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飛び込んだ先の温度

 

「出たなぁ、女泣かせ!」


 ゼリさんがクレマン様に向かって人差し指を突き付ける。

 アダンさんが間へ入って静止した。


「人聞きの悪い。きちんと言葉の意味を理解していますか?」


 彼が私の正面から逸れた事で、クレマン様のお姿をよりはっきりと確認できた。


 歪みない、スッとした立ち姿。変わりない、凛々しい顔立ち。

 歩く動作も滑らかで、怪我をしてる様子は見られない。



 ……本当に、無事だったんだ。



 知らず笑みがこぼれる。胸がポッと温かくなった。

 彼が貫かれて見えたのは、きっと不安が作り出した幻だった。


 ふいに向けられた濃紫の瞳。

 切なげに揺れるそれから、目を離せなくなる。

 視線を絡めたまま、クレマン様が唇を動かした。


「ル…」


「兄さん、久しぶり!」


 兄弟が同時に声を発し、気性ゆえか兄ゆえか、クレマン様が自然に発言を譲った。


「襲われたって聞いたけど元気そうだな」


 笑顔で肩を叩こうとし、けれど身を引かれ空を切る。

 ヒューゴ様は目を見開き、次いで、先までの堂々とした態度が嘘のように、不安げに眉尻を下げた。


「…………兄さん?」

「あぁ、すまない、気にするな。お前の方は変わりないか?」


 クレマン様が頬を緩め、幼子を慰めるように優しく微笑む。

 それを見てヒューゴ様も表情を柔らかくした。


 絵に描いたような美しい兄弟。

 彼等を包む穏やかな空気は、二人の仲の良さを教えてくれる。どこか、母と子のようにさえ見えた。


「このような所で立ち話はやめましょう」


 アダンさんが大きく扉を開け、クレマン様の退室、ヒューゴ様の入室を促す。

 そういえばここは辺境伯様の執務室前だ。扉を開けたまま盛り上がって良い場所じゃなかった。


 ヒューゴ様は小言を言われた子供のように肩を(すく)め、クレマン様は黙って扉を通り抜けた。


「じゃぁ今度こそ、またな」


 ヒューゴ様が私達に向かって爽やかな笑顔で手を振り、入室する。黒髪の青年が続いて扉を閉めた。


「むぅ。ヒューゴ様は一体いつ、一発お見舞いしてくれるの?」


 ゼリさんが頬を膨らませて、とんでもないことを呟く。

 アダンさんが発言の意味するところに気づき、彼女を睨みつけた。


「お二人も、用が無いのであれば自室へお戻りください」

「えー、帰りませんよ〜だ!あたし達はそこの、やっと会えた女泣かせに話があるんです!」

「女泣かせって、だから貴女は言葉の意味を……はぁ」


 アダンさんが額を押さえる。普段からゼリさんに手を焼いている事が容易に想像できた。


 彼の肩を引き、クレマン様が首を振る。

 前へ出て、私へと向き直った。


「ルネ嬢、長く何の説明もなくお待たせしてしまい、申し訳ありません」


 すっと頭を下げられ、慌ててしまう。


「え!あ、あの、あ頭を上げてください!」


 謝って欲しい訳じゃない。

 ただ、少し不安だっただけで……。


「本日の午後にお時間いただけるなら、これまでの事、そしてこれからの事を説明させていただきたい」


 真摯な謝罪と、望んでいた提案をされる。

 ゼリさんと顔を見合わせた。

 これを断る理由はない。お互いの顔にそう書いてある。


「分かりました。では午後に……」

「はぁん?その前に一発殴らせ」

「ごごごご午後に!午後に!お伺いします!」


 前言撤回。ゼリさんは未だ拳で語らう気でいた。

 発言に被せるよう、全力で了承しておいた。




 ◇◇◇





「いいですか?ルネ様、先手必勝ですよ!」

「せんて……え?」


 想定外の言葉は、時として上手く頭に入らない。

 何度も復唱して、やっと言葉の意味は理解する。

 けれど、何故そんな言葉が出たか分からない。


「こっちです!」


 ゼリさんが扉の脇で手招きした。

 持ち上げていたティーカップを受け皿へ戻し、呼ばれるまま近寄る。


「じきにクレマン様とアダンが来ます」

「はい」


 約束の時間はもうすぐだ。

 私が執務室へ伺うつもりだったけれど、別の部屋を指定された。気が急いて30分も前に来てしまい、今までずっと待っていた。


「きっとアダンがノックして扉を開けます。でも入室はクレマン様が先のはず。チャンスはここ」

「……チャンス?」


 呟きにゼリさんがコクリと頷く。


「あたしがベストなタイミングで背中を押します。だからルネ様はガツンと一発!いや、二発でも三発でも!好きなだけお見舞いしてやってください!」


 拳を素早く振って見せてくれる。


 お見舞い?

 お見舞い、お見舞い……。


 重症でなかったにせよ、クレマン様は怪我人だ。お見舞いされてしかるべき。

 会う事ばかりに気が行っていて、見舞い品など用意していなかった。


 持参した荷物の中からでも、何か渡せる物はないだろうか。

 結婚の持参品を渡すのはおかしいから、それ以外となると……お気に入りの茶葉?ポプリ?

 どれもピンと来ない。


 そんな事を考え、なかば現実逃避してる間にも、ゼリさんは予想されるクレマン様の立ち位置や背中を押すタイミング、どうアダンさんの介入を抑えるかなど、熱心に説明してくれた。


 あぁ、どうして。

 ゼリさんの言うガツンは、すっかり口撃から攻撃へとすり変わっている。



「とまぁ、こんな流れです。出来そうですか?」


 ひと通り説明を終えた所で、ゼリさんが振り返って微笑んだ。

 出来そう?いや、出来ない。技術的な話以前に、精神的に。


「えぇっと………………とりあえず、ゼリさんもお茶を飲みませんか?」


 そして気持ちを落ち着けてほしい。

 物騒な話から逃げるようにローテーブルへ戻り、ティーカップへ魔力を注ぎ込む。


 カナリア色の光がほのかに灯ってすぐ消えた。

 冷めていたお茶から、再び湯気が立ち昇る。


「どうぞ」


 テーブルまで来たゼリさんへお茶を差し出す。

 けれど、なかなか手に取られない。

 ゼリさんは椅子にも腰掛けないまま、湯気をじっと凝視している。


「これ、淹れられてから結構時間たってますよね?」

「え?あ、はい」


 (やぶ)から棒な質問に頷いて返す。

 とても手際の良いメイドさんが二人分淹れてくれて、今はもう退室している。


「もしかして、炎熱魔法を使いました?」

「あの……えっと、はい、一応……」


 もごもごと口籠もりながら肯定する。

 こんな些細な魔法を炎熱魔法だなんて、ちょっと恥ずかしい。


 普通、炎熱魔法といえば、かまどに火を付けたり井戸水を沸騰させたり、日常でとても役に立つ魔術だ。

 けれど、私はそういった事は一切出来ない。


 できるのは、冷めたばかりのお茶を温める事、これ一つくらい。


 炎熱魔法は曾祖父からの覚醒遺伝らしい。

 母は魔法の使えない人だったというし、きっと私へ受け継がれるまでに力が薄まったのだろう。


「ルネ様は、炎熱魔法使いなんですね……」


 ゼリさんが眉を寄せ、口をへの字に曲げる。


「あの……何か?」


 そういえば、彼女はさっきも炎熱魔法に対して嫌そうな顔をしていた。

 歓迎される事の多い炎熱魔法だから、あんな反応は初めて見た。


「あ〜、問題はないんですが……ここら辺じゃあんま好かれないっていうか」

「好かれない?」


 ゼリさんが唸りながら、どう言ったものかと首を捻る。反対側にも捻った。頭をポリポリかきながら口を開く。


「イノートル辺境伯領って、氷結魔法の使い手が多いでしょう?それと領主様の魔法で成り立ってるところがあるから……二つの天敵ともいえる炎熱魔法は、ちょっと嫌な感じがするっていうか」


「て、天敵?嫌な、感じ……」


 耳の裏でシンバルを叩かれたような、背中から水を浴びせられたような心地がした。

 視線がするする下がり、俯く。


「あ!だからってルネ様のこと嫌いになったりしませんよ?ちょっと魔法やだなぁ、見たくないなぁってくらいで」


 ゼリさんがわたわたと、あまりフォローになってないフォローをしてくれる。


 もしかして……クレマン様に避けられてたのはこれが原因?

 婚前調査とかで私のヘボ炎熱魔法を知って、幻滅した?これからするのは、婚約解消についての話?


 肩がズンッと重くなる。

 ゼリさんが何か言っているけれど、耳に入らない。

 沈み行く思考の中で、ひとつの些細な疑問が頭をもたげた。


 炎熱魔法って死霊術に対しても天敵なの?





 ノック音が鳴る。

 閉じていた頭に妙に響き、びくりと肩を震わせた。


「お、来ましたね」


 ゼリさんの声でティーカップを置き、扉の前へ移動する。

 首を左右に振って嫌な想像を飛ばした。


 あ、と思う。

 メイドさんが出て行ったから、扉を開ける人がいない。


 アダンさんが開けるとゼリさんが言っていたっけ。

 けれど、子爵令息様にそんな事をさせて良いのだろうか。私が開けるべき?


「えっと…………あの、その、どうぞ」


 しばし悩んで、おずおずと入室を促す。

 私が開けるのもそれはそれで違う気がした。


 間も無く扉が開かれ、予想通りアダンさんが姿を見せる。すぐ脇へ避けて、クレマン様が先に入室した。


 パチっと目が合う。


 気恥ずかしくなって、視線を下へそらした。

 辺境伯様の執務室前でも目が合った。あの時は食い入るように見てしまって、無作法だっただろうか。でも、クレマン様も……。


 あの時の瞳を思い出す。見てるこちらも切なくなるような瞳。

 同じように見つめられてたらと頬が熱くなった。


 クレマン様が一歩前へ出て、コツリと靴が鳴る。

 それが合図だったかのように背中を強く押された。


「いまです!」


 ゼリさん、かけ声と行動の順番が、逆!


 何の準備もしていなかった、そもそも一発お見舞いする気もなかった私は、押されるがままクレマン様へと倒れ込む。


 受け止めるために伸ばされた腕。

 驚きと恥ずかしさと、わずかな期待に鼓動が速まる。


 クレマン様の胸へ飛び込み、抱きとめられた。



「っ…!」


 皮膚から来る反射が、身体を離させる。




 反動で尻餅をついた。

 極端な温度差に晒された頬を無意識の内に撫でる。


「…………え?」


 火傷、するかと思った。

 けれど、熱いと思ったものが実際はその逆だったと気づく。


 熱かったんじゃない、冷たかったんだ。


 似たような温度のものに最近触れた。

 ゼリさんの作った、氷の階段。



「…………え?……え?」


 困惑の中、目の前のクレマン様と、ゼリさんに抑えられているアダンさんとを交互に見る。


 二人もお互いの顔を見合わせ、深い、深いため息を吐いた。




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