15【最終回】 帰還
ほとんど自己満足の様な小説投稿でしたが
楽しかったです。
読んでくださった方がいらっしゃいましたら
本当にありがとうございました!!
翌朝早く、明は身支度を整えて部屋で待っていた。
側には彩月がいる。
ひっそりと出立すると言われていた。交渉は秘密裏に行われている。
囲いのある、中の見えない馬車を用いて明をあちら側に送り届ける手はずになっている。明が届き次第、敵方は兵をひく約束だ。
準備するものは何もなかった。もともと手持ちの道具は何もない。
明が戻った時に着ていた服は処分されていたので、せめて質素な服を着て行くことにした。質素と言っても、今の明の服はほとんど彩月のものなので、絹の着物しかない。極力地味な物を選んだ。馬に乗れる胡服と違って動きづらいが、仕方ない。
「言わば嫁入りなのだもの。できればお道具を持たせたかったのに」
「何をおっしゃるんですか。とんでもないです」
道具などもらっても使えないし、そもそも嫁入りではないと思う。
「そろそろ、出立だ」
見送りは屋敷門まで。それも瑛峻と彩月のみだった。三人は何も語らず馬車の待つ屋敷門につく。
別れの時は迫っていた。馬車前に着くと、明はくるりと振り返ってその場に膝をつき、頭を下げた。
「これまでのご恩、一生忘れません。受けたご恩をお返しする事もできず、このような形で申し訳ありませんでした」
「明」
瑛峻が明を起こした。
「そもそも、彩月の命を助けたところから始まった顛末だ。私は、これでよかったと思う。――お前がいる事で彩月も成長し、お前も成長したのだろうから。これからは黄家のことは考えず、夫に尽くすがいい」
「若様……」
「お前には多く辛い思いをさせた。これで、最後にお前を守った事になるだろうか」
「そんな。――いつもいつも、黄家に守ってもらっていました。私を拾ってここまで育てて下さったのも、色々な事を教えて下さったのも」
「お前は黄家の財産だった。これからはアスドラの一族の財産となるだろう」
胸が熱くなった。自分にそこまで言ってもらえるなんて。
「明」
彩月がそっと差し出してきた。
包みに入ったそれは、彩月の懐刀だった。ずっと身に着けていたもので、豪奢な銀細工がされている。
「これを持って行って」
「そんな。頂けません」
「これは、唯一貴方に持たせる道具よ。給金も渡せずだったでしょう。渡しても、きっと向こうでは使い道がないだろうし」
それでも、その刀はあまりに高価だ。受け取ろうとしない明の懐に、彩月は半ば強引にねじ込んだ。
「これは、ただの道具よ」
ぐっと、刀を握る手に力を込めている。
「刀は人を殺すわ。――今回、戦が起きて、たくさんの兵が死んだ。そうして初めて私は自分の愚かな間違いに気付く事が出来たのだと思う。本当に、情けないと思うわ。だからこの刀は、戒めなの。その思いを明にも預かっておいてほしいの。それにこれがあれば、明と繋がっていると思えるから」
「彩月様……」
手がそっと離れて行く。
「手紙を書くわ」
手紙ならきっと、余人に知られずに届ける事は出来る。
「行ってらっしゃい、明」
「――行ってきます。彩月様。思い出します。刀を見る度、いつも、彩月様の幸せを願って」
固く二人は抱き合い、そして離れた。
明が馬車に乗り、緩やかに出立する。
歯をくいしばるようにしてそれを見送る彩月に、瑛峻はそっと肩を抱いた。
「大丈夫か、彩月」
「――大丈夫よ。明が幸せになると思ったら、それは私の願いだから」
「そうか」
馬車が見えなくなるまで二人は動かなかった。
馬車の中で、明はずっと身を固くしていた。
一体どんな顔でアスドラの元に戻ればいいのか。
自分のせいで引き起こされた戦。明が得た自由の代償としては、それはあまりに大きすぎる。たくさんの兵の死。そして、ドゥルジの死……。
笑って帰り、再会を喜ぶことなど、きっとできない。
けれど、明が望んだことだ。望んだからこそ、今がある。
明はそっと目を閉じた。
思い返せばほんの一時の事だった以前の生活を思い出す。風と大地を感じた、アスドラと共にあった時。
身を切るほどの寒さと、焼けつくような日差し。厳しい土地だからこそ人々は支え合って生きていた。生きているのだと言う実感。
一つ一つの記憶がよみがえってくる。
初めて羊を絞める時を思い出した。
罪悪感と、恐怖、そして感謝の気持ち。
牧民らは、実に手際よく捌いていった。一連の作業として、羊の腹に小さな穴を開け、そこから手を入れる。手探りの一瞬で羊の血管を探り当て、仕留めるのだ。血は一滴も流れず、羊は静かに瞳の色を失った。
この大地と共にあるのだと感じた。
皆が命の営みを続けている。必要な物を、必要なところから借りているのだ。そしていつかは自分も土となり、誰かの血肉となって輪廻していく。
ならば精一杯、その時まで生きよう。
そう思ったらたまらなくアスドラに会いたくなった。アスドラとその子供に。
あの子は泣いていないだろうか。きっと一族の女たちが世話をしてくれていると思うが、さみしい思いをしていないだろうか。
胸が高鳴り、居てもたってもいられなくなる。
しかしそんな焦燥感は長くは続かなかった。馬車はさして時間を掛けずに敵陣に到着し、緩やかな速度へと変化する。
明は速度が落ちた時点で顔を出した。遠くに人だかりを見つける。
それを見たら我慢できなかった。馬車が止まるのも待てず、明は馬車から飛び降りた。
転がり落ちるように降りながらあちこちぶつけ、それでも何とか立ち上がった。わき目も振らず、駆り立てられるように明は走り出していた。
馬車が少し戸惑いながらも去っていく事も気にしている余裕は無かった。
離れたところに、人だかりがある。見知った顔ばかり。
その中心に、少し驚いた顔の――。
アスドラだ。
彼は馬上にいたが、直ぐに降りて明に向って走り出していた。
「アスドラ!」
叫ぶが、まだ遠い。アスドラも何か叫んだ。しかし聞こえない。
明は必死で走った。途中着物に足を取られ、小石に躓き、それでも必死で走った。近付く。アスドラがぐんぐんと近付いてくる。
「――ス……!」
声は出なかった。それでも叫ばずにはいられなかった。どのくらい走っただろうか。足がもつれあちこち体が痛み、ただ前だけを見て走っていた。
何度目かに明が転がる。今度は顔面からぶつかると思った瞬間、力強い腕に抱きかかえられる。
しっかりと、明の両腕を掴んでいる。
力強く、筋肉質な腕。この腕に何度抱かれた事だろう。
こみあげてくるものをこらえきれず、明は顔を上げた。
視界がかすみ、ぼんやりとしか見えない。けれどわかる。この臭い、この温度。
「アスドラ!」
何度も瞬きをして、涙が流れ落ちる。やっと顔が見えた。
たくさん顔にも体にも傷を作って、それでもしっかり無事でいてくれた。
懐かしい顔。優しくいつも包み込んでくれた。時には恐ろしく、強く、まっすぐで。
「メイ……」
しっかりと見つめてくるアスドラに、こみあげてくるものを押さえる事は出来なかった。
明はアスドラの胸に倒れこむようにしてしがみついた。がっしりとした体が支えてくれる。その力強さに、明は耐え切れず声を上げて泣き出した。
赤子のように、ただ泣きじゃくるしかできなかった。
アスドラも強く明を抱きしめた。存在を確かめるように、何度も強く。
「メイ。無事か、どこも怪我をしなかったか。――無茶をして、驚かせるな」
アスドラの問いには答えられなかった。
ただひたすら泣き続け、アスドラを呆れさせた。
止める事が出来なかったのだ。
帰って来たのだと言う喜びと共に、これまでの張り詰めていた思いが一気に溢れ出てきた。戦の重責、悲しみ、ドゥルジを失った喪失感……。
どのくらいそうしていたか分からない。
長い間、アスドラは黙って待ってくれた。
明が泣き叫ぶのをただ抱きしめて待つ。ずいぶん経ってから、アスドラはそのまま明を抱えて歩きだした。
「ア……、ラ、私、ある…」
歩く、と言いたかったのだが、呼吸が変になってまともにしゃべれなかった。
アスドラは無視して歩き続けた。
体のあちこち痛かった上に体の力が抜けてしまっていたので、明はそのままアスドラの肩に顔をうずめた。心地いい。
帰って来た。
アスドラの下、この大地に。
結構な距離を走ったので、明を抱えて歩くと少し時間がかかった。
それでもアスドラが明を抱えて到着するまで、皆はじっと明を待ってくれていた。
涙でひどい顔と声になった姿を見せるのは気が引けたが、挨拶しないわけにはいかない。
そっと地面に下ろされ、明は皆の顔を見回した。
集落の皆だ。
明のせいで起きた戦でたくさん犠牲を払っただろうに、明を心配するような顔ばかりだった。明はまたこみあげてくるものを押さえられなかった。
「メイ……」
「みんな……」
次に何を言っていいのか分からなかった。
ごめんなさいと言うのも、そんな言葉で片付ける事は出来ない。有難うと言うのも違う。
口を開きかけて迷う明に、アスドラが背中を押した。
アスドラの父が一歩前に出た。
「おかえり、メイ」
そう言ってくれたので、明は自然に言う事が出来た。
「ただいま……帰りました」
涙があふれて止まらない。
「まったく……ただでさえやせ細ってひどい身体になっているのに、それ以上泣いてどうする」
「今日は羊を絞めよう。たくさん食べて精をつけないとな」
「この子の為にも」
言った声に弾かれたように振り向く。
まさか。戦場だから連れてきていないと思っていた。
集団の後ろの方で、いつもお世話になっていたおばさんが大切そうに抱えている。
あの子だ。
人垣がよける。明は慌てて駆け寄った。
子どもは別れた時と同じ、赤い顔で手足を動かしていた。
「ああ……」
おばさんは直ぐに明に子どもを渡してくれた。子どもは声を上げたが、泣く事は無かった。
元気だ。
「子どもを産んだら、名実ともにあんたは私達一族の仲間だよ。何も気兼ねする事は無い。いいね」
おばさんは暗に、この戦を気にするなと言ってくれているのだ。明は胸が熱くなった。
力を込めて子供を抱きしめた。片手では余計に、ずっしりとその重みが感じられる。ぎゅっと抱きしめてみた。子供は小さく声を上げる。まだきちんと声にならない、赤ん坊の声だ。
「温かい……」
涙が止まらなかった。
アスドラがさらにその上から二人を抱きしめた。懐かしいアスドラの腕が、二人を守るように力強い腕だった。
帰ってきた。家族の元に、帰ってこれた。
初めて手にした家族。その温かみの強さに、明はいつまでもその場で泣いていた。
両軍は撤退した。
子供が大きくなるまでは戦は起こらないだろう、とアスドラは言った。起こすまいという決意の意味だった。
「他に方法がなかった。そもそもの戦の予定に便乗した形ではあったが」
重く低く、アスドラは言った。
二人きりになった家の中だった。宴会も終わりやっと落ち着ける時間。
後ろから抱きすくめられて、子供に触れていた手を止めた。
「お前を失いたくなかった」
張り詰めた声だった。
「アスドラ……」
多くの命が奪われ、この身は二つに引き裂かれたかのようだった。だがこうして帰ってくると心の底から安心し、幸せだと思う。同時に幸せを感じることに胸が痛む。
あまりに多くの者が失われた。
「メイ。――無事でよかった」
「ごめんなさい、アスドラ」
向き直って背中に手を回した。
「戦が起こったのも、たくさんの人が亡くなったのも……私のせい」
「それは違う!」
「違いません。――でも、それでも、私は……嬉しいと、思ってしまうんです。アスドラの元に……みんなの元に帰ってこられたことを」
今まで自分の感情は二の次だった。アスドラと出会い、愛し合うことで明は自分の気持ちが押さえられなくなっていた。
「それでいい。俺はこれからも、お前と子を守り続ける。俺の持てるすべての力で。それは俺の責任ですることだ」
「アスドラ……」
そんな訳にはいかない。アスドラ一人の責任にして、自分はのうのうと生きてなんていけない。
けれど。
明は子供を振り返った。穏やかな寝息を立てて眠っている。
「アスドラ、この子の名は……」
「考えていた。――お前が帰ってきたら呼ぼうと思い、まだ一度も呼んでいなかった」
アスドラはゆっくりと子供の額に手を置いた。アスドラの手の方が赤ん坊の頭よりずっと大きい。子供は鼻息をたてたまま安心して起きることはなかった。
「ネルグイ」
聞き慣れない発音に明は聞き返した。
「生まれてすぐに長く名をつけられぬ子はこう呼ばれる。新たに名をつけようかとも思ったが、この子は特別な子供だ」
どのような意味があるのか、明は知らない。
「戦が終わるまで、この子はネルグイだった。俺はこの子を見る度、名を呼ぶ度にこの戦を思い出すだろう」
それはつらいことではないのだろうか。
しかし、その心配はなかった。アスドラの顔には後悔や悲しみといった負の感情よりも、それを乗り越えた強さが見えた。
ならば、自分も抱えていこう。
明はその子の名を呼んでみた。
「ネルグイ……」
自分も忘れない。この戦を。失った者、得た者。学んだこと。
自分の気持ちを優先してしまい、傷つけた人々。
そうして今の幸せがどれほど尊いものかを。
実の兄を失ったのだ。つらくないはずはない。あの大地に転がる無数の死体の山を見て、戦を起こした彼が心を痛めていないはずはなかった。
明は黙ってアスドラを見上げた。
「ドゥルジが俺に教えたことを、俺は生涯忘れないだろう」
戦に反対はしなかった。しかし、周辺民族を集め即開戦を唱えるアスドラに、まずは道を探そうと幾度となく説いていたのもドゥルジだった。
結局、押し切る形で戦は開始された。明は帰ってきたが、失った者も多かった。今となって考えると他の方法があったのかと思わずにはいられない。
それは都合のいい後悔だとわかっているけれど。
「ドゥルジは……」
まだ顔を見ていない。そう尋ねる明に、アスドラは笑った。
「そうだな。明日、葬儀だ。――もう寝よう」
二人は身を寄せ合うようにして、しっかりと抱き合って眠った
葬儀は早朝から行われた。
全員が集まり、別れを言う。
遺体に少しずつ土がかけられていった。もう何も語らない遺体。
生前の壮健さも、温かい優しさもその影からは伺えない。青白い顔を見るたび、胸の締め付けられるような圧迫感と、背筋の寒さを感じた。
取り囲む群衆の中から声を上げる者は、ない。冷たくなってきた風ばかりが、音を立てて草を揺らしていた。
土がかけ終わり、遺体の上に少し盛り上がった色濃い土が盛る。アスドラの一声で男衆の乗った馬が一斉にその土の上を駆け回った。見る間に土は踏み固められ、掘り返した後も分からぬほどになる。
アスドラが撤収の合図を送った。ぞろぞろと人が去っていく。
人波が去った後も、しばらく、アスドラはその場から動かなかった。ただじっと固められた土を見つめていた。その顔に、悲嘆も、怒気も感じられなかった。いつもの激情に駆られた様子はない。
この戦で、彼も変わったのだと思う。
メイはただじっと、その背後からアスドラを見守っていた。声を掛けることはできない。しかし、いつまでも側にいようと決めた。
「俺の愚行をただすのはいつも、おまえだった」
やがて静かにアスドラが呟く。懐から杯を取り出し、筒から酒を注ぐ。それを土の上に注いで、杯ごとその場においた。
「大地となり、風となり見守っていてくれ」
馬首を返し、メイと目が合う。
「―――――なんだ、その顔は」
馬を並べ、明の頬にそっと手を添えた。力強く、大きな手。
「お前がそんな顔をすることはない」
「……はい」
「すっかり冷えてしまったな。先に帰っていれば良かったのに」
「私は、アスドラの妻です。――ずっと……側にいると、決めました」
どんなにつらいときも、哀しいときも。決して自分からは離れないと、誓った。
ドゥルジが命をかけて守ってくれたものを、自分も守っていく、必ず。
「そうか」
アスドラはそれだけ言うと、メイの背に手を添えると舌鼓を打って馬を促した。ゆっくりと馬が歩き始める。
「帰ろう」
風が冷たい。冬の到来を感じる肌寒さに、アスドラの手が温かかった。
どうか、この下の
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎をちょん、としていただきましたら
大変励みになります。
よろしくお願いします。