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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

お母様の青い薔薇

作者: どんC

 

 ーーーー お母様 お母様 愛ってなあに? ーーーー


 まだお母様が生きていた頃。

 幼い私は、お母様に尋ねた。

 赤い薔薇が咲き乱れる花園の中で。

 今思えば、それはなんて無邪気で残酷な言葉だったのだろう。

 その言葉はお母様の心を切り裂く。

 お母様の美しい顔が少し歪み。

 諦観したその顔は、それでも美しかった。

 お母様は優しく微笑んで、私の頭を撫でる。


 昔住んでいた湖の側の館。

 そこは母の好きな薔薇の花が咲き乱れている。

 母が結婚の贈り物に祖母から頂いた館だ。

 私が産まれて直ぐに祖母は病気で亡くなったと言う。

  そこで私と母と5人ほどの使用人が暮らしていた。

 お母様は父の事を話してくださる。

 私はお父様にお会いした事は無い。

 私の住んでいるゼーケン公国とプラテン帝国との間で戦争が起こり。

 騎士であったお父様はお母様と慌ただしく結婚し、次の日に戦地に旅立った。

 時折戦地からお父様の手紙が届く。

 お母様はお父様の手紙を大事に大事に文箱にしまっていた。


 そして……


 5年後、父は戦死した。

 私はお父様に一度もお会いしたことがないまま。

 私が住むゼーケン公国はプラテン帝国に勝利した。

 国境付近にある鉱山をめぐっての戦争だったという。

 バスリーナ鉱山は金山で後にゼーケン公国を潤す事になった。


 戦争が終わり、母の様な戦争未亡人はその時代珍しくなく。

 それでも母は恵まれていた。

 母方の祖母から【薔薇館】と呼ばれる館と国から戦争遺族年金を貰っていたのだから。

 下級貴族の中や平民では何の保護も無い者が多かった。

 戦争遺族年金も将官から貰えるもので、ただの兵士の家族には無いのだ。

 父が亡くなるまで母はナドラ男爵家(お父様の実家)に住まわせて貰っていた。

 私は父のナドラ男爵家(お父様の実家)で産まれたのだ。

 私が産まれると、ナドラ男爵家の祖母も祖父も初孫だったのでとても喜んでくれたそうで。

 私を可愛がってくれたのをぼんやりと覚えている。

 父はナドラ男爵家の次男で、父の兄のアルフレッド・ナドラと共に戦死してしまい。

 ナドラ男爵家を継いだのは三男のケフト叔父さんだった。

 叔父は父と10歳ほど年が離れていた。

 戦争が終わる頃、祖父も祖母も病で亡くなり。

 ナドラ男爵家を継いだケフト叔父様は男爵家に居ても良いとおっしゃってくれたのだが。

 母はそれを断った。

 ケフト叔父様が妻子を持つのに邪魔になると考えたのと。

 それに母には、祖母の館と戦争遺族年金が国から支給されたからだ。

 よく知らないが、父は国の英雄なのだそうだ。

 私が母に連れられてナドラ男爵家を出たのは5歳の頃だったので。

 ナドラ男爵家についてはあまり覚えていない。

 父は一代限りの騎士爵だったから、母と私は平民になった。


 母は薔薇の花を殊の外愛していた。

 元々【薔薇館】と呼ばれるこの館には、薔薇の花は一本も植えられていなかった。

 ただ門のアーチにバラの家紋が施されているだけだったのだ。

 母は、祖母に譲ってもらった館を薔薇の花で埋め尽くす。


「お母様はどの色の薔薇の花が好きなの?」


 お母様は赤い薔薇の花をハサミで切ると、私の髪に挿してくれた。


「赤い薔薇が一番好きよ」


「赤い薔薇が一番好きなのね。あのねあのね。私は白い薔薇が好き」


「薔薇の花言葉は色によって違うのよ」


「そうなの? お母様は花言葉を知っているの?」


 母は頷くと私に薔薇の花言葉を教えてくれた。


 私の好きな白い薔薇は【純潔】【私は貴方に相応しい】【深い尊敬】【恋を知るには若すぎる】【少女時代】


 お母様の好きな赤い薔薇は【貴方を愛しています】【情熱】【美】【愛情】【熱烈な恋】


 ピンクの薔薇は【淑やか】【上品】【感銘】


 黄色い薔薇は【友愛】【平和】【献身】【愛の告白】【不貞】【愛が揺らぐ】【嫉妬】


 オレンジの薔薇は【信頼】【すこやか】【無邪気】【愛嬌】【魅惑】【恋愛の達人】【誰かが何処かで】


 紫のバラは【気品】【誇り】【高貴】【尊敬】【上品】【王座】


「ふふ……薔薇の棘にも花言葉があるのよ」


「まあ‼ 棘にもあるの‼」


 薔薇の棘は【不幸中の幸い】


「それにね。本数にも意味があるのよ」


 私はワクワクしながら母の言葉を待つ。


 1本は【一目ぼれ】【貴方しかいない】


 2本は【この世界では2人だけ】


 3本は【告白】【愛しています】


 4本は【死ぬまで気持ちが変わりません】


 5本は【貴方の出会えたことを心から喜びます】


 6本は【貴方に夢中】


 7本は【密やかな愛】


 8本は【貴方の思いやりに感謝します】


 9本は【いつもあなたを思っています】


 10本は【貴方はすべてが完璧】


 11本は【最愛】


 12本は【私と付き合ってください】


 13本は【永遠の友情】


 15本【ごめんなさい】


 21本は【あなただけに尽くします】


 24本は【一日中思っています】


 50本は【恒久】


 99本は【永久の愛】【ずっと一緒に居ましょう】


 100本は【100%の愛】


 101本は【これ以上ないほど愛しています】


 108本は【結婚してください】


 365本は【貴方が毎日恋しい】


 999本は【何度生まれ変わっても、あなたを愛しています】


「お母様‼ 無理よ‼ この王都の薔薇を全部集めても999本も薔薇を集める事なんて出来ないわ‼」


 私は思わず叫んでしまった。

 淑女らしからぬ反応だわ。

 お母様はクスクス笑うと。


「そうね。王都の薔薇を全部集めても足りないでしょうね」


 この時代薔薇はとても高価な物で有名な女優でも箱の中に薔薇が1本入っているぐらいだ。

 冬場は特に寒いこの国では、薔薇の花は途轍もなくお高くなるのだ。

 子供だった私でも知っている。

  市場で売られている薔薇の花はわずかで、ほとんど出回らない。

 だが、薔薇は貴族の庭に咲き誇っている。

 わが国では【高嶺の花】とは薔薇の事を言うのだ。


「私は1本薔薇の花を貰うだけでいいわ」


「まあ欲のない子ね。女の子なら両手いっぱいの薔薇の花を欲しがるものよ」


「私は身の程を知っているもの。お母さんみたいに美人じゃないから。私にプロポーズしてくれるだけでありがたいと思わなくっちゃ」


 そう……お母様は美人なのだ。

 お母様はお父様が戦死して未亡人になっても、何人もの人からプロポーズされた。

 お母様のお兄様も再婚を勧められたが、お母様は首を縦に振らなかった。

 お母様の海の様な青い瞳を見て言葉が零れる。


「青い……青い薔薇は?」


「えっ?」


「お母様、お母様の瞳とおなじ。青い薔薇の花言葉は?」


「青い薔薇は存在しないのよ」


「青い薔薇はこの世に無いの?」


「私が子供の頃、お婆様の白い薔薇を全部切って。白い薔薇に青い水を吸わせて、青い薔薇だと悪戯した事があったわね。実家に咲いてる白い薔薇を切ってしまったからたいそう怒られたわ」


「お母様でも子供の頃、悪戯した事があったのね」


「ふふ……よくお婆様に怒られていたわね。青い薔薇は存在しないけど。花言葉はあるのよ」


 青い薔薇の花言葉はね。


【夢かなう】【不可能】【奇跡】【神の祝福】【偽り】


 クスクスと私は笑う。


「存在しないのに花言葉があるなんて変なの。お母様‼ お母様‼ お父様は青い色が好きだったんでしょう」


「ええ。そうよ」


「それなら二人で青い薔薇を作りましょう。白い薔薇を青い水に浸した偽物じゃなくて‼ 本物の青い薔薇を‼」


「……そうね……二人で青い薔薇を作りましょう」


「秘密よ‼ お母様と私だけの秘密♡」


 私と母は薔薇の花の下、二人だけの秘密の約束をした。

  いつの日かお母様の瞳と同じ色の薔薇の花を作り出そうと決意する。




 ~~~*~~~~*~~




 ある日私は母と街に出かけた。

 今日は父の命日だ。

 私は10歳になっていた。

 戦死者の共同墓地に向かう前に、町の花屋で花を買う。

 荷馬車で親子が花を売っている。

 ライトブラウンの髪を無造作に縛った花売りは、疲れた顔をしていたが美人だった。

 彼女も戦争未亡人なのだろうか?

 戦争未亡人の印の黒いブローチを身につけている。

 この国では戦争未亡人は黒いブローチを付け喪に服す風習がある。

 お母様も黒いブローチを身につけている。

 その横で私と同じぐらいの少女がお手伝いをしている。


「いらっしゃい。どんなお花をお探しですか?」


 可愛い声で少女が尋ねる。


「青い花をお願いできるかしら?」


 母は父が好きな青色の花で花束を作ってもらう。

 花売りのおばさんは、テキパキと花束を作り私に渡してくれる。

 母と私は花束を受け取ると墓地に向かった。

 街の外れの教会の横に戦死者の共同墓地があるのだ。


 花売りの少女は私達をじっと見ていた。

 その少女の髪は燃えるような赤い髪で緑の瞳だった。

 右目の下にホクロが二つ並んでいる。

 お父様と同じ色だと、その時の私は気がつかなかった。



 父は赤い髪に緑の瞳の美男子だったと。

 母が教えてくれた。

【薔薇館】の母の部屋に一枚だけ父の肖像画が飾られている。

 私は母方の祖父に似てライトブラウンの髪にアンバーの瞳だ。お爺様もなかなかハンサムだ。

 お母様の顔立ちはお爺様に似ているのだ。

 お母様の金髪碧眼はお婆様譲りで。

 お爺様とお婆様の良い所を貰ってお母様は生まれてきた。

 私はお母様に似ていれば良かったのに、といつも思っていた。


 白い墓が幾つも並ぶ。

 セントエレン教会にあるセント共同墓地。

 ポツリポツリと花を捧げている人影がある。

 父の墓に誰かが花を捧げたのか、白い花束が置かれていた。


「まあ。どなたがお墓参りをしてくださったのかしら? 部下だった方かしら?」


 私とお母様は青い花束をお墓に供え祈りを捧げる。


 少し離れた墓に男が座り込んでいた。

 俯いていて顔は良く見えないが、髪は白髪で、老人だろうか?

 男の横には松葉杖が置かれている。

 男には右の膝下から足が無い。

 その男の横に若い男が立っていた。

 緑髪で氷の様な薄い青い瞳の男で、座り込んだ男と同じく私服で軍服では無い。


「あれは無茶な命令だった」


 座り込んだ男が酒をあおる。

 酒で喉が焼けたのか、ガラガラ声でぼそぼそと喋っている。

 墓の前にもお酒が入ったコップが置かれていた。

 墓の主はこの男の友人だったのだろうか?

 それとも戦友だったのか?


「鉱山の中で多くの血が流れた」


 隣に立っている若い男は押し黙ったまま、座り込んだ男の肩にそっと手を置く。


「なあ……教えてくれ‼️ あれは何だったんだ‼️ 俺達は何を解き放ってしまったんだ‼️」


「もうよせ‼️ 忘れるんだ‼️ 鉱山の酸欠かガスによる幻影だ‼️ あんなもの居るわけない‼️」


 二人の男が言い争う。

 母は私の手を取ると門に向かって歩き始める。


「だいたい‼ あの戦いは闇雲に兵を消耗させるだけだった‼ ローランド殿がいなければ成功しなかったんだ‼ それをさも自分の手柄のようにあの男は……」


「もうよせ‼ 飲み過ぎだ‼ ローランド殿の兄君だぞ‼ 口を慎め‼ それにもうお二方はいない‼」


 私は振り返り二人を見た。


 ローランド?


 お父様の名前だ。


「どうしたの?」


 立ち止まった私をお母様は見下ろした。

 お母様は白い花束を誰が置いたのか考えていたようで、二人の会話を聞いていないようだった。


「ううん。何でもない」


 よくある名前よね。

 お母様と私は共同墓地から立ち去った。


 そうだ‼


 あの時引き返して、二人の話を聞いておけば良かったんだ‼


 そうすれば……


 もしかしたらお母様は死なずに済んだかもしれない‼


 でも……

 今となっては全ては手遅れだった。



 ~~~*~~~~*~~



 春祭りに母方の従兄弟が遊びに来た。

 お母様と私が住む村は馬の生産地で、春には馬や羊の市場が立つ。

 オーディ伯父様はお母様と同じ金髪碧眼で美男子だ。

 従兄弟のアルディオは彼の母親似でうす水色の髪にアンバーの瞳で顔にソバカスがある。

 腕白盛りで、従兄弟は私より二つ年上だ。

 伯父様とお母様は仲がいい。

 伯父様はよく従兄弟を連れて遊びに来る。

 そしてちょくちょく私と従兄弟を祭りや街に連れ出してくれた。

 今回も三人でお出かけだ。

 お母様はあまり人が多い所は好まない。

 いつものようにお母様はお留守番。

 市場はとても賑やかで。

 動物だけでなく、果物やお菓子や手作りの小物なんかのバザーも開かれとても賑わっている。

 それに吟遊詩人や大道芸人がおのが技を競い人々から拍手を貰っていた。


「父上が馬を買ってくれるんだ‼」


 伯父に連れられて従兄弟のアルディオが自慢気に話す


「どんな馬を買って貰うの?」


 私は綿菓子を食べながら尋ねる。

 私の頭の中は、馬の事よりもさっき見掛けたリボンが気になって仕方無かった。

 紫のリボンで花の刺繍がしてあり、お母様に似合うに違いなかった。

 お母様のお土産はあのリボンにしょう。

 メイドや庭師にはクッキーが良いかな?


「伯父様‼️ どんな馬を買われるの? 王子様が乗るような白馬?」


 オーディ伯父様が笑う。


「白馬はなかなか手に入らないよ。そうだな大人しい雌の馬が良いな」


「栗毛の馬で額に稲妻の様な白い毛が生えているのが良い」


 アルディオは中々難しい注文を出す。


「それって勇者様の愛馬サンダーじゃないの?」


 勇者様の物語に出てくる馬で、口笛を吹けばいつでもどこでも馳せ参じる名馬だ。

 従兄弟は重度の中二病の様だ。

 小さい頃二人でよく勇者様と聖女ごっこをした。

 私が聖女で、アルディオの肩に杖を置き彼と剣に祝福を与えるのだ。

 かなり凝った遊びで、杖は魔導師だった大叔父様のもので剣は家宝の剣だった。

 尤も勝手に杖と剣を持ち出したから、しこたま伯父様に怒られた。

 彼はまだ病を患っている。

 永遠の病かも知れない。

 すったもんだの挙句アルディオは一頭の馬を買ってもらった。

 額に稲妻の印は無いが、美しい馬だ。

 優しい目をしている。

 私はリボンとお菓子を買った。

 皆にお土産を買うと、私達は【薔薇館】に帰る。






 薔薇の紋章があるアーチをくぐると何やら館が騒がしい。

 若いメイド(ダリア)が駆け寄って来る。


「どうしたんだ?」


 伯父様がメイドに尋ねた。

 ダリアは執事の娘で親子でこの館には仕えてくれている。


「奥様が‼ 奥様が‼」


 若いメイドが泣き出した。


「タレイヤがどうした?」


 伯父様がダリアの肩を掴んで揺する。


「お亡くなりになりました‼」


 悲鳴を上げる様に若いメイドはそう言った。

 母は何時も3時に散歩をする。

 美しい湖の所まで日傘を差して歩くのだ。

 今日も散歩に出かけて。

 お母様は時間になっても帰ってこなかった。

 心配した執事が湖まで様子を見に行って、湖に浮かぶ母を見つけたのだ。


「噓よ‼ 噓よ‼ 噓つき‼ お母様が私を置いて逝くなんてあるはずが無いわ‼」


「落ち着きなさいセレーネ」


「セレーネ‼」


 伯父様とアルディオの制止を振り切り、私は駆け出した。

 いきおいよく母の部屋のドアを開ける。

 お母様はそこにいた。

 お母様はベッドで眠っている様だった。

 綺麗な死に顔。

 私は震える手でお母様の手に触れる。


 冷たい……


 お母様から全ての温もりは奪われていた。

 もう二度と私に微笑みかけてくれない。

 私はお母様の手に握られた小さな袋に気が付く。

 お母様がいつも身に着けていたお守りだ。

 青い薔薇の刺繡が施されている。


 ーーーー お母様この袋はなあに? ーーーー


 ーーーー お父様が戦場から送ってきた手紙の中に小さな青い小石が入っていたの。この小石はお守りよ。何時の日にか、あの人と会うためのお守りよ…… ーーーー


 お母様はお父様に天国で会えたのだろうか?


 私はお守りを握りしめた。


 それから後の事はよく覚えていない。

 お母様の葬儀は伯父様が手配してくれた。


 ーーーー あんなに可愛いお嬢さんを残して亡くなるなんて ーーーー


 ーーーー 自殺って噂があるわ ーーーー


 ーーーー 子供を置いて自殺は可笑しいわよ ーーーー


 ーーーー 旦那様の後を追ったのかもよ ーーーー


 ーーーー 今更? 後追い自殺するには遅すぎるわよ ーーーー


 ーーーー 私は殺されたって聞いたわ ーーーー


 ーーーー 穏やかな方だったから、人から恨まれていたはずは無いわよ ーーーー


 ーーーー分からないわよ? 若くて綺麗で財産があって幾人もの男性から求婚されていたのよ。妬まれるには十分よ ーーーー


 ーーーー こら。滅多な事を言うもんじゃない。元貴族様だ。兄君の耳に入ったら罰を受けるぞ ーーーー


 母の死は、伯父さまが事故として届け出た。

 教会の教えでは自殺は大罪だからお葬式も出してもらえない。

 自殺した人の亡骸は魔物がいる森に捨てられるのだ。

 自殺した人は神様の元に行けなくて、永遠に地上をさ迷うことになる。

 そう牧師様は人々に語るのだ。


 お母様の葬儀は雨の中、執り行われた。

 私はお母様のお守りを握り締めている。

 アルディオはずっと私の肩に手をおいて慰めてくれた。

 霧雨の中、頬を濡らすのが涙だったのか、雨だったのか。

 私には分からない。



 ~~~*~~~~*~~




 一人ぼっちになった私を伯父様が養女にしてくださった。

【薔薇の館】は私が18歳になった時、遺産として受け継ぐことになる。

 執事とその妻のメイド長と娘と御者コーチマン園丁ガードナーはそのまま雇い。

 館の管理を託すことになり、私はたまに館を訪れた。

 咲き誇る薔薇の花を見たくなかったから、ほとんどが寒い季節で養父(おとうさま)が館の管理や雑用を終えると直ぐに帰った。



 それから月日は流れ……

 今日は私が社交界デビューする日だ。

 馬車の中で養父(おとうさま)は私に微笑む。


「セレーネは15歳になったんだな。立派なレディだ」


「この間まで木に登っていた猿だったのにな」


 アルディオはきししと笑う。


「レディを猿呼ばわりなんて失礼にも程があってよ」


 私は扇子でアルディオを軽く叩く。


「そうよ。立派なレディに失礼よ」


 ナーエ養母(おかあさま)も頷いた。

 この5年間お父様(ヴアーリ伯爵)お母様(ヴアーリ伯爵夫人)も私を我が子のように可愛がってくださった。

 私は胸に仕舞ったお守りを服の上から押さえる。

 私はとても幸せだと。

 天国のお母様にそっと伝える。

 お母様のお守りを私は肌身離さず持っている。


「そうそう。セレーネにいいお婿さんを見つけないとね」


「母上‼ セレーネにはまだ早いよ‼ 今年学園に入ったばかりなのに‼」


「そうだぞ。15歳になったばかりだ。まだ早い」


 養父様とアルディオが声を上げて反対する。


「何を言っているの‼ 婚約者がいないのは、あなた達が難癖をつけて断っているからでしょう‼」


 貴族は学園に入る頃には大抵の者には婚約者がいる。

 そして卒業と同時か20歳前には結婚するのだ。

 お母様は私の婚約者を今度こそ見つけると息巻いている。


「婚約者と言えば、アルディオ……あの噂は本当なの?」


「噂? ああ……アノール王太子が婚約者のシバ・スモウ公爵令嬢をないがしろにして庶子だったテミス・ナドラ男爵令嬢に現を抜かしているって言う……本当みたいだよ。俺も何度か2人が一緒に居る所を見たし、シバ令嬢がテミスに注意をしている所も見ている」


「困ったものね」


 お母様は扇子を開いて口元を隠した。


「ナドラ男爵令嬢? ケフト叔父様の娘ですか? あれ? でも年が……」


 ケフト叔父様はお父様と年が10歳ぐらい離れていたはず。

 15歳で結婚したの? いやいやそれは無いでしょう。

 それにまだ独身では無かったかしら? 

 娘がいるの? 養女かしら?

 母がナドラ男爵家を出てから疎遠になっていた。

 ケフト叔父様は若くして男爵家を継いで領地経営などとても大変だったようだ。

 母が亡くなって、当たり障りのない手紙を何度かお出しするぐらいの付き合いだった。


 養母様は眉を寄せながらおっしゃった。


「セレーネには知られたくな無かったのだけれど。他の人から言われる前に知っておいた方がいいわね。ナドラ家を継いだケフト男爵が養女にした娘よ」


 お母様は少し言い淀んで付け加えた。


「どうやら貴方の姉みたいなの……」


「私のお姉様? えっ? それって……お父様の隠し子? うそ‼ お父様が浮気をしていたの‼」


 私はギュッとドレスを握り締めてしまった。

 お父様に隠し子‼ 

 お母様は裏切られていたの‼

 酷い‼ 

 お母様はお父様をあんなに愛していたのに‼


 自殺


 ふいにその言葉が浮かぶ。

 もしかしてお母様の死は自殺では無かったの?

 どこからかその娘の事を聞いて……

 ブルブルと手が震える。

 いけない‼ ドレスが皺になる。

 私はそっとドレスから手を離した。


「本人はそう言っているのだけれど……」


「私も彼女の素性について調べている所なのだが……1年ほど前に彼女の母親が馬車に轢かれて亡くなったんだが……どうもうさん臭くてね。確かに赤毛で緑の瞳ではあるんだが。ローランド殿の娘と言うより長男のアルフレッドが父親では無いかと疑っているんだよ」


 伯父さまは腕を組みながら答えてくれた。


「アルフレッド伯父様?」


 アルフレッド伯父様は男爵家の長男だった。


「でも……アルフレッド伯父の娘だと不都合があるのかしら?」


「それは……死者を悪く言いたくは無いが。アルフレッドには良くない噂があるんだよ。炭鉱の町の娘を攫って来ては夜の相手をさせていただとか。賄賂を貰っていただとか。あげくに売国奴だったとか……」


「えっ? でもお父様もアルフレッド伯父様も国の英雄では無かったの?」


「確かにお前の父親は国の英雄だったが、アルフレッドは死んだ弟の手柄を横取りしたと噂されている。あの戦争で身内を亡くした者も多い。逆恨みして危害を加える者がいないともかぎらない。その為に偽ったのかも知れない」


「彼女はアルフレッド伯父様の娘。私の従姉妹の可能性が高いんですね」


 少しほっとした。

 お父さま疑ってごめんなさい。


「ああ。そうだ。調査が終わるまで彼女との接触は控えるようにしなさい」


「分かりました。お養父様」


「貴方の社交界デビューにこんな話はしたくは無かったのだけど」


「いいえ。お養母様、いきなり姉だと爆弾宣言されるよりましです。心配してくださってありがとうございます」


「なんかあれば俺に言えよ。テミスの父親の事は公になっていないから。学園でお前の耳に入っていないんだ。学年も校舎も違うし、お前は俺の妹だからな」


「難しい話は無しにしましょう。今夜はセレーネのデビュタントなんだから楽しんで頂戴」


 お母様はパンと両手を打った。

 お父様もお母様もアルティオも笑顔になった。


 ガラガラと馬車は王宮に入っていく。

 毎年デビュタントは城で行われる。

 青の王宮と言われるゼーケン城は魔法の光に溢れ、まるでおとぎ話のように美しかった。

 私達は待合室に通されしばし待つ。

 高位貴族ほど王への挨拶が後になる。

 今年のデビュタントの挨拶は私達が最後になる。

 私は窓から見える素晴らしい庭を眺めた。


「アルティオ見て。薔薇が綺麗よ」


「そうだな。ここから見える庭園の眺めは素晴らしいな」


「あら?」


「どうした?」


「近衛騎士かしら?」


「ああ。庭を見回っているのだろう」


「あの人……見覚えがある。あ……行っちゃった……」


「知り合いか?」


「近衛騎士に知り合いはいないはずだけど……」


 コンコンとドアを叩く音がして一人のメイドが入ってきた。

 私達はメイドに案内されて広間に入る。


「オーディ・ヴアーリ伯爵 ナーエ・ヴアーリ伯爵夫人 アルティオ・ヴアーリ伯爵子息 セレーネ・ヴアーリ伯爵令嬢ご入場」


 侍従が声を上げる。

 私達は王の御前に静々と歩いて行き頭を下げた。


「公国の太陽であらせられる陛下にお祝いを申し上げます」


 お父様は王様にお祝いを述べる。

 第3王子も今宵がデビュタントなのだ。

 王様は60代の白髪の王家特有のウルフアイの持ち主で。

 年の割には若々しい。

 隣の王妃も子供が3人もいるとは思えない美貌の持ち主だ。


「今宵は若者達のデビュタントだ。存分に楽しんでくれ」


 王が王妃の手を取り大広間の中心で踊る。

 踊り終えると皆から歓声が上がった。

 今宵デビュタントを迎えた者達は、各々婚約者や親族に手を取られ輪になって踊る。

 デビュタントを迎えた若者達が踊り終わると、家族が踊る。

 後は各々が好きに動く。

 踊り足りない者達は軽やかにステップを踏み。

 若い娘達は友人とおしゃべりしながら、素敵な若者が、声をかけてくれるのを待っていた。

 私はアルティオと踊った後、アルティオの友人に紹介される。


「こんな可愛い妹を何故隠していたんだ?」


 兄の御友人のフオルソン侯爵子息が兄にじゃれ付く。


「悪い虫が付かないようにだよ」


 アルティオは澄まして答えた。


「悪い虫って誰だよ」


「俺の目の前にいる虫だよ」


 こいつ~~~~とフオルソンは兄の頭をぐりぐりする。


「お兄様とフオルソン様は仲が良いのね」


「「腐れ縁だよ」」


 二人同時に答える。本当に仲が良い。


「それより私と踊って頂けますか?」


「ええ。喜んで」


 私が彼の手を取ろうとした時騒ぎが起きる。


「この泥棒猫‼」


 バシッ‼


 私達は声のする方に振り返る。

 そこには頬を押さえた赤毛の少女と公爵令嬢のシバ様がいた。

 シバ様が持つ扇子が折れている。

 いつも穏やかなシバ様の顔が鬼の様に歪む。


「お許しください‼ でも私達は愛し合っています‼ 誰にもこの愛は止められないのです‼」


 赤毛の少女はその緑の瞳から涙を流してシバ様に許しを乞うていた。

 赤毛の少女の右の瞳の下にホクロが二つ並んでいる。

 シバ様は口汚く少女を罵り。


 あれはなに?


 少女が言葉を発するたびに、彼女から黒い(もや)が溢れる。


 やだ‼️

 気味が悪い‼

 私以外の人は黒い(もや)には気付かないみたいだ。

 靄は辺り一面に溢れる。

 人々にまとわりつく。


 そこに王太子が現れて赤毛の少女を庇う。


「何をしているのだシバ‼」


 黒い靄は王太子にもねっとりとまとわりつく。

 王太子はシバ様を睨み付ける。

 シバ様は今にも泣きそうだ。

 私は黒いモヤモヤに気分が悪くなる。

 もうダメ‼️

 吐きそう‼️

 消えて‼️


 パンパン‼


 王妃様が手を叩く。

 王妃様はゆっくり三人の元に歩む。

 まるで湖面を泳ぐ白鳥のように優雅だ。


「シバ。顔色が優れないようね。別室で休まれるといいわ」


「でも王妃様……はい……」


 シバ様は侍女に連れていかれた。


「アノール。話があります」


「……はい……」


 王妃様とアノール王太子とあの少女は近衛騎士に囲まれて大広間から消える。


 ふと気がつくとあの靄は無い。

 消えてしまった。

 私は胸を撫で下ろす。

 それにしてもあの靄は何だったのかしら?


「今宵デビュタントした者達は中央に出てくれ」


 後に残された王が賑やかに言う。

 王は第2王子と第3王子に目配せをする。

 本来は王太子がデビュタントした令嬢達のダンスの相手をするのだが、今回は趣向が少し変わったようだ。

 男女に分かれて円を描き、曲に合わせクルクルとパートナーを代えて踊る。

 地方に見られる舞夢(ロンド)だ。

 中央の貴族も地方の貴族もこの舞夢のダンスを踊る事ができる。

 王のとっさの判断とは言え悪くないアイデアだ。

 王太子一人では令嬢達全てと踊る事が出来ない年もある。

 これなら皆平等に踊れるし、子息達との顔合わせにもなる。

 特にまだ婚約者が決まっていない者には出会いのチャンスにもなる。

 流石王宮に勤める楽団だ。

 王の無茶ぶりでもミスのない軽快な音楽が流れた。


 その夜、私達デビュタント組は後々皆に羨ましく思われるようになった。

 来年から舞夢(ロンド)もダンスに加わる事になる。




 ~~~*~~~~*~~




「デビュタントの後、王太子はどうなさったの?」


 私は紅茶を飲みながらお父様に尋ねる。


「一ヶ月の謹慎を言い渡されたよ。本来はシバ殿をパートナーにしなければならないのに、あんな娘を王宮に招き入れて。愚かな事だ」


「あの令嬢は?」


 彼女こそがテミス・ナドラ男爵令嬢。

 私の姉と名乗っている女性だ。


「彼女は地方の修道院で教育をやり直している」


 訳アリの幼い貴族の令嬢が修道院に入って修道女に教育される事はままある。

 だがそれは、家が貧しかったりお家騒動から身を隠す為だったりだが。

 問題を起こした令嬢の場合、もう其処から出られないだろう。

 平民となって出てくる事はできるが。

 もはや貴族令嬢として返り咲く事は不可能だ。

 まあ、体の良い幽閉(厄介払い)だわ。

 ケフト叔父様はどうなさるのかしら?

 英雄を出した家とは言え、おしかりだけで済めばよいのだけれど。


「彼女が修道院から出て来ることは無くなったが。彼女の事は調べていた。今日、セレーネの実の父親の部下が訪ねてくる。セレーネも会ってみるか?」


「はい私もお会いしたいです。お父様のお話も聞きたいし……本当の事が知りたい」


 養父様は頷かれる。


 そして午後に彼らはやって来た。

 応接室に通されたその人は30代前半の若い騎士だ。

 中々の美丈夫だわ。彼の左の指には結婚指輪が輝いている。



「こんにちは。私はあなたの父上の部下だった者です。私はアラン・スタック、もう一人遅れて来るのはヒュバ・ゾンネット。彼は少しテミス嬢の調査が遅れていて少し後に来るでしょう」


「あら? 貴方は……」


「彼を知っているのかい?」


 養父(おとうさま)は私を見る。


「この間王宮でお見かけしました。近衛騎士様ですよね」


「はい。そうです。あっ、もしかしてこの間のデビュタントにいらしたんですか?」


「はい。王宮の庭の警護をされていましたよね」


 彼は頷いた。


「それに……5年前にも父のお墓参りの時お見かけしました。ご友人とご一緒でした。あ……もしかして父のお墓にあった白い花束は貴方達が供えてくださったのかしら?」


「5年前……ああ……確かに友人と戦死者墓地に行きました」


「あの方はお元気かしら? あの……松葉杖の方は……」


 言いにくそうにセレーネは尋ねた。


「少し落ち込んだ時もあったけど。立ち直って元気にやっています」


 あのお墓の前に居た時とは別人の様に彼の笑顔は晴れやかだった。


「それなら良かったです。あの戦争で多くの方が亡くなり傷つきました。家族を喪った方は生活にも貧窮していると聞きます」


「セレーネ様はお優しいんですね。そう言えば薔薇の花を売ったお金を孤児院に寄付しているとか。流石ローランド少佐の血を引かれるだけはある。ローランド少佐も優しく強かった」


「はい。私が受け継ぐ館には薔薇の花がたくさん咲いています。館の者に薔薇を卸売市場で売らせているんです。少しでも戦争孤児の為にと思いまして」


 彼はセレーネの中に亡くなった英雄の面影を見る。

 それから暫く、彼は戦場でのセレーネの父がいかに勇敢で強かったか、色々なエピソードを交えて話してくれた。


「失礼します。ヒュバ・ゾンネット殿が到着されました」


 ドアをノックして護衛騎士がヒュバを案内してきた。

 養父(お父様)は入るように言う。

 カシャカシャとかすかな音を立ててあの男が入って来た。

 セレーネは目を見張る。

 あの時はボサボサの髪で、酒に溺れ、だらしない格好の男だったが。

 良く見ると、年寄りだと思っていた彼はアランと大して変わらない年に見えた。

 あの時は失意と銀髪のせいで老け込んでいたのだろうか?

 今は銀髪をオールバックに撫で付け上等な服を着て松葉杖も無く、颯爽と歩いてくる。

 セレーネは彼の足を見る。カシャカシャと音を立てていたのは彼の足だ。


「ああ……右足ですか」


 セレーネの視線に気付いた彼は愉快そうに笑うと、右足のズボンを少し捲る。

 金属が見えた。


「義足です。少し高いけど魔道義足でね。走ることも出来る。おかげで借金をしてしまったが……」


 彼はウインクした。どこにも迷いのない、吹っ切れた笑みだ。

 そして、オーディ伯爵に向き直り、優雅に挨拶をする。


「挨拶が遅れました。ヒュバ・ゾンネットです。探偵をしています。テミス・ナドラ男爵令嬢についての依頼の調査報告を持ってきました」


 彼は鞄から書類を出した。

 伯爵はヒュバ・ゾンネットに座る様に言う。


「でっ……彼女は本物か?」


 オーディ伯爵は書類に目を通す。


「まず彼女の母親と言われるニュクスについて調べました。ニュクスはベスリーナ鉱山の麓の町で娼婦をしていました。アルフレッド中佐は馴染みの客でした。彼女は元々近くの村出身で、ずっとその町に居ました」


「テミス・ナドラ男爵令嬢は私の従姉妹ですの?」


 ヒュバは首を振る。


「まさか……私の腹違いのお姉様ですの?」


 恐る恐る尋ねた。

 ヒュバは首を振る。


「ローランド殿はずっと王都で兵站の準備を進めていました。ベスリーナ鉱山には戦争で行かれた時が初めてでニュクスと会った時はテミスが産まれて1歳の計算になる。それにニュクスは子供が産めない体でした。村長だった夫から離縁され自暴自棄になって娼婦をしていたんです」


「えっ? 子供が産めない? じゃ誰がテミスの母親ですの?」


「分かりません。兎に角アルフレッド中佐とニュクスはローランド少佐が赴任直後に酷い喧嘩をして、ニュクスはアルフレッ中佐に酷い怪我をさせられました。それを見たローランド少佐はニュクスに金を持たせベスリーナの町から逃げる様に言ったのです。アルフレッド中佐には王都に奥様がいらっしゃいましたから。義姉にスキャンダルを知られたくなかったのでしょう」


 ヒュバはそこで一息ついた。


「ニュクスは王都に来てアルフレッド中佐の奥方に恋人だと噓をついたみたいですね」


「イリーナ伯母様にそんなことを言ったのですか‼」


 私は淑女ならぬ大声を出してしまった。


「自分が娼婦だった事を隠してね」


「私はてっきりお爺様とお婆様との仲が悪くてイリーナ伯母様は男爵家を出たのだとばかり……」


「まあ。イリーナがナドラ男爵家を出たのはそれもありました。夫の酒癖と女癖が悪いせいでもあったんですよ。アルフレッドはイリーナには暴力を振るっていませんでしたが、炭鉱の娼婦ニュクスには暴力を振るっていました。ナドラ男爵夫人はイリーナが魔道具技師で義足や義手を作っていたことが気に入らなかった事もあり。イリーナが男爵家を出るのを止めませんでした。尤もそのおかげで私達は出会って結婚できました」


 思わぬ爆弾発言に養父も私もポカンと口を開けた。


「ええ‼ イリーナ伯母様が再婚されたとはお聞きしましたが……再婚相手は貴方なんですの‼」


 そう言えば……再婚相手は元軍人だと聞いた事がある。

 不思議な縁だ。


「ニュクスはイリーナにアルフレッドのせいで子供を産めない体になったと噓をついて戦争遺族年金をせしめた。つまりその時には娘はいなかった。娘がいたのなら養育費もせしめたでしょう。しかしニュクスが花屋を始めた頃には娘を連れていました」


「ナドラ家の特徴を持つ孤児を養子にしたのかしら?」


「可笑しい事にバスリーナ鉱山の戸籍の届出をしている役所は5年前に火事になりましてね。役員も亡くなり記録も失われた。アルフレッドは女癖が悪かったので他の女性との間に私生児を儲けていたのかもしれません。そこでバスリーナ鉱山の麓にある孤児院を調べてみたんです」


「それで?」


「該当する赤毛で緑の瞳で右目の下にホクロが二つ並んでいる孤児が一人いました」


「ニュクスはその子を養女にしたんですか?」


「分かりません。その孤児院も火事になりましてね。孤児院長とお世話係3人と15人の孤児は火事で焼け死にました」


「……まるで証拠を全て消していったようですね」


「それでも孤児院にパンを卸していたパン屋が近くにあって詳しく聞いたんですよ。焼死体は19体でもパン屋が孤児院に届けていたパンの数は20個。一人数が合いません。パン屋は遺体確認の為に呼ばれたそうだけれど遺体の中にテミスと言う名の子供はいなかった」


 ヒュバは続ける。


「テミスは赤ん坊の時、教会の前に裸で捨てられていたそうです」


「裸で?」


「ええ。普通どんなに貧しくてもおくるみかシーツに包まれているもんですが……しかも血まみれで産湯にすら入れてもらえなかった。正に産み捨てで暫く近所で話題になった様です。テミスは赤毛で緑の瞳で右目の下にホクロが二つあるたいそう愛らしい少女でしたから。火事があった時5歳だったようです」


「えっと……あれ?」


「気付かれましたか。アルフレッド殿とローランド殿が戦死した頃にテミスは孤児院に棄てられました。孤児院が火事になった時は5歳です。ニュクスと暮らし始めた時は11歳です。ニュクスを知る近所の人は5年前にいつの間にかテミスが現れて一緒に暮らすようになったとか。近所の人には預けていた母親が亡くなったから一緒に暮らす事にしたと言っていたそうです。可笑しいでしょう。歳が合わない」


 私はコクコクと頷く。

 父が亡くなった頃に教会に棄てられていたのなら私より5歳年下の10歳になるはずだ。

 でも……テミスは私より年上で16歳だ。

 赤毛で緑の瞳のおまけに右目に二つホクロがある少女が二人いる?

 5歳年の離れた姉妹?


 あれ?


 それだと……


「そうアルフレッド殿の娘だとしてもバスリーナ鉱山の任務に就いた期間は8年。王都に居た頃の女性との子供ではないですし。そこはしっかり調べています」


「他人にしては似すぎています。アルフレッド殿にも右目の下にホクロが二つありました」


「二人共アルフレッド伯父様の子供ではあるのでしょうか?」


「ローランド殿の子供では無いのは確かです」


 黙って聞いていたアラン・スタックが口を挟んだ。


「バスリーナ鉱山に兵站を運ぶ数年前からローランド殿の小姓をしていたので分かります。ローランド殿が愛していたのはタレイア様だけです。ダンスパーティーでタレイア様に一目ぼれしたと私に話してくれました。出陣前に慌てて結婚したのも誰にも取られたくなかったからです。毎日のように奥方に手紙をしたためていました」


 セレーネの瞳からポロポロと涙が零れる。


 ああ……


 お母様はお父様に愛されていたのね。

 一日だけの結婚生活でもお母様は幸せだった。

 養父様が私にハンカチを差し出してくださった。


「女癖の悪いアルフレッドなら隠し子が何人いても不思議はないが……テミスの母親が事故に遭った時、薄汚れた男に突き飛ばされたと彼女を撥ねた御者は言っていたんです」


「まさか……テミスが変装して母親を突き飛ばしたのか?」


 養父(おとうさま)が尋ねる。


「いえ……彼女はその時花を売っていました」


「故意か? 偶然か? でニュクスを突き飛ばした男は捕まったのか?」


「いえ。捕まっていません。墓地の所まで追い詰めたそうですが、煙のように搔き消えてしまったそうで。その後、テミスはナドラ男爵の元に行き養女になりました」


「自分の出自は知っていたのか。それを教えたのはニュクスか?」


「恐らく、自分に何かあったらナドラ男爵を頼る様に言ったのでしょう」


 養父(おとうさま)は考えこんだ。

 結局何も分からないのだ。

 歳の合わない10歳と16歳の二人の娘達。

 全ての手掛かりは火事によって消されている。

 あまりにも都合よく現れて学園に入り込み、王太子に近づいたテミス。


 隣国のスパイかも知れない。


「あの……」


 私は沈黙を破ってアランとヒュバに尋ねた。


「関係ない話で恐縮なんですが五年前……お墓でお話していた事をお聞きしても宜しいでしょうか?」


 ずっと引っかかっていた。


「ヒュバ、セレーネ殿は5年前に御父上のお墓参りに来ていて私達の会話を聞いていたのだ」


 アランはヒュバに説明する。


「あ~~足を失って自暴自棄になって飲んだくれた時か。それはカッコ悪い所を見られたな」


 落ち着きなくヒュバは髪を触る。

 そして静かに語り始めた。


「化け物を見たんですよ。あれは……」



 ~~~*~~~~*~



 バスリーナ鉱山は元々ゼーケン公国の禁領地だった。

 300年前に魔人を封じたとも伝えられる。

 300年前は誰もが魔法を使えた。

 今では王族だけが魔法を使えると言われている。

 その魔人を封じたのもゼーケン公国の姫巫女様だった。

 姫巫女は聖なる力で魔人を封じ、以後バスリーナ鉱山は封じられてきた。


 しかし……


 12年前にプラテン帝国がバスリーナ鉱山を占拠した。

 バスリーナ鉱山に眠る金鉱が目当てだ。

 戦いは長引いた。

 バスリーナ鉱山は半ば砦の様な造りをしていたからだ。

 バスリーナ鉱山を取り戻すために多くの犠牲者が出る。

 城や砦を落とすにはその三倍の人数が必要だからだ。

 アルフレッド率いる第三白鴎軍の犠牲が最も多く。

 ローランド少佐はバスリーナ鉱山を知る村長に埋め立てられた秘密の鉱道を聴き。

 裏から抜け道を掘らせ坑道内部に攻め込んだ。

 作戦は成功したもののローランド少佐は敵に深手を負わされて亡くなる。


「弟も国の為に死ねて本望だろうさ」


 弟の亡骸を前に酒を飲みながらアルフレッド中佐はそう言った。

 その言葉を聞いて俺は怒りに震える。

 この五年間、ローランド少佐は無能な兄に代わり味方を鼓舞し、兵站の手配や作戦立案、戦死した兵士の家族にお悔やみの手紙を書いていた。

 それこそ寝る間を惜しんで。

 それに比べアルフレッドは酒を飲むか、怪しげな男と坑道の地図を眺めていた。

 ローランド少佐の血塗れの亡骸を作戦本部のテントまで仲間の3人と運ぶ。

 俺達の体も血塗れで、涙でぐしゃぐしゃだった。

 坑道の入り口には多くの味方の遺体と共にローランド少佐の遺体も並べられ。



「アルフレッド中佐、我らは勝利しましたが……しかし……ローランド少佐は亡くなられました……」


 ローランド少佐の遺体を運んだ三人は豪泣する。


「まさに犬死だな。まあ手柄は俺が貰ってやろう」


 アルフレッド中佐は飲みかけの酒をローランド少佐の遺体に掛ける。

 ヒュバが思わず、アルフレッド中佐を殴ろうとした時。

 兵士の一人がやってきた。

 陰気な顔をしたゲイラード・カタペルだ。

 この男は兵士でもなく、商人でもない。

 放浪の民だ。

 アルフレッド中佐の執事の様な事をしている怪しげな男だった。

 ゲイラードは縄で縛られた男を連れてきた。

 縛られた男はギラギラとした憎しみの目で周りの兵士を睨み付ける。


「アルフレッド中佐、例の場所が分かりました」


「そうか。案内させろ」


 アルフレッド中佐は振り向き、その場を後にする。

 弟の亡骸にも、命を落とした兵士の亡骸にも、見向きもせずに歩き去った。

 ヒュバはローランドの死を悲しんでいる仲間を残して二人の後を追う。

 やらねばならない事は多い。

 分かっている。

 しかし……

 ヒュバはアルフレッド中佐を一発ぶん殴らなければ気が済まなかった。


「ここか?」


「はい。間違いありません。あいつらはやけに奥の部屋を調べていました。きっとあの部屋に隠し財宝があるんですよ」


 二人が入った坑道はバスリーナ鉱山でも一番深く掘られた坑道で、金は全て掘り起こされ、大きな空間は礼拝堂の様に大きい。

 しかも床には歪んだ魔方陣が描かれている。

 そして檻が置かれ、ロープでグルグル巻きにされた敵兵が五人いた。

 三人を見て檻の中の兵士がここから出してくれと騒ぐ。


「これは魔方陣か?」


「何処かの空間に繋がるんでしょう」


「さあ案内した。約束したろ。俺を解放しろ」


 縄で縛られた男が喚く。

 ゲイラードは笑うと兵士の首を切り落とした。


 ザシュッ‼


 魔法陣はその血に反応し禍々しく光る。


「い……嫌だ‼ やめろー‼」


 ゲイラードは怯える敵兵を檻から引きずり出し、次々と魔方陣の中に放り込んだ。

 敵兵の体は魔方陣の中ではじけ飛ぶ。


「助けてくれ‼」


「おお‼ 神よ‼」


「そんな……こんなことは許されないぞ‼」


「助けてくれ‼ 誰かー‼」


 敵兵は悲鳴をあげ、抗議や命乞いをしたが、皆魔方陣から出てきた靄に飲み込まれる。


 チャリ


 剣を抜く音がしてゲイラードは振り返る。


「お前も贄になれ」


 アルフレッド中佐はゲイラードの背中を刺し、黒い靄の中に蹴り入れる。

 やがて靄は兵士とゲイラードの体を完全に飲み込んだ。

 靄はゆらゆらと揺れて黒い女の姿になる。


 ーーー お前が妾を蘇らせたのか? ーーー


 女は問うた。


「そうだ。お前を蘇らせたのはこの私だ。魔王レゲンデーアよ我に従え」


 影はにたりと笑う。


 ーーー 妾を呼んだのは財宝が欲しいのか? ーーー


「そうだ。財宝をよこせ‼』


 アルフレッドは叫ぶ。

 いつもいつも両親や知人は弟を誉め称える。

 学業でも剣でも弟と比べる。

 政略結婚の妻は魔道具に夢中でアルフレッドを誉め称えない。浮気をしても気にも止めない。

 だから、莫大な財宝を手に入れて皆を見返すのだ。


 ーーー よかろう ーーー


 影はパチンと指を鳴らす。

 ドサドサと靄の中から財宝が出てきた。

 金貨に王冠や剣やルビーの首飾り、どれを取っても眩い光に包まれている。


「おお……素晴らしい」


 眩い財宝を手に取り、アルフレッド中佐は嗤う。


「足りない……」


「何か言ったか?」


 その途端財宝がボロボロと崩れ消える。


「おい‼ これはどういう事だ‼」


 アルフレッドは消えた財宝のあった所を跪いてかき回す。


「まだ血肉が足りない……」


 レゲンデーアはずるずるとアルフレッド中佐の所まで這いずりその首に嚙みついた。


「ぎゃああぁぁぁぁぁぁ‼」


 アルフレッドは悲鳴をあげる。


「や……やめ……助け……」


 アルフレッドは最後まで言葉を発する事が出来なかった。


 バリバリ ぐちゃぐちゃ ガリガリ


 黒い靄はアルフレッドを食べる度に実体を持ち始める。

 靄が消えて現れたその体はやせ衰えた餓鬼の様な体だった。


「ひっ……」


 ヒュバはぺたりと腰を抜かす。

 ヒュバはアルフレッドを追って奥の坑道まで来ていたのだ。

 そして……

 見てしまった。

 血に塗れた魔方陣とアルフレッドを貪り食うものを‼


「ば……化け物……」


「まだ足りない……もっと血を肉を……」


 ヒュバはずりずりと後ろに下がる。


「お前の肉をよこせーーーー‼」


 ヒュバは立ち上がり駆け出す。

 暗い暗い坑道の中を松明のあかりだけを頼りに、走り抜ける。


「おい? ヒュバ? どうした?」


 戦友のアランが声を掛ける。

 アランはヒュバがアルフレッド中佐の後を追ったことに気がついて。

 ヒュバを心配して追いかけてきたのだ。

 パクパクとヒュバの口が動くが言葉が出て来ない。

 アランはヒュバを追いかけてきた者を見た。

 アランの口から悲鳴が漏れる。

 アランはヒュバの腕を掴むと入り組んだ坑道を走る。

 走って走って梯子の所までたどり着く。

 この梯子を上れば地下三階の坑道に出る。

 アランは先に梯子を上り、ヒュバを引っ張り上げる。


「ぎゃあぁぁぁぁ‼」


 ヒュバが悲鳴をあげた。

 ヒュバの右足にあの化け物が噛り付いている。


 ドキューン ドキューン


 アランは拳銃で化け物の頭をぶち抜く。

 化け物の顔に穴は開くがすぐさま開いた穴から靄が出てきてすぐに塞がる。

 アランは松明を化け物の顔に押し当てた。


「ぎゃああぁぁぁぁぁぁ!」


 化け物は少し怯み梯子から落ちて行った。

 アランはヒュバを持ち上げる。

 ヒュバの右足が無かった。

 どくどくと血が流れる。

 アランは自分のシャツを裂きヒュバの足を縛って止血する。

 穴の中から唸り声が聞こえた。

 アランはヒュバを肩に担ぐと坑道の柱を蹴飛ばす。

 天上が崩れるのを防ぐ為の柱だが、アランが蹴飛ばしたおかげで崩れ始める。

 アランとヒュバが外に出た時に地響きがして坑道の半分は崩れ落ちていた。

 後に坑道が崩れたのは軍隊が坑道の中でドンパチやった為と坑道の設備が古くなっていた為とされた。


 数か月後、ヒュバが気が付いたのは病院のベッドの上だった。

 何もかも終わっていた。

 戦争も仲間の葬儀も……

 あの日、医者の許可を取らず、勝手に病院を抜け出し、墓に向かった。

 慣れない松葉杖に悪態を吐きつつ。花と酒を買い共同墓地に着いた。

 何百と言う白い墓石が並ぶそこで、ヒュバはローランド少佐の墓を探す。

 ローランドの墓を見つけると花を置いた。

 そして……

 もう一つの墓を探す。

 ゲイラードの墓は見つからない。

 代わりに少年兵の墓を見つけた。


「そうか……死んだのか……」


 こんな幼い少年さえ駆り出したのかと、彼を見た時怒りさえ覚えた。

 彼は騎士科の学生で、卒業前に戦に出されたのだ。

 ヒュバは墓の前でぺたりと座る。

 二つのグラスに酒を注ぐ。


「約束だったな。戦争が終わったら酒を飲もうと……」


 後の言葉は続かなかった。

 頬に涙が落ちる。

 ふと人の気配がした。

 アランが病院を訪ねたらヒュバが病院を抜け出したことを聞き、たぶん墓場(ここ)にいると追いかけてきたのだ。


「なあ……あれは何だったんだ?」


 後ろに立つアランに尋ねた。


「それがあの日俺達が経験した事だ。信じられないだろう。何度もアランに炭鉱に溜まったガスのせいで見た幻影だと言われたが……あれは幻なんかじゃない。王家はあそこに化け物を封印していたんだ」


 セレーネとヴアーリ伯爵は言葉もなくヒュバを見つめた。

 アランはただ沈黙を貫く。





 ~~~*~~~*~~~





 アランとヒュバがヴアーリ伯爵家を訪れた数日後。

 コンコンとアルティオの書斎のドアを叩く音が聞こえた。


「はいれ」


 アルティオは入室の許可を出す。

 執事が入ってきた。

 手紙とペーパーナイフが銀の盆に載っている。

 手紙には王印が押されていた。

 アルティオ伯爵は手紙を受け取ると封を開ける。

 王家から茶会の招待だった。

 妻とセレーネに茶会に出席するように書かれている。

 アルティオは首を傾げる。

 彼の家は中立派だ。

 あまり王家に近付く事はない。

 だが五代前に、身分の低い王女が伯爵家に降家してきた事はあった。

 伯爵は出席する旨を手紙に書き記し、執事に渡した。





 薔薇園のガゼボにお茶の席はもうけられていた。

 色取り取りの花が咲き乱れ、王妃が待ちかまえている。


「この度はお招き頂きありがとうございます」


 ヴアーリ伯爵夫人とセレーネは王妃にカーテシーを取る。


「よく来てくださったわ。さあ座って」


 王妃はニッコリとほほ笑むとセレーネに座る様に言う。

 ここに招かれた者はセレーネ達とメイド以外いない。

 このお茶会はプライベートの様だ。

 だが、セレーネは何故自分も招かれたのか分からない。


「アランから聞きました。テミス・ナドラ男爵令嬢について調べているのね」


 メイドが三人にお茶を淹れる。


「あ……申し訳ございません」


「いえ。貴方達伯爵家を責めているのではないわ。知りたいのも分かるわ。自分の腹違いの姉を名乗ってナドラ家に乗り込んだ女ですものね。でも安心して()()は貴方の姉でも従姉妹でもないわ」


「随分はっきり断言するんですね」


「あれはね。大昔巫女姫様が封印した魔物よ。貴方もデビュタントの時見えたでしょう。()()()を……」


「やっぱり()()()は見間違いじゃなかったんですね」


 この国では王子が産まれなければ王女が王位を継ぐ。

 この国の王は女帝カタリナ様だ。


「そう、やはりあなたにも見えたのね」


「はい」


「本当なの? セレーネ‼ 貴女にその黒い(もや)が見えたの?」


「はい。養母(おかあさま)彼女から黒い靄が溢れ出して王太子様に纏わりついて……それが皆にも広がって……気味が悪かった。そうしたらいきなり光が溢れて消えてしまったの。だから……私見間違いかと思って黙っていたの……ごめんなさい。皆に言うべきでした」


「貴女は無意識に靄を払ったのね」


「えっ? 私がですか?」


「貴方は姫巫女様の血を引いて居るのよ」


「あっ‼ そう言えば何代か前に王女様が降嫁した事があったわね。貴方がタレイア様と一緒に暮らしていた【薔薇館】も降嫁した時に王家から贈られたものなのよ」


「そうなんですね」


「私は結婚して子供を産んだから、巫女としての力は弱いわ。せいぜい黒い靄を見ることが出来るだけよ」


「えっ? でも……女王様が手を叩いた時、黒い靄はかき消えました。あれは貴女の力ではないのですか?」


「いいえ。あれはあなたの力よ」


「私の力?」


「今、姫巫女の力を持つ王族は貴方だけなの」


「セレーネだけですか?」


 養母(おかあさま)は尋ねる。

 確かにヴアーリ伯爵家は降嫁した王族の姫がいる。

 でも他にもいるはずだ。

 女王は首を振る。

 現在女系の血を引く者はいないと。


「女王様大変です‼」


 近衛兵が慌ただしく駆け込んできた。

 直ぐに跪き報告する。


「テミスが修道院の者達を殺して逃げました‼」


「何ですって‼ 見張りを付けていたはずよ‼」


「見張りも近くに潜んでいた兵もやられました。修道院も兵が潜んでいた洞窟も血の海で死体は見つかっていません‼」


「なんてこと‼ 封印の部屋に入れていたのに‼」


 続いて城の侍従が飛んでくる。


「申し上げます‼ アノール王太子様が部屋から抜け出しました‼ 恐らく隠し通路から脱出した模様です‼」


 女王は直ぐに立ち上がると兵に告げる。


「直ちに兵を城に集めなさい」


 そしてセレーネとヴアーリ伯爵夫人に告げた。


「貴女を探しにこの城に来るでしょう。姫巫女の力を持つ者をあれは許しはしない。貴方の身は兵に守らせます」


 私は城の塔に連れていかれた。

 その塔に連れていかれる途中塔の入口を阻む者がいた。

 王太子だ‼️

 彼が城の結界を壊し彼女を招き入れたのだ。


「行かさない。彼女を邪魔する者は排除する」


 王太子は剣を抜く。

 護衛達が王太子を取り囲む。


「正気に戻って下さい‼️」


「貴方はあの魔物に操られているんです‼️」


「私は彼女を愛している。彼女の望みは私の望み。彼女をこの国の女王にする」


「狂っている」


 ドガガッ‼️


 壁が壊れ魔物が現れた。


「蜘蛛の魔物?」


 いや違う‼️

 巨大な蜘蛛の頭から女の上半身が生えている。


 女はテミスだ。

 しかもよく見ると蜘蛛の体は死体から出来ていた。

 辺りに悪臭が漂う。


「ご機嫌よう」


 テミスはニタニタと笑ってセレーネを見つめる。

 それを合図に五人の近衛騎士はテミスに襲いかかる。


 グシャ‼️


 嫌な音と共に騎士達はバラバラになって床に転がった。


「ひっ‼️」


 逃げなければと頭で分かっていたが、足が動かない。

 テミスは騎士達の体を踏みつけてゆっくりとやって来ると、体を屈めて舐めるように顔を近付ける。

 生臭く血の臭いがする息をセレーネに吹き掛ける。


「あの聖女に似ているな。お前の母親は全く似ていなかったが……」


 テミスの蜘蛛の頭はギチギチと嗤う。


「お母様と会ったことがあるの?」


 セレーネは尋ねた。

 まさか‼️ まさか‼️ まさか‼️


「気の毒な女だった。私の洗脳が効けば死なずにすんで私の母として生きていられたものを」


「お母様を殺したのはお前か‼️」


 セレーネは蜘蛛女を睨み付ける。


「中途半端な聖女の力を持っていたことを悔やむのね。洗脳は効かないけど、浄化の力を持っていなかった。だから湖に突き飛ばして殺したわ。城で皇太子との断罪劇の時。愚かな貴族どもは私の洗脳で言いなりになるはずだった。けど邪魔された。女王が邪魔したのかと思ったけど。邪魔したのはお前だったのね。でも、今日で終わり。私の邪魔はさせない‼ 母親の元に逝くがいい」


 大蜘蛛の前足がセレーネに迫る。


 バシィ‼️


 セレーネの体は大蜘蛛の前足に貫かれ絶命した……

 はずであった。

 しかし、大蜘蛛の前足を阻むものがあった。

 薔薇のツルだ。


「こ……これは……まさか……」


 テミスは後ろに下がる。

 辺りに青い花弁が舞う。


 まさか‼️ まさか‼️ まさか‼️


 セレーネの胸に青い薔薇が咲いていて、薔薇のツルはそこから生えていた。

 大量の薔薇のツルが地面を覆う。

 テミスは逃れようと後ろに飛びのくが。

 薔薇のツルはテミスを逃がさない。

 テミスに絡みつく。


「アノール様‼️ 助けて‼️ あの女が私の邪魔をする‼️」


 テミスはアノールに助けを求めたが、彼もまた薔薇のツルに拘束されて踠いていた。


「使えない男」


 テミスは舌打ちをした。


「何故お前が青薔薇の種を持っている」


 テミスは媚びる様にセレーネに尋ねた。


「青薔薇の種。あれは薔薇の種に似た小石かと思っていたけど。薔薇の種だったのね。お父様は青薔薇の種を贈ってくださったのね」


 テミスは思い出す。

 大昔、聖女に封印された時。

 青薔薇の花が舞い散り、テミスの魔力を吸って実をつけ、種を落としていた事を。

 おそらく、この娘の父親は偶然種を見つけて、それとは知らずに妻に贈っていたのだ。

 妻は夫からのつまらない小石にしか見えない青薔薇の種を大切に持っていた。

 小石(青薔薇の種)は娘に受け継がれた。

 聖女の血筋で大量の魔力を持つこの娘が手にするように。

 まるで神の計りごとのようだ。

 神の悪戯にしては余りにもテミスに不利だ。

 封印前もいきなり聖女が現れた。

 そして封印された。

 あの薄暗い鉱道の中意識はあった。

 私でなければ気が狂っていただろう。


「狡い‼️ 狡い‼️ 狡い‼️ お前だけ愛されて狡い‼️」


「狡い?その前にお前に尋ねるわ。これまで何人殺したの‼️」


「何人殺したかって?」


 テミスは嗤う。

 耳まで裂けた口にはゾロリと牙が生えている。


「お前は産まれてから食事を何回摂ったと数えた事があるのか?肉を何回食った?魚を何匹食った?野菜を何回食った?数えた事があったか?」


 セレーネはゾッとした。

 恐らくこの魔物は食事をしただけなのだ。

 ただ貪り食った。

 貧民街の住人や流れの商人や冒険者を。

 人を殺すという行為は彼女に取って食事でしかない。

 セレーネが考えていると青薔薇のツルを引きちぎり王太子に向かう。

 テミスは皇太子の首に噛みつくとボリボリと王太子を貪り食った。

 王太子は悲鳴すら上げることも出来ず、ただテミスに貪り食われる。

 余りにもおぞましい姿にセレーネは硬直する。


「愛していたのではないの?」


「愛していたから食べてあげたのよ。これで私達は身も心も一体になった」


 王太子の体を食ってテミスは少し魔力を回復したようだ。


 バタン‼️


 ドアが開き兵士がなだれ込む。

 どうやら都で暴れていた死人兵を片付け、城の異変に気付いて戻って来たようだ。


「セレーネ‼️」


 兵の中にお兄様もいる。

 アルディオは直ぐに私の側に来てテミスと対峙した。


「うわあぁあ!」


「なんだ‼️ この化け物は‼️」


「まさか‼️ あの死体は‼️」


「アノール様‼️」


「あの化け物に喰われたのか‼️」


「アノール……」


 女帝は自分が産んだ息子の変わり果てた姿を見る。

 しかし、気丈に兵達に命じた‼️


「この化け物が全ての元凶です。この化け物を討ち取るのです」


「おぉぉぉぉ」


 兵達は鬨の声を上げてテミスに襲いかかった。


 バシッ‼️


 テミスの蜘蛛に似た足が兵士達を薙ぎ倒す。


「かっ固い‼️」


「動きも素早い‼️」


「王太子を食べて進化したのか‼️」


 騎士が女王の周りを固める。

 魔物は聖職者や魔力の強い者達を食べて力が上がる。

 魔力の強い者が王族だ。

 さっきまで死体で出来ていた体は完全に蜘蛛となっていた。

 蜘蛛の外皮は鉄より固くなっている。


「女王に聖女‼ 私はお前達を喰らって神となる‼️」


 テミスは咆哮すると二人に襲いかかった。

 シュルシュルと再び薔薇の蔓がテミスを拘束する。


「無駄だ‼️ もうその手は通用しない」


 ブチブチと蔓を引きちぎってテミスはセレーネに迫った。


 ガキィン‼️


 テミスの前足をアルディオの剣が弾く。


「セレーネ‼️ コイツを拘束してくれ‼️」


 アルディオの剣が次々と襲いかかる蜘蛛の前足を弾く。

 セレーネは再び蔓を造り出す。

 今度は蔓を五本に絡めて丈夫にした。

 薔薇の蔓はしっかりとテミスを絡めとり動かなくする。


「おのれ‼️ おのれ‼️」


 テミスは暴れ蔓を引きちぎろうとするが、ロープの様に編まれた薔薇の蔓はテミスを捕らえて離さない。

 騎士達は次々に蜘蛛の身体に剣を突き刺し傷を負わせる。

 しかし、切り落とされた足も胴体に負った傷も瞬く間に治る。


 ザックリ‼️


 アルディオの剣が人形(ひとがた)の心臓に突き刺さった。


「ぎゃあぁぁぁぁ‼️」


 しかし、アルディオが負わせた傷は塞がる処か剣から炎が上がり瞬く間に燃え広がる。

 アルディオの剣は昔セレーネが勇者ゴッコをして、祝福していた。

 彼は聖女を守る者として聖女の力を分け与えられていたのだ。

 思わない所で中二病が役に立った。


「おのれ……おのれ……もう少しだったのに……私にも守り手がいれば……」


「自分の事しか愛さないお前に守り手が出来る訳がない」


 女王が呟く。

 炎の中、青い薔薇が次々と咲きテミスの魔力を吸い取る。

 蜘蛛の身体が崩れ蔦まみれの体は幼女になり、赤子となってやがて消滅した。

 青い薔薇も蔓も光の粒子となり消えて行く。


「前の聖女はテミスを浄化出来ず。封印するだけだった。セレーネよくぞ魔王を浄化した」


「いえ、私だけの力ではありません。皆でテミスを倒したのです」


 セレーネは女王にカーテシーをとった。




 ~~~~~~~~~~~~~~



 むかし むかし

 悪い魔物のオオグモがおりました。

 オオグモは若い娘に化けると王子を魅了してお城に入り込みました。

 オオグモは城の人々を食べて更に力を得ました。

 しかし

 オオグモの前に聖女様と青バラの騎士が立ち塞がりました。

 青バラの聖女様と青バラの騎士は見事オオグモを倒したのです。


 オオグモは倒され世界に平和が訪れました。

 それから青バラの聖女様と青バラの騎士は結婚しました。

 めでたし めでたし


 お母様が絵本を閉じた。


「お母様、お母様」


「なあに? ローズ」


「この青バラの聖女様と青バラの騎士は、おじいさまとおばあさまの事でしょう」


「そうよ」


 おかあさまはほほえむと、青いバラの中で散歩する二人を見た。

 仲良く佇む二人はかって、大蜘蛛を倒した聖女と騎士だ。

 大蜘蛛を倒した青い薔薇は消える間際に種を落とした。

 その種は城に植えられると、青い薔薇が咲いた。


「おかあさま、青いバラの花言葉を知っている?」


「ええ……」


 青い薔薇の花言葉は


【神の祝福】


 その国は青い薔薇が咲く限り、滅びる事は無かったと言う。





            ~ Fin ~




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  2022/10/8 『小説家になろう』 どんC

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     ~ 登場人物紹介 ~


 ★ セレーネ・ナドラ (15歳)

 主人公。母親と【薔薇の館】に住んでいた。

 母の死後、母方の伯父に引き取られる。

 セレーネ・ヴアーリ伯爵令嬢となる。

 栗毛でアンバーの瞳。


 ★ タレイヤ・ナドラ (享年29歳)

 セレーネの母親。夫は戦死した。

 祖母から譲り受けた【薔薇の館】に娘と住んでいた。

 金髪碧眼の美人。未亡人になってもプロポーズが相次いだが、戦死した夫を愛していた。

 セレーネが10歳の時、湖で溺死しているのを発見される。事故か自殺か殺人かは、不明。


 ★ テミス・ナドラ男爵令嬢 (16歳)

 セレーネの腹違いの姉。

 母の死後、ナドラ男爵家に引き取られる。

 子供の頃母親の花屋の手伝いをしていた時にセレーネと出会っている。


 ★ ニュクス

 平民。テミスの母親。町で花屋を営んでいる。

 馬車に轢かれて亡くなる。

 鉱山で娼婦をしていた。ローランドにお金を貰い町で花屋を開く。


 ★ ローランド・ナドラ (享年27歳)

 セレーネの父。若くして亡くなる。タレイアを愛していた。

 戦死している。タレイヤとは1日だけの夫婦生活だった。

 ナドラ家特有の赤毛に緑の瞳。


 ★ アルフレッド・ナドラ (享年29歳)

 ナドラ男爵家長男。ローランドと同じく戦死。

 性格はあまりよろしくなかった。

 結婚していたが子供がいない為、妻はナドラ家を出て別の男と再婚した。

 赤毛で緑の瞳で右の眼の下にホクロが二つ並んでいる。


 ★ イリーナ・ナドラ

 アルフレッドの妻。アルフレッドの両親とは仲が悪かったからサッサと婚家を出た。

 すぐにヒュバと再婚した。セレーネの母とは仲が良く、手紙のやり取りがあった。3人の子供がいる。

 実は魔道具技師、義足や義手を作っていた。

 その関係でヒュバと出会いイリーナの励ましでヒュバは立ち直る。

 割とスパルタ。


 ★ ケフト・ナドラ男爵 (30歳)

 ナドラ家の三男。長男次男が戦死したためにナドラ家を継いだ。

 テミスがローランドの娘と知り、母親が亡くなったので養女にする。

 セレーネと付き合いは無い。長男次男と両親が亡くなったため男爵領を治めるのに忙しかった。

 別に悪い人ではない。


 ★ アルディオ・ヴアーリ(17歳)

 セレーネの従兄。薄水色の髪にアンバーの瞳。ソバカスがある。

 不治の病の中二病を患っている。


 ★ オーディ・ヴアーリ伯爵

 セレーネの伯父。セレーネの母が亡くなるとセレーネを引き取って養女にした。

 美丈夫でセレーネの母親共々美形兄妹だった。


 ★ ナーエ・ヴアーリ伯爵婦人(歳は秘密)

 オーディの妻。アルディオの母親。

 セレーネを実の子のように可愛がる。


 ★ アノール・ゼーケン王太子(18歳)

 ゼーケン公国の王太子。テミスに夢中。


 ★ シバ・スモウ公爵令嬢 (17歳)

 アノールの婚約者。おっとりしている。

 小さくて可愛くて少しふくよか。


 ★ アラン・スタック

 昔セレーネの父親の部下だった。バスリーナ鉱山戦争で功績を上げて近衛騎士になる。

 緑髪で薄い瞳。真面目な好青年。結婚して幼い子供がいる。


 ★ ヒュバ・ゾンネット

 バスリーナ鉱山で化け物に遭い、片足を失う。

 化け物に遭った恐怖で白髪頭になった。元の髪は栗毛。瞳は灰色。

 右の膝から先を失う。片足になってあれの恐怖のせいで自暴自棄になっていたが、魔道具師のイリーナに出会って立ち直る。

 後に結婚する。今は探偵事務所を運営している。


 ★ ゲイラード・カタぺル

 アルフレッドの部下。アルフレッドに酒やら女やらを提供していた。

 不良軍人。テミスに殺されてゾンビとなる。

 受肉したテミスを孤児院に連れて行ったり、ニュクスを馬車に突き飛ばしたりと忙しいゾンビ。


 ★ ゼーケン公国

 主人公が住んでいる国。帝国とは仲が悪く、度々戦争している。

 連合国で帝国と戦をする。


 ★ プラテン帝国

 国の面積は大きいが、荒れ地が多く、貧しい。

 度々小国に戦を仕掛けている。


 ★ バスリーナ鉱山

 ゼーケン公国とプラテン帝国の境界線にある鉱山。金が出る。

 バスリーナ鉱山は召喚された双子の聖女の姉が魔王に殺された場所で。

 元は魔王の城があったダンジョンだった。

 ゼーケン公国は忌地として封印していたが、金目当てにプラテン帝国が鉱山を開いた。

 300年前の事でプラテン帝国には魔王の城があった事は忘れられている。






最後までお読みいただきありがとうございます。

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[気になる点] 王妃だったり女王だったり女帝だったり。❓?公国?
[一言] 最後までとても面白かったです! 恋愛系と思いや、ファンタジー要素もあり、最後まで、一気に読ませて頂きました。 すごく面白かったです。 (*´ω`*)
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