嫁入りの悪夢(2)
視界へ入って来たのは、馬で駆けるクレマン様とアダンと呼ばれた騎士様。
それから氷狼が――。
「え?」
目を擦り、瞬きをして、もう一度目を向ける。
「……な、何、あれ」
十数匹しかいなかった氷狼が次から次へと森から出て来て、今はその数を三倍、四倍と増やしていた。
「うひゃぁ〜、うじゃうじゃしてるぅ」
頭上から聞こえた声に、身体が跳ねる。
え、ゼリさん、屋根の上にいる?
風魔法で速度を上げていた馬車は、まだ完全に止まっていない。
そんな中で屋根の上へ登るなんて……驚きを隠せない。
けれど、それより今はクレマン様達の方が気になる。
あちらの声が聞こえたという事は、こちらの声も聞こえるという事。屋根へ向かってなるべく大きな声を出す。
「あの!こんなにたくさんの魔獣……いつもの事なんでしょうか!」
「へ!……あ〜、いつもでは無いですけど、クレマン様がいるから大丈夫ですよ。数の不利とか関係なくなるんで」
……数の不利が、無くなる?
首を傾げながら窓の外を見やる。
アダンさんが馬から身を乗り出し、地面へ手を向けていた。
青白い魔力が放出される。
そこから前方にいる氷狼達の足元まで、一気に凍りつく。彼等の足が地面に縫い付けられた。
身動きの取れなくなった氷狼を、二人が馬上から斬り付けて行く。
吐き出される氷雪は器用に避け、的確に急所を突く。その様は、どこか機械的に見えた。
しばらくすると徐々にクレマン様が後ろへ下がり、今度は倒れた氷狼達へと手を向ける。
そこで馬が暴れ出した。
思わずひっと悲鳴を上げる。
「あぁ!んもう、だから言ったのに!うちの子は繊細なんだから〜!」
ゼリさんが全く緊張感の無い声で文句を言う。
え、あの、そんな反応なの?
クレマン様にとっても大した事では無かったのか、馬を落ち着けてから仕方ないと言うように下りてしまった。
馬を遠ざけ、改めて倒れている氷狼へ手をかざす。何事かを呟いた。
ポゥと鮮やかな紫色の光が灯り、氷狼を包み込む。
溢れた魔力が地を這い、倒れている全ての氷狼へ行き渡る。
僅かに瞬いていた光が、やがてそれぞれの体内へ収束して行った。
むくり、むくりと屍が起き上がる。
――死霊術。
イノートル辺境伯家にのみ継承されるという、希少魔法だ。
目覚めた氷狼達は首を振り、意識があるのか無いのかといった様子で辺りを見回す。しばらくしてからクレマン様の方へ向き直った。
クレマン様が何事か指示を飛ばせば、理解したように駆け出し、まだ息をしている氷狼達へ飛びかかって行く。
彼等が噛み付き絶命させた氷狼に、またクレマン様が魔力を注ぎ込み味方とする。
気づけば、クレマン様達を襲う者より、従う者の方が多くなっていた。
これが……クレマン様の。ううん、イノートル辺境伯領、さらに言えばこの国の、戦い方。
陽が沈み灰青色となり始めた世界に、数多の屍を従えるクレマン様が佇む。
浮かび上がる月が、やたら白く見えた。
「おっかしいなぁ〜」
ゼリさんの呑気な声が響き、忘れていた呼吸を思い出す。
荒く息を吐いた。
初めて見る光景の連続で、見ているだけで少し疲れてしまった。
でも、見ていて良かった。確かに、クレマン様達に心配はいらなそうだ。そこだけはホッとした。
……ん?
「おかしいって……何が?」
「む?あぁ、はい。えっと」
思っていたより声が通るのか、屋根からつぶやきを拾われる。
「クレマン様が力を使うと魔獣は逃げるのが普通なんですよね〜。でも全然逃げてないし……うぅ〜ん?」
そうか。魔獣からすれば、仲間だった者が敵となって襲ってくるのだ。混乱して、逃げ出したくなって当たり前かも知れない。
けれど言う通り、逃げる氷狼は一匹もいない。
「あそこだ」
御者台から声が上がる。
私ではなく、同じ騎士のゼリさんに言った雰囲気だ。
正面の小窓から覗くと、馬を操っていたトマスさんが片手を離し、腕に括り付けられた小さな弓を構えていた。
小窓から大きい窓へ視線を移し、狙っている先を確認する。
噛み付き合い、氷雪を飛ばし合う氷狼。その先の森に……人影が複数あった。
短剣、レイピアなどそれぞれ異なる武器を持ち、その内一人がトマスさんと同じく弓を構えている。狙ってるのは――。
「ク、クレマン様!!」
反射的に声を上げた。
それと合わせるように、御者台から矢が飛び出す。
「風よ、鋼を持て貫け」
トマスさんの詠唱を受けて、続け様に放たれた矢に強烈な追い風が吹く。
矢が遠ざかり見えなくなった頃に、弓を構えていた人物が倒れた。他の数人も追うようにして倒れる。
……命中、したの?この距離で?
途端、生きた氷狼達の動きが鈍くなった。隙を逃さず、畳み掛けるように屍が襲う。
敵の氷狼は数えるほどになり、それらも散り散りに森へ逃げ始めた。
「ひゃ〜。打たれたの、魔獣使いだったのかな?あんな数を操れるなんて、珍しい」
ゼリさんが驚嘆の声を上げる。
……魔獣使い?
じゃあ、あの人達が魔獣をけしかけたって事?
「ただの魔獣討伐じゃ……なかったの?」
寒気がして、腕を抱える。
厚手のコートが、この冷えは内から来るものだと教えてくれた。
なぜ襲われてるの?
何が目的なの?
誰かを……こ、殺そうとしてるの?
「わ!泣いてます?」
窓から逆さ向きのゼリさんが顔を出す。
泣いている?いいや、まだ泣いてなんかない。涙が滲んでるだけだ。
でも、いつ溢れてしまうか分からない。
何が起きてるのか分からなくて、ただ不安ばかり膨らんでしまう。
「大丈夫、大丈夫ですよ!トマスさんが仕留めて終わりましたから、ね!」
ゼリさんが逆さの笑顔で元気付けようとしてくれる。
そこで、走り続けていた馬車が遂に止まった。
ゼリさんの身体が振り子のように大きく揺れる。
「終わってない。ゼリ、前を見ろ」
トマスさんの言葉に、私も前へ目を向けた。
見晴らしの良い丘が終わり、再び森に挟まれる道が始まる。そこにもまた、人影があった。
立っていた5、6人、その内の幾人かが伏せて地に手を付いた。大地が僅かに揺れる。
「じ、地震?!」
口をついた言葉を誰も否定しない。
それは正しいからではなく、誰の目にも明らかに間違っていたからだ。
轟音と共に大地が形を変える。
揺れが収まった頃には、道を塞ぐ大きな土壁が高くそびえ立っていた。
「トマスさん!後ろも!」
余裕の無くなったゼリさんが叫ぶ。
遥か遠く、丘陵の入り口とも言える場所に同じ様な土壁が見えた。
「うわぁ!何これ、どうしましょう!」
「落ち着け。おそらくクレマン様とアダンが氷狼を連れて前方の敵に攻撃する。俺はその援護、お前はルネ様と俺の盾だ」
言いながら、トマスさんが懐から笛を取り出す。
吹くと、この広々とした場所で思いのほか反響した。これも風魔法の力だろう。
その音に反応する様に、丘の上にいたアダンさんが土壁よりも高い氷の塔を建てる。
トマスさんが小窓から、前に見たのと同じ、優しく穏やかな顔を出した。
「この先で駐屯してる騎士隊へ応援を要請しました。私共が必ず、ルネ様を安全な場所までお守りします。どうかご安心ください」
不安を和らげるよう、努めて笑顔で接してくれる。
守って貰える安心感と、足手まといの罪悪感とが混ざる。どんな顔を返して良いか分からない。
「凍てつけ!」
ゼリさんが叫び、トマスさんの後ろで氷が爆ぜる。
少し離れた所で氷の欠片と矢が落ちた。
「同じ風使いか」
トマスさんが前へ向き直り、大振りの弓を取り出して構えた。
その間にも飛んで来る矢を、ゼリさんが氷結魔法で撃ち落とす。
ハッとして窓の外、クレマン様を探した。
私達に矢が飛んで来るなら、きっとクレマン様の所へも飛んでるはずだ。
見渡し、すぐに見つける。
馬の無いクレマン様は一際大きな氷狼に跨り、アダンさんと丘を駆け下りていた。
ゼリさんと同じように、アダンさんが氷で矢を撃ち落としている。
土壁の方へ行くかと思いきや、魔獣使い達の倒れてる森へ向かっていた。
トマスさんが彼等を撃ったのを見ていたのだろう。
近づいてクレマン様が手をかざす。
魔力が放出され、紫の光に包まれた魔獣使い達が…………その光に包まれたまま、立ち上がった。
「え?」
違和感を感じた、次の瞬間。
――クレマン様の胸が貫かれた。
「っ……!!」
貫いたレイピアが引き抜かれ、何かが飛び散る。
異変に気づいたアダンさんが振り向き、魔獣使い達すべてを氷漬けにした。
氷壁を立てて矢を防ぎ、クレマン様へ駆け寄る。
心臓が、ドクドクと強く脈打つ。
けれど身体は冷えて行くばかりで、嫌に頭が血を含んでいる。
な、なに?
私はいま、何を見たの?
間近でパァンと氷が弾けた。
軌道を変えた矢が目の前を横切り、置かれている状況を否応なしに思い出させる。
「ト、トマスさん!どど、どうしましょう!」
ゼリさんが焦りをそのまま表したような声を上げた。
「……作戦変更だ。正面を強行突破する」
「クレマン様は!?」
「今はアダンに任せるしかない。行くぞ」
馬車が走り出す。
トマスさんの詠唱で風が巻き起こり、速度をどんどん上げて行く。
正面突破なんて無謀に思える。
土壁の厚さは分からないけれど、体当たりで壊れる作りではないだろう。
左右の森は木々が密集していたし、馬車で抜けられそうにない。
逃げ道なんて、あるの?
そう思う頭の反対側で、クレマン様の事を考える。
視線は窓へ向けたままだ。流れる景色の中、氷壁ごしに見える彼から目を離せない。
クレマン様はぐったりして、動く気配がない。
手を組んで祈り、見つめ続ける。
こんなに真剣に神へ祈った事はない。
だというのに、嫌な異変が起きた。
クレマン様の操っていた氷狼達が、バタバタと倒れ始めた。
元の屍に戻ったように、動かなくなる。
まさか。
そんな、嘘だ。
ジワジワと視界がぼやけて、世界が見えなくなる。
氷の割れる音があちこちで響いた。
クレマン様が…………亡くなった?
馬車がガタガタと揺れる。
かと思えば急に強く重力を感じ、次いで浮遊感がやって来た。
弾みで、涙がポロポロと零れ落ちる。
景色が一変した。
地面もクレマン様達も見下ろす形になる。
トマスさんの風魔法か、馬車が宙へ飛び上がっていた。
握り潰されたように苦しい胸を押さえて、それでも窓からクレマン様を見つめる。
鮮やかな紫が揺れた。
魔獣使い達に纏わりついていた魔力が、クレマン様の元へ還って行く。
全てクレマン様の身体に吸い込まれると、最後に強く光り、消えた。
光が消えて、その辺りが一段暗くなる。
目が慣れるまでの数秒、暗闇の中、何かが揺れ動いた。
よく見ようと身を乗り出す。それと同時、大嫌いな胃の持ち上がる感覚に襲われる。
「え……」
窓の外が再び様変わりし、紺色の空に数多の星が見えた。
端から、いつの間にか越えていた土壁が現れ始める。
地面に向かって下りて行く、もといほぼ落下する馬車の中で、声にならない悲鳴を上げた。