011 貴族を敵に回した剣士、シャルル
私たちが暮らすノルーア大陸には複数の国があるが、その多くは王国……つまり国王を筆頭に、王家、貴族といった支配階級と平民という社会構造のもと、地理的、人種的、歴史的に一定のまとまりを持った人々で形成された国家という体制を取っている。ここエスパルダ王国も例外ではない。
そして王侯貴族というものは、家の存続と繁栄のためにあらゆる手を尽くす。
そのひとつが政略結婚であることは言うまでもないだろう。政治的利害の命ずるままに、顔も見たことのない相手と結婚したり、離縁したりは日常茶飯事だ。
ああ、私は貴族の家に生まれなくてよかった。やっぱり結婚するなら、すてきな恋をしてその人と結ばれたい――私と夫がそうであるように――ものね。
こほん。失礼、年甲斐もなくのろけちゃったわ。まあ六十五歳の今は、なんやかんやあって男爵の位を贈られちゃったんだけど、にわか貴族だから何も変わらないし。
話を戻そう。
うちみたいな形だけのなんちゃって貴族と違って、政略結婚が当たり前のリアル貴族の皆さん。でも、自由な恋愛を許されぬ身分に生まれながら、恋に生きる人がいたとしても――
私は、その人にいささかの同情を禁じえない。
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剣士シャルル。なおこの名前は当時の国王陛下と同じだが、ありふれた名前なだけで関係はない。
Sランクにこそ届かなかったものの、Aまで登り詰めた実力者だ。しかし三十代も半ばに達し、そろそろ体力的にきついと引退する。
貴族や豪商など、町の有力者には彼を召し抱えようとする者もいたけど、本人が故郷での暮らしを望んだため断念。ギルドの酒場で送別会が開かれ、翌日、彼は町を去っていった。
ところが……
しばらく後。応接室を兼ねた私の執務室に、予想だにしない依頼人がやってきた。
当人の名誉のため名は伏せる。便宜上「男爵」と書くことにしましょう。さすがにこれで特定はされないわよね。
で、彼はシャルルさんを探しているという。
「ご用件は指名依頼でしたか。申し訳ありません、彼は過日登録を抹消いたしまして、もう当ギルドには……」
「いや、そうではござらん。だが一足遅かったか」
「と、仰いますと?」
「恥を忍んで申しあげましょう。実は……」
明かされた驚愕の事実。
なんと、シャルルさんは男爵の女敵、つまり男爵夫人と不倫関係にあり、しかも夫人が失踪……間男である彼と駆け落ちしたというのである!
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ことの発端は一年ほど前。里帰りのため街道を走っていた夫人の馬車が、モンスターに襲われたのだ。
男爵は貴族の中では最下位。その経済力は富農や大商人より劣ることが珍しくない。
彼も例外ではなく、優れた戦士を雇う余裕もないため、馬車の護衛は弱兵だったらしい。能力どころか士気も低く、われ先に逃走したという。情けないわねえ。
そこを助けたのが、偶然通りかかったシャルルさんだったというわけ。吊り橋効果もなくはなかったのだろうが、夫人にとって彼はまさしく白馬の王子様だったことだろう。
彼女の胸に、長らく忘れていた感情が甦るのに時間はかからなかった。物語の中のロマンスに憧れ、しかしやがて現実を知って色褪せていった、少女の頃の淡いときめきが。
というのも夫人は完全にお飾りの後妻で、亡き前妻との間にお世嗣ぎをもうけていた男爵からは、その……一度も「妻らしい扱いを受ける」ことがなかったらしいのよ。男爵はもともと仕事人間で淡白だったことに加え、年齢的に……ぶっちゃけて言うと男性機能もだいぶ草臥れてて、ね。
彼女も初婚ではなかったが、それでもまだ二十代後半の女盛り。そうでなくても夫から「女としての扱い」を受けないことは、心身ともに辛いことだったに違いない。
夫人はなにかと理由をつけて彼が拠点としている町、つまりここ迷宮都市リンゲックを訪れては、これまた適当な理由をでっち上げて、シャルルさんに指名依頼をするようになった。そのくらいのお金は彼女が自由にできる。
依頼内容は護衛であったり、私兵への訓練であったりと様々だったが、要は逢い引きのお誘いだった。
彼とて木石ではない。見目麗しき男爵夫人に迫られ、とうとう「あやまち」を犯してしまったのである。
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「お断りです。他を当たってください」
いくら仮面夫婦のお飾り妻であろうと、不倫、今時の若い人ふうに言うならNTRっての? よく知らないけど。とにかく現状を放置しては、男爵は貴族の、いや男の面子が立たない。よって夫人とシャルルさんを斬らねばならないわけだ、が……
相手は相当な手練れ。大きな声では言えないけど、夫人をほっぽり出して逃げるような家臣を含めて、並の戦士では返り討ちの可能性が高い。
もちろん大勢でかかれば討ち取れるだろうが、ただでさえ討伐の理由が不名誉なのに、一人をよってたかってというのもねえ。
というわけで、彼はギルドで別格最強の冒険者、「桜花の剣士」ことジュリアさんに指名依頼をしたのだが、けんもほろろに断られてしまった。
「怖じ気づいたとでも申されるか。貴女は勇者と聞き及んでいたが」
「そういう問題じゃありません。はっきり言わせていただきますけどね、私は心情的には奥様とシャルルさんの肩を持ちたいくらいなんですよ! だいたい……」
いつになく早口なジュリアさん。その剣幕に圧倒され、後ろめたさがある男爵は口ごもるだけだった。
無礼討ち? できるわけがない。ジュリアさんは自分の意見を述べているだけだし、そもそも男爵の権限は気軽にそんなことをできるほど強くはない。
それに、彼女は書類の上では平民だが、国王陛下の命を救ったこともある英雄だ。本人が辞退しただけで、爵位授与の動きもあった。いわば身分制度を超越した存在で、実質的には男爵よりずっと格上なのである。
強要も無理。高位の冒険者は、有事の際には王家や領主の指揮下に入る義務を有しているが、今回の件はそれに該当しない。要は痴話喧嘩だもの。
で、ジュリアさんの言葉を要約すると、「もし男爵が夫人をきちんと妻として扱っていたなら、夫を裏切った嫁と女敵の成敗に協力するのはやぶさかでない、でも男爵は妻になろうと努力する夫人に歩み寄りを見せず、彼女のことをまったく嫁扱いしなかった、なら夫として扱われなくても文句は言えない」みたいな感じかしら。
もっと要約すると「自業自得だ、私が知るか」ね。
結局彼女は「女は男の道具じゃない、女をなんだと思ってる、勝手なことをぬかすな」とキレ散らかしたあと、酒場でやけ食いすると言って去ってしまった。
こうなると誰に頼むかという話になってくる。
「ギルドには、彼女の他にシャルルに勝てる戦士はおらぬのですか」
「いえ、います」
私はある冒険者を呼び出した。
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「シャルルさんですか……。勝てなくはないと思いますが……」
抱えた兜の面頬を弄びながら、その戦士はつぶやいた。鍛え抜かれた堂々たる体躯が、膨張色である真紅の鎧に包まれてさらに大きく見える。
「屠竜の紅刃」バルド。
真っ赤な鎧がトレードマークの戦士で、シャルルさんを上回るSランクの冒険者である。その豪腕からくり出される大剣の一撃で、竜の首を落としたことさえある豪傑だ。
ジュリアさんにだけはどうしても勝てず、万年二位と呼ばれてはいるが……逆に言うなら二番目に強いということ。シャルルさんにも、九割がた勝てるはず。
ただ、彼もあまり乗り気ではないようだ。
本来ならジュリアさんが降りた依頼となれば、是が非でも受けて成功させたいところだろう。でも事情を聞けば、彼女が怖くて降りた訳でないのは察しがつく。
それどころか、彼女から軽蔑の目を向けられる可能性がある。「女を軽く見る人に手を貸すなんて!」というわけね。
私の見たところ、バルドさんがジュリアさんに固執する理由は、最強の座につきたいだけじゃない。彼はジュリアさんから、戦士としてだけでなく男として認めてもらいたい、そう思ってる……。
「もし俺が断ったら?」
「そうね……次に声がかかるとしたらAランクの彼か、それともあのパーティから……」
「あいつらですか。もしそうなったら……」
バルドさんはしばし黙考していたが、やがて顔を上げた。
「分かりました。その依頼、お受けします」
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討伐隊はバルドさんを中核戦力として、男爵本人、そして見届け人として領主様のご子息とその従者二名を加えた五人で編成された。あまり外聞のよい話ではないので、最低限の人数に絞られたのだ。
ま、心配はないでしょ。領主様のご子息はAランクに相当する魔法使いだし、従者の方も選りすぐりの精鋭。武者修行で旅した経験もあり野営も手慣れたものだからそっちも安心だし、男爵もある程度の訓練は受けている。これにバルドさんが加われば、その辺の盗賊や魔物に苦戦はしないわ。
そして……
しばらく後、ふたつの首桶を携えた五人がリンゲックに帰還した。
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「おかげさま本懐を遂げられました。バルド殿にはなんとお礼を申しあげてよいやら」
「いえ、俺は大したことはしていませんよ、あはは」
「令息殿も、ご助力かたじけなく」
「なんの、なんの。このような時に協力するは、貴族の責務にございますれば。いひひ」
「それに、みごとな魔法の腕前。この男爵、感服いたしました」
「いや~、私などまだまだ。なにしろ魔力の調節を間違えて、相手を黒焦げにしてしまいましたからなあ~。うふふ」
「せんなきこと。相手も遣い手でありましたから。しかしなんだ、こう真っ黒焦げでは誰の首級か分かりませんなあ。えへへ」
「しかし私は見届けましたぞ、間違いなく貴公は本懐を遂げられた。まあ確かに、これでは首級の年齢や性別も分かりませんなあ。いや、魔法とは難しいもので。ああ難しい難しい。おほほ」
白々しいわねえ……。大の男が雁首揃えてこの茶番劇。
それにしても、どいつもこいつも棒読みすぎる。どさ回りの大根役者だってもう少し上手いわよ?
でもまあ、依頼は達成できたと言っていいでしょう。「シャルルさん」と「男爵夫人」は、確かに死んだのだ。今はなんと名乗っているかは知らないけどね。
ニセ首にされた二人はお気の毒……でもないか。どうせ野盗山賊の類でしょうし。
もう察しはついてると思うけど、彼らはシャルルさんと夫人に会い、「駆け落ちは見逃すから、女敵は討ったと口裏を合わせてくれ。死んだことにして、別人になって暮らせばいい」と話をつけたのである。口止め料も渡したことだろう。
で、代わりに首桶に入れるためテキトーに盗賊を斬って、その首を火炎魔法で丸焼きにして、「これはシャルルと夫人の首級である、男爵は面目を保った」と言い張っているのである。重ねていうが、白々しいまでの茶番劇だ。
でも、王国屈指の名門である領主様のご子息が「これは本物の首だ。私がそう言っている。文句ないよね?」と言えば、それが事実になってしまうのよ。
真相がどうかなど関係ない。
偉い人に都合がよければそれが正しい。
権力とはそういうものである。それはほとんどの場合、腐敗や癒着の温床になり問題を起こすのだけど、たまには役に立つこともあるようだ。
ちなみにバルドさんがこの依頼を受けたのは、次に頼まれそうな面々がいずれも問題児で、口止め料をふっかける可能性があったから。強請とまでは言わないけど、ぼったくりね。
ギルドの心象を悪くしないための配慮かしら。彼はもうSランクだからランクアップ査定に色をつけるとかはないけど、何かしらご褒美をあげましょう。
夫人を妻として扱わず、放ったらかしにし続けてきた男爵。彼にとって、自分を捨てて間男と駆け落ちした妻を死んだことにして別人として生かし、新しい人生を送ることを黙認してやることが、最初で最後の「夫らしい振舞い」だったのかもしれない。
かくて女敵騒動は決着を見た。貴族のお嬢様である夫人が庶民の暮らしに耐えられるかは分からないけど、それはもう他人の関知するところではない。願わくば私と夫のように、末永く添い遂げて欲しいものである。
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「お義母さん、なんか疲れてるっぽいけど、お茶でも飲んで一休みする?」
「そうねえ、いただこうかしら」
娘(息子の嫁)の淹れてくれた紅茶を飲み、私はふうと息を吐いた。
いえね、あの下手っぴな猿芝居を思い出しただけで、なんかドッと疲れたわ。
精神的にね。
シャルル
前々回、前回と、少し鬱展開のギアが上がりすぎた気がしたので、今回は救いのある話にしてみました。馬車を助けてヒロインとフラグ、ファンタジーの美しきお約束。二人とも少し歳くってるけどね。当時の国王と同名ってのは、新しい名前を出しすぎると主要キャラに使う名前がネタ切れするのと、ありふれた名前なら同名の人物もいたほうがリアルだから。
男爵夫人
早い話が、旦那の扱いが不満で男を作って逃げた人。確かに放っておいた男爵にも責任はあるけど、こっちも大概かもしれない。世嗣ぎがいなければ、案外似た者夫婦で上手くいったかも。
男爵
行ったきりなら幸せになるがいい、ってやつですな。寝たふりしてる間に嫁が出ていったのか、バーボンのボトルを抱いて夜更けの窓に立ったり、夜というのに派手なレコードかけて朝までワンマンショーでふざけてたかは不明。アア~。
バルド
4話のキャラが再登場。その時も書いたけど善良よねこの人。各エピソードの冒険者の中でも一人だけ悪いことしてないし。それはさておき、主人公の推測によるとジュリアに特別な感情を抱いていたようだ。戦士としては一流だが、女を見る目は三流らしい。悪いこと言わんからそいつはやめとけ、美人でおっぱいでかいけど腐れ外道だよ?
領主様の息子
物語の舞台となる町、迷宮都市リンゲックは魔法研究の本場でもあるため、彼は騎士でなく魔法使いの修行をしたらしい。男爵に協力したのは貴族の相互扶助もあるけど、いざって時のために恩を売っておく打算も少しはあった。
主人公
その功績によって爵位を賜ったことが判明。8話でダニエルが「貴女は平民」と言ってたのは、あのエピソードの時点ではまだ叙任される前だったってことね。仮面夫婦の男爵とは対照的に、夫婦仲は円満そのもの。
ジュリア
主人公より二十歳ほど年下なので、この時点では二十代半ば~後半。キレたあげくやけ食いするなど、4話の後書きでも書いたけど人間的にはまだ未熟。ところでこの人、のちに息子に「敵より多くの味方を作る努力をなさい」と教えてるのだが、その心境に達するまでに相当やらかしたんじゃないかなあ。こんなやつを大切に思ってる主人公は聖女かよ。でも依頼を断ったのはこの時点では主人公との関係がそこまで深くなかったからで、引退する頃なら嫌々ながら受けてたと思う。




