高い所からこんにちは
「本日はお会いになれません」
そう言ってばっさり切り捨てるのは、クレマン様の護衛騎士であるアダンさんだ。
アダン様と呼ぶべきかも知れない。気品溢れる佇まいの彼は、子爵家の出身らしい。当然、私は気遅れしてしまう。
一方、つぶらな瞳や癖のある髪は、失礼ながら昔メイドが飼っていた犬を思い起こさせる。
頑なな態度も主人への忠誠ゆえに見えて、勝手に好感を抱いていた。
けれど、こうやって追い返されるのも4回目。
さすがに違った感情が生まれてくる。
「一目で良いのです。どうか、お姿を拝見させてください」
祈るように手を組み、再度お願いして食い下がる。
食い下がった……けれど、やはりと言うか、首を縦に振られる事はなかった。
ため息が出る。こう何度も門前払いにあうなんて、自分が悪質なストーカーか何かになった気分だ。
実際は正式な婚約者。
同じ敷地内にいて、少しも会えないのはおかしい……と、思う。
面会を断られ過ぎて、だんだん自分の常識も疑わしくなってきた。
とぼとぼと俯きながら廊下を歩く。
「あぁ〜、ほら、元気出してください。きっと忙しいだけですよ。たぶん」
隣を歩くゼリさんが、ぽんぽんと肩を叩いて励ましてくれる。
彼女はあの襲撃事件以来、私専用の護衛騎士になったらしい。昼間は大抵一緒にいる。
そう、4日前の襲撃、それからクレマン様と会えていない。
あの時、文字通り土壁を飛び越え、宿泊予定だった街へ逃げ込んだ。
駐屯していた騎士隊が街を出て丘陵へ着いた頃には、襲撃者達は姿を消していたらしい。
クレマン様の傷は遠目に見たほど深くなく、自身の足で立って歩いたという。
すぐに会いたくて、その日の内に面会を申し出たけれど……事後処理で忙しいと断られた。
それから別々に領都へ移り、同じイノートル辺境伯邸で過ごすようになって今日で3日目。
元々予定していた結婚式に関わる準備は一切行われず、会う事さえ出来ないでいる。
説明は今しばらく待って欲しいと伝えられた。
今しばらくって、一体いつまで?
ふるりと身体が震え、腕をさする。
最後に見た、クレマン様の凄惨な姿が……眼裏に焼き付いて離れない。
立って歩いたと言うのだから、きっと見間違いだった。けれど、元気な姿をこの目で見るまで消えてくれそうにない。
再びため息をついた。
「あわわ、そうですよね、つらいですよね。何日も顔を見せないなんて、こりゃクレマン様が悪い!」
ゼリさんが両手をわたわたと動かし、そうかと思ったら拳を握って憤った。
「あたしに任せてください!」
ドンと胸を叩く姿がとても勇ましい。
「……何か手立てがあるんですか?」
ゼリさんは自信たっぷりに頷き、ニッと笑って白い歯を見せた。
「扉がダメなら、窓から行けば良い!」
庭園の中、グイグイ引っ張られながら歩き進める。
陽射しは温かいけれど、空気は冷え切っていた。
白い息を吐きながらゼリさんに話しかける。
「あの、窓から行くって、まさか窓から無理やり入るつもりじゃ」
「そのまさかです!」
「そ、それはさすがに……ご迷惑、では」
「いいんですよ!あっちが悪いんですから!」
頬を膨らませ、ゼリさんがプリプリ怒っている。
これは……言われるまま付いて行っちゃダメな奴だ。
無鉄砲でイタズラ好きな弟を思い出す。
小さい頃は彼のわんぱくを心配してあちこち付いて行き、何やかんや、結局はいつも姉の私がイタズラや失敗の全責任を負わされた。
「あの、やっぱりやめましょう」
「えぇ?ここはバンッと突撃して、ガツーンと言ってやらなきゃですよ!」
「ガ、ガツーン?」
ガツーンって、何を言えば良いのだろう。
婚約者を何日も放っておくなんて酷い!……とか?
でも本当に忙しい時、そんな事を言われたら煩わしいと思う。
じゃあ他に何を……と考えた所で、相変わらず大股で歩き続けているゼリさんに気がついた。慌てて手を引く。
「あの、あの!えっと……あ!突撃じゃなくて、遠くからお姿を拝見できませんか?」
「……遠くから?」
「はい!遠くから!」
「でもそれじゃぁ」
「それで十分なので!」
ゼリさんの手を握り、ぎゅっと目をつぶる。
「うーん……ルネ様がそれで良いなら。遠くから執務室を覗けると言えば、あの辺りですかねぇ」
ゼリさんが少し離れた所にある東屋を指差した。
軌道修正できたと、ホッと胸を撫で下ろす。
これで、婚約者の部屋へ窓から侵入する不審者とならずに済んだ。
うん、改めて想像すると酷い。
窓は外から開かないはず。割ることに、なったよね。
遠い目をしてる内、気づけば東屋の近くまで来ていた。
試しに屋敷の方へ目を向ける。植木が邪魔してよく見えない。
そもそも執務室は二階だから、植木が無くても角度的に見え難い気がする。
「あの、見えないようですし、残念ですが諦めて戻り……」
「凍てつけ大地、架け橋を成して道を開け」
ゼリさんが地に手を付き詠唱する。
東屋まで一直線に地面が凍りついた。そこから宙に向かって氷が伸び、屋根まで続く階段が出来上がる。
「えへへ。氷結魔法、便利でしょう?」
ゼリさんが得意げに頬を染めた。
便利、そりゃ便利だ。これだけ使いこなせるなら、どんな魔法でも。
クレマン様も護衛の皆さんも、本当に魔力量が多くて技術も高い。
「ん?……あの、もしかしてこれ」
「上からなら、よく見えますよ!」
登るってこと、らしい。東屋の屋根に。
嘘と言って欲しくて、苦笑いでゼリさんを見つめる。
「さぁ!どうぞ!」
満面の笑みで返され、何も言えなくなった。
彼女には善意しかない。
……登る?登るの?
右を見て左を見て、庭園に誰もいない事を確認する。お屋敷からは植木が邪魔で、この階段は見えていない。
冷えた空気を吸い込み、階段に足を掛けた。
――つるぅり。
ゼリさんが作ったこの立派な階段、残念な事に手すりが無い。なのに氷で出来ている。
滑る。とんでもなく滑る。
一段目で思い切り、綺麗に、すてーんと転んでしまった。
「わわわ!ルネ様、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫です、大丈夫です!」
ゼリさんが手を貸してくれたけれど、逃げるように再び階段を登り始める。
頬が熱い。あんな派手に転んで、ただただ恥ずかしい。
手すりの無い滑る階段を、へっぴり腰で登る。
これ、他の誰かに見られたら恥ずかしい所じゃないなと、中腹まで来てから気づいた。
慎重に、けれど大急ぎで歩を進める。
登り切って小さく息をついた。
下から見た時は分からなかったけれど、東屋の屋根は中央部分が大きく開いていた。
相変わらず不安定な足場の中、どうにかマシな姿勢を作る。
その隣で軽やかに登ってきたゼリさんが仁王立ちし、額に手を添えた。
「さーて、どれどれ、クレマン様のお部屋は〜っと」
氷の階段に触れてかじかむ指へ息を吐きながら、私もお屋敷へ目を向ける。
ゼリさんの大胆さに戸惑いつつ、ここまで来てしまったのは……やっぱりクレマン様の元気なお姿を見たかったからだ。
ひとつ、ふたつ、みっつと端から窓を数え、目当ての部屋を見つけた。
無意識に深呼吸する。
人の部屋を覗くなんて、いよいよストーカーっぽい。そんな事を考えながら目を凝らした。
「……あれ?」
「あらら?」
部屋の造りや調度品から、ここが執務室で間違いないと分かる。けれど、中にいるはずの人の姿は見当たらなかった。
クレマン様だけでなく、アダンさんの姿も見えない。
「いませんねぇ」
ゼリさんの言葉を俯きながら聞く。
私達が庭園へ下りてる間に、部屋を出たのだろう。私達が立ち去って、すぐ……。
こうも会えない、姿さえ見る事もできないのは……偶然?
首を振る。
分かってる。分かりたくないけれど、分からないフリも出来ないほど明らだ。
私は、クレマン様に避けられている。
唇を噛んだ。
下がり切った視線の先、東屋の床の模様を意味もなく睨む。
それが、淡く光り始めた。
「……え?」
薄緑色の光が柱状に立ち上がる。
そこで初めて、眺めていた模様が魔法陣で、ここがただの東屋ではないと気がついた。
「転移、魔法陣?」
「あぁ、はい。亡くなった奥様とヒューゴ様が転移魔法使いなんで」
ゼリさんが大した事でも無さそうに答える。
ヒューゴ様と聞いて、一瞬だけ考えた。たしかクレマン様の弟さんだ。
両家顔合わせの時は都合がつかなかったとかで、まだお会いしていない。
王国騎士団に所属していて、私達の結婚に合わせて一時帰宅すると……。
魔法陣の光が強く、大きくなる。
眩しさで何も見えなくなり、パァンと乾いた音が響き渡った。
反射で閉じた目を恐る恐る開けば、ぱちりと、若葉色の瞳と目が合う。
クレマン様と同じプラチナブロンドを揺らし、クレマン様と違う焼けた肌をした人が、そこに立っていた。
一目で理解する。彼こそ、ヒューゴ様に違いない。
「あー……えっと。おたくら、そこで何してんの?」
かけられた言葉に、苦笑いさえ返せなかった。