004 屠竜の紅刃バルド――勇者が「勇者」である理由
【注意】鬱展開です。後味悪いです。読むなら自己責任でお願いします。
「ふう。やっぱりこれはボツかしら」
私は一応書き終わった文章を前にひとりごちた。
「執筆お疲れ様。どうしたんだい?」
「あら、あなた。実はこれを公にしたものか迷ってて」
そう言って、私は夫に原稿を見せる。
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夢破れ消えていった冒険者は力不足の者だけではない。もう二十年ほど前になるだろうか、私が見てきた中でも上位の強さだった戦士がいた。でも……
世の中には、勇者に救われた人も多いが、そうでない人もいるのだ。
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澄みきった青空に、木剣の打ち合う音が響く。ギルドの建物には訓練場が併設されており、日々冒険者たちが稽古に励んでいた。その一角で、人だかりのなか二人の人物が向かい合っていた。模擬戦をやっているのだ。
一人は、豪奢な装飾が施された鎧の戦士。赤を基調としており、兜には二本の角。さながら猛り狂う真紅の牡牛だ。
もう一人は、桜色の鎧をまとう女剣士。シンプルな東洋ふうのデザインで、日輪の兜飾り、肩当てに描かれた桜のエンブレムが目を引く。
戦士はじりじりと間合いを詰め、攻撃の機を伺う。兜で顔は見えないが、プレッシャーからか息が荒い。丸太のような木剣が小刻みに揺れていた。
対する女剣士は泰然自若。こちらも仮面のようなフェイスガードではっきりとは分からないが、穏やかな微笑みさえ浮かべているように見える。
にらみ合うこと数秒。
「来ないのかしら? なら、こっちから行くわよ?」
彼女はまるで子供をあやすように言うと、すっ、と踏み込んだ。
そして流れるような攻撃をくり出す。まるで舞っているような優雅な動き。私は魔法使いなので剣には詳しくないけど、戦士が圧倒的劣勢なのは分かった。落ち着きがまったく違うのだ。
「うぉぉーッ」
戦士は起死回生を賭け、全身全霊の――でもおそらくは苦し紛れの――反撃をくり出す。それはしかし紙一重で空を切り、一拍の間をおいて女剣士の木刀が戦士の脇、鎧の隙間にピタリと突き立てられた。
一から十まで相手の考えを見抜いていたかのような無駄のなさ。実戦なら心臓をひと突きだろう。
周囲から、歓声とため息が同時に漏れた。
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「屠竜の紅刃」バルド。わずか二年で冒険者ランクを駆け上がり、易々と最高位のSに到達した戦士。身の丈ほどもある大剣を得物とし、その豪腕の一撃で竜の首を落としたこともあるという。間違いなく、当時の冒険者の中でトップクラスの実力者だった。
そう、トップクラスだ。トップではない。どうしても勝てない相手がいたのだ。それが模擬戦をしていた「桜花の剣士」こと勇者ジュリアさんだった。
彼は何度もジュリアさんに挑み、敗れた。大剣では相性が悪いと見たか、短剣と盾や槍を用いたこともある。しかしどんな武器を使おうが、何をやろうが、結末はいつも同じ。
あと一センチが届かない。
あと一秒が間に合わない。
それでも彼は腐らず、ひたすら己を磨き続けた。いつの日か、その一センチが届くと信じて。万年二位を脱して、最強の戦士になる日を夢見て……
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早馬が町に着いたのは、朝の受付業務も一段落した頃だった。なんと、巨大なストーアウォーム二体が町に向かっているという!
ストーアウォームとは、国によっては別種の魔物を同名で呼ぶらしいが、ここでは翼と手足のないドラゴンの亜種を指す。空を飛ばなくていいため体はドラゴンより大きく、移動速度や行動範囲は劣るが恐ろしさは大差ない。
(たしか近くの町から討伐依頼が来ていたやつよね? そして、バルドさんがそれを受けて現地に向かっていたわ。でも、町の説明じゃ数は単独、大きさも五メートルくらいだったはず……全然違うじゃない!)
報酬を渋った町が過小に報告してきたのか、危険だから近づけず正確な情報を掴めなかったのか。だがそんなことは今はどうでもいい、私は冒険者たちに非常召集をかけた。
「考えたくないけどバルドさんはやられた可能性が高いわ。ジュリアさんは!? 彼女はどこにいるの!?」
「た、たしか今日は用事があるとかで宿に……」
「すぐ呼んできてっ!!」
何の用かは知らないし申し訳ないとも思うが、今は非常事態だ。ごめんなさいジュリアさん、後で埋め合わせはするから、あなたの力を貸して!
しばらくして戻ってきた職員の報告によると……
「ジュリアさんは騎士団とともに、迎撃に向かってくれました!」
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現地にやってきた私と領主様、その他騎士団、兵士にギルド職員たち。きっとあの時、私たちは揃いも揃って放心状態で、眼前の信じがたい光景を見ていたと思う。
巨大なストーアウォームが二体。それだけではない、騒ぎに乗じて暴れていたのか巻き込まれたのか知らないが、ゴブリンの死骸も多数転がっていた。
ストーアウォームの目には生気がない。短剣ほどもある牙が並ぶ口が力なくだらーんと開かれ、下に血だまりが出来ている。明らかに死んでいた。
その死骸の前に、何人かの人物がいた。騎士団の先鋒隊、力なく座り込んでいるバルドさん。
そして――いつも穏やかで、少しのほほんとしたところもある彼女にしては珍しく――不機嫌そうなジュリアさん。急な出撃だったからだろう、鎧は着ていない。
多数の死骸の前で、むせ返るような血臭の中で、返り血一滴浴びずに普段着で佇んでいる姿が冗談のようだった。
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「本隊が来たわよ。もう帰っていいかしら~?」
ジュリアさんの声音には、わずかに苛立ちの色があった。彼女のこんな声を聞いた記憶はない。
「お待ちください、生き残りがいるやもしれません。それに、領主様にはやはり討伐した本人から報告を」
「貴方たちがやったことにすればいいじゃない」
「お言葉ですが……これほどの魔獣を倒せるのは貴女しかいません。たとえ本人から言われたとしても、他人の手柄を横取りするような真似は信義に反します。どうかご理解を」
「はぁ。騎士様も大変ねぇ」
そして形式的な討伐報告がなされる。バルドさんの話によると、町から報告があった五メートルほどのものは問題なかったそうだ。だが討伐直後、彼の前に巨大なストーアウォーム二匹が現れたのだという。
おそらくは子離れ直前の番だろう。討伐依頼は、幼竜を親から離れて間もない単独の個体と勘違いしたのだ。そして、怒り狂った魔獣は我が子の仇に襲いかかった。いかなバルドさんとはいえ、単独では勝ち目はなかった。
仮にバルドさんがその場で倒されても、収まりきらぬ二匹は無差別に暴れて甚大な被害が出ただろう。そこで彼は町を避け、なるべく損害が出ないよう誘導してここまで来たのだ。多数の戦力が駐留するリンゲックの町で迎撃するために。
的確な行動だ。最小限の被害で済んだのは彼の判断によるところが大きい。結局、大物はジュリアさんが一人で倒したのだが。
二体の死骸は町に持ち帰られることとなった。翼と手足がないだけで、ストーアウォームは立派なドラゴンだ。余すところなく高級素材および食材となる。
「ゴブリンは誰が討伐したかハッキリしないので一律の報償金とせざるを得ませんが、大物のほうは全てジュリア様の取り分となります。それとは別に、急な出撃依頼に応えてくれたことに謝礼を用意せねば。何かお望みのものはございますか?」
「素材はいりません。町を直撃はしてないにせよ被害は出たっぽいですからね、補償に充ててください。それに、この蛇モドキのせいで予定が狂っちゃいました。ケチがついたから見たくもないです……でも、ご褒美は希望の品を頂けるんですね?」
全部寄贈とは豪気な話だ。確かに戦士は縁起を担ぐものだし、冒険者たるもの義侠心や気っ風のよさが売り、派手に稼いで惜しまず使うのが流儀みたいなところはあるけれど……
でも、こんなお宝を受け取る権利を捨てる人が欲しがる物とはなんだろう? さしもの領主様も緊張の面持ち。
「ま、まあ私にできる範囲であれば」
「そうですか。それなら」
「それなら?」
「ケーキをください」
「は? ケーキ? ……ケーキって、あの、食べるケーキですか?」
「ええ」
「な、なんのご冗談で」
「大真面目です。私が育児をしているのはご存知ですか?」
「聞いたことはございますが」
「今日はその子の誕生日なんです。毎年私がバースデーケーキを焼いてあげてたんですけど、今年はこんなことになっちゃいました。今から帰っても間に合いません。だから代わりのケーキを下さい。できればあの子の好きなチョコレートケーキを」
領主様はポカーンと口を開けて硬直していたが、笑う者などいなかった。みんな同じだったから。
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バルドさんは冒険者を廃業した。心が折れたのだ。
去る者追わずの世界だ、止めはしない。ただ、彼と最後に話したときのことは今でも忘れられない。
「あと少し、ほんの少しの差だと思っていました。でも違った。俺はただの愚か者、身のほど知らずの勘違い野郎だったんです」
魂が抜けたような顔で話してくれた戦いの経緯。にわかには信じがたいけど、嘘をつく必要もない。本当のことなのだろう。
予想だにしなかった二体の巨獣に、遁走を余儀なくされたバルドさん。命からがら戻った彼が見たものは、ディアンドル姿で帯刀したジュリアさんだった。
人もゴブリンも一緒になって逃げ惑う中、たった独り向かってくる小さな生き物。猛り狂う魔獣はその人間に狙いを定めブレスを吐く。
灼熱の業火は、しかし巨大な半透明の壁に阻まれた。盾の魔法だ、珍しくはない……その大きさと防御力以外は。
「うっざ。髪が焦げたらどうしてくれんのよ」
勇者はズレたことを言いつつ、無造作に刀を鞘走らせる。
「本来、私はこういう、力を誇示するような戦い方は好まないわ。でもね、私今日は大事な用があってちょっと急ぐのよ。だからさぁ……」
彼女の構えた刃が、まばゆい金色の光を放つのをバルドさんは見た。
「とっとと死んでくんない?」
一瞬、刀身から光の刃が飛んだように見えた。それが二匹の体を通過したかと思うと、大地を揺らすような断末魔の咆哮をあげ、ストーアウォームは崩れ落ちたという。刀それ自体は触れてもいないのに。
バルドさんもゴブリンも、理解が追いつかず呆然と立ちつくす。
「何つっ立ってんの。あんたらもよ」
再び光の剣が横凪ぎに一閃した。今度はゴブリンがまとめて倒れた。
「ったく、だらしないわねぇ。こんな……」
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「俺にとっては、死を覚悟する相手でした。でもジュリアさんにとっては、子供のバースデーケーキのほうがずっと大事だった。その程度の、片手間の相手でしかなかったんです」
『ったく、だらしないわねぇ。こんなザコのために人の手を煩わせないで欲しいわ』
「独り言ですけど、あの人はっきり言ったんですよ。ザコって。俺が手も足も出ず逃げた相手を、ザコって!」
声を震わせるバルドさん。その目には涙が浮かんでいた。
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勇者はあくまでも「勇」ましき「者」であって聖人ではない。嫌なことがあれば腹も立てるし、悪態のひとつもつきたくなるだろう。
時には不用意な言動で、悪気なく人を傷つけてしまうことだってある。
予定を狂わされ苛立った彼女が八つ当たり気味に繰り出した一撃が、自分には太刀打ちできない敵をあっさり倒した。しかもその仕種は虫を払いのけるかのようで、明らかに全力ではなかった。
いつしかバルドさんの目標は、富でも名声でもなくジュリアさんに勝つことになっていた。そして限界まで努力を重ねてなお、ここまでの差があったのだ。彼がどれほど絶望したのか、考えただけでゾッとする。
折れたのが剣ならすぐ直せる。
でも心はそうはいかないのだ。
それから彼の消息は知れなかったが、魔王軍との戦いのとき、真紅の鎧の戦士が小さな村を守って勇敢な死を遂げたと、風の噂に聞いた。ジュリアさんに挑むため、魔王に魂を売ったりはしなかったのだ。せめて、もう一度会いたかった……。
でも、もしかしたら。
彼が魔王につかなかったのは、あの日味わった挫折感が、魔王どうこうで差を埋められるとは思えない、それほどに決定的なものだっただけなのかもしれない。
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「発表しないほうが無難かな。この話に限っては、勇者様がヘイト役になってる」
そうよね~。それに前書きで、英雄の実像は詳しく書かないと言っちゃったし。全くとは言ってないけど。
「仕方ない、ちょっと勿体ないけど、これはボツ」
私は原稿を丸め、暖炉に放り込んだ。さ、一休みしてお茶にしましょう。
バルド
紅刃とは、剣が敵の血に染まっている様子のほか、刃→剣士の比喩ということで、赤い鎧の戦士という意味もある。
ジュリア
この小説は「英雄になれず消えていった冒険者」の話なので、対比として英雄サイドのキャラも出てくる。設定だと主人公より二十歳くらい年下なので、この時点では二十代後半。人間的にはまだまだ未熟な小娘だ。
領主様
この時点ではまだ先代のはずだが、ぶっちゃけどっちでも本筋に関係ないので一律こう記述する。息子のほうは勇者より少し年下なので、主人公が五十五歳くらいの頃に代替わりしてるはず。
主人公の旦那
口調から察するに穏やかな性格っぽい。そりゃ最強クラスの魔法使いが嫁なら浮気やDVなんて怖くてできんよなあ。
正直今回のエピソードは投稿するか迷いましたが、筆者(主人公ではなく私)が書いてしまったものは仕方がない。気が変わったら削除するかも。