道化師の秘密2
諦める事は別に悲しいと思わない。俺は諦めると言う非常に勇気が必要とされる決断を下したのだ。
別に悲観的になっている訳ではない。まぁ人には『あいつは悲観的だな』と思われるだろう、そりゃ普通に考えればそりゃそうだ.
。
でもそんなの他人から見た俺であって、俺自身ではない、人にどう思われようとこっちからしたら知ったこっちゃない。俺は俺の考えで動くだけだ。そんな俺を捻くれ者と呼ぶがいいさ。
俺は人に流されない。
そうはいっても世間からすればごく普通の高校に通うただの男子高生だ、無条件で世間からは若いだけで将来は有望だ、輝ける未来がある、これからの日本を担うのは若い力だ、などと言われても普通の高校生(俺の場合は中の下)には肩の荷が重くなるだけだ。
だから俺は人に流されず今まで生きてきた。誰の言葉も鵜呑みにはしない、言い方を変えれば誰も信じないということだ。
やらなければいけない事をルーチンワークの様にただこなすだけ。
その一つが高校生活だ。
襟足より少し下に切り揃えられ、前髪は横に細長な目を隠すように整えてある、校則が別に厳しい訳ではないが髪を脱色したことも染めた事もない純粋な黒だ、そんな佐々山は自宅から徒歩圏内に位置する、春日井高校に登校する生徒、今日で二年生になる。今日は始業式なのだ。
4月8日。天気は少し冬の肌寒さの残る晴れ、通学路には新一年生と思しき生徒がちらほら見える。楽しそうに集団で喋るグループ、緊張した顔で独り登校する生徒、様々だ。
中学生から高校生になり少し大人になった気分で浮かれていても箱を開けてみれば大した事はないといつか気付くだろう。
人間なんてたった一日二日で見違えるほど
成長なんかしない、成長したとそう錯覚するだけだ。
そんな事を思い校門をくぐる。
廊下には新しいクラス表が張り出されてある、しかし特に興味のない佐々山はそのクラス表を目にすることもない。。
教室に向かう途中、急に後ろから声をかけられた。
「ジョー!おはよっ!」
一年ではクラスが一緒だった里中に声をかけられた。
入学して間もない頃、席が近くだった里中はよく俺に消しゴムを借りてきた。明るくて比較的友達も多い方。誰にも分け隔てなく明るく接するムードメーカーの様な奴だ、所属する野球部でも大きな活躍はないがチームのまとめ役のような存在なのだとか。
その消しゴムの件以外でも喋りかけてくる事は多々ある。しかしどれも当たり障りもない会話ばかりだ。多分里中は色々な人と喋るのが好きなのだろう。
別に佐々山は里中と喋る事が好きでも嫌いでもないので礼儀として条件反射的に挨拶を交わす。
「…うっす」
ちなみにジョーと言うのは俺のあだ名だ。本名が佐々山錠助だからジョー。と言ってもジョーと言うあだ名は里中しか呼ばない。里中以外の奴は普通に佐々山又は、佐々山君と呼ぶ。
「放課後、新しいクラスの皆誘って親睦会開くんだけどジョーは来れそ?」
クラスの皆という事なので俺にも声をかけたのだろう。この手の誘いは年に数回あるが一度もその行事に参加した事はない。
そして今回も。
「俺はやめとくよ」
いつも同じ様にノーの答えなのだが、里中は初めて誘いを断られたかの様に。
「そっかぁ、残念だな。また何かあったら誘うから」
本当に残念そうに言ってから、去って行った。
毎回誘ってくる度に思うが、残念だなと言う言葉を本当に残念そうに言う里中は凄いなと思う。捻くれた俺でさえも素直な言葉として受け入れてしまう。ああいう感情表現豊かな人間が社会に出て成功するのであろうと思う。
始業式まではまだ時間の余裕があるので今日で一年生最後になる自分の席に着く。
始業式の後にクラス替えがあるのだが面倒な奴とは一緒のクラスになりませんようにとささやかな祈りを捧げてると。
「錠助、おはよう」
聞き慣れた声に佐々山は視線を上げた。
「…またクラス一緒になれるかな?…クラス表見ようとしたけど人がいっぱいで見れなかった……」
声の主は千ヶ崎心小さい頃から知ってる仲とあってか異性だが同性のクラスメイトよりはこうして喋る機会は多い。
体格は小柄で黒く丸いシルエットになったショートカットの髪、続けて真ん丸い瞳が俺を心配そうな目で見つめてくる。心はいつもこんな風に俺を見つめてくる、俺がまるで大病にかかっている患者ように、心配そうに。
「そうだな」
と返す。
「錠助、昨日寝不足?」
こいつは何でも言い当ててくる、超能力者のように。これが幼馴染の勘というやつなのだろうか。現に俺は寝不足なのであった。
昨夜、ベットに横になりながら推理小説を読んでいてクライマックスに近くなりその先が気になり時間を無視して読破してしまったからだ。最後のトリックは何となくわかっていたが確認せずにはいられなかった。
「錠助の寝不足の時ってすぐわかるよ」
目を細めながら言った。
そのすぐわかるというセリフは心だからなのだと思う。他の人間からはわからないのだろう、俺が寝不足だろうと熟睡出来てるのだろうと。
「まぁちょっとな」
心の心配そうな顔をさらに心配にさせないために佐々山はボソッと呟いた。
「春って言ってもまだ寒いんだからちゃんと暖かくして寝ないとダメだよ」
「あぁ」
まるで母親が子供に注意をかけるようだ。
俺は左腕の腕時計を見た。
「そろそろ時間だな」
「そうだね、じゃあ向かおっか」
その言葉と同時に俺は席を立ち心と体育館へ向かった。
早めに体育館へと到着し、しばらく待っていると始業式は始まった。
新一年生は前方の方に整列していた。新しい学ラン、セーラー服に身を包み今日を境に高校生活が始まるのだ。佐々山が入学した時とは立つ位置、視線は違うが同じ状況だ。
入学式……
一年前の入学式の日、佐々山は複雑な気持ちだった。それは中学生から高校生になったワクワクやドキドキなのではなく自分がこの春日井高校に入学したということ事態に。
入学式初日の登校日、心と二人通学路を歩いていた。
「…今日から高校生だね」
「そうだな…」
「何か部活は入るの?」
「いや、特に何も決めてない……多分何処も入らないだろうな」
「そっか、そうだよね錠助は」
「お前はどっか入んのか?」
心は少し考えるふりをしてから。
「うん…水泳部とか入っちゃおうかなーなんて…プール入れてお得な感じだ」
「そんな理由で入んのかよ」
「……昔の夏、よく一緒にプール行ったよね」
「…………」
佐々山の中で昔の事が少し思い出された。
「だ、だから私プール部向いてるんじゃないかなーと思って」
何かを取り繕うように心は言った。
佐々山はしばらく黙り込んでから。
「……それも理由になってないだろ」
ボソボソと言った。
「錠助も何かクラブ入ろうと思ったら教えてよ!私もまだ迷ってるし参考にさせてもらうから!」
元気よく心はそう言ってその会話は終了した。
一年前の入学式の事などを考えてぼーっとしていると気が付けばクラス替えも終わりホームルームの時間だった。心は佐々山と同じクラスになるか気にしていたが一年と引き続き同じクラスになっていた。
クラス替えをする際、教師達で話し合いが行われどの生徒とどの生徒が相性が悪いか良いかだの成績、進路などの情報を交わし合いクラスの生徒分配は決定するらしい。俺は別に進路を気にしたこともなければ特別成績がいい訳じゃない俺を分配する要素として前者の理由で心と同じクラスにされたのか、俺の保護役として。
そんな憶測を立てているとホームルームから放課後へと変わる合図を示すチャイムがなった。そのチャイムを聞いた瞬間すばやく身支度を済ませて下校するべく教室を後にした。
内履きと外履きを変えていると、後で追ってきた心が。
「今日も行くの?」
「あぁ」
短く返事を交わし佐々山は校門へ向かった。心はその後を追うことはなかった。
里中から親睦会への誘いを断ってまで佐々山が向かう先は……。
ただの喫茶店だ。
大手チェーン店でもなく古びた個人経営の喫茶店、その名もブルーマウンテン。
名前がブルーマウンテンだからと言って売りがブルーマウンテンの豆という訳ではない、その点に関してはネーミングセンスを疑ってしまう。
店主は父親から代を継いだ二代目で寡黙で少し何を考えているのかわからない所がある。昔から通っている俺でさえもそうなのだから大多数の人間も同じ感想を抱くだろう、昔アニメでも放送していたちょっとエッチなスイーパーが主人公の作品の登場人物海坊主がフレームレスのメガネをかけ長い髪を後ろで結ってしまえば、店の店主、雲雀政生になる。
しかし俺が一番落ち着く場所だ。
店主と特別仲がいい訳でもない、ただ店内でコーヒーを飲みながら備え置きの漫画や小説を読むだけだ。この場所でそんな時間を過ごすのが好きだ、下校時に暇さえあれば一杯のコーヒーで何時間も粘るそして。店主はそんな俺を迷惑がったりもせずに空気の様な存在として見ている。
始業式の今日、佐々山には特別な日でもなくただ普通の日のように今日もそのブルーマウンテンのドアを開く、ただ今日は学校が昼までだったので来るのが少し早くなっただけだ。
店内は木目を基調としたこぢんまりとした雰囲気だ、客席は入口付近に小さな丸テーブルが一卓、ボックス席が壁沿いに三組、カウンター席が八席。と言ってもこの時間帯混雑する事はないので、大体どの席でも座れるのだ。
いつもの佐々山の特等席は一卓しかない丸テーブルだ。大きさ的には直径五十センチ程で、木目調の店内には不釣り合いな白くて丸いテーブルだ。椅子は二脚備えてある。
いつも空席のはずの特等席が今日は先客に取られていた。
一人の女子高校生だ、深い紺色のブレザーに水色のリボン。近所の高校でもなければ春日井高校でもないだろう、歳は俺と同じぐらいか?
肌はまるで白く透き通る陶器の様だ、華奢な身体が店内入口付近のガラスの窓から射し込む光りに照らされ長く伸びたその髪はまるで宝石の様に黒く美しく輝いている。前髪は眉の下あたりで切り揃えられ、その下の伏し目がちな瞳はハードカバーの本に落としている。
いつもは空いているはずの席が先に座られていた事に驚いただけではなかった、このこぢんまりしたブルーマウンテンに丸テーブルが置かれているという事をも越える不釣り合いな光景がそこにはあったからだ。
まるで人形の様だ。
その美しい姿の中に儚さを感じた、手を触れてしまえば花のように散ってゆくような。
その驚きに一瞬動揺したが、我に返り代わりの席を探して一番奥のボックス席にとりあえず座った。
「ホットコーヒー」
まるで合言葉の様にカウンターの店主に言った。
店主は数分後、黙って席にコーヒーを持ってきた。
いつもの席じゃないと落ち着かない、その気持ちを静めるためにとりあえずコーヒーを少し啜った、だが落ち着かない。
カウンターの隅にある漫画を手に取った、店内にある漫画では一番お気に入りの作品だ、これでこの本を手に取って読むのも四度目だ。
最初の読みなれたセリフを読み、ページを進めるが一向に頭に入ってこない。
マズい余計に落ち着かない。
人形女子高生(勝手にあだ名をつけた)には悪いが早く退店してくれないかと心から願った。しかし退店どころか店主含め三人の空間に更なる四人目が増えた。
落ち着かない状況とは裏腹に小気味よくからんころーんとドアベルが鳴った。
少し赤みのかかったふんわりしたボブカットに薄い茶色のブレザーに赤のリボンの制服に身を包んだ女子高生が入ってきた。その女子高生は店内を一瞥するやいなや三組あるうちの真ん中のボックス席に体を投げ出した様にぼすんと座った。
一番奥のボックス席に座る佐々山の向かいのボックス席だ、その女子高生は背中を向けて座っている。
空席がこんなにあるのに何故、皆カウンター席には座らずに二人掛け以上の席に座るんだよと思いながら女子高生から視線を外した。
ボックス席を跨いで顔を向かい合わせて座ってくれるよりはマシだが。
そして佐々山にとってはかなり居心地の悪い沈黙が続いた、人形女子高生は初見と変わらず周囲の様子を気にすることなく読書に熱中している。
「おっちゃん!冷コー!」
ボブカット女子高生(またあだ名をつけた)は少し癖のかかった大きく明るい声でそう店主に言った。
「あいよ」
店主が不愛想に返事をした。
なんだよ冷コーって!お前何歳だよと突っ込みたくなるのを抑えた。
すると店主がそのボブカット女子高生の元に冷コーを持って行った。
するとまた明るい声で女子高生は発した。
「おっちゃん、ありがと!」
静かな店内により一層その声が響いた。
くそー、俺のオアシスが段々汚染されていく。
手に持った漫画が最早本来の目的を果たしていない。
静寂を取り戻した店内に再び嵐が吹き荒れた。
ぴーこぴっこぴーこという軽快な電子音が鳴り、ボブカット女子高生は鞄を穿り返すとスマホを手にした。メールか何かの様で慣れた手つきでするするとスマートフォンを操作すとまた店内に響く声でスマホに向かって喋りだした。
「あ、ミキリン。今駅前の喫茶店にいるんだけど…うん……そうなんだ……ははははは、それはダメだってぇー…うんうん…あとさー」
佐々山の沸点は上昇の一方だった。
井路端会議なら余所でやってくれよ。お前の大きい声はここの三人に丸聞こえなんだよ。一応俺を含めて二名は読書中だぞ!
そんな佐々山の気も知らずにボブカット女子高生は続け様に。
「そのガラケーいい加減スマホに変えなよー、アプリとか便利なものいっぱい出てるよー、ゲームとか一緒にや・ろ・う・よー!」
「ちょっと……喫茶店で携帯電話の使用はマナー的にどうかと思います…よ」
気付けばそう発していた。
言……言ってしまった………。
沸点を通り越した佐々山はとうとうそのボブカット女子高生にそう言ってまった。
ボブカット女子高生は会話を続けながらも不意に体を後ろに捻った、すなわち後ろの佐々山を振り返ったのだ。
「ミキリンちょっと待って…またかけ直すね……じゃあまた後で」
通話ボタンを切り佐々山とボブカット女子高生の視線が合った。
一瞬の沈黙が響いてから。
「え、私?えええ、何か言った?」
きょとんとした顔でこちらを見てくる。
そして意を決し佐々山は改めて言った。
「俺もそうですけど、読書してる人もいるんで携帯電話で喋るにしても少し小さな声で喋った方が迷惑にならずにいいと思いますよ」
「あ、ごめん声大きかった?よく言われるんだよねー声大きいって。」
おどけた顔で手刀を切った。
「あとこれ携帯じゃなくスマホだよ」
と悪びれる様子もなく立て続けにそんな言葉を浴びせた。
怒りを抑えつつ佐々山は、携帯でもスマホでも分かりゃ何でもいいだろと呟いた。
「え?なに?聞こえなかった、ナンダムいいだろ~って?そりゃ機動戦士だろー!とか言って」
舌を出し、またおどけた顔をした、俗に言うテヘペロだ。
佐々山の中で確実に何かが切れた、さっきまで抑えていた何かが洪水の様に溢れ出た。
「なんだよお前はいったい!ナンダムとか言ってねーーーよ!携帯でもスマホでもどっちでもいいだろって言ってんだよ!」
勢いよく立ち上がりボブカット女子高生のボックス席まで行きテーブルを両手で叩いた。
店主は無関心なのか見て見ぬふりをしていた、どうせガキの喧嘩だという風に。
そしてボブカット女子高生も立ち上がり、カウンターを食らわした。
「漫画読んでたからそれを自慢してんのかなーって思っただけじゃん!あと今は携帯とも言わないんだよ、ガラケーよガラケー!」
両者譲り合うこともなくお互いを牽制し合う。
「そうだよ俺はガラケーだよ!ガラケーの意味知って言ってんのかよ!」
「がらんどう携帯?はてはて」
「誰ががらんどうだよ!ガラパゴスの略だよ!バーカ!」
「あぁー!あの亀さん!!」
「ガラパゴス諸島だけども、ゾウガメじゃねーよ!」
そんな口論の間にするりとか細い声が割って入った。
「あ、あの…私は別に電話の声とか気にしませんから……あの…喧嘩はよくないと思い…ます……」
一瞬事態の把握が出来なかった。
口論し合う両者が声の元を振り向くと。
すぐ隣に人形女子高生が立っていたのだ。
「…喧嘩は……やめて下さい」
潤んだ瞳がボブカット女子高生、佐々山の順で見つめてきた。
両者は唖然と硬直したままでその空気を割る様にボブカット女子高生の携帯、否ご当地キャラクターのストラップがついたスマホが先ほどと同じ様に電子音を響かせた、裏側のLEDが赤に点滅している 。
そのスマホの音だけが店内に響き、手に取ろうと手を伸ばした瞬間、手が滑りさっきの冷コーのコップを倒してしまった。その中の液体はまるでスローモーションの様に見えた。佐々山のズボンへ大きい染みを作った。
ボブカット女子高生は気まずそうな顔して。
「あ…ごめん」
と零した。
「…いいよっ、出ろよ電話」
半ば諦めたようにそう呟いた。
「ミキリン、もう終わったの…?じゃあ今からそっちに向かうね」
待ち合わせのようだったらしく荷物をまとめ会計を終えるとそそくさと店を出ようとした。
そして手をドアにかけた状態で振り返り。
「ごめんね、こんど冷コーごちそうするから!」
「アイスコーヒー限定かよ」
「何て言うの?」
ボブカット女子高生の言った意味が分からず聞き返した。
「何がだよ」
「名前!」
言葉の意味を理解した佐々山は不機嫌そうに。
「佐々山だよ」
「下は?」
下の名前の事だろう。
「錠助」
とぼそぼそ言った。
「りょーかい!春日井高校のジョースケね!」
そう言い放つと急いだ風に待ち合わせに向かって行った。
まるで嵐が去った様だった。
さっきの出来事はなんだったんだと反芻していると。不意に透き通る声が耳に入った。
「あの…佐々山さん?…ズボン汚れてしまいましたね、よければこれを……」
人形女子高生は手にハンカチを持っていた。
「…あっ!ありがと、でもいいの?」
美しい姿に見惚れ一瞬佐々山の反応が遅れた。
「こんな小さいハンカチでは間に合いませんがよければ使って下さい」
焦った風にハンカチを受け取ろうとすると人形女子高生と手が触れた。
佐々山の体温は急速に上昇した。
人形女子高生もびっくりしたようにあっ!と呟き頬を赤く染めている。
佐々山の手と人形女子高生の手が離れると佐々山は染みの部分の水気だけでもと思い拭いていった。広範囲を拭き取りながら、こんな時ギャルゲーだと自分で拭くのじゃなくて拭いてくれたりするんだよなーとか妄想してみたりもした。
「あの、何か?」
見惚れながら邪な考えに浸ってしまっていたことに気付かされた。
それを誤魔化すために適当な質問をしてみた。
「あぁ、何の本読んでたのかなー、と思って」
少し溜めてから。
「濫読な方なのですが今は推理小説に凝ってまして…」
タイトルを教えてもらうと佐々山も読んだ事のあるシリーズ物の小説だった。佐々山はあまり小説を読む方ではないが推理小説だけはよく読むのでお互い何を読んだか、感想などを言い合ったりして少し話題に花が咲いた。
いつの間にか席は一番奥のボックス席から特等席の丸テーブルへと移動していた。
話によると人形女子高生こと天野文美はここから五駅程の梅ノヶ丘高校の二年らしい。それはそうだこの上品な言葉遣い、梅ノヶ丘と言うとかなりの学力が必要とされる進学校だ、俺とは次元の違いを感じさせられる。
読書の話題が一通り終えたあと、自嘲する様に佐々山は呟いた。
「天野さんは凄いよなー、俺なんか誰でも入れるって有名な高校だもんな。だからあんなさっきみたいな事で頭きちまうんだよ、見苦しい所見せちゃったよ、全く」
「そんな事ありませんっ!、私なんか……っ」
天野は真っ直ぐ佐々山の方へ視線を向け最初の言葉とは逆に最後の言葉は勢いを落としたままそう言った。
そして目線を外し、何かを我慢するかのようなとても悲しそうな表情で俯いた。
その表情を隠すようにホットミルクティーを両手で口元に持っていき啜っていた。
先ほどの天野の語気に戸惑った。
俺、何かヤバい事言った?言ってないよな?と自分に問うた。
そして目を潤ませながらも、表情を戻した。
「すみません、大声出してしまって…」
「いいよ、それより俺、ほぼ毎日ここに来てるんだけど天野さんここに来るの初めてでしょ?」
湿っぽくならないようにさり気なく話題を変えてみた。
「…はいっ、両親のお仕事の都合で春からこの街に引っ越して来たばかりですので……」
「そうなんだ、大変だね」
佐々山は生まれてこの方地元を離れた事がないのでその大変さがわからないが相槌を打ってみた。
「あの…佐々山さん」
「さんはいいよ、呼び捨てでも何でもいい」
「じゃあ佐々山……くん」
さん付で呼ばれると何だかむず痒くなる、普段佐々山オア佐々山君で呼ばれなれているからだろう。
「佐々山くん、明日もここへ来るんですよね?」
「あぁ、特に用事がない場合はほぼ毎日」
天野の表情に花が咲いた。
「私、明日もここに来ていいですかっ?」
少し困ったようにこう答えた。
「まぁ俺の店でもないし、天野さんがいいなら俺みたいに毎日来てもいいんじゃない…かな」
それから夕方になるまでお互いの趣味の話や学校の話などをして時間が流れた。最後に天野さんは、この街に来て何もわからないのでまた色々教えて下さいと会話を最後に喫茶店で別れたのであった。
腕時計を見るともう午後4時を過ぎていた。かなり長い時間喋っていたようだ。
まぁ今からだと特にする事もないし弁当でも買って帰るか。
近くのコンビニで買った弁当が入ったビニール袋を下げながら目を瞑っても辿り着ける自信がある自宅への家路を歩いているとある光景を目にした。
道路を挟んで反対側の舗装にそびえ立つ大型ゲームセンター店頭に設置された太鼓を叩く音楽ゲームをやっている人物を見かけた。
本人は夢中で太鼓を叩いている、平日の夕方とあってギャラリーの影もなくただ一人でプレイしている。
さっきのボブカット女子高生だった。
しかし声をかけることもなくそのまま足を進めた。
自宅に到着するとリビングの明かりをつけ先ほど買ったコンビニ弁当をダイニングテーブルに置いた。
母親は仕事の都合で帰りは0時を過ぎる。女手一つで育ててくれているのだ別に手作りの夕食じゃなくったって文句は言えまい。
母親には感謝している。
リビングで適当にテレビを眺めながら過ごし、ゴールデン番組に切り替わる頃にはコンビニ弁当を温め食事を取ると早々にシャワーを浴びてから自室に籠った。
特にすることがないのでベットに身を投げ、ズボン…クリーニングに出さなきゃなーなどと考えていると今日あった出来事を反芻した。
始業式の事でも里中の事でもない。
天野文美の事だ。
俺にはない物全て持っていそうな雰囲気の人だな。すぐに思い当たることはまず学力だ、次に安定、教養、優しさ、生々しいがお金。梅ノヶ丘高校といったらそういう学校。お坊ちゃん、お嬢様ってイメージだ。
俺なんかとは次元が違う。
あの天野は俺みたいな人間に触れる機会が少ないから珍しいのだろう。レアモンスターみたいに。
人間が動物園を楽しむのと一緒だ。
そういつもの様に捻くれた考えを頭に巡らせているとふいに映像がフラッシュバックされるように脳内に過った。
あの何かを我慢しているようなとても悲しそう天野の表情だった。
いったいあの先に何を言おうとしたんだ。
私なんか……
考えても答えの出ない問題に頭を悩ませながら佐々山は眠りについた。