16.知らない場所
「ルールルーールールルーールルルルールルー」
美しい女が鼻歌を口ずさみながら白い小鳥と戯れている。一面真っ白なその女は頬と口だけを鮮やかに紅く色付け、雪のように静かな小さな世界の中で一際異彩を放っていた。俺はその様子を遠くから眺めている。身体は硬直し、動くことは出来ない。
小鳥たちが彼女の手に軽やかに舞い降り、鳴き声を見せる。女はその羽を優しく撫でながら、さらに鼻歌を口ずさむ。まるで冬の静寂を破るかのように、甘く澄んだ音色で空気を震わせていた。それはただの歌ではなく、自然の声と一体となったような、聴く者を包み込む力を持っていた。踏み入ってはならない、完成されている世界を俺は眺めている。
「あら?」
ふと、音が止まる。小鳥と戯れていた手も動きを停止させ、ある場所を注視する。
「そう、なのね。えぇ、っふふ!!」
誰かと話しているように相槌を打ち返事をする女。その表情はさらに喜色を帯び、なんとも嬉しそうだ。いったい誰と話しているのだろうか?
あっ!女と目線が合う。俺は一心不乱に手を振った。でも俺の姿が見えていないみたいに女はすぐに目線をそらす。
ここだ!!俺はここにいる!!気づいてくれ!!
しかし無情にも俺と女の距離は何かに引き離されるかのように段々と離れていく。掴みたくても掴めない。もがき、足掻こうとも女は小さくなっていくばかり。苦しい、助けて・・・・・・。あぁ、視界から何も無くなった。俺は無だ。
__________________________あぁ、解
「っ!!!!はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ!!」
俺は何かに呼び覚まされるように飛び起きた。身体中に冷や汗が伝い、心臓が激しく打ち鳴らす。無意識に手を心臓へと当てた。あぁ、痛い。
ここは・・・・・・どこ・・・だ??生きてる・・・・・・のか?いや、俺は首を斬って死んだはずだ。じゃあここは天国っていうのか・・・・・・??
唖然とした表情で周囲を見渡す。するとこの世界にはあまりない白を基調とした円形の部屋に俺はいた。清廉とした空気を纏い汚してはならない、そういった緊張感を漂わせるそんな部屋だった。そしてそこには何人もの人間がいた。俺が目覚めたことに気づいたのか倍の数の目がこちらを向き、なんとも落ち着かない。こちらを見てくる目の感情が多種多様で勝手にこちらが萎縮する。
なんでこんなに人が??ここは天国じゃないのか??じゃあこいつらはなんだ??いったい何がどうなっている!?・・・・・・もしかしてクソ神の仲間か!?
俺は直ちに姿勢を立て直し戦闘態勢に入ろうとする。しかし何かに躓きそれは何故か出来なかった。巨大な鎖が手と足を縛り上げ中央の柱へと括り付けられていたからだ。それに違和感があると思ったら首に鉄製の首輪が付けられている。こんなの罪人がするような奴じゃないか・・・・・・。よく見ると周りの人間たちも同じように鎖に繋がれている。いったいどういうことだ??
困惑し何も呑み込めていない俺の頭の中。ぐるぐると思考がただ単に巡り、なんの生産性も産んでいない。そんな思考の中悶々としていると、カチャッと鎖の音が右斜めから聞こえてきた。目線を向けると一人の人間が中央の柱へと向かい器用に歩いている。そして柱へと辿り着くとぐるっと一周身体を回転させ他の者達と目を合わせた。そして最後に俺と目線が合うと動きを止め、柱へと背中を預けた。
「随分と遅い目覚めの野郎がようやく起きたようだ。・・・・・・では始めようか、俺たちがこれからどうするのかを」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ?
_______________________________________
「まずは自己紹介といこうか。俺の名前はサタン・ルーラー。俺の命令には必ず従い、遵守しろ。そしてお前らのことはどうでもいいが、俺の邪魔をするな。迷惑だ」
そう言って強い圧を周囲に掛けてくる男。まるでなんの価値も興味もないと言わんばかりの冷たく鋭い目線で見つめてくる。周りの人間はそんな男の言うことに従うようになんの抵抗も示さない。いったいこれは何が始まったんだ??
「まずは状況の把握だ。アグスティア祭が開催されてから二日経っている。まずこれについては相違はないな?」
「おい二日・・・・・・だって??」
あれから二日だと??その間俺は眠り続けていたってことか??というかなんで俺は生きているんだ!?首を斬ったはずだろうが・・・・・・。
「そんなことも分からないやつがここにいたなんてな。あぁ、お前はお眠り野郎か。一日中眠りこけて、随分と良い夢を見ていたようで何より。大層うなされていて本当に耳障りだった」
「ああっ!?!?」
俺の怒声にわざとらしく耳を塞ぎ、底辺を見るかのような目で俺を見つめる。その様子にさらに湧き上がる怒りを目の前の男にぶつけようとするが、男が話を続けたことによって一度静止する。
「さて、話が途切れてしまったな。それで今はアグスティア祭から二日経っている。これはもういいだろう。・・・・・・ではここはいったいどこだ?扉はなく外には出られない。壁を攻撃しても傷一つ付かない。物も置いておらず、なんの情報も手掛かりもない。食事だけはどこからともなく現れるが、ただ白いだけの部屋でどうすることも出来ず、俺たちは閉じ込められている。・・・・・・それにアグ神だったな。そいつが言うには《神の祝福》を打ち切ると言っていた。お前らは享受し続けたのだと。そしてすぐに天界へと帰りやがったと思ったら、魔物が大量に発生しやがった。魔物を殲滅し、久々に気分が高揚したというのに、気づいたらこんな退屈な場所へと放り込まれている。俺がなんの抵抗も出来ずにここに連れて込まれたとは考えにくい。これは異常事態だといっても過言では無いだろう」
「少し、質問よろしいだろうか?」
大柄な男が頭の横まで挙手をしてサタンに問いかける。
「あぁ、いいだろう」
「感謝する。私もそなたが話したような経験を二日前に体験した。しかし、少し疑問がある。《神の祝福》を打ち切られ、地上は混乱に陥った。魔物も大量に発生し、命を落としたものも多いだろう。私も魔物の戦闘に参加し全力を尽くしたが、多くの怪我を負ったと思う」
「それで?」
「この場所で目覚めたとき、怪我は全て無くなっていた。痛みもなく血も付いていなかった。治癒の魔法を掛けられたのかとも思ったが、そんな魔法聞いたこともない。見聞きした事と今の現状に差異が生じている。・・・・・・本当に我々人間は《神の祝福》を打ち切られたのだろうか?」
「確かにそれは私も気になっていたわ〜。・・・・・・突如現れた魔物に私は肩を噛まれて毒を注入されたの〜。死ぬかと思ったし、生きていても動けなくなっていたと思うわ〜。でも、私は生きている〜。呼吸が辛くなることもないし、四肢も満足に動いている〜。何も辛いことなんてないわ〜。・・・・・・本当に《神の祝福》は打ち切られたの〜?」
二人の証言により、他の者たちも賛同する声が幾重にもなって聞こえてくる。この世界は何も変わっていないのだと、あれはただの悪夢であったのだと、まるで体のいい夢みたいな話で、誰一人死んだこともなく今までの生活が再び送れるのだと。そんな言葉に俺も賛同してしまいそうになる。
でも、でも!!あの時味わった絶望は!!心の喪失は!!決して消えることのない俺の闇だ!!これが夢なんだとしたら俺は自分がさらに嫌いになる!!
地面に拳を叩きつける。視線がこちらへと向いた。手首に付けたツィリカのヘアゴムが目に入り、俺はさらに目を大きく開かせる。あぁ、あぁ、ツィ・・・・・・リカ。
「でもっ!!俺はっ!!俺は!!ツィリカを殺したんだっ!!!」
心からの叫びであった。皆も心当たりがあるのか中心にいる奴だけを除き、下を向く。
「俺がツィリカの首を斬ったから死んだんだ!!俺が首を斬らなければツィリカは死ななかったんだ!!っなんで!!どうしてっ!!こんなっ!!」
涙が溢れてくる。こんな世界に光などないのにどうして俺はまだこんなところにいるんだ?きっとツィリカが天国で待っている。だから、俺も早く逝かないといけないんだ。
荷物は何も持っていなかった。服だけを身につけ、手ぶらの状態で俺は中央にいるやつの足に縋る。
「おい、お前!!俺を殺してくれ!!お願いだ!!」
鎖が地面と擦れ金属の嫌な音が鳴り響く。
「おい、離せ!気持ち悪い」
「お願いだ!!俺を殺してくれ!!」
さらに足に縋り付き、絶対に離さない。涙と鼻水と、色んな体液がサタンのズボンに染み込んだ。
「離せっつってんだろうが!!この泣き虫が!!」
しかし俺の気持ちなど相手には関係ない。頭を思いっきり蹴られて吹き飛んだ。鈍い音がなり、着地地点で受け身が取れず全身を打撲する。
サタンは《クリア》と唱えズボンを清潔にする。そして手を払ったあと、俺を腐った虫でも見るかのように酷く顔を歪ませた。
「こんなにも人の話を聞かない奴を見たのは初めてだ。命令に従え、そして迷惑を掛けるな。こんな簡単なことも出来ないなんて、どう生活をしたらそうなるんだ?」
重圧が俺の全身を潰しにかかる。あのクソ神に掛けられた重圧とは異なるが、それでも俺の身体は動かない。
「あ゛ぁ゛っ」
「お前の望み通り、このまま潰してやろう。どうだ?お前の望んだどおりのことを俺はしてやっているぞ?」
さらに圧を掛けてくる。骨がキシキシと鳴り、肉が潰れそうであった。鎖が小刻みに揺れ、音を鳴らす。しかし突然、俺とサタンの間に一人の少女が入り込んできた。
「あ、あの!!彼はその・・・・・・、今混乱していて・・・・・・!!もしかしたら気が変わるかもしれないし!!だから・・・・・・その・・・・・・!!」
「外野は黙ってろ。これは俺とこいつの問題だ」
しかしすぐに一刀両断される。
身体が地面にのめり込む。もう抗う意思はなかった。こんな奴に殺されるなんてと思う気持ちもなくにはなかったが、それよりもやっと死ぬことが出来るという安心感の方が強かった。しかし俺はヘアゴムを無意識に掌へと隠す。なぜそんなことをしたのか、それは分からなかった。
ツィリカ、さっきはごめん・・・・・・。すぐにそっちに逝くから・・・・・・。
内臓が圧迫し内側から血液が溢れ出す。身体中の骨が骨折し、力は何も出なかった。目玉もあと少しで飛び出しそうだ。
これで・・・・・・死ねる。
「それでは、さよならだ」
手を振り下げた。サタンの無を捉えた瞳がこちらを向いている。
____________________________グシャッ
そこで俺の記憶は止まった。