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ペルベの言語、文化の変容についての通信文

作者: U川

第11回(2025年春)人工言語コンペ提出作品

外交担当者 様


無事に通信が拡張されました。あなた方のアドバイスに感謝を申し上げます。

私はケージェネイペ。そちらの地球のことは私たちの村の始祖である私の曾祖母のメクザットーから、祖父へ、母へと伝えられています。


この通信でたくさんの文字を送ることができるようになりました。

母の代でいくつか細かく伝えていた話を、ここで多く話すことができます。


しかし、私は学者ではないので大まかに話すことを許してください。

またこの文章は、私の日本語による原案や私たちの翻訳魔法による確認を挟みましたが、

構文が不自然な箇所が残るかもしれません。この点も理解してください。


さて、それではまず私自身について話します。


--


最初に書いたように、私の名前はケージェネイペ。Kuejengeipheと書きます。

ただ、私たちの村では物や行動の名称を通称としてお互いを呼び合います。私は「空」と呼ばれています。


私の身分は現在の村長の遠戚で、外交職を世襲しています。好きな食べ物は、パーナナです。

今は、曾祖母の建てたテレクジェで学生として、父を補佐しつつ過ごしています。


父は、あなた方も良く知るウジェネイペ。

地球との通信を成功させ、そちらに驚きをもたらした人で、今もその回線の改良に努めています。

通称は「旅行」です。


母は、エントレメクザットー。曾祖母の第三の家系で、曾祖母の教えを守るしっかりとした女性です。

通称は「ウレフ」です。


ちなみに、この「ウレフ」は翻訳できないようでした。

細長い葉っぱの植物を指す言葉ですが、同じ物が地球に無いのかもしれません。


説明していないことが積み重なりますが、

次に私たちの世界「エゼケー」について述べていきます。


--


昔、私たちの村には「世界」を意味する言葉はありませんでした。

私たちは先祖代々ひとつの場所で暮らしてきましたが、「集落」や「村」を意味する言葉も無く、

「場所」を意味する言葉pheruに「私たちの」を意味するbeを付けたPherubeという言葉で表現していました。


しかし、曾祖母がこの世界に来たとき、彼女はこの場所をイセカイと呼んだそうです。

その言葉が祖母の世代でペルベ語の発音に直され、Esekueとなりました。


曾祖母がイセカイと呼んだ場所は、ペルベだけを指すものではありません。

エゼケーは小さな領域が多数存在し、それぞれで門を通して僅かな交流があるという、

地球の常識では考えられない空間です。


曾祖母からの言い伝えでは、エゼケーについて、

「断崖絶壁に囲まれた陸の孤島が多数あり、距離を無視する門で繋がっている」と表現しています。


曾祖母とそれ以前の世代では、ペルベ以外の領域を「場所-彼らの」の並びでPheruseiと呼んでいました。

エゼケーにそのまま相当する言葉は無く、また彼らはそのような概念も持っていませんでした。

「場所-あなたと私の」の並びのPherunekamuという言葉はあるのですが、

こちらは「家庭」を意味するので「この世界」のことを指すには使えなかったようです。


曾祖母はそれぞれの領域を「島」と呼んだようです。siimaと書いたのですが、こちらは翻訳できますね。

なお、「島」は領域の意味で、共同体や集落を指すときは「村」と表現します。

さておき、こうして祖母から下の世代はペルベとペルゼイの両方を含み、その輪郭を表す言葉のエゼケーと、

個々の領域を表す島という単語を曾祖母から受け取りました。


話がずれましたがともかく、

エゼケーは地球の法則では考えられない世界だということです。

それは島ごとの話にも当てはまります。


ある島はずっと温暖で過ごしやすく、別の島は夕方のような時間が永遠に続きます。

また別の島では魔法を使うことができず、さらに別の島では空の上に陸が浮かび、落下した先は誰も知りません。

単に別々に存在するだけでなく、島ごとに環境や法則さえも激変するのです。


エゼケーの島々に共通するのは、どの島でも世界の果てが存在すること、

そして必ず別の島に繋がる門が少なくとも1つはあることです。

門とは呼びますが、その形はやはり島ごとに様々で、

ペルベでは集落に――あなた方が想像するような――門が1つあり、

北東部に、ある特定の木と木の間に別の島へと通じる面が1つ、合計2つの門があります。


ちなみに、父母の世代では地球も「巨大な島」ではないかと思索を深める人が居ます。

その人は父の技術がその証明だと、変なふうに豪語していて面倒です。


なお、島々で気候や法則があまりにも違うため、

普通は生まれた島で一生を過ごします。

例外は交易を営む者や、島全体が巨大な都市であるルゾ・ペルゼイの移住くらいです。


エゼケー全体について話すのは困難で、私も詳しくありません。

ここから、私たちの暮らすペルベ島について説明していきます。


--


ペルベ島は南北に4万歩から7万歩、東西に6万歩から8万歩の大きさをしています。

上空から見ると所々で凹んだ丸のような形でした。

島の端は崖で、眼下には雲海が広がっています。

崖下から帰って来た者は居らず、地平線の果てに何があるかを見た者は居ません。

このような世界の果てはエゼケーでは典型的な様相です。


私たちの島は、曾祖母の話ではネッタイウリンと言う自然環境のようです。

その言葉の意味は、雨が多く気温も高く、森林におおわれた地域のことだと伝わっています。


その言葉の通り、ペルベは移住者から暖かいと評される過ごしやすい気温を保っています。

ただ、昼の間にかなりの頻度で短時間で大量の雨が降り、樹冠から滝のように水がこぼれてきます。

開けた土地ではその大量の水を直接浴びるので、毎回屋内に避難することになります。


ちなみに、ペルベの異称にPheru i pure kei ruuma「雨と森の場所」という言い方もあるので、

古くから曾祖母と同じ認識があったようです。


ペルベにはもう1つ特徴があります。

それは一日が昼と夕の2つから成ることです。つまり、闇夜が存在しません。

それに太陽のような強い光源も無く、明るい色の空と暗い色の空が滑らかに交互するだけです。


樹冠によって光が遮られるので、夕の時間や雨のときはそれなりに暗くなりますが、

それでも他の世界で見た夜ほどの暗さはありません。

今は村の周辺は開拓しているため、決して空が黒色にならない様子を観察することができます。


雨と森、常に昼の環境。

次の節で詳しく書きますが、この環境は私たちの文化に強い影響を与えました。


また、これはエゼケーの多くでも見られることですが、

ペルベには魔物という生物に似て非なる実体が存在します。

古い呼び名はPibi「ピビ」ですが、今では曾祖母の表現をもとにHuteru「フテル」と言います。


彼らは、小指の先ほどの大きさの光球のような姿をしています。

単独で動くことは無く、群体を形成し、見かけは大きな姿となります。

普通はこぶしくらい、多いと人の体を包み込むくらいの大きさまで集まります。


光は薄くぼんやりとしていて弱く、昼はあまり目立ちません。

夕であれば、周りに比べてやけに明るい白い影が動いているといった様子で見ることができます。


フテルはその周囲に根付く植物を恐ろしい速度で成長させます。

曾祖母の実験によると、1日で肘から指先までの長さぐらい育たせるようです。

成長が遅い木であっても同じように時を進ませます。


フテルがなぜそのように振る舞うのかは分かっていませんが、

人に対する直接の危険性は無く、観賞用に捕まえる者も居ます。


ただ、ペルベの森林は、フテルの存在によりわずかな時間で景色が変化します。

行きで目印を付けても、帰りにはその木が倒れていて別の草木がそれを覆ってしまいます。

現在では杖を使って方位を示す魔法が使えますが、

昔は迷ったら終わりであり、居住地の周りを少しだけ散策する程度の活動範囲でした。


まとめると、私たちの島は時間と方向の感覚が不確かになる環境なのです。


--


それでは次に、曾祖母が降り立つ前の旧来のペルベ島の文化、

そしてペルベの言語について説明します。


現代では失われた習俗も多いですが、

口伝と曾祖母の記録によって大まかには伝わっています。


メクザットーの降臨前、ペルベの人々に時間という概念は存在しませんでした。

aba「目が覚めた」という時間を過ごしているうちに、

いつの間にかiri「眠い」という感覚が生まれ、皆で眠る、そういった生活をしていたようです。


フテルの力により、森では簡単に木の実を見つけることができます。

虫や鳥にかじられていたとしても、少し経てば別の食べ物が見つかります。


そんな前ペルベ人が時間を感じた機会は、生死と、門とそこからの来訪者の存在でした。

先祖は門とその先を区別せずPheruseiと呼び、信仰しました。

子供は門の先から母体に宿り、そして死ぬと門の先へと還ると。


前ペルベ人は門から付かず離れずの位置に寝床を設け、家族単位で暮らします。

それぞれの家族で場所を取るので、寝床は門を囲む円の形に分布しました。

当時、人口は100人も居なかったようです。


個人の名は、氏族の名と、生存している何番目の男女かだけで表し、

ある番号の人物が亡くなれば、その番号が次に生まれる子供に与えられます。

また氏族の名は父方は女子に、母方は男子に与えられます。


私Kuejengeipheは、Jengeiphe家の5番目の女性という意味です。

1番目は父の母、2番目は父の母の妹、3番目と4番目は父の兄の娘です。


父Ujengeipheは、Jengeiphe家の2番目の男子です。

1番目は父の兄です。父の母の父は今も生きていますが、5番目の名でKanajengeipheと言います。


母Enturemekusattuuは、Mekusattuu家の23番目の女子です。

曾祖母の家系は子孫も長生きな人も多く、昔でもあまり見ない大きな番号になっています。


婚姻は別氏族の名を持つ者が好まれますが、必ずではありません。

昔は睡眠サイクルが同じになった男女の間で、関係を結んだと言います。


氏族の名はこの島に来訪し、定住した者の名を受け継いでいるそうですが、

確かな記録は曾祖母のウメクザットーしか残っていません。

ちなみに、曾祖母の名前の正しい発音はウメコサトーのようです。


こういったペルベ島の文化も、移住者の増加により失われつつあります。

都市での体裁に合わせ、通称を名、氏族名を姓とし、伝統的な名前を名乗らない者が増えています。

私で言えば、Sunu Jengeiphe スヌ・ジェネイペとなりますが、あまり慣れません。


文化の話はここまでにして、次に言語についてまとめます。

この点は外交職として、多少の知識を備えています。


まずは今まで書き記した単語を再掲しましょう。


pheru 場所

-be 単語の後ろに付いて「私たちの」を意味する

Esekue イセカイ

-sei 単語の後ろに付いて「彼ら/彼女らの」を意味する

-ne 単語の後ろに付いて「あなたの」を意味する

-mu 単語の後ろに付いて「私の」を意味する

-nekamu 単語の後ろに付いて「あなたと私の」を意味する

i ~の; 述語の後で「~を」

pure 雨

ka ~と

kei ~と~の(ka+iですが、aiという発音ができずeiになります)

ruuma 森

pibi ピビ

huteru フテル

aba 目が覚めた

iri 眠い

kue-/kana- 5番目の女性/5番目の男性

u- 2番目の男性

enture- 23番目の女性

sunu 空


ペルベ語の母音は、a,i,e,uの4種類です。

他にei,ii,uu,auの二重母音があります。iiとauは稀です。


aは舌が後ろ側にある広い母音でアと変換されます。

uは同じ舌で少し狭い母音で、ウ。

eは舌が前にある広めの母音で、エ。

iは同じ舌でかなり狭い母音で、イになります。


eiはエー、iiはイー、uuはオーまたはウー、auはオウとなるようです。


子音はp,ph,b,m,t,tt,s,n,ng,k,ku,j,r,hです。


p,phはパと変換される音で、phは息漏れを伴います。

bはバで、息漏れはありません。mはマです。

tはタです。ttは語中のみに現れ「ッタ」のように発音します。

sはサですが、語中ではザになります。

nとngはどちらもナになりますが、nは歯茎に舌を当て、ngは軟口蓋に舌を当てています。

kはカです。kuは唇音を伴うカですが、同時に後続の母音が長くなります。

jはジャになります。rはラです。hはハです。


子音をC、母音をVとすると、

音節はCV,VCVの組み合わせが主ですが、語末がm,n,ngの場合に限りVCやCVCの形もあります。


音声はここまでにして、品詞ごとの説明に移ります。

前時代のペルベ語の品詞は名詞、代名詞、形容詞、数接辞、接続詞、感嘆詞の6種類です。

どれも見た目では区別ができません。


名詞は、文の意味や数に対して形態が変わることは無く、いつも同じ形です。

所有を表す接辞が後ろに付き、順序や数を表す接辞が前に付きます。

順序の前接辞に男女の区別があり、人名はその人の性別で、

それ以外であれば単語ごとに男女どちらが付くか決まっています。


ambeng アンベン「右手」 < am-*peng 男性1つ目+*手

rapeng ラペン「左手」 < ra-*peng 女性1つ目+*手

uje ウジェ「右脚」 < u-*je 男性2つ目+*脚

ureje ウレジェ「左脚」 < ure-*je 女性2つ目+*脚


tuun トーン「木の一種」

tuunei トーネイ「トーンの実」※食用

urehu ウレフ「植物の一種」

urehura ウレフラ「ウレフの葉っぱ」※食用


代名詞は男女や数で分けて以下の通りになります。


mimei/tamei/samei ミメイ/タメイ/ネメイ/サメイ

私(女性)/私(男性)/私たち


minuu/tanuu/sanuu ミノー/タノー/サノー

あなた(女性)/あなた(男性)/あなた方


sampe/sentu/sase サンペ/サンツ/サゼ

彼女/彼/彼ら彼女ら


ipe/itu/isase イペ/イツ/イザゼ

それ(女性)/それ(男性)/それら


sameiは話し相手を含まない「私たち」です。


所有接辞も代名詞の一種で、以下の種類です。


-mu 私の

-ne あなたの

-pe 彼女の

-te 彼の

-sei 彼らの


代名詞のipe/itu/isaseに対応する所有接辞は無く、その場合は無標です。


Ein naumu Kuejengeiphe 私の名前はケージェネイペです


形容詞は、名詞の後ろか文の最初に置き、名詞の前接辞が付かない単語です。

同じ母音から成る単語が多いですが、例外もあります。

名詞の後ろに置く場合は前にある名詞を修飾し、その名詞に対応する所有の接辞を伴います。


tuunei hahana 甘いトーネの実

urehurane tattane あなたの固いウレフの葉っぱ


文の最初に置く場合は文の述語として機能します。

主語は文の最後に置き、間に補足の言葉を加えるときはi、2語以上はkeiを使います。


Aba mimei 私(女性)は起きている

Aba tanuu irine あなたは眠そうだが起きている < 眠いあなた(男性)は起きている

Tarata sampe 彼女は歩いている

Utta i sasatuuneimu sentu 彼は私のトーンの実をいくつか持っている

Kakepa i tatuune kei kakepeite santu 彼は鉈でトーンを切る


曾祖母が来る前は、ペルベでは時間の感覚に乏しいため、

当時の言語では時間表現が無く、アスペクトも不明瞭でした。


数接辞は、他の言語でいう数詞と序数詞に当たります。

旧来のペルベ語では、名詞は数を指定しない場合を基本的な形として、

他には1つと複数を区別します。


tuunei トーネイ「トーネの実(一般形)」

tatuunei タトーネイ「トーネの実1つ」

sasatuunei サザトーネイ「トーネの実3つ以上」


mijurehura ミジュレフラ「ウレフの葉っぱ1枚」

sasaurehura サザウレフラ「ウレフの葉っぱ3枚以上」


1つを表す接辞は、男性はta、女性はmiです。


数接辞を加えることができるのは、それが目の前に見えているときだけで、

回想や伝聞など、その名詞の物体がこの場に無いときは必ず一般形を使います。


順序を表す接辞を1から10,11,20,21,30,32,33まで記載します。


1 me-/te-

2 ja-/u-

3 re-/rutu-

4 epe-/upa-

5 kue-/kana-

6 neru-/nosu-

7 senehe-/senote-

8 phanga-/phangu-

9 rusi-/rusuu-

10 metumi-/tetta-

11 metume-/tette-

20 entumi-/entuta-

21 entume-/entute-

30 retumi-/ruttute-

32 retuja-/rutuu-

33 reture-/rutturutu-


接続詞は後ろにひとつの単語だけが来るkaと、複数の単語を伴うkasaの2種類です。


Pheru i pure kei ruuma < Pheru i pure ka+i ruuma 「雨と森の場所」

Tarata i pheruseipi mimei, kasa pengem i minuu 私が門の周辺を歩いていると、あなたが見えた


kasaの前後がどんな関係かは文脈で判断します。


感嘆詞は文末に置き、疑問を表したり強調を表したりします。


Uu pibi u? ピビは居るか?

Ein samei ba! 私たちが居る!


ここまで簡単に言語について説明しました。

詳細な話は、いつか地球と対面で交流ができる日に残しておきます。

その頃には私たちの習俗もかなり変わっているかもしれませんが……。


それでは私がこうも文化が変わっていると伝えている理由に関して、

まずは、曾祖母が起こした産業革命から触れていきます。


--


ペルベは太陽の無い昼と夕の空があり、

フテルという魔物が森をぼんやりと照らして迷路を広げています。

先祖はそれが当然の認識でしたが、曾祖母にとっては違いました。


地球から渡来したウメコサトーは、それまでの常識が壊される環境で、

前ペルベ人との難しい会話とこなし、この世界の法則を探索しました。

前ペルベ人に無い時間の感覚によって、そして彼女の知識によって、

先祖が知らなかった力を見つけ出したのです。


それを曾祖母は魔力(現在はmeriku)と呼び、

ペルベにはエゼケーの他の島よりも大量に満ちていることを突き止めました。


伝えられる曾祖母の実験ノートによると、

彼女はフテルの発光と成長促進の仕組みを調べる中、

小さな光の球であるそれらは閉所では次第に弱まることを発見したそうです。

その現象を「何かを消費したことで衰弱した」と仮定し、

曾祖母はその「何か」を見つけるために、様々な実験と調査を繰り返しました。


そして、ペルベの土に含まれる鉱物が「何か」を吸収し、放出することを発見し、

その鉱物を魔石、それが出し入れする何かを魔力と命名しました。

ついでに、フテルは埃のような微小の魔石を核にする実体と判明しました。


曾祖母は魔石の発見から、凄まじい勢いで魔力の活用を進めていきます。


魔石を練り込んだ杖型の土器を作り、人の意思で魔力が操作でき、

その魔力によって遠隔で物を動かすことができることを確かめました。

続けて魔石を道具に組み込めば、回転や前後など複数の動力を伝えられることを確立しました。


すなわち、曾祖母は原動機を発明したのです。


曾祖母の発明によってペルベは大きく変わりました。

曾祖母より上の世代は木の実を取るための鉈しか持たず、斧は儀礼用でしかありませんでした。

そこに刃が回転し続ける鋸が与えられ、人手で運んでいた木材は浮かぶ台に載せるようになります。


さらに曾祖母は杖による魔法を発展させ、超常の力を振るうことが可能だったそうです。

具体的にどんな魔法を編み出したのか、曾祖母は記録を残しませんでした。

ともかく、彼女は魔法によって門を巨大にし、原木の大量輸送が可能になりました。


エゼケーの島々との貿易が確立し、それまで氏族の名に数人見出されるだけだった移住者が年数人ぐらいに大きく増え、彼らによって製材工場や木材加工の工房が建てられました。


まさに曾祖母は1人で産業革命を起こしたのです。


その時代の変革はあまりにも激しいものでした。

次は、ペルベ人の文化と言語がどう変わったのか、書き連ねていきます。


--


曾祖母と祖父母の世代は、際立って激動の時代でした。

僅か10年から20年で島の景色と生活の仕方がみるみる変わりました。


門の周辺は開拓され、れっきとした家屋が立ち並び、人はそこに住むようになりました。

スコールの雨や生活排水のために下水道が整備され、上水道用の溜池も掘られています。

森を少し歩いて果物を取るだけの食事は、村に農園が作られ、そこで収穫し、配給されるように。

別の島からの輸入品――肉や穀物――が食卓に並ぶようにもなりました。


曾祖母は人を超えた存在として崇められ、曾祖母の言葉を規範する新たな風習も生まれました。

時間の概念が無かった先祖は世界の解釈についても明確な観念を形成しておらず、

曾祖母も上手く記録に残せていません。

曖昧にでも確かに存在したその世界観は、曾祖母の、ひいては日本由来の概念で上書きされています。


おそらく先祖は、世界を止まることのない循環と考えていました。

日夜も自他も夢現の区別もはっきりしないものの、お腹が空いたら木の実を取って食べ、

子供が生まれ、老衰で死ぬという繰り返しが続く世界。

門の先はあの世であり、全ての源。

ピビはこの世に恵みをもたらす存在で、あの世の使者といった考えがあったようです。


ですが、曾祖母がシントーの世界観をもたらし、

フテルがこの世界の魔力を使う存在だと明らかになると、旧来の考えは瞬く間に廃れました。


あまりの変化に心が耐えきれず、自ら命を絶つ人も少なくありませんでした。

そのため曾祖母や祖父母の世代は、曾祖母の家系を除き人口が少なくなっています。


特に、大きな変化はやはり言語の変化です。


先程の説明でペルベ語には時間表現やアスペクトが無いと書きました。

それは、曾祖母の使っていた日本語からの膨大な借用により塗りつぶされていきます。

また、ペルベ語には文字が存在しませんでしたが、曾祖母がアルファベットの正書法を規定しました。

ph, ngの音の表記の都合が主な理由だったようです。


曾祖母の世代は、ペルベ語と日本語の2つの言語の使用。

祖父母の世代は、日本語混じりのペルベ語と、不完全な日本語の使用。

父母の世代は、日本語の影響を大きく受けたペルベ語と曖昧な日本語の使用。

曾祖母が生きていた頃を知らない私たちの世代は、新たなペルベ語の最初の世代です。

私たちの世代での日本語は文語として使われ、祖父母の世代との会話に使います。


具体的にどんな変化が起きたかを書いていきます。


名詞の形態は伝統的な文法を保っていますが、日本語からの借用語が大量に入っています。

元々ペルベに無かった物が多数ですが、一部は元からあった物を日本語由来に言い換えた物もあります。


phanana < バナナ; 旧来はhasepara

kemi < 紙

mata < モーター

jensa < チェーンソー


Ein unaute i tangamu Rikuu 私の父の通称は「旅行」です


unau ウナウ「通称」< u-nau

tanga タナ「父」

rikuu < 旅行


なお、借用での音韻対応は主に以下の傾向があります。

母音:e>i, a>e, o>u, u>u, i>i, ou>a, ai>ei

子音:y>j, ch>j, g>k, d>t, w>h, si>hi


代名詞は一人称と二人称の男女の区別が無くなりました。

この区別の消滅は曾祖母の世代でも元々進行していたようです。


mimei,tamei > mei

minuu,tanuu > nuu


曾祖母の第一の家系では、meiの代わりに曾祖母の「ワタシ」由来のhetehiを使います。


形容詞については父母の世代から、語尾に-ru,-tta,-toru,-tottaが付加され、

左から順に現在、結果、継続、過去を表すようになりました。

これはもはや、動詞と呼ぶべき品詞に変化しています。


Abatta mei 私は起きた

Abatoru nuu あなたは起きている


Uuru pibi ピビが居る

Eintotta samei pherei mure 私たちは村に居た(今は居ない)


修飾する際の形態は以下の3通りが並立し、私たちの世代でもどれが優勢かは決まっていません。

①-toruだけを使う、②所有接辞だけを使う、③-toru+所有接辞にする


また、工業化に伴って現れた事物はほぼすべてが日本語からの借用です。


ki < 木 「材木」

mahiin < マシーン 「木材加工機」

ukukuru < 動く 「機械を動かす」

hekuburu < 運ぶ 「木材を運ぶ」

jutturu < 輸出 「木材を島外に売る」


日本語からの借用で副詞が成立したことも大きな変化です。

前ペルベ語では語気を強めたり弱めたりする形で強調や自信の無さを表現していましたが、

祖父母の世代から日本語由来の副詞の使用が始まっています。

時間を表す単語は全て日本語からの借用です。


keneri ukukuru i mahiin 機械をたくさん動かす

ime suge irimu とても眠い今


それと、ペルベ語では前置詞が急激に増えました。

日本語からの借用と、翻訳借用のような単語があります。


tukuute < 使うて 「~で」

pherei < pheru+i 「~の場所で」 < 日本語「~に」

tukii < 時+i 「~のとき」


kakepatoru i tatuune tukuute netete santu 彼は鉈でトーンを切る


接続詞はkasaが廃れ、代わりに日本語由来の単語を意味ごとに使い分けるようになりました。


suttu < すると;Suttu A, Bで「Aの後にB」

sunmei < する前;Sunmei A, Bで「Aの前にB」

ngere < ながら;Ngere A, Bで「Aと同時にB」

hitere < したら;Hitere A, Bで「もしAならB」


kasaは所有のiが付いたkaseiの形態で残り、

前の名詞に修飾する節を導く機能を持つようになっています。


rata kasei uttaru i nipate buute 大きな目を持つ人


rata ラタ「人」

nipa ニパ「目」

buu ブー「大きい」


他にも様々な変化がありますが、全てを書き出すのは困難で、今も揺れ動いています。

そういうわけで、この説明はここまでとします。


私の子供の世代では順序の接辞が曖昧になっている事例も時折聞き、

父母の世代は伝統的な言葉遣いを古臭いものと断じて、新たな潮流を受け入れています。


では、最後に現代のペルベにおける社会問題に少し触れていきます。


--


ペルベ村において目立つ問題は世代間の言語の変化です。


曾祖母と祖父母の世代のうち前ペルベ語を第一言語とする者は、

時代の変化に付いていくことができず、多くは早逝してしまっています。

今も生きる一部の者は、隣人の言葉の聞き取りに苦労しているようで、

文化の再興に取り組む者、特にJengeiphe家が諸々の仲介を行っています。


しかし、それよりも自治の体制と階層間の問題が深刻です。


古来ペルベには明確な階層はありませんでした。

人格に問題がある者が爪弾きにされることはあっても、家族間の関係は平等です。

しかし、曾祖母がこの村の「村長」として支配層であると宣言すると、この景色は一変します。


当時のその世代は、そもそも村長というのが何なのか理解していなかった者も居たようです。

ですが、曾祖母とその子供世代は強権的にペルベの住民をまとめ上げ、

集団生活や日本語の教育を推進しました。


その施策の大きなものがTerekuje「テレクジェ」の創立です。

曾祖母のテラコヤという単語を使ったこの組織は、いわば学校に相当します。

sinsei「教員」は子供たちに曾祖母の教えや日本語、魔法について教育を行います。


ただ、村の規模が小さいので、シンゼイは村の役人を兼務します。

シンゼイの任命は学力検査によりますが、だからこそ曾祖母の家系が非常に有利であり、

現在のペルベ村の権力は曾祖母の血族が独占している状況です。


私と父は移住者向けのクラスを受け持ちつつ、他島との外交で現場に立ちますが、

最近は、Mekusattuuの血族とそうでない氏族との諍いに仲裁に入ることもしばしばです。

この対立は、血族の間での貧富とそれによる嫉妬等が原因なので、中々難しい調整です。


この状況で地球と物理的に繋がった場合、階層間の格差がさらに進行するかもしれません。

私は父と共に、父母の世代に蔓延するペルベ文化の軽視を払拭して氏族同士が融和するよう、

ペルベの言語や文化の再興に取り組んでいます。

母も理解してくれていて、親族への働きかけを進めてくれています。


他に上手いやり方が無いか、知恵を与えてくださると嬉しいです。


--


随分と長い文章になりました。

日本語で書いたり、翻訳の魔法を通したりと何回か確かめましたが、

不自然な点があればお詫びします。


それでは、あなたの今日が良い日であることを。


Kuejengeiphe, Sunu

■ペルベ人

肌は小麦色、髪はブラウンからブロンド。瞳は黒から茶色。

鼻は長いが、童顔のような風貌。身長は男女ともに150cm前後。


■ケージェネイペ

髪はダークブロンド。瞳は黒。身長153cm。

肩幅はしっかりとしていて、島外に冒険に行くこともあり筋肉質な体格。

趣味はお爺さんお婆さんの話を聞くこと。ペルベをエゼックで最も過ごしやすい島にするのが夢。

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