8.光
森の中は迷路であった。もうずっと歩いている。何十分、いや何時間経ったか分からない。水も食べ物も何も持ってきておらず、空腹感が俺を襲い、足は歩き疲れ棒のようになっていた。同じような景色がずっと続き、どこから入ってきたのかも分からなくなるほど、俺は混乱する。しかも奥へ行けば行くほど謎の声が俺を恐怖へと陥れ、遠くの方でキーキーと甲高い声が聞こえたかと思えば唸り声のような低い声が耳へと届く。動物なのか、魔物なのか。それすらも分からなかった。
「明日にすれば良かった・・・・・・」
不安な気持ちで俺はいっぱいになる。森に入ってから何時間経った?ひたすらに歩いてきたが、このままエレアが見つかるとも思えない。さすがにこんな森深くの場所にまで修行に行ってはいないだろう。俺はさすがに諦めて来た道を戻ろうと踵を返そうとする。しかし振り向く間際、顔が濡れた感触があった。雨か?俺は手を濡れた場所へと持っていき、視線を上へと向けた。
俺はぴしりと固まった。顔に触れた手は雨ではなかった。視界に映ったのは雨粒ではなかった。見たこともない巨大な蜘蛛の魔物がヨダレを垂らしてこちらを見つめている。俺の身体以上に大きいその蜘蛛は、糸を吐き牙を噛み合わせた。音を立てるその姿は、俺を獲物として狙っているようだ。その間俺は錆びたブリキのおもちゃのように動くことが出来ない。ただの弱者であった。このまま喰われてしまうのだろうか。《神の祝福》を繰り返し、俺は一生こいつに捕まり続けるのだろうか。何も出来ない。どうすることもできない。俺は恐怖で凝り固まった脳でそんなことを考えていた。
しかし遠くの方で枝が折れる音が聞こえた。俺はその音を聞いて、糸が切れたかのように魔物から一目散に逃げ出す。木々と木々の間を通り抜け、少しでも距離を離そうと必死に走る。後ろからは追いかけてくる音は聞こえなかった。それにあのでかい図体がこの木々と木々の間を通れるとは思わなかった。俺は全速力で走りながら後ろを振り返る。そのときの自分にはまだ余裕があった。
しかしそこには信じられない光景が映し出されていた。俺にぴったりと追従してくるかのように巨大蜘蛛が張り付き、こちらを虎視眈々と狙っている。そして今までは気が付かなかったが、そこら中に蜘蛛の糸が張り巡らされ、俺は罠の中に入っていたのだと絶望する。それでも俺は走り続ける。五歳の体力と速さではすぐに息が切れ、また半袖のため露出している手や足は逃げる際に葉っぱや枝に切り裂かれ、血がふつふつと湧き出していても、それでも俺は必死に走り続けた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ!!!」
いつ捕まってしまうのだろうか。怖くて振り返ることも出来ない。これ、同じようなことを前にもあったような・・・・・・。いや今はそんなこと考えている暇は無い。ただ必死に走る。必死に必死に、足を動かし逃げていた。このまま逃げられると信じて。しかしそれは突然起こった。足に何かが絡まり、バランスを崩し前へと転倒する。すぐに立ち上がろうとするが後ろから足を強い力で引っ張られ、俺は魔物の方へと必然的に近づいていくことになる。
「いやだいやだいやだ!!!!!」
近くの草や花、木の根、地面。なんでもいいから掴まり引きずり込まれるのを阻止する。しかしそれは空をきるだけか、掴まっても引きちぎられただけであった。爪の間に土が入り、汚れていく手を俺は引きずられながら見つめ続ける。そのまま蜘蛛の元へと逆さに吊り下げられ、木の枝に固定される。見えるもの全てが逆に見え、頭に血が上った。牙をカチカチとならし、俺の周囲をゆっくりと周り観察する蜘蛛の魔物に俺は悲鳴をあげる。喰われるっ!!急いで足に巻かれていた蜘蛛の糸を外すべく暴れまくる。しかしそれは体力を消耗しただけでなんの意味も成さなかった。魔物はさらに糸を吐き全身を覆っていく。粘着性のある糸が着実に俺の身動きを取れなくさせていった。
「離せよ!!ふざけんな!!」
頭以外の全身が糸に巻かれどうすることもできない。言葉だけで魔物に立ち向かっていくしかなかった。そしてその様子を嘲笑うかのように蜘蛛はニタリと笑ったあと、俺の口目掛けて糸を吐く。口を閉じていたため、口の中に糸が入ることは無かったが、逆に口を開けることが出来なくなる。粘着質な糸が口に引っ付き、俺は呻き声をあげることしかできない。
「んぅんん゛ーんぅ!!!」
必死に暴れ抵抗を続けるが、それは微かに遠心力で揺れているだけ。巨大な蜘蛛の魔物は捕獲できたと安心し、ゆっくりと食事を楽しめるように自分の足場に取り掛かる。
クソがクソがクソが!!!!なんでこんな目にあわなきゃいけないんだ!!早く逃げ出さねぇと!!・・・・・・けど武器も持ってない。力も残ってない。逃げる手段も思いつかない。このままこいつに捕らわれ続ける未来が見える。自然と涙がでてきた。
こわい・・・・・・こわい・・・・・・
・・・・・・ツィリカ!
・・・・・・リシェル!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・エレア
誰かお願いだ!!助けてくれ!!
魔物が糸をつたってこちらへとゆっくり近づいてくる。心臓が痛い。汗と呼吸と、色んなものが異常をきたしていた。涙でいっぱいになった瞳をかっぴらき、一挙手一投足に目を向ける。久しぶりの食事なのだろうか。シューシューと音を鳴らしながら巧みに足を使い、急いで糸を解いていく。左足の方の糸が緩くなり始めた。生暖かいような、少し肌寒いようなそんな空気に一瞬身体が震える。そして蜘蛛は露出した左足の元へとさらに近づいてくる。蜘蛛の毛が地肌へとまとわりつき、全身に鳥肌がたった。
おねがいだ。やめろ。もうやめてくれ。そう切に願う。しかしそんなこと叶いっこない。
蜘蛛が口を大きく開ける。全てを飲み込まれそうなそんな暗い闇が姿を現していた。鋭く尖った歯がキランと光ったような気がした。今から何をされるのか子どもながらに分かってしまう。ああ、食べられる。いたいんだろうな。つらいんだろうな。
魔物が俺の足を食いちぎった。皮膚が、肉が、骨が想定していない動きをした。想像を絶する痛みが俺を支配する。不揃いな牙が大量の血を生み出し、暴れることしか出来ない。
いたい、いたい。いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい!!!!!!
蜘蛛が俺の足をバリバリと美味しそうに咀嚼する。噛む事に血が溢れ出し、口から漏れたものが俺の顔へと降りかかる。生暖かく生臭い血が現実であることを強制的に分からせられ、足だったものが、先ほどまで動いていたものが跡形もなく消え、肉も骨も、薄い紙のようにあっさりと崩壊を告げ、俺の足は完全になくなっていた。大量の血が糸を真っ赤に染め上げる。痛みによって糸の固さを凌駕し、口が完全に開いた。
「う゛ぅ゛っあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛!!!!!」
どこからか聞いたことのない悲鳴が聞こえた。いや、俺の口から悲鳴が聞こえてくる。聞いたことのない声であった。
「あ゛っ、あ゛あ゛っ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
何も考えられない。ただ身体だけが痛みで動いていた。涙がまつ毛に溜まり、大きい水滴となって地面へと落下する。胸から込み上げてくる気持ち悪い物体が全身を駆け巡り、それが一種の震えとして体外に現れる。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!!!
なんでこんな目に・・・・・・。いたいいたいいたい。っは、来なきゃ・・・・・・良かった・・・・・・。そうだ、来なきゃ良かったんだ!!!!エレアなんかと出会わなければ!!!こんな気持ちにならなければ!!!俺は、俺は・・・・・・!!!!
・・・・・・そうだ。エレアが悪いんだ。エレアがいたから俺は変な気持ちになった。エレアと話したからあんなことになったんだ。エレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレア!!!!
蜘蛛が足の方から俺の左手へと移動する。そして先程と同じように糸を緩め、左手を露出させた。そして口に含み豪快に引きちぎる。またしても悲鳴が上がった。
エレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレア!!!!!
エレアを恨む気持ちが膨大に膨れ上がる。もう俺を突き動かすのはそんな気持ちであった。真っ赤に染まった顔で蜘蛛を睨みつける。こいつはここで殺さないと気が済まない。原型がなくなるまでぶち壊してやる!!
《神の祝福》が発動し、左足が少しずつ修復されていく。一度は完全に失ったもの。それを新たに手に入れ、自由になった足を使い俺は反撃する。蜘蛛の身体に足をぶつけさせ、必死に落ちろと力を込める。しかし五歳の足の長さなど蜘蛛にとっては猫に立ち向かうネズミのように可愛らしいものでなんの意味もなさない。自由になった足を手に入れ、希望に満ちたこの気持ちも自然と終息してしまう。しかし、それでも諦めない。俺はさらに足に力を込め、まだ《神の祝福》を完了していない左手をも使い、蜘蛛を落とそうと躍起になる。
「落ちろやーーーー!!!!」
蜘蛛の足をグッと掴み、振り落とす。バランスを崩した蜘蛛が糸を放出して、近くの木へと飛び移った。シャーーとこちらを威嚇し、臨戦態勢に入る。眼をぐるぐると動かし、口を開けた衝撃でヨダレが地面へと垂れていく。怒っていることが一目でわかった。
一瞬の沈黙の後、蜘蛛がこちらへと飛びかかってくる。俺の胴体めがけて飛びかかってきた蜘蛛は足を巧みに使い、肩に噛みこんできた。その瞬間、何かが身体の中に流れ込んでくる、まさか、毒?まずい、力が入らなくなる!!俺は急いで左手と左足で蜘蛛の足を折ろうと力を入れたり、蹴りを入れていく。空中戦による攻防で糸がミシミシと揺れ動き、振動が伝わった。
このまま揺れ動き糸が切れたら!!
・・・・・・・・・・・・勝算が見える!!
俺は毒が全身に回る前にと、さらに激しく暴れ抵抗を続ける。蜘蛛の足を力一杯握りしめ、蜘蛛とともに振動を糸に送る。すると複数箇所に固定されていた樹幹の糸が一つ切れた。そしてその一箇所が切れたと同時に近くの糸が張り詰める。あともう少し・・・・・・。
「一緒に落ちよーぜぇ!?!?蜘蛛さんよぉ!!!」
この日一番の力を出し、力を込めた。一種のゾーンに入っていたと思う。勢いよく糸が激しい音を立てて、プツリと切れる。支えを失った糸が落下する中、俺は蜘蛛が糸を使って脱出できないよう、蜘蛛の頭を肩に押し付けた。肩を噛まれたまま俺は蜘蛛と一緒に落ちることを決意し、息を吸う。重力を感じて胸から込み上げてくる違和感。そしてやっと自由になれたという解放感。・・・・・・これが自由だ!!!
「俺のファーストデスはお前に譲ってやるよ!!蜘蛛野郎!!!」
大樹の葉が段々と遠くなり、一瞬にして高さ十数メートルから地面へと近づく。風の音が耳をつんざき、心臓が激しく鼓動した。なんだか酷く冷たい。・・・・・・空気が止まった。
ボギッ!!!!
嫌な音がした。
__________________暗転。
――――――――――――――――――――
目が覚める。どれほど眠っていたのだろうか。地面に墜落し、そこから何も覚えていない。これが仮死というものなのか。初めての経験でどうすることもできない。意識があることから頭はもう治っているようだ。しかし身体中に信じられない痛みが走る。身体中の骨が骨折しているようであった。内蔵も損傷し、指ひとつ動かすことができない。まだまだ《神の祝福》は終わらないようだ。
「うぅ・・・・・・あぁっ・・・・・・」
呻き声が上がる。痛みに耐えじっと身体を動かさず安静にする。しかし痛いものは痛い。クソったれとこの状態に憤慨しながらも俺は耐え続ける。木々のざわめきだけが俺の気持ちを穏やかにしてくれた。
倒せたのか・・・・・・俺一人で。蜘蛛との激闘を振り返える。無理だと思っていた結末をやり遂げることができ、安心感と幸福感で胸がいっぱいになる。ほっと息を吐き、天を一点に見つめた。木々の間から星空が輝いて見える。こんなにも綺麗だったのか・・・・・・。王都にいた時は見ることができなかった絶景に俺は感動のあまり感嘆の息が漏れる。しばらくの間、俺はその絶景を眺め続けた。そしてふと我に返り、早く家に帰らないとリシェルが不安がっているはずだと起き上がろうとする。しかしまだ《神の祝福》は完了していないようで、俺は痛みに耐えかねながら、またしても仰向けに倒れる。仮死状態だと、時間が掛かるのか・・・・・・。
そのとき俺の頭上近くで音が聞こえた。カッカッと靴音にも聞こえるその音は、少しずつであるが段々と俺に近づいてきている。誰かが助けに来たかもしれない!!俺の帰りが遅いとリシェルが探してきてくれたのかも!!俺は糸と血まみれになっている口を開き、頑張って声を出す。
「リシェル!!!今動けないんだ!!助けて!!」
しかし何も反応を示さない。こちらに近づいて来る音だけが不定期に聞こえてくるだけ。
「リシェルじゃないのか!?!?いや、誰でもいい!!助けてよ!!」
カッ!ズーーーーカカッ!!ズーーーーー。
先程までは聞こえてこなかったが何かを引きずる音が聞こえる。まさかっ!?と俺は信じたくはないものの、脳裏にある可能性が浮かぶ。瞳を限りなく動かし頭上を見つめる。そこには先程まで死闘を繰り広げた蜘蛛がゆっくりと近づいてくる音であった。っっっ死んだはずじゃ!!!驚愕し瞳を前回まで開けた。早く逃げないとっ!!しかし身体は動かない。着実に距離が縮まっている。なんでっ!?どうしてっ!?あれだけの高さから落ちたんだ!!《神の祝福》がなければ即死レベルだろう!?なのになぜ!?
ほとんど死にかけの蜘蛛がこちらへと近づいてくる。ここまでくれば本能であろう。ただ生きるために俺の血肉を摂取しようと、動かない身体を使い懸命に近づいてきていた。墜落した衝撃で足はほとんど折れている。
カッ!!ズーーー、ガタン!!シュゥーシュー、ズーーー。カッ!!
標的だけを捉え着実に距離を縮めてくる。俺は動かないなりに必死に声を出して威嚇する。
「こっちにくるんじゃねぇ!!!お前の出番はもう終わったんだ!!!潔く死んどけや!!」
俺の言葉など知ったこっちゃないと、さらに近づいてくる蜘蛛。
「ふざけんじゃねぇぞ!!誰がお前なんかに喰われるか!!テキトーに自分の最期を受け入れろや!!」
俺の肌に蜘蛛の身体がくっ付いた。鳥肌が全身を駆け巡る。そして本能のままに首に噛み付く。まだ蜘蛛の瞳は生きていた。
「ひゅっ、ぐぅっっ!!」
首の頸動脈が簡単に切れ、ドクドクと血が流れ始める。脳内を危険な信号がいくつも飛び回っていた。力が出ない。動けない。ただ受け入れることしかできない。完全に無力であった。
今度こそ終わりか・・・・・・。頑張ったよな、俺?戦った経験もないのによく頑張ったよ・・・・・・。
「ひゅっ!っつ、っは・・・・・・」
息が上手く吸えない。こわいこわいこわい。ただこいつに喰われ続ける未来が少しでも楽になるようにと願うしかなかった。
ああ・・・・・・。リシェル、ツィリカ、
・・・・・・・・・・・・そしてエレア。
一目見ただけで俺の心臓はうるさくなった。
一分にも満たない遭逢で俺の心は支配された。
そして一夜の出来事で俺は全てを失い続ける。
エレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレアエレア!!!
あぁ、少しだけでもいいからエレアに会いたい。そしたらこうなったのはお前のせいだと非難できるのに。苦しみを与えることができるのに。・・・・・・あぁ、俺、ほんと、気持ち悪ぃ。
あんなに綺麗だった星が今は曇って見えた。何もかもグレーに見える。俺は美しかった光景だけを記憶に留めたいと、そっと瞳を閉じた。首が段々と齧られていく。痛みという感触はもうなかった。途中で蜘蛛の糸が吐き出される音が聞こえる。全身を包まれ始める感触があった。少しずつ少しずつ巻かれていくそんな様子に、俺は黙って傍観し続ける。《神の祝福》なんて、もう気にしていなかった。ただ、ただ、時間だけが流れていた。
「〜〜〜〜〜〜!!!」
なんだ?俺の息遣いと蜘蛛が出す音と木々のざわめき。それだけが聴こえていた俺の耳に別の音が混じった。俺の中にまだ助かりたい願望があるっつーのか?いや、そんなはずは無い。
「〜〜〜ン!!ど〜〜!!」
また聞こえた。その音は段々と近づいてくる。地を駆け走る、そんな音も聞こえた。いや、ありえねーか。ただの幻聴だ。そうだ、きっとそうに違いない。
「サン君!!どこ!?お願いだ!!返事をしてくれ!!」
エレアの声だ。そして俺を探している??いや、そんなはずはない。ただの幻だ。一筋の光を大切に保存したい記憶の欠片が見せた、ただの。そうただの偽りだ。それに今俺がエレアに会ったら何するか分かんねぇ。だからもう関わってくんな!!
俺はもう眠りにつく。何もかも諦める。一瞬で世界が真っ暗になった。心だけは、心だけは何としても死守したい。もう・・・・・・俺を壊さないでくれ。一人に・・・・・・してくれ。
『サン君!!!』
パリンッと何かが割れた音が聞こえた。視界が晴れて一気に現実へと引き戻される。ザシュッと音が聞こえたと同時に蜘蛛が絶命する音が聞こえた。俺は驚いてもう開けることはないと思っていた瞼をゆっくりと開く。
・・・・・・綺麗だった。凛々しい表情で蜘蛛を斬り殺したあと、俺の元へとすぐ駆け寄り安堵した表情を見せる。琥珀色の美しい瞳がまるで太陽のように俺を映しこんでいた。彼女の周囲がキラキラと光り、先程見た満天の星空よりも美しい。女神様かと思うほどのオーラに俺の鼓動は強く鳴り、俺はまた何も出来なくなる。
『はぁっ、良かった・・・・・・大丈夫、もう大丈夫だよ』
そう言って全身に付いていた蜘蛛の糸を丁寧にゆっくりと剥がし、ぐらつく首をしっかりと固定する。大量の血がエレアの手を汚し、汚してしまったと率直に思った。
神々しすぎて本当にエレアなんだろうか??と疑問に思う。俺の願望が見せた幻ではなく?こんな夢みたいな、そんな体のいい話でもなく??ある訳ないだろ。そんなこと、あってはならない。
本物か確かめるため動かない腕を無理やり動かし、俺の首を支えているエレアの手にそっと近づけた。体感的にも実感的にもかなりの時間がかかる。本当に女神様なのかもしれない。俺の挙動を見守っているエレアにそんな感想を抱く。手が触れた。俺の手とは違い、汚れていなくて柔らかくて、それでも鍛えているとすぐに分かるそんな手だった。
・・・・・・あったかい。あったたかった。本物だ。自然と涙がこぼれる。もう涙なんか枯れていると思ったのに。視界は涙の薄い膜によって完全にぼやけ何も見えない。
『もう魔物は倒したよ。だから安心して。サン君に危害を加えようとしている奴はもういないから』
涙の理由を蜘蛛がまだ生きていると勘違いしている。そう思ったのか俺を安心させようと手を優しく握り、慈愛の表情で見つめてくる。俺はそんなエレアの優しさに胸が張り裂けそうになるほど後悔の念でいっぱいになった。
「ごめん、なさい・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」
ただ謝ることしかできない。俺はなんであんなことを思ってしまったんだろう。どうしてあんな醜悪なことを・・・・・・!!!言葉に出そうとしても何故か喉の手前で突っかかる。もう心の中がぐちゃぐちゃであった。
『大丈夫、大丈夫。何も怖くないよ』
頭を撫でられる。《神の祝福》の光が彼女を照らすスポットライトのようであった。髪の一筋一筋が光を浴びて輝きを放ち、風に揺れる麦の穂のように柔らかくしなやかに流れていた。
・・・・・・・・・・・・綺麗だ。
「ごめんなさい・・・・・・ごめんなさい!!」
琥珀色の瞳が燦然と輝き、真っ直ぐに俺を見つめるその視線に、どこまでも引き込まれそうになる。周りは木に囲まれ、木々の隙間から見える満天の星空を背景に彼女は優しく微笑んだ。
・・・・・・・・・・・・綺麗だ。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
『・・・・・・私がサン君を守ってあげる。だから大丈夫』
一瞬息が止まった。そして俺の中の一筋の光がエレアの元へ真っ直ぐと伸びる。心の奥深くから湧き上がるこの感情が、憎悪も嫌悪も丸ごとひっくるめて、ただの憧れを越えた。彼女の存在が、一挙手一投足が何もかも運命づけられたように感じられて俺の心臓が一回強く鼓動する。
こんなのかなうわけないじゃんか・・・・・・。乾いた声が口から漏れた。かなうわけねぇ・・・・・・。かなうわけねぇよ・・・・・・。
一瞬で吹き飛んだ色んな感情。全てが明るく感じた。エレアについて行こう。何があってもどんなことがあっても。今はまだ何も出来ないけれど、守られてばっかの俺だけど、いつか必ずエレアを守り抜くと、そう誓おう。
俺は今日のことは一生忘れない。
絶対に、絶対に・・・・・・。