第2話
以降、グランはメリアの距離を縮めていった。
メリアの処刑まで、あと五日の夜――
今夜も今夜とて、牢番の職務には関係のない物を懐に忍ばせていたグランは、
「これなぁんだ?」
懐から取り出した油紙を、メリアの目の前に拡げる。
中には、砂糖と水飴を低温で煮詰め、ナッツ類を混ぜて冷やして固めた四角状のお菓子が入っていた。
「これってヌガーじゃないですか!?」
思わずといった風情で、メリアが常よりも大きな声を上げる。
庶民にとって砂糖は高級品。
その砂糖をふんだんに使ったお菓子など、一兵士に過ぎないグランではそう易々と手に入れることができない代物だが、
「いやぁ、城内をうろついてたら、誰の物かは知らねぇがヌガーが大量に盛り付けられた皿を発見してな。気がついた時にはもう、油紙に包んでた懐に収めてたってわけよ」
「って、盗んできたんですか!?」
「そうとも言う」
あっさりと認めるグランに、メリアは閉口する。
「聖女様的に、ちょろまかしたお菓子が駄目ならしょうがねぇ。俺が全部食べといてやるよ」
「……食べないとは、言ってません」
聖女様にあるまじき言葉に、グランはニンマリと笑う。
堅物のように見えて、存外欲には弱いタイプなのかもしれない。
「な、なんですか? その顔は?」
「いや、べっつに~。ただ、俺は好きだぜ。あんたのそういうとこ」
「好……っ!?」
聖女ゆえか一五歳という若さゆえか、どうにもメリアには「好き」という言葉の刺激が強かったようだ。
瞬く間に顔が赤くなっていく様を見て、グランはカラカラと笑った。
「……もう!」
拗ねるようにそっぽを向いた際、耳まで真っ赤になっているのが見えたものだから、グランはますますカラカラと笑った。
メリアの処刑まで、あと四日の夜――
「あ……グランさん……」
昨日までに比べて、やけにボンヤリとした調子のメリアに、グランは眉根を寄せる。
「随分お疲れのご様子だが、どうした?」
「いえ……ちょっと……今まで寝ていなかった反動が……今日になって一気にきたというか……」
ふと、メリアと初めて会った時のことを思い出す。
『お構いなく。敵地の中枢で眠りにつく気にはなれませんので』
あの時、確かに彼女はそう言っていた。
もしこの言葉に、全くの嘘偽りがなかったとすれば、
「あんたまさか……マジで今の今まで一睡もしてなかったのかよ!?」
メリアは、上体をフラフラさせながらも首肯する。
「こう見えて私……二~三日くらい眠らなくても大丈夫なんですよ~……」
「全然大丈夫そうには見えねんだが? つうかもう、二~三日なんて通り越してるだろが」
「そんなことないですよ~……」
などという返事をしている時点で、そんなこと大アリなメリアを前に、思わず頭を抱えそうになる。
「しゃあねぇな。今日のところはマジでもう寝ろ。何かあったら俺が起こしてやっから」
「でも……敵地で眠るのは……」
変なところで強情なメリアに、思わずため息をついてしまう。
まだそんなことを言うなら、こちらにも考えがある。
「今、牢部屋にいるのは俺とあんたの二人だけだ。そんな場所が敵地って言うなら、俺はあんたにとって敵ってことになるよなぁ?」
そう指摘した途端、フラフラしていたメリアの上体がピタリと止まる。
表情も、どこかむくれているように見えた。
「その言い方……イジワルです……」
「意地悪なことを言わせたのは、どこのどいつだ?」
先程までのやり取りを思い返しているのか、メリアはしばしの間黙り込み……唐突にシュンとする。
「……私です」
「そういうこった。わかったら今日のところはもう寝ろ」
「……はい」
素直に応じたメリアは、ヨロヨロと歩いて毛布が置いてあるところまで移動し、そのまま床に倒れ込んだ。
即行で眠りに落ちたのか、毛布を被ろうという素振りすら見せなかった。
(できれば、牢の中に入って毛布を被せてやりてぇところだが……)
処刑日前にメリアが殺されることを防ぐためか、牢の鍵は大臣が保管している。
ゆえに、牢番であるグランでさえも牢の中に入ることはできない。
「風邪、引くんじゃねぇぞ」
その言葉が、グランなりの精一杯の気遣いだった。
メリアの処刑まで、あと三日の昼――
皇帝が殺されたという状況が状況だからか。
夜に牢番をやらされているグランが、昼に皇城の警備に回されることも、そう珍しい話ではなかった。
そして、不良兵士で知られるグランが、与えられた職務を放棄ることも、そう珍しい話ではなかった。
もっとも今回に関しては、不良兵士としてではなく、レジスタンスの一員として行動するための職務放棄だが。
「不良兵士を演じてると、こういう時に便利なんだよなぁ」
皇城内にある、今やほとんど使われていない倉庫の中で、グランは得意げに言う。
「お前の場合、演技じゃなくて素だろうが」
その隣にいた、グランと同様に兵士の姿をした男――ケインが、呆れた声音で返す。
彼もグランと同じ、レジスタンスの一員だった。
「わざわざ呼びつけたってことは、ようやく決まったか。聖女様の処遇が」
「……ああ」
微妙な間を挟んだ返答に、グランは眉をひそめる。
「まさかとぁ思うが、幹部連中は聖女様を見捨てる方向に決めたのかよ?」
気の弱い人間が相手ならば失神しかねないほどの凶眼を向けるグランから、ケインは目を逸らす。
凶眼を恐れてというよりも、これから伝える言葉に後ろめたさを覚えるように。
「三日後の聖女の処刑には、皇帝派の中核にして、現在国政を取り仕切っている大臣どもが全員立ち合うという情報を掴んだ。それを聞いて幹部たちは、聖女の首が刎ねられた直後の騒ぎに乗じて、大臣の首をとるという決定を下したのだ」
「んだよそれ……確かに大臣連中全員が集まるってのは好機だが、だからって一五歳のガキを見捨てていい道理にはならねぇだろ……!」
かろうじて働いた理性で声量を抑えるグランに、ケインは苦々しげに応じる。
「オレだって、聖女を見捨てることには反対だ。そんな真似をすれば、レジスタンスとしての大義を失うことになる。だが、この手で……最低でもレジスタンスの誰かの手で殺したかった皇帝を、余所者に横取りされたことが許せないという意見の方が、オレたちの意見よりも少しだけ……多かったんだ」
「だから幹部連中は、その気持ちを汲んだとでも言うつもりかよ……!?」
「そうだよそのとおりだよ……! だが、レジスタンスがそういう組織だということは、お前だってわかっていただろ……!?」
ケイン以上に苦々しげに、グランは口ごもる。
独裁者だった皇帝への当てつけというわけではないが、レジスタンスは良くも悪くも組織全体の声に耳を傾けすぎているきらいがある。
平時ならば、それはむしろ美徳であり、利点にもなり得るだろう。
しかし、レジスタンスにとって最大の標的である皇帝を聖女に殺された今の状況において、果たして冷静な判断を下せる人間は何人いるだろうか?
それこそ半数にも満たないだろうと、グランは思う。
なぜならレジスタンスに属するほとんどの人間が、グランと同じように、帝国の理不尽な仕打ちによって家族や友人、恋人を失った者たちばかりだから。
「クソが……!」
捨て台詞にすらない悪態を吐き捨て、ケインに背を向ける。
下された決定に対して自分がどうしたいのかわからないまま、その場から立ち去っていく。
「馬鹿な真似、するんじゃないぞ」
そんな忠告が背後から聞こえてくるも、グランは努めて聞こえないフリをした。
その夜。
つまりは日付が変わり、メリアの処刑まであと二日となった夜――
グランは、メリアに余計な心配をかけたくないという一心で、怒りとやるせなさでグチャグチャになった内心を無理矢理にでも鎮めてから牢の番についた。
「今日は、こんなもんを持って来たぜ」
言いながら懐から出したのは、チェス盤と駒の入った小袋だった。
「よくそんな嵩張る物、懐に忍ばせることができましたね」
さしものメリアも、少々呆れているご様子だった。
「ちょっとコツを掴めば、誰にだってできるぜ」
「コツでどうこうできる次元じゃないと思うんですけど……」
「んなことより、メリアはできんのか? チェス」
「できますよ。むしろ、グランさんがチェスを嗜んでいたことに驚きなのですが」
「そうか? 仕事中の賭け事といやぁ、チェスはカードの次くらいに定番だぜ?」
「……物凄く納得がいきました」
呆れているのか、メリアの双眸がじっとり据わる。
「というわけでやるぞ。賭けチェス」
「曲がりなりにも私が聖女だということ、忘れてません?」
「忘れてねぇよ。あ、こいつがあんた用の〝賭け金〟な」
「だから、聖女である私に賭け事なんてやらせないでくだ――……」
半ば強制的に渡した、〝賭け金〟が入った油紙の包みを受け取った瞬間、メリアの言葉が途切れる。
すぐさま包みを開き、揚げ菓子が入っているのを確認すると、先程言おうとしていた言葉とは真逆の言葉をグランに投げかけた。
「グランさんの〝賭け金〟は?」
「勿論、あんたと同じだぜ」
そう言って、懐からもう一つ油紙の包みを取り出し、中に入っていたベニエを見せつける。
「……始めましょう」
お菓子を見た途端にやる気満々になったメリアを見て、グランは思う。
(この聖女様、思った以上に駄目人間なのかもしれねぇな)
そんな彼女以上に自分が駄目人間である自覚があった手前、口に出すような真似はしなかった。
そして、賭けチェスは開始し、
メリアの圧勝で終わった。
「嘘だろ……」
ベニエを一つ残らず巻き上げられたグランは、床に両手をついて項垂れる。
牢の向こうでは、メリアが幸せそうにベニエを頬張っていた。
「同僚相手だと、あんま負けたことねぇのに……」
「実際、地力ならグランさんが上だったと思いますよ」
引き続きベニエを頬張りながらも、耳を疑うようなことを言う。
「いや、チェスみてぇな遊戯で、地力が下の人間に何度も惨敗するなんてことありえねぇだろ」
「そこはほら、お菓子が懸かってますから」
「食い意地で頭の回転が良くなるなんて話、聞いたことねぇぞ!?」
思わずツッコみを入れるグランをよそに、幸せそうにベニエを堪能するメリアだった。
彼女がベニエを平らげたところで、グランは今一度、鉄格子の眼前にチェス盤を置く。
「物は試しだ。いっぺん、なんも賭けずにやってみっぞ」
「いいですよ」
承諾を得たところで、二人してチェスの駒を並べていく。
「……グランさん。ありがとうございます」
「なんだぁ急に?」
「『急に』というよりは『今さら』ですよ。これだけ親切にしてもらっているのに、今の今まで一度もグランさんにお礼を言ってなかったんですから」
「礼を言われるほどのことぁしてねぇよ」
という言葉とは裏腹に、ビショップの駒を並べる位置を間違えそうになる。
「一国の主をこの手で殺す以上、死は覚悟していましたし、最悪、死ぬこと以上にひどい目に遭わされることも覚悟していました。それなのに、ここ数日はグランさんのおかげで本当に楽しく……あれ?」
手に取ったばかりのポーンの駒が、メリアの手から零れ落ちていく。
拾い直そうとするも、手が小刻みに震えているせいで、上手く拾えない。
……いや。
震えているのは手だけではない。
メリアの全身が、尋常ではないほどに震えていた。
おそらくは「死」という言葉に口にしたことで、実感が湧いてしまったのだろう。
自分の処刑が、もう明後日にまで迫っていることを。
そのことに気づいた瞬間、グランは半ば反射的に手を伸ばし、鉄格子の向こう側で震えているメリアの手を握り締めた。
「馬鹿野郎が! てめぇの言葉で動揺してんじゃねぇよ!」
「……すみません……」
「謝んな。死ぬのが恐いって思うのは、人として当然の感覚だろうが」
「ですが……」
「まさかとぁ思うが、あんた自分で『私だって死ぬのは恐い』って言ってたこと、忘れてんじゃねぇだろうな」
「忘れてなんていませんよ……ただ……それ以上に覚悟ができていると……思ってたんです……」
現実はこんな有り様ですけど――とでも言いたいのか、メリアは情けない笑みを浮かべていた。
(まぁ、実際に皇帝を殺してるから、覚悟が全くできてなかったってわけじゃねぇだろうが……実際に死が差し迫る恐怖には克てなかったってところか)
そもそも、本当に死ぬ覚悟なんてできていたら、皇帝を殺した後に近衛兵に斬られた時点で、治癒の奇跡なんて施さずそのまま死を受け入れていたはずだ。
致命傷だったにもかかわらず完治させてしまった時点で、彼女が完全には死を覚悟できていなかったことは明白だった。
だが、
「もう一度言うが、死ぬのが恐いって思うのは、人として当然の感覚だ。だから……別にいんだよ。覚悟ができてなくたってな」
もう少し気の利いたことは言えないのかと、心の中で自分で自分を罵りながら、ぶっきらぼうに励ます。
けれど、メリアの体の震えは止まらず、表情が晴れることもなかった。
「……すみません……」
再び謝ってくる彼女を前に、心を深々と掻き毟られるような痛みを覚えるも、やはり余計な心配をかけさせたくなかったグランは、苦笑で内心を覆い隠す。
「だから、謝んなって言ってんだろ」
言いながら、メリアの手を握っていた手に、少しだけ力を込める。
それでもまだ、彼女の震えは止まらない。
抱き締めてでも震えを止めてやりたいところだけれど。
鉄格子が邪魔で、それも叶わない。
(俺はレジスタンスを……帝国の非道に抗った仲間たちを、裏切ることなんてできねぇ)
けれど、
(だからって、メリアを見捨てるなんてことも、絶対にできねぇ)
ならばどうするか?
その答えは、グランの中ではもうすでに出ていた。




