001 まえがき
私の名前はエレナ・フォン・ハミルトン。六十五歳。
若い頃は王都ロブルーファで宮廷魔法使いとして働いていたけれど、結婚を機に夫の故郷、周辺に地下迷宮があることから俗に「迷宮都市」と呼ばれるリンゲックに移住して四十年になる。
子育てが一段落したのち、私は当時の領主だった先代の辺境伯様(当時の爵位。今は侯爵に上がっている。誤解のないよう書いておくけど、私より年下でまだ元気。なお爵位をいちいち説明するのが面倒なので、今後本書では『領主様』で統一する)から要請され、冒険者ギルドのマスターに就任した。
冒険者というのは、本来は未開の地に赴く探検家とかなのだろうけど、ここではモンスターを討伐して報酬を得たり、ダンジョンで採掘をして様々な資源や宝物を入手する、フリーランスの傭兵やハンターのような存在をいう。活動内容が多岐に渡るため、近頃は呼称の細分化が進んで討伐者、探索者、採集者などと呼ぶ傾向が強まっているので、冒険者という名前はやがて消えてゆくか、もとの意味に戻るのかもしれない。
リンゲックはダンジョンから貴重な魔道具が見つかることがあるため、エスパルダ王国のみならず、ノルーア大陸における魔法研究の本場だ。それらを発掘する冒険者と、研究に携わる魔法使いの仲介役が欲しいということで、私に声がかかったのだとか。
一攫千金と名声を求め、自分からモンスターの巣窟に入ってゆく冒険者は、一般人からは「理解に苦しむ」という思いと、ある種の憧れが入りまじった複雑な目で見られる職業だ。そんな彼らの中からは、時として英雄と呼ばれる者が現れる。
三十年に渡ってギルドマスター、略してギルマスを務めた私は、そんな人たちを何人も見てきた。桜花の剣士こと勇者ジュリアさん、その息子にして一番弟子である桜樹の剣士ヒデトくんを初めとして、歴史に名を残す英雄たちを、リアルタイムで。
私は彼らのことも、公私の両面でよく知っている。誇張や脚色によって美化された姿ではない、等身大の一人の人間としての素顔を……特にジュリアさんには、子を持つ母親の先輩として、育児の悩みをよく相談されたものだ。
けれど、これを詳しく語るつもりはない。彼らの記録を残すのは歴史家の、物語を伝えるのは文学者や吟遊詩人の仕事だ。それに、やはり多くの人にとって、彼らはヒーローであって欲しいだろうから。
舞台を見たい人に、楽屋の話をする必要はないのだ。
さて、私はつい先日ギルマスを引退し、隠居の身になった。
いくつもの辛い別れを乗りこえて、ようやく訪れた悠々自適の老後だ。悲しみを癒すためにも、旦那とイチャイチャしたいし孫とお茶もしたい! けど、それはそれとしてギルマス時代に経験したこと、感じたことを後世に伝えねばと思い、今こうやって拙い筆を走らせている。
これから私が語るのは、功成り名を遂げることなく消えていった、英雄になれなかった冒険者たちのこと。ある者は才能の限界を悟って挫折し、またある者は己の愚かさから破滅していった……。
彼らの犠牲や問題行動は、ギルマスだった私にも責任がある。だから、文章として書き残すことで同じ過ちを繰り返さぬ戒めになり、満足して冒険者を引退できる者や、違う生き方で幸せになれる者が一人でも増えれば、ほんの少しだけ罪滅ぼしになるだろう。
最後に、これを書く上で、消えていった彼らのことを話してくれた皆さんに感謝を、そして夢半ばで散っていった冒険者たちに、心より哀悼の意を表したい。
――エレナ・フォン・ハミルトンの手記より
エレナ・フォン・ハミルトン
本作の主人公であり語り手。艶やかな銀髪の小柄な美人。年齢的にスタミナに難はあるが、短時間に限れば現在でも最強クラスの魔法使い。穏和な性格で人望も厚い。
ジュリア
桜のエンブレムから「桜花の剣士」と呼ばれる伝説の冒険者。金髪の美女で、荒くれ者が多い冒険者らしからぬ教養人。
ヒデト
ジュリアの息子(血縁はない)にして一番弟子。母にあやかって「桜樹の剣士」と呼ばれる。黒髪黒目の美丈夫。