第105話『咎人は月下にて裁かれ⑭』
高台の屋敷が近づくにつれ、路上に妙なものが増えてきた。
『×××××……』と無数にバツ印が描かれた立て看板。
木の枝から逆さ吊りにされたぬいぐるみ。
真っ黒に焼け焦げたガラクタの数々。
杭で串刺しにされたボロ衣類。
「……なんですかこれ?」
「おそらくは屋敷に近づく者への警告だろうね。いかにも不穏な雰囲気じゃないか」
余裕そうな態度でレギオムは笑う。
一方、私はだいぶビビッていた。素直に『立ち入り禁止』とでも書いてくれればいいのに、なぜわざわざこんなホラーじみた雰囲気を出してくるのか。
「ふ、ふぅん? ずいぶん回りくどい警告ですね?」
が、舐められるわけにはいかないので虚勢を張っておく。
掃除夫の話では、今の屋敷はもう無人なのだ。近づいたところで別に何も物騒なことはないだろう。
「娘よ、念のため足元に気を付けろ。雑だが落とし穴が掘られている」
そこで白狼が呼びかけてきた。
私が「え?」と足を止めると、白狼はすたすたと前に歩み出て、地面のある場所を鼻先で示した。よく目を凝らしてみれば、そこだけ他の場所と土の色が少し違う。
白狼が爪を尖らせ、素早くその場所を引っ掻いてみせた。
ばきん、と。
土の下に隠されていた薄い木板が割れ、ぽかりと地面に穴が空いた。
せいぜい脛までといった程度の深さで、一見すると大したことなさそうだが――
「……狼さん。なんだか臭くないですか? その穴」
「ああ。糞便に浸した錆び釘やらガラス片が敷き詰められている。もし踏んだら愉快なことにはならんだろうな」
私の頬が引き攣った。
そんなもの死んでも踏みたくない。というか、そんな汚いもので傷を付けられたら絶対ヤバい病気になる。地味ではあるが普通に怖い。
「貴様ならすぐ治せるだろうが、進んで踏みたいものでもあるまい。よく気を付けておけ」
「はい! 狼さんの通った後を行けば大丈夫ですよね!?」
「無論だ。我の鼻ならこんな罠にかかってやる方が難しい」
私はぴったりと白狼の背後につく。
レギオムはといえば、落とし穴のことはさして気にしていないようだが、少し悩むように唇を曲げていた。
「狼くん。よければ質問させてもらいたいのだが、今の落とし穴がいつ頃掘られたものか分かるかい?」
「――む」
前を行く白狼が窺うような仕草で私を振り返る。
私が「答えろ」と頷いてやると、白狼は素っ気ない態度で答えを返した。
「ごく最近、せいぜい数日前のものだろうな。掘られた土の湿り気も抜けておらず、糞便の悪臭も真新しかった……が、それがどうかしたか?」
「違和感があってね。さきほどの設置物もこの落とし穴も、町を公然と支配していた『自警団』の防衛にしてはずいぶん粗末だと思わないかい?」
「ふむ、そういうものか?」
白狼がまたも私に振り返る。
私は全然そんなこと考えていなかったが、言われてみればそうかもしれない。
「確かに……そうですよね。あんな変なものをたくさん置いて威嚇しなくたって、この町の人たちは『自警団』の恐ろしさは知ってるでしょうし。それに、屋敷に通じる道にボコボコと落とし穴なんか掘ったら自分たちまで不便になっちゃいますし」
歩いて避けるのは簡単でも、馬車などで通るのはまず不可能だろう。車輪が嵌まったり、それこそ馬が大怪我してしまうかもしれない。
高台の屋敷までの交通手段を自ら断ってしまうのは、あまり得策とは思えない。
「つまり何が言いたいかというとだね。もしかすると今あの屋敷には別の――」
パァンッ!
いきなり渇いた破裂音が響いて、私はその場に軽く跳びあがった。
「あー……やはりそうか」
渋い表情で項垂れるレギオム。
白狼は遠く正面の屋敷をじっと眺めて、くんくんと鼻を動かした。
「なるほど。かなりの人数がいるな」
「射手がいたのは屋上のあたりかな?」
「我は見ていなかったが、おそらくそうだろう。硝煙の匂いが漂ってくる」
会話に取り残されていた私は、おずおずと手を挙げる。
「え~っと、いいですか? あの屋敷って無人だったんじゃ……?」
「私もさっきまでそう思っていたのだが。どうやら『自警団』の面々が逃げた後、別の住人が居ついてしまったようだね。いや困ったな。中の資料が無事に保管されたままだとよいのだが……」
資料とかどうでもいい。
聞いてないぞ火事場泥棒みたいな連中が潜り込んでるだなんて。
――というか今のって、銃声?
屋敷から撃ってきたのなら、明らかにこちらを威嚇している。これ以上うかうかと近づいてしまえば、今度は当てる気で銃弾を浴びせられるかもしれない。レギオムと白狼は平気としても、私は間違いなく死ぬ。そうなる前にここから早く逃げねば。
「よし、メリル嬢。我々で乗り込んで速やかに鎮圧しようか」
「ぶっ!!」
私は噴き出した。
いかにしてここから撤退するか算段を立てようとしていたのに、凄まじく脳筋な提案をされてしまった。
「まっ……待っ! 鎮圧って!」
「もちろん誰も傷つけないように加減はするとも。神聖なる悪魔祓いとして、人々を害するなどあってはならないことだからね」
「だとしても手荒なことはちょっと……」
私が言い淀む中、じっと屋敷の方を見ていた白狼がふいに呟いた。
「――子供だ」
「え?」
「あの屋敷を占拠している連中だが、大多数が子供のようだ。匂いが全体的に若い」
匂いでそんなことまで分かるのかと思うが、よく考えたら加齢臭というものがあるくらいだし、年齢によって人間の匂いも違ってくるのだろう。
「どれどれ」
それを聞いたレギオムが、試すように二歩三歩と前に出る。
再び警告するように発砲音が響き渡るが、
「ああ本当だ。屋上の射手も、窓から様子を窺っている者たちも、よく見てみれば顔つきがまだあどけないな」
どれだけ人間離れした視力をしているのか。私には人影もろくに見えないほどの距離で、レギオムは屋敷の者たちの顔まで確認していた。
子供が占拠しているというのは予想外だったが――しかしこれは朗報である。
「ということですレギオムさん。相手は子供なんですから実力行使なんてもっての他。別の手段を考えましょう!」
「ううむ……確かに子供が相手ではいくら加減しても少しばかり気が引けるな……」
「ですよね! ここは一旦引き返して、改めて対策を検討しましょう! じっくりと!」
「娘よ、傷つけずに戦意喪失させればよいのだな?」
と、白狼が私の腰をぽんと叩いてきた。
任せておけとでも言わんばかりに。
「狼さん?」
大きく息を吸い込んだ白狼は、赤い目をかっと見開いて――屋敷に向かって咆哮した。
「アオオォォォォ――――――――――――――――――――ッ!!!」
耳をつんざくような大音声。
慌てて耳を塞ぐが、肌を通じてビリビリと空気の震えを感じる。
かつて見た【誘いの歌声】の音波砲には及ばないが、それでも通常の動物の鳴き声とは一線を画している。やはり犬に見えてもこいつは悪魔なのだ。
「……あれっ」
かくん、と。
白狼の長い咆哮が終わると同時、私の膝が唐突に笑った。
いいや違う。膝だけではなく身体全体に力が入らない。歯を喰いしばって耐えないと、今にも腰を抜かして地面にへたり込んでしまいそうだ。
「ほほう。狼くん、今のはただの遠吠えではないね?」
見透かしたようにレギオムがニヤリと笑う。
というのも――
「いや軽率だった。物は試しと傾聴してみたら、危うく腰が抜けるところだったよ」
レギオムも脚がプルプルと震えていた。
が、己に喝を入れるように膝を叩くと、一発で震えが止まった。
「蛇に睨まれた蛙は動けなくなるというだろう。それと同じだ。並の人間なら、我の咆哮を聞いただけでまともに動けなくなる」
「お、狼さん? 協力してくれたのはありがたいですけど、こういうことをするときは先に言ってくださいね? びっくりしますから」
もう少し私の心臓が弱かったら、泡を吹いてひっくり返っていたかもしれない。
「む、すまん。しかし貴様には効かなかっただろう?」
「はい?」
何言ってんだてめぇ。小鹿のように震える私の足を見ろ――と一瞬思ったが、よく考えてみると確かに妙だ。母に次ぐ実力者のレギオムにすら多少は効いたというのに、私がこの程度で済むものだろうか。
「狼の遠吠えは威圧であると同時に、仲間への友好の証でもある……そういうことだ」
どういうことだよ、と内心で思う。
誇らしげに言う白狼だが、言うほど私に効いてないわけではない。大幅に威力低減しているのだろうが一応効いている。
まあ、なんか器用な匙加減ができるのだろう。そう解釈しておく。
「ということは、私はまだ君にとって仲間未満ということか。残念だ」
「当然だろう」
「ううん、私としてはそろそろ仲良くなれる頃合いかと思っていたのだが」
「どこがだ」
呆れたように首を振った白狼に、レギオムが明るく告げる。
「だって君はアレだろう。実は結構な寂しがり屋だろう?」
「――は?」
すごく嫌そうな顔で白狼が振り返った。
「何を馬鹿な……」
「ずっと不思議に思っていたんだ。君は人間と同等以上に賢い。それなのに、どうして人里に近い峠なんかに住んでいたんだい? 人間に目撃されたらいずれ教会が動くことも容易に想像できたはずだ。生き残るためなら人知れない山奥などを棲家にした方がよかったろう」
「我がどこに住もうが我の自由だ。教会を恐れて逃げ回るなど性に合わん」
吐き捨てるように白狼が答える。
いつもは口喧嘩がそこそこ強いが、今日は少しキレが悪い。
「照れることはない。君は『対等な仲間』が欲しかったのだろう? 悪魔である君は通常の獣を従えることはできても、対等な関係は築けない。知能が隔絶し過ぎている。むしろ君にとっては人間の方が親近感を覚えやすい存在だった。だから、いつか誰かと分かり合えるのではないかと期待して、人里の近くから離れられず――」
「黙れ」
白狼が一気に殺気立ち、身の丈がいくらか膨張した。
「つまらん話をこれ以上続けるなら、その喉笛を噛み切ってやるぞ」
「狼さん!? ちょっと落ち着いて! ほらレギオムさんも失礼な話はやめてください!」
「申し訳ない。つい知った風な口を利いてしまった」
私が慌てて仲裁に入ると、レギオムは素直に頭を深く下げた。
「今のは私の主観が大いに混じった不適切な意見だった。謝罪して撤回する。決して君の矜持を傷つけようとしたわけではない」
「ふん……分かればいい」
「ただ――」
レギオムが苦笑しながら気まずそうに頬を掻く。
「もしそういう事情だったなら仲良くなれると思ったんだ。私も似たようなものだからね」
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