英雄譚が物語りになった今、次の英雄なんて現れない程度に平和な世界
ファンタジー世界でRPG風な物語り冒頭を読んだら、冒険が始まるって感じでワクワクしません?
そんな感じを出したくて、もうずっと前に書いた短編が残っていたので、引っ張り出してきました。
もうずっと前すぎてこの後の展開なんて、折り返し地点と終了部分がどんな流れだったかくらいしか覚えていませんが……。
『むかしむかし、世界がまだ戦争の渦に飲み込まれていた頃。
国々は互いに戦争をし、多くの人がその争いに巻き込まれ、家を失い、病気や餓えに苦しんでいた。
しかし、そんな人々を気にも留めず、戦禍は広がるばかり。
一つ、また一つと国が消えていき、ついにはこの地に十も国が残らなくなった時。
国々は疲弊し、戦争を続けるだけの物資もなく、人もいなくなっていた。
多くの国が戦争をやめていく中で、そんな国を狙って攻め込む、大帝国があった。
フェージライズと呼ばれたその国は、大陸で最大の国へと成長していく。
が、唯一絶対と言われた大国に、天罰が下る。
ある日突然、空は黒々とした雲に覆われ、太陽も月も星も見えなくなった。
そして大地には、その雲よりも更に黒い、天に届くのではないかと思う程の巨竜が姿を現した。
その巨竜は一息で千の兵を吹き飛ばすほどの強さをもち、帝国は手も足も出ず。
人々の武器は役に立たないまま、一夜にしてフェージライズは焦土と化した』
『黒の天罰 簡略版』より抜粋。
○ プロローグ
フェイシル魔法学校、その敷地内にあるだだっ広い図書館には、魔法の技術書が数多く置かれているエリアと、歴史や伝承、それに宗教を説明する本が多くおかれているエリアがある。
魔法の技術書が置かれているエリアは通称魔法エリアと呼ばれ、その本を読みながら実技練習が出来るように、魔導フィールドという特殊な部屋がある。
魔法学校と言うからには、その生徒のほぼ九十九パーセントが魔法を使えるため、授業が終わった後は自主鍛錬などをする生徒で、魔法エリアは賑わっている。
反対に勉学エリアと呼ばれているもう一つのエリアは、本棚のほかに机と椅子が並んでいるだけで、特別な宿題や課題でも出ない限り、すすんでここに出入りする学生はまずいない。
生徒たちから見向きもされなければ、人の気配がしない場所。
しかし、そんな『人気』が無いことに定評がある勉学エリアへと入っていく、一人の少女がいた。
普通の人間とは違って頭に猫のような耳があり、スカートの下からは尻尾を覗かせている、猫系の亜獣人……ミュセリアと呼ばれている種族の少女だ。
赤い長い髪の間からは、普通の人間の耳も見え隠れしていて、どちらも聞こえているのか、それともどちらかは形だけのモノなのか、その判断はつかない。
そんなミュセリアの少女は、勉学エリアに入ると突然、
「アルド、いるー? いたら返事して欲しいんだけどー!」
と、よく通る澄んだ大きな声で、誰かを呼び始めた。
もちろん『人気』の無いこの場所からは、誰の返事も返ってこない。
しかし、少しの間、何かを待っているのかその場でじーっとしていた少女の猫の耳が、何かに反応するようにぴくっと小さく反応する。
「やっぱりいるんじゃない」
ちょっとだけ不機嫌そうに呟くと、少女は迷う事無く、とことこと図書館の中央より少し奥側を目指して歩いていく。
そこには、入り口付近に多くの、それこそ百人くらい座れそうな机や椅子が並べられていたのに、まだ足りないと言わんばかりに、同じくらいの数の机と椅子が並んでいる。
よく見てみると、一番本棚に近い列の席に少年が一人、数冊の本を机の上において何かを読んでいた。
ちょうど本棚の陰になってしまうその場所にいる彼は、黒い髪に黒い服を着ていて、注意して見ないと本当にいるのかどうか分からないくらいだ。
少女は真直ぐに少年の近くまで歩いていく。
「もう、返事してって言ったのに。聞こえなかったの?」
どうやら彼が、彼女の探していた人物のようだ。
そう声をかけられた少年は髪と同じように黒い目を、面倒くさそうにゆっくりと少女の方に向ける。
「……リン、図書館では静かにしなきゃダメだって、何度言えば分かるの?」
「良いじゃない。魔法エリアはいっつもドッタンバッタンうるさいし、こっちはこっちで誰もいないんだから。静かにする意味が分からないわよ」
「そういう問題じゃなくて……。ああ、もういいよ」
少年は、リンと呼んだ少女への抗議を早々と諦めて、また本の方へ目線を戻した。
リンはそんな彼の態度を気もしない様子で、
「それでアルド、今日は何を読んでるの?」
と話題を切り替えた。
アルドと呼ばれた少年は、返事をする代わりに本の表紙をリンの方へ向けた。
「黒の天罰……黒き魔術師の有名な伝説!」
その本のタイトルを見たリンは、なぜか嬉しそうにそう言うと、強引にアルドの手から本を奪い取ると、ぱらぱらと後ろからページをめくって最終章の最後を開いた。
「こうして、三日三晩にも及んだ黒の勇者と黒き巨竜の戦いは終わりを告げ、大陸には再び明るい太陽の光が降り注いだのです。その後、勇者は戦争や天罰で荒れはてた大陸を自らの持つ強大な魔力で潤し、そして彼の住む国へ帰っていきました」
物語の終わりを音読すると、興奮が冷めない様子で本を胸に抱きしめると、
「ホント、黒き魔術師ってカッコイイ!!」
そのままくるくると踊るように三回転した。
どうやら、その黒き魔術師という伝説に登場する人物の熱狂的なファンらしい彼女にアルドは、
「でもこの前の戦争で、黒き魔術師は実在しないって可能性が強まったじゃん」
と、水を注すどころか真冬の冷水を浴びせるような一言を言った。
リンは持っていた本を思いっきりアルドに投げつけ、(アルドに受け止められながらも)
「あんたは! 黒き魔術師肯定派の中でも凄い人、シェフィード先生の弟子でありながら、よくそんな事が言えるね!!」
と怒鳴りつけた。
「別におれは、客観的に事実を言っただけだよ」
感情的なりんとは対照的に、アルドは冷静な口調でそういうと、投げ返された本のさっき読んでいたページを開きなおして、また読み始めた。
「ふんだ、座学しか取り得のないあんたには、シェフィード先生の弟子なんて勿体無いだけよ」
かりかりした気持ちを吐き出すためなのか、それともただの仕返しか、この学校で唯一とも言える魔法がダントツに出来ない生徒、アルド・フェルナンデス(兄弟子)に、リンは皮肉を言った。
しかし聞こえていないのかただ単に気にしないだけなのか、アルドは無反応のまま本を読み続けている。
そんな彼を見ながら小さくため息をついて、
「まあ、こんな本に興味があるんだったら、肯定派だって事は分かるけど」
リンは机の上に積んであった「偽語の研究・解読および実用性」と書かれた本と、その上にある『偽語』のみで書かれた小さな本を手に取った。
『偽語』とは、「偽語の研究・解読および実用性」に書かれた説明によれば、
『「偽語」とは、我々が認識する三大陸において歴史上どの地域でも使われたことがなく、「外」から持ち込まれた事も確認できない未知なる記号全てを指す。
発祥地、使用例、解読方法など分からない事が多く、全てが謎に包まれている。
太古の昔、この記号は偽りの世から持ち込まれた言語と考えられ、「偽語」と名づけられた。
黒き魔術師が使用していたとも伝えられている』
とある。
偽りの世とは、昔から、何の前触れもなく人間が忽然と姿を消してしまう現象がまれに起こり、その原因不明の現象に遭った人々が引き込まれると考えられている世界のことだ。
そして偽りの世に連れさらわれたと思われていた人がある日帰ってきたとき、この偽語が書かれた紙を持っていたという伝承がある。
さらに、黒き魔術師が偽語のみで書かれた本を好んで読んでいたとも伝えられている。
この事から黒き魔術師が使っていた言語では無いかとも言われていて、黒き魔術師肯定派の間では、研究する人も多い。それでも、解読されたという報告は出ていないのだった。
このように、多くの謎に包まれている記号が偽語と呼ばれている。
フェイシル魔法学校の図書室、特に勉学エリアには、リンが手に取ったような偽語のみで書かれた本がたくさん置いてある。
しかしこれらは魔法で複写されたレプリカで、本物ではない。
しかも誰も読めないのだから、研究者以外の人にとっては必要性も感じられない。
リンは、そんな意味不明な偽語の本を右手に取った。
表紙には、綺麗な、たくさんの色を使って人間の絵が描いてある、そんな本だった。
そういう綺麗な絵が描いてある本がたくさん見つかっているそうなのだが、肝心な本の内容が分からないから、何を意味しているのかも分からない。
わたしも肯定派なら、偽語の解読研究の勉強をするべきだろうか?
と何となく考えていたリンの目に、持ち上げたときに宙へ舞った一枚の小さな紙切れが飛びこんできた。
どうやら、一枚だけその二冊の本の間に挟まっていたようだ。
床に落ちたそれを拾い上げてみると、鉛筆で偽語がいくつも書かれた、メモのようなモノだった。
しかしその記号は、少し歪んでいたり、行がずれていたりしている。
今まで授業でよく見てきた記号たちは、同じ形の記号は、全て魔法で複写したのではないかと思うほど、形が気持ち悪いほど似通っているのだ。
まるで人の書いたモノではない。それが特徴の一つだとも言われている。
しかし、この紙に書かれたものは、人が書いたような形をしていると思った。
けれども、偽語の授業を受け持っている、師匠ことシェフィード先生が黒板に必死に書いていた、あの、どう頑張っても見本の記号とは似ても似つかない崩れたものとも違う。
これ、偽語を使っていた誰かが書いたんだ。それもごく最近に。
リンがそう思った矢先のこと。突然、ぱっとその紙切れが手から消えた。
顔を上げると、アルドが本に視線を向けたまま、リンの手から取り上げたのだった。
「ちょっと、何で取るの!」
抗議と同時に取り返そうとしたのだが、
「あ、あっつ!」
触れようとした瞬間に紙切れが急に火の玉になって、そして黒焦げの灰になってしまったのだ。
「ちょ、ちょっと何してるのよ! 大切な資料じゃない!!」
一応、ダントツで魔法が使えないアルドではあっても、小さな火を起こしたりする事は出来る。
その数少ない使える魔法を使って、アルドは取り返しの付かない事をしてしまった!
そう思って慌てふためいたリンだったが、さっきからずっと落ち着いたままのアルドは、
「あれ、資料じゃないよ。おれが書いただけだし」
なんてあっさりと、何の問題もないと言うように告白したのだった。
そんなアルドの言葉を聞いて、
「え、そうなの? なんだぁ、心配して損しちゃった!」
と一度は納得したリンだったのだが、
「ってそんな訳ないでしょ! こんな形の記号、シェフィード先生だってちゃんと書けないのに、あれだけキレイに、あんたが書けるわけないじゃない!」
結局、アルドの言葉を全否定した。
ある授業のとき、シェフィードのかいた記号を、クラスの生徒たちはあまりにも似てないからと、けらけら笑っていた。
お手本は事前に、紙に四つの偽語を魔法で複写したものを生徒たちに配っていたものだから、余計にその違いが分かりやすかったのだ。
生徒に笑われた事が悔しかったのか、それともそうする事が授業の予定に入っていたのかは分からないが、シェフィードは、
「では、そこまで自信があるのでしたら、皆さんも黒板に書いてみてください。見本はお配りしてありますよね?」
と、誰が一番上手に書けるか競うこと提案をした。
なんだこんなヘンテコ記号。
皆そう思って挑戦したのだった。
で、結論だけ言えば、四つ全ての記号でシェフィードのものが一番似ていると言う結果に終わった。
リンも挑戦していたが、師匠に次いで二番目か三番目に似ていると言われるくらいだった。
ちなみにその時アルドはと言うと……爆睡していたのだ。
自分の師匠の授業だと言うのに。
だから、アルドがあれほど綺麗な形で書くことなんて出来ないはずだと、リンはそう思っている。
「信じないなら、別にそれでもいいけど」
相変わらず、アルドの態度は冷静……を通り越して、冷たかった。
「じゃなくて、問題はそこじゃないでしょ! 焼失させちゃった資料をどうす……」
怒りと言うよりも、むしろ焦りのほうが強いリンを、アルドは手で制すると、
「じゃあ問題。今まで見つかった偽語の資料の中で、どんな小さなものでも、手書きの文字や文章が見つかったのはいくつでしょう?」
リンにそんなクイズを出した。
しかし、そんなに偽語に詳しくない彼女はほんの少しだけ言いよどんで、
「分かんないわよ。専門家じゃないんだから」
と答えた。
黒き魔術師に興味を持っていても、リン自身は偽語に対しては全く関心が無いと言っても過言ではない。
大してアルドは時々、図書館でこのように偽語の勉強をしているような姿を見せる。
魔法ができない彼に対して、座学しかとりえが無いくせにと思っているリンではあっても、一般的な知識の多さではアルドの方が断然多いといっても良い。
何しろ、もうすぐ行われる次の学年への進級テストを受けなくても、既に座学の単位で合格ラインに達しているという噂なのだ。
今アルドが出題した問題も、少し偽語に興味を持っている人なら誰でも知っているような、常識問題なのかもしれない。
「正解は、ゼロ……だよ」
そして、彼が告げたクイズの答えは、分かりやすくも知らなければ即答できないものだった。
だからと言って、手書きの資料が今まで見付かっていないから何だと言うのか、リンには分からない。
怪訝そうな視線を向ける彼女に対して、アルドは何も言わなかった。
そしてそのまま立ち上がると、リンの持っていた本もまとめて、近くの本棚に無造作に放り込むと図書館の入り口の方へ歩き始めた。
「ところで、リンがここにきたって事はシェフィード先生が呼んでるんじゃないの?」
急にどこかに行こうとするアルドに走って追いついたリンは、そんな事を言われて、あっと何かを思い出したような顔をする。
「そうだった。話したい事があるから、すぐに来て欲しいって言われてたんだ」
現在は放課後。
本来なら、生徒たちは師の下で魔法の鍛錬に励むべき時間だ。
しかし、シェフィードの受け持つ唯一の弟子であるこの二人はと言うと、こうやって時々の呼び出しを受けない限り、それぞれ放課後は好きな事をしている。
他の生徒たちが過ごしている時間よりも、ゆっくりマッタリしているようだ。
一話 ○ 気まぐれな師匠の頼みごと
アルドとリンの師匠ことシェフィード・カルティは、フェイシル魔法学校の黒き魔術師の肯定派にして、大陸トップクラスとも言われる高レベルな魔法使いでもある。
……のだが、彼のそのおっとりした性格が影響しているのか、争いごとや戦闘を極端に嫌っている。
十年前にあった戦争ではその功績が称えられてはいるのだが、それも旧ガルビアス帝国軍と他国の軍との戦火から、中立軍として一般市民を守ったことに寄る、民主的な評価からきたものだ。
そんな師匠がいるのは、五階建ての魔法学校の三階部分で、一番東側の部屋。
日当たり良好な、学校の中でも地位がそれなりに高い人に与えられる位置……かは定かではないが、環境としては申し分ないものである事は間違いない。
シェフィードはいつも、窓際の日当たりがいい場所に机を置いて、窓を背にして椅子に座っている。
そして部屋の中央には来客用の椅子とテーブルがあり、今、弟子の二人は向かい合って腰掛けた状態だ。
この部屋に入ってからリンは、ずっと図書館でのアルドとのやり取りを話して……と言うよりも、シェフィードに愚痴を言っていた。
どうやら、あの小さな紙切れの事が納得できないようだ。
ちなみにアルドはと言うと、リンの怒鳴り声にも近い大きな声の中、それが全く聞こえていないかのように、うつらうつら、夢の世界へ落ちそうになっている。
「アルドは手書きのものなんて見つかっていないって言うんですけど……」
「手書きの偽語ですか……。確かに、そういうモノが見つかったという報告はありませんからね」
シェフィードは少し考えるような仕草をした後、何かを思いついたようにわざとらしく手を打つと、リンに質問を投げかけた。
「リンはこの前のテストの結果を、アルドから聞いていますか?」
「アルドから……? いえ、聞いてないですけど」
「正確にはわたしの授業のテスト、ですけどね。あのテストで出した、偽語を模写しなさいという問題、三つともわたしより上手く書けていると判断できた唯一の生徒というのが実は、アルドなんですよ」
シェフィードのテストの中で出題された、サービスとも言えるその問題は、全く異なる形の偽語三つを、それぞれ模写しなさいというもの。
配点はと言うと、挑戦すれば一問につき五点で、ある程度似ていると判断できれば、一問につき十点。シェフィードより似ていると判断できれば二十点だった。
全教科の筆記テストは、赤点が三十点未満とされているのだが、なんと、ただ書くだけで赤点の半分も点数がもらえてしまうのだ。
ちなみに、この模写問題は完璧に出来る事が想定されていなくて、全ての問題に完璧に答えられた場合、合計は百三十点となってしまう。
それでも百点より多く点を獲得した生徒はいなかったようだ。
そんなシェフィードの話を聞いて、リンはそんなバカなと言うような目でアルドを見た。
アルドはそのリンの視線に気付いたのか、それとも自分の名前が何度か出た事に反応したのか、閉じていた目を開けて顔を上げた。
「つまりそのメモは、アルドが模写の練習をした跡だったのかも知れませんね」
シェフィードが推論を言うと、アルドは眠そうに、
「まあ、そんな所です」
と答えた。
それを聞いたリンは、少し申し訳無さそうな顔をする。
「そうだったんだ……。ごめんアルド、色々と疑っちゃって」
アルドは学校内で、普段からこのようにボーっとしていたり、魔法実技の授業をサボったり、それに時々言っている事に間違いがあったりする。
そんな普段の彼を見ていると、何が本当で何が間違っているのか分からなくなる時があって、こうして誤解をされてしまう事もかなりある。
確かにアルドにも悪い所があるのだが、リンは一方的に彼に責任を押し付けたりしない。
自分にも間違うことはあるのだから。
そう思っているからか、自分が間違っていた時は素直に謝るのが、リンの性格だった。
「別にいいよ、気にしてないから」
眠いからかアルドは少し優しい声でそう言うと、また目を閉じようとしている。
しかし、それを遮るように、
「では、そろそろ本題に入りましょうか」
とシェフィードは切り出した。
リンは、
「はい」
と元気よく返事をして、アルドは「本題? 何の本題?」というように、眠そうな目を開きなおして師匠の方を見た。
「とは言っても、そんなかしこまる必要はありませんよ。ちょっとしたお仕事を頼みたいだけですから」
「仕事、ですか?」
「はい。お二人には、ウィルミストンの港まで、わたし宛の荷物を取りに行ってきて欲しいんです」
シェフィードの言うウィルミストンとは、メキア王国領にある港町の一つで、他の国々やどの国にも属さない街などを結ぶ、メキア王国で一番重要な港のある土地でもある。
メキア王国は先の戦争で大きな被害を受けていて、その影響からかなり治安レベルが低下していた。最近ではかなり安定してきてはいるのだが、以前はよからぬ者たちの通り道となっていたことへの反動か、ここ数ヶ月で一気に、ウィルミストンで行われる不審者や不審物のチェックが、かなり厳しくなっているのだ。
配達物で言えば送り主が不明なもの、そうでなくても、特に非認定国家や国に属さない地域からの荷物は、無条件で国内に搬入しないという決まりになった。
「あの都市はほら、ああいう環境ですから、非認可の荷物は中を点検しないんですよ。その後も配達自体はされますけど、そういう安全が確認されない荷物を受け取りたくない自治体は多いんですね。うちもその一つです」
うちと言うのはもちろん、フェイシル魔法学校のことだ。
だから、メキア国内に入れない荷物を自分たちで直接受け取る事で安全性の保証をして、もって帰ってきて欲しいと言うことなのだろう。
「もちろん、わたし宛の荷物ですから自分で取りに行くべきなのでしょうけど……ほら、もうすぐ創立記念祭がありますから、その準備でどうしても抜けられない状態でして」
シェフィードは申し訳なさそうに言いながら、横に積まれた山のような紙束へと視線を移す。それは、創立記念祭までに処理しなくてはいけない書類の山なのだろう。
もちろん、彼がそんな事情を話さなくても、師匠から頼まれておつかいに行く事くらい、もうすぐ第五魔教(第五魔法教育課程)に上がる二人なら、当然の事だ。
他の先生を師匠としている生徒は、早ければ第四魔教に上がる前から校外へおつかいに出る事もあるのだから、それを考えたら、校外へ行ったことのないリンには、ようやく訪れた初めてのお使いだった。
しかし、アルドとリンの顔には、険しい雰囲気が張り付いていた。
「あの、確か今って学校の港は封鎖されてますよね? なんか、巨大イカの大群が押し寄せてるとかで」
「そうなんですよ。ですから、メキアへは陸地のルートを使用してください」
「先生、メキア領に入るには許可証が必要ですよ。今から申請したら、一ヶ月くらいかかるんじゃないですか……?」
「大丈夫です。アルドが冒険者登録証を持っているので、彼が一緒ならどこにでも行けますよ」
「……アルドが、冒険者登録証を?」
冒険者登録証とは、世界中の冒険者たちに入ることが推奨されている、冒険者ギルドと言う機関が発行する身分証明書だ。
それには名前など個人情報が書かれていて、それを持っていれば大抵の国で許可証発行の代わりに入国審査と言う形でいくつかの質問をされ、問題が無ければすぐに入国することが出来る。
各国ごとの許可証は、一度手に入れてしまえばそれを見せるだけで入国できるようになるのだが、発行されるまでの期間が長いため、ほとんどの冒険者がこの登録証を作っている。
しかし、最悪申請者の名前だけ分かれば発行してもらえる冒険者登録証とはいっても、冒険者ギルドへの加盟が許可されなくては、作ってもらえないのだ。
十八になっていないアルドやリンの年齢で加盟の許可を受けるには、個人が結成しているどこかのギルドが面倒を見ることが条件になるはずで、そうなると、冒険者登録証を持つ彼は、既にどこかのギルドに所属していると言うことになる。
あまり得意ではない座学の授業で習った知識を使い、連想ゲームのようにそこまでを思い出したリンは、思い当たった疑問に不思議そうな表情を浮かべた。
そんな彼女が何を考えているのかを知らないアルドは、未だその険しい表情を変えないまま、シェフィードの方を見据えている。
「そんなことより、陸路はやめた方が良いですよ。海路が再開されるまで待つべきです。その荷物、どうせ急ぎの用事でもないんだし」
いつに無く強い口調でそう言うアルドに、シェフィードは「おや?」と少し目を丸くしながら、驚いたと言うような顔をする。
「あなたがそう言うのは珍しいですね、アルド。いつもなら何も言わずに出かけていくルートではありませんか?」
「オレ一人ならもちろんそうですけど……今回はリンも一緒なんですよ? ワケが違います」
アルドのいつに無く強気な態度にはリンも驚きながら聞いていたが、シェフィードとの会話に気に入らないワードを二つほど聞き、ピクリと眉を動かした。
「あのルートが、それほど彼女には危険だと?」
「そもそも先生は、リンに速攻魔法や武器を教えてないじゃないですか。呪文魔法だけであのエリアを歩けと言うのは、滅茶苦茶だと思いますけど」
さらにそう続けた言葉を、どういう理由があってアルドが口にしているのかは分からないが、それはリンにしてみれば「足手まといだから連れて行けない」と言われているようなものだ。案の定、その言葉が彼女の逆鱗に触れてしまい、
「さっきから好き勝手言ってくれるじゃない、アルド! あんたは魔法、ちっとも出来ないってのに!!」
盛大に、雷が落ちた。
なぜなら、アルドは学校内で最も魔法ができないと、クラスどころか学年中の生徒たちから笑われているほどの落ちこぼれなのだ。
対してリンは、学年で最も強い魔法使いだと噂されている。それを鼻にかけて他人を見下したりしないが、その噂に恥じぬよう、彼女は普段から自主練習は欠かしていない。その成果もあり、実技テストでは常に満点に近い点数を取っている。
テストにおけるアルドの点数は、不参加のため採点不可能……事実上の零点だ。
魔法学校で勉強をする者でありながら、実技授業を真面目に受けないアルドに、実力のことでバカにされるのは納得がいかない。
リンが怒るのは、無理もなかった。
しかし、怒鳴られたアルドはというと、冷静なままだった。
シェフィードに向けていた鋭い視線をリンに移すと、あまり感情の読めない、平坦な口調で言う。
「確かにオレは、呪文魔法はできない。けどね、速攻魔法は使えるし、武器だって扱えるんだよ」
アルドはいつの間にか腰に差していた刀を鞘ごと抜くと、机の上にごとんと置いて見せた。
「リンは速攻魔法、どれくらい使えるの?」
そう問いかけるアルドの、今まで見せたことの無いピリッとした雰囲気に一瞬気圧さはしたものの、
「どれくらいって……」
負けじと鋭い視線で見つめ返しながら、自分の使える速攻魔法を思い出してみる。
魔法には、攻撃魔法や補助魔法、それに防御魔法や空間魔法など、様々な種類のものがある。
攻撃魔法は対象を傷つけもする、別名破壊魔法。
補助魔法は傷の手当をしたり能力を高めたり、相手を惑わせたりする、一見しただけでは効果の見え辛いもの。
防御魔法はそれら破壊魔法や他者によるマイナスの補助魔法から身を守るための魔法。
そして空間魔法は、瞬間移動、時間の流れへの干渉、次元移動などを行う魔法。
主に座学の授業でこのように分類分けされて習うが、それらとは別に、魔法の発動の仕方でも基本的に三種類に分けられる。
一つは速攻魔法。
魔法の発動した後の姿を思い浮かべながら、魔力の配置や属性変化、発動とその後の動きの管理を行う方式。
一つは呪文魔法。
この世界に住むと言われる精霊の力を借りるため、魔法の発動した後の姿を思い浮かべながら、それを実現できるような呪文を唱え、必要な魔力を精霊に託す方式。
魔力の配置などの面倒で覚え辛い作業は全て精霊が代わりにやってくれ、主にイメージの再現であるため確実。速攻魔法で実現するより必要とする魔力が多いと言われ、イメージ伝達時間……つまり詠唱時間が必要で、隙も大きい。
そして最後の一つは図式魔法。
魔法陣や魔導回路と呼ばれる、魔力の動きを表すものを図や文字で書き表し、一定の条件が整ったときに発動する方式。
空間に漂う魔力を利用することが出来るため、術者に求められる魔力が極端に少い割には強力な魔法を発動できるが、必要な知識が数多い、書き表した設計図を維持することが難しい、条件が整わなければ発動もしないなど……三つの中では超高難易度方式。
主に迎撃用トラップとして重要施設保護に利用され、空間魔法を発動させるためには必要不可欠な技術である。
ちなみに、全ての魔法は影響度により十段階の威力分けがされる。
この威力は魔法に使用する魔力の量によって変化するため、明確な基準があるわけではない。しかし、魔法が発動したことで最終的にどれほどの影響があったかで、レベル一~十と判定される。
魔法学校で速攻魔法を実技として教わるのは、第一魔教のときだけだった。
第二魔教から、今リンたちが受けている第四魔教までの授業では、主に呪文魔法を実技で教わる。
そして第五魔教からは実戦的になり、速攻・呪文・図式問わず、そして武器の扱いも成績に関わるようになってくる。
ほとんどの生徒は、師弟関係を持つ教員から速攻魔法や武器の扱いを、早い内から習い始めるらしいのだが、放任主義であり弟子を二人しか持たないシェフィードは、そこの所を弟子には全く教えていない。
つまり、リンの使える速攻魔法は第一魔教で教わった範囲しかないのだ。
しかし、クラスの委員長を任されているリンは、普段から言うことを聞かない男子生徒たちに向けて、威嚇の速攻魔法を使ったりしている。今すぐここで実践しろと言われても問題はない。
「入ってすぐに教えてもらった魔法なら、大体は使えるわよ」
「ってことは、リンの魔力だとレベル三ってところ? それはちょっと……」
自信を持って答えたつもりだったが、アルドの反応は不安たっぷりと言った様子だった。
放任主義を貫いていたシェフィードすら、予想外だというように困ったような表情を浮かべている。リンの自信は完全に空回りしていた。
「何よ、いけないって言うの? だったら、どれくらい必要なのか言ってみなさいよ。使えるようにしてくるから」
「無理だよリン。そうするくらいなら、武器を練習した方がいいと思うよ」
「良いから言いなさいよ! わたしの使える、一番強い速攻魔法を浴びたくなかったら」
もはやムキになっているリンの脅しに、しかしアルドとシェフィードは顔を見合わせて肩をすくめるだけだった。
「確かに、同学年の生徒相手ならそれが脅しにもなると思うけど……。良いよ分かった、どれくらい必要か言うよ」
そう言ってアルドは、リンが攻撃態勢を解除するのを待って、はっきりと言い放った。
「最低でもレベル五の中辺りは欲しいかな。あの辺りに住む魔物に、有効な一撃を与えたかったら」
「なっ、レベル五……!?」
「もちろん、リンの魔力が他の生徒より多少強いってことを考えてだよ。あのエリア、魔法メインなら最低でも六は必要って言われてるからね」
アルドの言葉を聞いて愕然とするリン。
と言うのも、ここ、フェイシル魔法学校を卒業するまでに習得できる魔法は、呪文魔法でレベル七、速攻魔法でレベル三~五なのだ。
ここで言うレベルとは、名づけられた魔法が引き起こす影響の基準レベルのことだ。
魔法使いがある技をマニュアル通りに発動すれば、つまり呪文魔法で発動すれば、基準レベルの威力となる。
それを速攻魔法で実現すると、魔法使用者の魔力の強さが絡み、実際のレベルは変化する。
他人より強い魔力を持つリンがレベル五・五の魔法を速攻魔法で使えば、レベル六相当になるというアルドの計算から、そう言う答えが出ているらしい。
ちなみに、「恐らく人間の限界」とされる速攻魔法のレベルは、五である。
それより上となると、一度に必要とする魔力量が多くなり、管理しきれなくなってとても発動までこぎつけない、と言うのが理由だ。
もちろん、歴史上で名を馳せた魔法使いたちはそれより強い速攻魔法を扱ったと言われているし、かの有名な黒き魔術師にいたっては、同時に百種類以上のレベル十速攻魔法を涼しい顔で使い、空間魔法も図式を使わず行ったとすら言われている。
黒き魔術師はもはや引き合いに出すことすらむなしいが、常人であっても鍛錬すれば速攻魔法でレベル六や七を使うことも不可能ではないだろう。
しかし、それをモノにするには数ヶ月……いや、十年ですら少ないと思われる。
フェイシル魔法学校の生徒で、過去に卒業までにレベル五を速攻魔法で扱ったものは、後に世界に名を馳せる大魔導師となった、超が付くほど優秀な生徒たちだ。そんな彼らはもちろん、卒業直前まで血の滲む努力を続けていた。
リンは自身が他人より多少強い魔力を持っていると言うことは自覚していても、将来世界中に名を馳せるほどの強さを持っているとは思っていないし、それほど強いレベルの魔法が速攻魔法で出せるとも思っていない。
アルドの言っていたことは、見下しでは無く、客観的な事実だったのだ。
「……魔法の方は分かったわ。武器なら、どれくらい強くなればいいの?」
「相手に当てられるくらいになればいいと思うよ。棍棒でも思いっきり殴れば、レベル三の魔法をぶつけるよりダメージはあるはずだし」
その言葉を聞いて、何で自分は魔法を習ってるんだろうと、少し悲しくなるリンだった。
「って、そもそも何でそんなにぶっ飛んで強いのよ! 魔物って皆そうなの!?」
「そんなことはありませんよ。メキアの国境よりこっち側は、極端に魔力の霧が濃いんです。そこに住む魔物たちは魔法耐性が高くなってますからね、魔力を利用した攻撃は、なかなか効果が出ないんですよ」
魔力というものは、魔力の塊にぶつけると互いの魔力量によって威力が減少するのだが、魔物によってはこの法則を利用し、体内に溜め込んだ魔力を体の回りに張り付けたり、毛にまとわせることで魔法耐性をつけている種類がいる。
それらの魔物は、空間に存在する魔力の量が多ければ多いほど、体内や体外に溜め込む魔力が多くなる。
つまり、空間により多くの魔力が存在する地域では、そのような魔物たちは魔法に対して相当な抵抗力を持つのだ。
しかし、そのことをリンは知らないようで、シェフィードの言葉にも小首を傾げて見せた。
そんな彼女の様子に、師匠とアルドは先ほどとはまた違った意味で顔を見合わせた。
「あの先生……これは大丈夫なんですか?」
一応基礎知識でもあるこの話を知らないリンに、アルドは少し心配になったようで、教師でありリンの師匠でもあるシェフィードに、彼女の知識レベルについて問いかけた。
「さあ? わたしには二人が初めての弟子ですから、その辺りのことは何も分からないのですよ」
その問いに師匠は、何も心配していないらしく相変わらず笑顔のまま、とてものんきな口調で答えた。
普段から彼は弟子の二人にほとんど放課後の授業を行わない。それは即ち、自らの力で上達していきなさいと言う教えであり、裏を返せば放任主義であると言うことだ。ただし、上達するレベルがどこまで求められているかの解釈は、個人の感性に委ねられている。
「何よ。他の子たちがどんな事をしてるかは知らないけど、わたしは少なくとも、魔法実習の成績ではトップ争いをしてるのよ。アルドよりはよっぽどいいと思うけど」
嫌味をこめてアルドを睨むようにして、リンはそう言った。
その言葉をどのように捉えたのか、シェフィードは少し考えるような仕草をした後、わざとらしく何かを思いついたように手を打つ。
「ではこうしましょう。今回のお遣いは、普段の授業では学べないような体験も色々出来ると思いますし、リンにはそういった外の世界の勉強をしてきてもらうと言うことで」
そして宣言されたその言葉は、リンを連れて行くのに反対していたアルドの意見とは魔逆の決定だった。一瞬、アルドがうらむような目でシェフィードを見たが、すぐに視線を外してソファのクッションへと体を沈ませた。
「……? わたしは、と言いますけど、アルドはどうするんですか?」
「普段からアルドには、あちこちから来る依頼や雑用をこなしてもらっていますからね。今回はお遣いと言うだけのつもりですが……」
先ほどから自分の扱いが少しひどいと感じていたリンは、その師匠の言葉に何かを感じたのか、ぴくっと猫の耳を動かした。
「そうですね、リンの初めて行くお遣いが無事に終わるよう、護衛を頼むことにしましょうか」
リンの動きに気づきながらもシェフィードはそこまで続けると、言葉を切って二人の顔を見た。
アルドは、もう何も言うつもりは無いらしく、財布を取り出して魔法学校とすぐ近くの町でのみ使える通貨用カードの確認をしている。対してリンの方は、先ほどの小さな反応を見せてから、何かもやもやしたものがあるような表情になっている。
「リン、何か気になることがありましたか?」
「えっと、あの……。アルドは、もうお遣いをしたことがあるんですか?」
「何度もありますよ。気づいていませんでしたか? 一週間ほど、授業に出ていないこともあったはずですが」
そう問われ、改めてリンは今年の教室を振り返ってみるが、意識して思い返してみれば、あまりアルドのほうを見ていなかったことに気づいた。
授業が始まるときには、生徒が出席しているかどうかを自動的に記録してくれる図式があり、先生たちはそれを使っていて、声に出す点呼などはしていない。教室の前の方に席があるリンは、意識して後ろを振り向かない限り、誰が出席していて誰が欠席なのかを知ることはできないのだ。
第四魔教より前、まだミュセリアである自分が周りの人間たちと違う種族なのだと感じていて、肩身の狭さを感じていた頃は、チラチラとアルドのほうを見ていたし、話しかけてもいた。
それでも、次第にリンの魔法の実力が上がって学年主席を争うようになり、アルドが授業にあまり真面目でなくなって、周りの生徒たちから落ちこぼれと見られるようになっていく程に、声をかけることもチラ見をすることも無くなっていったのだ。
学校に入ったばかりの頃は一緒にいられる唯一の知り合いであったアルドが、気づけばビックリするほど遠くなっていた。
「その様子では、気づいていなかったみたいですね」
少し表情を曇らせたリンを見て言ったシェフィードの言葉に、彼女は言葉を返せなかった。
数年前までは、なかったら生きていけない命綱のようにアルドから離れなかったはずが、今では気にかけない日すら珍しくない状態となっていたのだ。
昔のことを思い出したリンは、当時感じていた不安で仕方なかった気持ちがよみがえってきて、何か大切なものを失ってしまったかのような喪失感に襲われた。
しかしアルドの方はと言えば、そんなリンの気持ちを知ってか知らずか、お遣いの話に戻そうとする。
「……で、先生。念のため訊いておきますけど、出発はいつ頃がいいとかありますか?」
「そうですね、創立記念までには帰ってきてもらいたいので、できれば早めに。明日くらいの出発がおすすめですよ」
「えっ、明日!?」
質問を投げかけたアルドは初めからシェフィードの答えがわかっていたように、小さくため息をつくだけだった。しかし、リンはビックリしたように声を出しながら、耳も尻尾もピンと立てて顔をシェフィードの方へと向ける。
おかげで、少しわき上がってきていたしんみりとした感情も、一瞬で吹き飛んでしまったほどだ。
「じゃあ……リン、一時間後に今日最後の下町行の馬車が出ちゃうから、それまでに三日分の着替えだけまとめて、馬車乗り場に来て」
「ちょ、ちょっと待って! 出発って明日でしょ? どうして今日馬車に乗るのよ」
明日と言ったり一時間後と言ったり、全く統一感のない予定時間に、リンは面食らったようにアルドに抗議する。
「ああ、そっか。リンは知らないんだったね」
アルドは今回初めてお遣いに出るリンが、どうすればそのお遣いに行けるようになるのか知らないことに気づいて、困ったように頭をかいた。
「とりあえず寮の方に歩きながらで良い? 時間もあまりないし」
「じゃあ、少し急いでいこうか。あ、先生。入口の近くにある杖、リンの武器用に借りていきますね」
言うが早いかアルドはその杖を乱暴に掴むと、シェフィードの方を向いて一度手を挙げたと思ったら、さっさと部屋を出て行ってしまった。
リンも急いでそれを追い、部屋を出る前に師匠へと一度頭を下げると、バタンと扉を閉め、置いて行かれないようにアルドの後を走って追いかけて行った。
あわただしく二人が出ていった後に残されたのは、彼らが慌てる原因を作った張本人であるシェフィードと静寂だけ。
弟子たちが出て行った出入り口の方をしばらく微笑みを浮かべて見つめた後、何事もなかったかのように机の上で山を作るように積み上げられた書類を処理する仕事へと戻った。
よほど二人のことを信頼しているのか、彼の表情は穏やかなままだった。
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