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第110話『咎人は月下にて裁かれ⑲』

「あくまで推測に過ぎませんが、根拠ならあります」


 私は己を奮い立たせるべく、ふんぞり返って腕を組む。

 これまで述べたのはすべて適当な憶測。下手をすれば国を滅ぼすぐらいに凶悪な悪魔が、そんな凡人みたいな感性を持っているとは思えない。


 しかし、無理にでもそう信じることにする。

 なぜか?

 そうしないと怖くて立っていられないからである。

 悠々と飛んでいるあの悪魔も内心ではヘタレな鶏肉チキン野郎なのだと全身全霊で蔑まねば、腰を抜かして醜態を晒してしまいかねないからである。


「それは今、私の目に【断罪の月】の本体である銀色の鳥が見えていることです。自慢ではありませんが、私は善良かつ清廉潔白に生きてきたと自負しています。死に値するような大罪を犯したことなど絶対にありません」


 ちょっと盛り過ぎかもしれないが、私がいい子だというのは聖女たる母も太鼓判を押してくれたことである。問題ない。


「おかしなことです。これまでに【断罪の月】が惨殺してきたのは、自警団なる犯罪組織の幹部や凶悪な海賊だけだったと聞きます。自警団の構成員すら、怯えてはいましたが見逃されていた状態です。それが段階を踏むこともなく、いきなり私のような無辜の人間を――ひいてはこの町のほぼ全員を処刑の対象とした。あまりに突然すぎると思いませんか?」


 もっと段階踏めよクソ悪魔、というのは偽らざる私の本音だった。

 少なくとも私はこんな犯罪者だらけの町の誰よりも優先順位が低いはずである。もっと徐々に対象を拡大してくれたら、その間に何かしらの逃げ口実だって考えられたかもしれない。


「何かきっかけがあったはずです。しかも、悪魔がそれまでの慎重な姿勢をかなぐり捨てるほど大きなきっかけです。当然、思い当たるのは一つしかありません」


 だから、急激に事態を変える何かがあったのだと仮定する。


 直近でこの町に起きた最大の異変。

 悪魔である【断罪の月】の立場になれば自ずと想像はつく。


「教会の悪魔祓い。つまり私たちがこの町にやってきたことです」


 白狼が私の言葉を復唱する。

 自分一人では虚しいハッタリに過ぎない演説でも、悪魔の力を借りれば沸々と自信が湧いてくる。


「悪魔祓いが来たから身の危険を感じて凶暴化したのでしょうか? 町の住民を道連れにしようと、一気に対象を拡大したのでしょうか?」


 母も、自身に染みついた『悪魔の死臭』によって【断罪の月】を凶暴化させることを懸念していた。だが、今現在の【断罪の月】が凶暴化しているように見えるかといえば、そうでもない。


「違います。道連れにする気なら、とっくにこの町に甚大な被害が及んでいるはずです。あの悪魔はそれだけの力を持った存在です」


 あの悪魔は町全体に己の武器ともいえる銀の羽根を撒き散らしていた。

 本気で住民を道連れにするつもりなら、あの羽根を適当に乱射すればよかったのだ。それだけで無数の死者が出たことだろう。


 しかし、そうしなかった。

 あの悪魔は正々堂々ともいえるほど愚直にネッドと戦闘を繰り広げていた。しぶとさだけは反則級だったが。


 そう、本当にしぶとかった。

 何度も致命傷を与えたように見えたのに、そのたび凄まじい勢いで再生して復活する。あるいは【戦神】に匹敵するしぶとさとも思えたが――母もそれなりに認める実力者のネッドが、まったく手も足も出ないというのは本当にあり得るのだろうか。


 ネッドの実力のことなど大して知らないが、母の評価は信じられる。


 そこで思い出したのが、先の任務で出会った【迷宮の蟻】だ。

 迷宮に隠された宝を見つけ出すまでは決して死なず、何度も復活するという特殊な悪魔。もしかするとこの悪魔も似たような性質なのではないか。そう考えるなら、この悪魔を倒すための条件とは――


「理由はもっと単純です。みなさんに見て欲しいからです。いいえ、見届けてもらわなければならないからです」


 私は告げる。

 戦わない言い訳のために、己を奮い立たせるために。


「数多くの人間を残虐に殺めた、この地で最大の咎人【断罪の月】が『見せしめ』とされて死を迎えるところを」



――――――――――……


 メリル・クラインの言う『条件』は理解できた。

 彼女の主張を受け容れるなら、あの悪魔は罪人を『見せしめ』にする悪魔である。逆にいえば『見せしめ』なしに人を殺害することはない。

 その制約が己自身の死にすら適用されているのではないか――ということだ。


「本当……なのか?」


 だが、ネッドには俄かに信じがたかった。

 理屈云々ではなく、感情として。

 あの悪魔は在りし日のネッドを回心に至らしめた畏怖の対象であり、それこそ『神』とすら感じた存在だ。


 そんな悪魔が『殺したくない』だの『死を見届けて欲しい』だの。まるで人間のように弱弱しく卑俗な感情を抱くなんて。


『見られている、咎められている。あの光を見ていると、そんな気分になるのはよく分かります。ですが、きっとそれは相手も同じなのです』


 メリル・クラインの演説は粛々と続く。

 自分では逆立ちしても敵わない怪物だと思っていた。惨めで矮小な自分などとは比べ物にならない隔絶した存在だと――


『さあ、そろそろ目を瞑るのはやめましょう』


 導くような言葉は少しだけ冗談めかして、


『相手も怖がっているのに、こちらばかり物陰で震えているのは滑稽というものですから』


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