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12 再戦へ

 アスドラが去って、共に子供も連れて行って、彩月は上機嫌だった。

 邪魔者はいなくなった、これでいつまでも明といられる。そういった様子だった。

 しかし明の様子は日に日に落ち込むばかり。声を掛ければ返事はするし、笑顔もある。しかし明らかに上の空だった。

 おまけに、夜一人になると毎晩のように泣いている様子である。

 彩月はその様子を知るたび、言いしれぬ焦燥感にかられるのだった。

 いっそ殺してしまえば良かったのだろうか。どうすれば明の心が晴れるのか、彩月にはさっぱり分からなかった。

「明」

 呼べばこちらを向いて、返事をしてくれる。それでも足りなかった。

 そこにいるのを確かめるように、彩月は明の手を取った。

「何か、私にして欲しいことはない?」

「どうされたんですか、急に」

「だって、明……」

 なんと言っていいかわからず、彩月はただ視線を巡らせるしかなかった。

 彩月は、必死で方法を探していた。

 以前の頃に戻る方法を。

 明が匈奴にさらわれる前。明は、名前を呼べばいつでも精一杯の笑顔を向けてくれた。自分のことが一番大事だと、何も言わなくても分かった。自分だけを見ていた。だから一緒にいて本当に楽しかった。

 何かあったのだ。明の中で自分の知らない、何かが。

 彩月は、不安に背中を押されるようにして、言葉を続けた。

「教えて欲しいの、明」

 知らなくては。何が明を変えたのか。

「異民族の地で、一体何があったのか」

 明は驚いて、彩月を見つめた。

 やっと自分を見てくれた気がした。それに少し勢いづけられる。

「お嬢様」

「教えて、明。私と離れた数ヶ月、どんな暮らしだったのか。あの……あの子供が、どうして生まれたのか」

 彩月の表情に憎しみはなかった。明にとってはそれが少なからず驚きだった。

 今まで、北の一文字ですら、彩月には禁句だった。それが、自分から聞きたいと言ってくるなんて。

「聞いて、どうされるんですか。もう明にも、お嬢様にも関わりのない話です」

「いいえ」

 彩月はきっぱりと言いはなった。

「ありのままを知りたいの。どんな話でも、きちんと聞くわ。貴方がどうしていたのか、私は知りたいの」

 だって、関わりのない話と言いながら、全然そんな顔じゃない。

「どんな話でも、ちゃんと聞くわ。教えて」

 彩月の覚悟が、ぐっと握る手から伝わった。

 明は迷って視線を巡らせたが、やがてしっかりと頷いた。

「わかりました。お話しします。すべて」

 元に戻ったつもりでいた。子供を返し、身一つで彩月に仕えているのだから。

 けれど、置いてきた心はどうすることも出来なかった。一番近くにいる彩月が、それに気づかないわけはなかった。

 全て話そう。

 自分がどれほど愛されていたのか。あの大地が、どれほど大きく自分を包み込んでくれたか。草原の青さ、空の高さ、土の香り。そして何より、あの人達の暖かさを。

 それが彩月に、どう受け取られたとしても。




 彩月と明が夜が更けて空が白んでも話し込んでいた頃。朝日と共に、境界線に大軍が並んだ。

 その報は瞬く間に伝令、狼煙(のろし)を使用して領主の館に伝えられた。

 北方の遊牧民が攻めてくるのは数年ぶりである。今の趙国に、ましてや周王朝にもそれに急に対峙するだけの軍事力はない。北端の領地を治める黄家は騒然となった。

 迎え撃つしかない。しかし、王軍が出てこないとあっては、どの程度持ちこたえられるか。

「敵の数は」

「それが、未だ全容は計りきれず、数千とも、万とも言われ……」

「何故今の時期に攻め寄せる。秋近くとはいえ、収穫はまだだ。奴らの目的は何だ」

「どうやって土塁を越えてきたのだ。人員の配置はどうなっている」

 怒号の混じった、興奮した軍議が連日開かれた。情報が不足していて実のある話はほとんど出来ない。

 そんな中、瑛峻はただ黙って軍議に参加していた。

 予想は付いていた。

 目的は、明だ。憎らしいことに、黄家がしたことと同じ事をしようというのか。よくも民族をまとめ上げたものだ。

「ええい、ではとにかく、軍を編成せねば!」

「騎馬に対抗するのに、歩兵では分が悪い」

「では戦車を増やすというのか。そんな蓄えはない!」

 瑛峻は小さく息をついた。公子の行動に気を配りながらも白熱していた軍議は、たったその行動一つで一瞬、静まった。

 その沈黙を待って瑛峻は口を開いた。

「軍の編成は、迅速に行え。戦車を主軍とする。あちらは弓を主体とした軽騎馬兵だ。こちらも、弓を主体として戦車隊に組み込め」

「はっ」

「同時に、使者を送り、相手の要求を聞いてこい」

「要求、ですか……?」

 一同が怪訝な顔になった。

 匈奴が侵略をするのに、いつも要求などない。ただひたすら、嵐のように略奪し去っていくだけだ。

「匈奴の民は文字が読めぬ。口上で人を使者に立てよ。人選は……追って沙汰する」

「し、しかし、公子……」

 反論を許さず、瑛峻は音もなく立ち上がった。一同、思わず頭を下げる。

「私は私で、少し動いてみる。軍の総大将は先に匈奴を攻めた際に、無事目的を果たした陳将軍に任命する」

 視線をやると、陳学(ちんがく)が席を立って軍礼をする。承諾の意だ。

「遠征に関しては陳将軍に任せる。――以上だ」

 それだけ言って足早に去っていく。

 後に残された領主が、ではそれでいこうか、と言ったのが決め手になった。

 瑛峻の不可解な言動に対する微妙な雰囲気を残したまま、軍議は終了とされた。




 数日後、使者は怪訝な顔で帰ってきた。

 瑛峻はあえて公の場では会わずに、使者に執務室へ来るよう指示した。執務室には瑛峻と領主の他は、誰もいない。扉前も人払いを済ませた。

「ご苦労だった。匈奴への使者の任、よくぞ勤め上げてくれた」

 匈奴兵に使者を送るなど、前例のないことだ。通常使者は殺さないことが絶対の掟だが、そんなこちらの決まり事など、匈奴兵に通用するとは思えない。

 使者は家族の者に別れを告げ、身の回りを精算してから後に旅立っていた。無事に帰れて疲労の色は見えるものの、使者の顔色は悪くなかった。

「お役に立てて光栄です」

「それで、奴らの要求は?」

 瑛峻の問いに、使者はまた怪訝な顔をした。自分にも訳が分からない、といった様子だ。

「若君の仰せの通り、要求があれば聞くと申し出たところ……あちらも、ちょうど使者を立てるところだったと申しまして」

 この男はどんな者にも高慢に出るということをしない。使者に抜擢したのは一つはそのためだった。

「して、要求は」

「それが、その……一族の者を返せ、と」

 使者には何のことか分からなかった。無理もない。明のことは、黄家の権力を使い最大限内密に済ませている。

 明がさらわれたことも、彩月が狂気に陥ったことも、明が子を産んだことも。屋敷の奥の事は隠そうと思えばそれなりには隠せる。

「それは捕虜の事かと尋ねると、違う、と言われました。私は訳も分からず、そうしていると頭角らしき男が、その……」

 使者が言い淀み、伺うように瑛峻を見た。瑛峻は黙って先を促した。

「若君に聞けばわかる、と」

「そうか……」

 予想していたとおりだった。使者の語る内容が理解できないといった様子の領主が更に質問しようとするのを制し、瑛峻は早々に使者にねぎらいの言葉を掛けた。

「ご苦労だった。お前の功績には必ずや報いよう。今は帰って身体を休めると良い。じきに戦になる」

「はっ……」

「このこと、分かっているとは思うが、他言無用に。この話が漏れたときには、私はお前を処分しなくてはならない」

「は、承知して、おります」

 瑛峻の念押しにはただならぬものを感じる。身を固まらせながら、使者は退室していった。

 使者が退室してから領主は瑛峻に難しい顔を向けた。

「瑛峻。匈人の考えが、お前にはわかっているかのようだな」

「はい。お話ししたと思いますが、屋敷に匈奴人の侵入者は、明の夫だったのです」

「それで赤子を返したのか」

「はい」

「何故殺しておかなかった。お前ともあろう者が」

 言ってから領主は慌てて首を振った。

「いや、こんなことになろうとは、儂とて思わぬ」

「明に説得させるつもりでした。――通用しなかったのですが」

「……………」

 領主は深く、深く溜息をついた。

「つまり、一族の者というのは……明のことというわけだな。明を返せ、と」

「はい」

「意外だな。蛮族が趙人にそれほど執着するとは」

 蛮族が趙人に、というよりは、アスドラという男が明に執着している様子だった。かといって一族を巻き込んでの戦にまで発展させるのは、愚か者としか言いようがない。

 ともあれ、由々しき事態であることに代わりはない。

 領主は再び重い溜息をつくと、立ち上がった。

「彩月が再び手放すとも思えんが……話すほかないだろうな」

 それは難しい説得だった。しかし、受け入れてもらわねばならない。

 瑛峻は暗い表情で頷くしかなかった。




 彩月は明から一通りの話を聞いた後、しばらく一人で過ごしていた。

 父から呼び出しがあっても、どこか上の空で父の部屋へ向かった。混乱していてあまり考える余裕はない。

 呼び出された部屋に座って父が何か話していたが、あまり聞いていなかった。

「――黄家のことを考えてくれ、彩月。匈奴に攻められ、いかほどの犠牲が出ることか……。明を渡そう、な?」

 彩月は黙っていた。

 逆上して取り乱すか、また責め立てられるか覚悟していた領主は、ぐっと構えた。

 しかし、彩月の反応はない。じっと考えていた。

 明を取り戻しに来ている、それは分かった。しかし。

「お父様……」

「な、なんだ」

「明以上に私を思い、私を慕ってくれる者はいないのです。―――いなかったのです」

 彩月は立ち上がって部屋を出て行った。父の制止も耳には入らず、ふらふらと歩く。が、その足取りは重い。

 黄家の危機は分かっている。しかし明とまた離され、二度と会えなくなると思うと溜まらなかった。

 ましてや、蛮族の巣窟へ明をやるなど……。いや、明の話を聞いて、蛮族が決して心まで野蛮ではないと分かった。しかしだからといって明を手放す気にはなれない。

 彩月は父親に何も言えなかった。

 一方で、部屋に残された領主は頭を抱えた。

 戦になる。

 蓄えもなく、収穫前で兵力もない。収穫に割くべき人員を、兵として動員するのには限界があった。

 この戦は負ける。負けはなくとも、大損害を受ける。

「父上」

 背後から声を掛けられる。

「瑛峻か」

 これほど落ち込んでいる父を見るのは、母が亡くなったとき以来だろうか。

「聞いていたか」

 瑛峻は向かいに座した。

「すまぬ、瑛峻……。儂はお前に豊かな土地と人民を残したかった。お前が生まれたときから、それを生き甲斐としてきた。お前は儂には本当にもったいない、良くできた息子だ。だがどうやら、儂は、お前に……」

「父上!」

 瑛峻は父の言葉を遮った。力強く机をたたき、茶瓶が揺れる。

「何を弱気になっているのです」

「だが、また再び彩月から明を引きはがすことが出来るとは思えぬ。この半年の惨状を思えば……次はどうなることか」

 そう、それほどに彩月の荒れようはすさまじかった。

 黄家の外聞を思えば、娘は病にかかったとしてどこかに療養という名の幽閉でもすればまだ醜聞は免れるだろう。しかしそれをするには、領主は優しすぎた。

 愛した正妻の遺した子供達を守るのがこの男の生き甲斐であり、唯一の使命としていた。側室も持たず、ひたすら我が子を愛してきた。そんな領主にとって、彩月の精神の崩壊はとても見ていられなかった。

「父上。まだ道はあります」

「あるだろうか。国に趙兵出兵の依頼をしたが、望みは薄い。間に合うかどうか……」

「私が手があるといったのは、趙兵依頼のことだけではありません」

 瑛峻の目に迷いはなかった。しっかりと父親を見返していた。

「瑛峻……」

「匈奴戦の兵は機動力に富み、指示系統も曖昧です。戦になれば勝ち目は薄い」

「……………」

「ですから、なんとしても和平の道を探らねば。奴らは我々が明を無理に捕らえていると考えている。私の思惑が外れましたから」

 あるいは、明が匈奴との関係を断ち切ってくれるかとも思っていた。瑛峻自身に、匈奴を侮る気持ちがあったのは事実だった。明が匈奴を恋しく思っているはずがないと高をくくっていた。だからこそ明にアスドラを説得させようと思ったのだ。しかし、明の心は既に北にあった。それで夫が納得するはずもない。

 瑛峻はアスドラという男を思い出していた。年は同じくらいのはずだ。自由に生き、感情を顕わにする男。羨ましいとは思わない。だが、どこか心がざわめく……。

『一人で重い重いといいながら、抱えているのは――』

 瑛峻は考えを断ち切った。

 そう、説得が無理なら。

「父上、私は領民一族のためなら、彩月にもやはり傷を負ってもらいたいと思います」

「いや、瑛峻……」

「兵も、人民も、皆この戦で傷を負うのです。私たちがその上にただ漫然と座すことは出来ません」

 父の返事はなかった。瑛峻は構わず続けた。

「冷静に考えてください。黄家の危機と、女一人の命、天秤に掛けるまでもない」

 言って心が痛もうと、気にしてはいられない。

 正論である。領主は黙った。

 しかし、明を捨てることは彩月も捨てること。だから躊躇っているのだ。

「とはいえ、まずは戦になるでしょう。しかし初戦で終わらせます。全兵力を投入し、決して領内には踏み入らせません」

「どういう事だ」

 言っていることが違う。

 仰ぎ見た瑛峻の顔は、今まで父親には見せたことのない、冷たいものだった。

もしこれをみてくださる方がいたら

この上なく幸せです。


どうか、この下の


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎をちょん、としていただきましたら


大変励みになります。


よろしくお願いします。

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