予期せぬ再会
「それじゃあ、あんたが……いや、貴女が兄さんの婚約者か」
あんたで良いです。あんたが相応しいです。
顔を覆いたい気持ちはぐっと堪え、挨拶の姿勢を保つ。頭は上げられなかった。
いったい、どんな顔を向ければ良いのか。
あぁ、もう……第一印象、最悪だ!
屋根の上で言葉を失い、名乗る事も出来ない私に代わって、ゼリさんが事情を説明してくれた。
登った時と同じへっぴり腰で屋根から降り、何とか挨拶は出来たけれど……。
「そう畏まらないでくれよ。柄じゃねぇから」
困ったような声を受けて、やっと顔を上げる。
ヒューゴ様は頭を掻いて眉をハの字にしていた。
「まぁ、令嬢が見られるには、少しバツの悪い格好だったかな」
「ひっ、申し訳ありません!もう二度とあんな真似はいたしません!」
上げた頭を再び下げて謝る。
「お、おい、頭上げてくれよ。俺達は何にも見なかった、そういう事にしよう。な!」
ヒューゴ様が一緒に転移してきた従者らしき青年へ話しかける。
彼とほぼ反対色の、黒髪とメガネの奥の赤い瞳が印象的だ。
「……はい。次期イノートル辺境伯夫人が屋根に登って男の部屋を覗き見し、お尻を突き出しながら階段を降りて来た様子など、ちらりとも見ておりませんでした」
私と視線を合わせながら、しれっと言い放つ。
あ、あああぁあぁ……!
自分の仕出かしたこと改めて指摘され、今度こそ顔を覆って項垂れた。
ヒューゴ様が青年の頭をペシリと叩く。
「お前っ、いちいち言う奴があるか!」
腰に手を当て、ゼリさんが一歩前へ進み出た。
「そんなに悪い事ですかぁ?クレマン様の方がよっぽど悪いです。怖い目に遭った婚約者を何日間も放って、一切顔を出さないなんて、まったく!婚約者失格!いや、男失格ですね!」
ゼリさんのプリプリ怒るモードが再開されたらしい。
慌てて頭を上げ、袖を引いた。ヒューゴ様の目の前で、兄であるクレマン様の悪口はあまり宜しくない。
「ゼ、ゼリさん、落ち着いて」
「ルネ様はもっと怒って良いと思います!」
「あー……兄さんが、悪かった?な?」
悪くもないのにヒューゴ様が謝ってくれる。
「クレマン様にはクレマン様の事情があるでしょうし……」
「それにしたって放っとき過ぎです!ルネ様もあんなに落ち込んで!」
「あの、私は大丈夫ですから」
「4日ですよ?4日も放っておかれて!もう!ヒューゴ様からも、クレマン様にガツンッと言ってやってください!いえむしろ、ガツンッとくれてやってください!」
ゼリさんが拳を握り、ヒューゴ様の鼻先でブンと振るう。
「お、おう分かった!兄さんに一発くれてやる!だから、それで許してやってくれ」
「許すかどうかは、ルネ様が決める事です!」
「ゆ、許します、許します!」
精一杯こくこく頷く。すると、ゼリさんは膨らませていた頬からほひゅると空気を抜いた。
矛を収めてくれたと、二人でホッと息をついた。
帰宅の挨拶をするという彼等に続いて、私達も屋敷へ踵を返す。
さり気なくヒューゴ様の隣へ並び、小声で話しかけた。
「あの、先ほど仰っていた、クレマン様に一発とか何とか……お気持ちはありがたいのですが、その……」
「あぁ、まぁなんだ。俺も出来るなら兄さんに手を上げたくない」
アイコンタクトを取り、お互いの意思を確認し合う。
良かった。ヒューゴ様がクレマン様を殴る事はなさそうだ。
「ははっ。何だか変な対面になっちまったな。ともあれ、これからよろしく、義姉さん」
ほがらかな笑顔を向けられ、こちらも釣られて笑顔になる。
酷い醜態を見せて気まずかったのが嘘のように和やかな雰囲気だ。
ゼリさんが怒って話がうやむやになったから、だけじゃない。きっと彼の快活な人柄のおかげだ。
「よろしくお願い……しま、す?」
語尾が疑問形になってしまった。義姉さんと呼ぶのは、早い気がする。
私は目下クレマン様に避けられ中だ。
この降って湧いたような婚約。もしかすると始まりと同じように、突然終わりを告げるのかも知れない。
扉をくぐって屋敷へ入る。
隙間を縫うように風が吹き抜けた。身が縮こまる。
上着も着ずに外へ出て、氷の階段を登り下りしたから、身体が芯から冷えてしまった。
早く部屋へ戻って温かいお茶を飲もう。そう思って腕を擦ると、ほわりと温かいものに包まれた。
薄赤い光。そのより明るい方、より温かい方へ目を向ければ、後ろにいた黒髪の青年が私の背へ手をかざしていた。
「炎熱魔法だよ。この辺じゃ珍しいけどな。ヴィルモスは南の出身だから」
ヒューゴ様の説明を受けながら、温もりに蕩けそうになる。凍えた身体が嘘のように、内からポカポカ温まって行った。
寒暖差のせいか瞼がトロンと重くなり、歩きながら寝てしまいそうだ。
「……炎熱魔法?」
ゼリさんの不快感を乗せた声に、落ちかけていた瞼を持ち上げる。
見れば、彼女は感情そのままに眉を寄せていた。
声をかけようとして、けれど扉をノックする音によって阻まれた。
うっかり、辺境伯様の執務室前まで一緒に来てしまっていた。
「それじゃ、またな」
手を振って扉を開けるヒューゴ様に頭を下げる。
「おおっと」
「失礼」
鉢合わせのようなやり取りを聞き、入れ替わり中から人が出て来たのだと知る。
聞き覚えのある、品のある声だ。
……この声、もしかして。
恐る恐る顔を上げる。
ここ数日、毎日聞いていた声。その声の主であるアダンさんが、果たしてそこにいた。
彼の後ろには――。
「…………クレマン様」
4日ぶりに見る、婚約者様のお姿があった。