速まる鼓動、鳴らぬ心音
「こちらへどうぞ」
開かれた扉とその奥を見て、嬉しいような、拍子抜けしたような気持ちになる。
堅く閉ざされていた、クレマン様の執務室。
その扉がこうもアッサリ開いてしまうとは。
クレマン様に続き、そろそろと入室する。
本棚に囲まれた部屋からは紙とインクの匂いがした。
「あの……よろしいのですか?」
尋ねれば、クレマン様が振り向き首を傾げた。
「あ、えっと……私を執務室に入れたくないのかと……思って、まし、た……」
もそもそと声が小さくなって行く。
ここ最近の説明をしてくれるとなった時、執務室ではなくわざわざ別室を用意したのは、自分の部屋に私を入れたくないから、そう思った。
けれど、面と向かって本人に聞くべき事じゃなかったかも知れない。
視線を上へ下へと彷徨わせた。
「……はい。しかしルネ嬢に限ったことではなく、今は私とアダンしかこの部屋に入りません」
気まずい私とは裏腹に、クレマン様は気にした様子もなく答える。
流れるように椅子を引いてくれた。
入ってすぐにあった応接用らしきテーブルの椅子だ。
“今は”二人の他に誰も入らないと言うのだから、前は普通に人を入れていたのだろう。
「私は別の部屋でも構いませんが……」
「いえ、この部屋が一番、人に話を聞かれる心配が無いので」
「あ……」
胸元でぎゅっと拳を握る。
話を聞かれる心配をするのは、誰にも聞かれたくない話をするから。
おそらく、さっきまではする気の無かった話。
私が……クレマン様に触れたから。
緊張でうるさく鳴る胸を押さえながら、努めて平静を装い腰かける。
すると合わせるようにパタンと扉が閉じられた。
その音を聞いて心細さが増す。
閉めたのは遅れて入ってきたアダンさんだ。
おそらくゼリさんが引っ張って乱した袖やら襟やらを、ささっと整えている。
私だけに話したい事がある、だから席を外して欲しいと言われ、ゼリさんは相応の……いや、相応以上の抵抗を見せた。
彼女には私がか弱く心許なく見えるのか、とても心配してくれている。
トマスさんも呼ばれ、アダンさんと二人がかりでゼリさんを説得、そして物のついでとばかりに、いくつかの説教をしていた。
その隙に私とクレマン様だけで移動して来た形だ。
アダンさんも来たという事は、ゼリさんの説得は終わったのだろうか。
それとも、トマスさんに押し付けて来た?
アダンさんはちらりと私を見て、けれどすぐに視線をクレマン様へと移した。
たぶん、こちらを見てないで主を見ろという意味だ。
呼応するようにコンッとテーブルが鳴り、無意識に肩が跳ねた。
クレマン様が向かいへ腰かけ、テーブルに何かを置いた。
蓋と共に手が離れると、ガラスの器が姿を現す。丸っこく茶色い物がいくつか入っていた。
「……チョコレート?」
「はい。よろしければお召し上がりください」
お皿となった蓋へコロコロとチョコレートを移し、差し出される。
え、なんで今、チョコレート?
意図がよく分からない。
けれど、勧められたのを断る訳にもいかず、手に取って口へと運ぶ。
もぐもぐ咀嚼すれば、程よい甘さが口いっぱいに広がった。フルーティな香りが鼻を抜けて行く。
さすが、力絶大なイノートル辺境伯家。
うちとはオヤツのレベルも違う。
知らず身体へ入っていた力が、少しだけ抜けた。
そんな私を見てクレマン様も表情を緩める。
頬が熱くなった。
きっと誰が見ても明らかなほど、ガチガチに緊張していた。
それを気づかってもらって、嬉しいやら恥ずかしいやら。口元を覆って顔を隠した。
早く話を始められるよう急いで嚥下する。
「あの、すみません。も、もう、大丈夫です」
頬に熱は残っていたけれど、口元を覆っていた手を膝へ戻し、改めて姿勢を正す。
前を見つめた。
クレマン様が息を吸い込み、そっと吐く。
「……どこから、お話しましょう」
彼は組んでいた両手を開いて眺めた。
倒れた私を受け止めた手。
手袋ごしでも分かった、氷のように冷たい手。
「永久騎士、というものをご存知ですか?」
聞き慣れない言葉に一度首を捻る。
遅れて、あ、と思い出した。
「えっと、あの、はい」
家庭教師の先生から聞いた事がある。
突出して優秀な魔術師や剣士は、国王から永久騎士の称号と褒賞を得ると。
「死霊術を扱う者は、魔力量などに関わらず、全て永久騎士の登録を受けます」
「登録……ですか?」
「はい。この身を持って永久に国へ仕える事を誓い、国内各所へ設置された氷結魔道具に登録を行うのです」
「氷結、まどうぐ……」
これまた慣れない言葉に、頭の中で教科書をめくる。
魔道具といえばとても便利でとても高い、それくらいの事しか覚えていない。
「魔道具とは、事前に特性に合った魔力を注いでおけば、定められた条件下で自動的に魔法が発動するものです」
私の残念な頭を見抜いたように、クレマン様が説明してくれる。
「ふ、不勉強ですみません」
恥じてまた熱くなった頬へ手を添えた。
倒れた時にクレマン様の胸へ触れた頬。凍りついたような胸へ……。
与えられた言葉が、勝手に頭の中で繰り返される。
永久騎士、氷結魔道具、定められた条件下、永久に国へ仕える……。
「え?あの、えっと……え?」
「その氷結魔道具に定められた条件は、永久騎士が心肺停止したまま一定時間過ぎること。発動するのは、その身が朽ちないよう凍り付かせる魔法です」
ヒュッと喉が鳴る。
唇が震えた。
「そ、れは……つま、り?」
導き出される答えに、いやそんなはずと抗い、他の答えを探す。
だってクレマン様は……いま目の前で、こんなに普通に話している。
吐き気がした。
鼓動が速まり、視界が揺れる。
クレマン様は自身の胸へ手をあてがい、静かに口を開いた。
「私の心臓は、すでに止まっています」