドン、サッカーが面白くなる筈だ、と言ったところで、マユミの何処か、皮肉気な笑みを消し去ることが出来ただろうか。マユミの運命づけられた衝動を断ち切ることが出来ただろうか。
とても、そうは思えなかった。
楓太に対しても、同じだろう。
でも、智也には、他人に伝えたいこと、他人の信頼を繋ぎ止める様な言葉を、他に持たなかった。
それで、ちょっと、ムキになって、秋津子さんに話したことを話した。
子供の頃から、日の丸をつけて、プレーしたいと思っていたこと、でも、現実的には、それは、難しいであろうこと、星山大学に入部して、四年生の時に大学日本一になる、という目標を、一人の選手として、実現したいこと、これから、サッカーがドンドン面白くなっていくこと……。
楓太は、じっと聞いていたが、智也が話し終わると、呟く様に、言った。
「智也は、いいよね」
「……いい?」
「うん。それがどういう未来であるか、どういう道であるかは分からないけど、十年か二十年か、分からないけど、何らかの道があることは、疑ってないんだから」
「それは、多分、皆、そうなんじゃないか?」
「うん。それもそう思うよ」
智也は、楓太が、何が言いたいか、分かっていた。
だから、楓太に、マユミのことを話した。
楓太は、ちょっと、驚いた様な顔をしたが、やがて、直ぐに、納得気な顔をすると、言った。
「話してくれて、有難う。……分かった気がする」
「分かったって?」
「智也が、僕とは違うけど、でも、僕のことを、幾らかは分かってくれてるのを」
智也は、慌てて、首を振った。
「いや、俺には、楓太の気持ちは全然、分からないよ」
「でも、僕みたいな存在を受け入れる、いや、存在している、ということは、理解してくれてるだろ?」
智也は、考えるふりして、内心、焦った。
駄目だ、駄目だ、駄目だ。
今日、楓太に、かけるべき言葉は、もっと別の言葉の筈だ。
だが、マユミにかけるべき言葉が、未だに分からない智也には、当然、楓太にかけるべき言葉も分からなかった。
それで、智也は、用意して来た逃げ道に、逃げ込んだ。
「お願いが、一つあるんだ」
「何?」
「ある人に、秋津子さんに会って欲しい」
「秋津子さん?」
「うん。マユミのお姉さん」
智也には、楓太の目が一瞬、光った様に思えたが、それは、あくまで、智也の自分勝手な願望のなせる技の様にも思えた。
一週間後、楓太は、髪を丸めて、六分刈りにして、練習に復帰した。
これが、井形や九条だったら、笑いの種になるとこだったが、楓太には、修行僧の様な危うさ、純粋さを感じて、誰もが、茶化すことはしなかった。
だが、部員の誰もが、楓太の練習参加を歓迎していた。
それは、もちろん、順位決定戦での、星山大学の運命と言えば、大袈裟だが、少なくとも、今年後半の運命を決定づける試合で、楓太が、活躍したのは紛れもない事実な訳で、上位リーグの後半戦を戦ってる星山大学にとっては、楓太は、欠かすことの出来ない戦力だった。
そして、練習中、何を思ったか、井形が、楓太に、ツツッと寄って来て、言う。
「よう、楓太、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
「何?」
智也は、近くで聴いていて、ドキッとした。
星山大学では、楓太と井形は、タイプは違うが、一、二を争う、テクニシャンだ。
井形が、楓太に、変なことを言わなければ、いいが……。
しかし、それは、智也の杞憂だった。
井形が言う。
「ちょっと、教えて欲しいんだけさ、モーゼブレイクってどう思う?」
モーゼブレイクとは、井形の去年からの課題である必殺技で、ドリブラーである井形が、ボールを保持している時に、相手DFが二枚寄せてきた時に、その間を、割って入るドリブルのことだ。
楓太は、ちょっと、考えて言った。
「最近は、練習しているの?」
井形は、照れ臭そうに言う。
「最近は諦めて、違う必殺技、ターンなんかに力入れてる」
すると、楓太は、澄み切った笑顔で、言った。
「正解。僕もそう思う」
傍で、聞き耳、立ててた、智也は、言った。
「ちょっと、ちょっと。日内さんは、無理難題、と言うか、全くの無茶振りはしないと思うぜ」
「うん、僕も、そう思う」
と、楓太が応える。
「……じゃあ……」
「モーゼブレイクの課題を通して、日内さんが言いたかったのは、恐らく……」
と、楓太が言いかけて、その後を、井形が引き取った。
「無理な仕掛けはするな、或いは、仕掛けるなら、出来るだけ早く、相手の二枚が準備仕切る前にってことだろ? 楓太?」
「うん。僕もそう思う」
「……分かった様な、分からないような……」
と、智也が口を挟む。
井形が、智也に向き直って、言う。
「俺さ、メッシのドリブルを見まくったんだよ」
「……メッシか……」
「メッシも若い頃と、今で、特徴っていうか、パターンが違うんだよ」
「へえー」
「今は、バイタルでもどこでも、それこそ、ゼロから仕掛ける様なイメージがあるけど、若い頃は……」
「若い頃は?」
「スピードに乗ってるんだよ」
「……」
「スピードに乗ってる時なら、バイタルでも仕掛ける。大体、止まった状態から、仕掛けるなんて、不自然なんだよ」
智也は、ちょっと、考えて言った。
「三苫は、三苫薫は?」
三苫薫の場合も、平然と、止まった状態から、ドリブルで仕掛ける選手だ。
井形は、やれやれと、首を振りながら、ため息をつきながら、言う。
「三苫も、フィクションの世界の中の人物さ。少なくとも出発点にすべきじゃない」
智也は、思わず、楓太を見る。
楓太も、頷きながら、言う。
「うん、僕も、そう思う。メッシや三苫を参考にしたら駄目だと思う」
智也は、今度は、井形を見つめて、言う。
「井形は、それでいいのか?」
「いいも何も、それが、俺のこの一年の結論だ。……少なくとも、今は、その結論で、行こうと思う」
プライドの高い井形が、日本人選手を、自分の手の届かない選手として、認めるのは、智也には、不思議な感じがした。
そんな智也の視線に気づいた、井形が、口を尖らせながら、言う。
「だからさ、智也も、俺をサポートしろよ。俺がドリブルで仕掛けるべきじゃないと思ったら、ガンガン、バックパスするぜ。或いは、俺が仕掛けてロストしたフォローをしてくれよ」
井形と智也が、星山大学蹴球部に入部して、約一年と半年。
これは、井形の絶望なのか、希望なのか。
智也には、もちろん、分からない。
だが、今の井形からは、何よりも、星山大学蹴球部を勝たせたい、という想いが伝わって来た。
それで、智也は、照れ臭そうに、言った。
「俺が、クレイジーラップした時のフォローも頼むぜ」