落とし穴は青空の下に
「雪だるま!作りましょう!」
ゼリさんがパンっと本を閉じ、藪から棒な提案をする。
「……雪だるま?」
「はい、うんと大っきいやつ!!」
両手を広げて立ち上がり、身振り手振りで雪だるまの大きさを伝えてくれた。
元気が……有り余っている。
私が侍女さんから借りた本は、お気に召さなかったらしい。
そもそも、活発な彼女に私の護衛は退屈なのかも。
「ほら、久しぶりによく晴れてますよ!部屋にこもってちゃ、もったいない!」
言われて、少し眩しくもある窓へ目を向ける。
確かに、よく晴れている。
ここ最近の天気は曇りか雪かで、青空を見たのは久しぶりだ。
「行きましょう!ね?」
私の腕を掴んで、子供のようにおねだりする。
その仕草がとてもよく似合っていた。
歳は彼女の方が上のはずなのに、妹ができたような気分になる。
「ふふ。じゃあ、行きましょうか」
本にしおりを挟んで、私も立ち上がった。
イノートル辺境伯領での、客人としての暮らし。もう何日めだろう。
衣食住整っていて、何不自由ない生活。家の者でないから、与えられる仕事もない。
つまり、とても暇だ。
だいたい部屋で本を読むか、お茶をするか、昼寝をするか。
たまにはゼリさんの誘いに乗って、外へ出るのも悪くない。
◇◇◇
そうして出てきた雪原。
雪が陽の光を反射し、思っていたよりずっと明るい世界を作り出していた。
頬に触れる空気が冷たい。
けれど、きちんとコートを着込んでいるからか、あまり寒いとは思わなかった。
私達以外、誰もいない。
ほっと息をついた。
ここまで来ておいて……なんだけれど、雪だるまを作る姿なんて、人に見られるのはちょっと恥ずかしい。
ゼリさんが雪遊びしてても違和感ないし、微笑ましい。けれど、自分もとなると別な気がした。
「雪だるま、作ったことあります?」
「あ、えっと、はい」
オーディナ領は冬でもあまり雪が降らない。
けれど、逆に珍しく降った日は、弟と一緒にめいっぱい遊んだ。
その場でしゃがみ込み、雪に触れ、核となる雪玉を作り始める。
作り始めて……失敗した。
雪を握っても握っても、ぼろっと崩れて形にならない。
「あれ?」
ぎゅっぎゅっ……ぼろぼろっ。
ぎゅっぎゅっ……ぼろぼろっ。
雪玉作りって、こんな難しかったけ?
「こうですよ〜」
ゼリさんがキュキュッと、私が想像してたよりずっと柔らかめの雪玉を作った。少なくとも、玉と呼べる形ではない。
それをコロコロと転がし、あっという間に大きな雪玉にして見せる。
「す、すごい」
私も真似して作り出した。
けれど、やっぱり崩れて形にならない。
ふっと、背中に重みと温もりを感じる。
ゼリさんが後ろから手を伸ばし、私の両手を左右から覆った。
「ふふ〜ん、雪に関しては、私にイチジクのチョコあり、ですね」
キュキュッ、コロコロ。一緒に雪玉を作ってくれる。
……イチジクの、チョコ?
「あの……イチジクのチョコって?」
「あぁ、私の方が雪に慣れていて、扱いが上手いって事です!」
「へぇ、そんな言い方があるんですね」
なんでイチジクのチョコ、なんだろう。
イチジク“と”チョコ、ならまだしも……いや、これも意味不明だ。
……もしかして、一日の長?
そんな事を考えてる内に、雪玉はどんどん大きくなった。
雪が柔らかい分、フワフワとくっ付いてすぐ大きくなるみたいだ。
ゼリさんが離れ、それぞれで雪玉を転がし始める。
転がして転がして、だんだん重くなってきた雪を、更に転がして。
ずしっと重い雪玉を転がし、息をついた。
手は冷たいのに、額には汗をかいている。
コートの襟を開けた。
すると、風が首筋を撫で、一気に身体を冷ましてくれる。
「これくらいで、どうでしょう……か?」
そろそろゼリさんの雪玉と重ねようと、振り返って……唖然とする。
いつの間にか、ゼリさんは雪だるまを3つも作り上げていた。
それでいて、いま転がしている雪玉は……彼女の身長ほどの大きさがある。
「良い感じですね。その調子でばんばん作りましょう!」
元気よく答えながら、もう十分と思える大きさの雪玉を更に転がして行く。
「あ、あの……これは、どんな大きさを目指してるんでしょう?」
「へ、これですか?んー、大将だるまなので、体部分は幅3メートルくらいかなぁ」
「さ、さんめ……!?え!?た、大将だるま??」
大将だるまって、なに!?
「あ、もっと大きい方が良いですか?」
もっと大きくなる可能性が!?
困惑してパクパク口を開け閉めしていると、後ろの方から、鈍く雪の弾ける音がした。
「二人で何してんのかと思ったら、雪だるま作りか」
やや上の方から聞こえた声に、振り向き、仰ぎ見る。
馬に乗ったヒューゴ様と従者さんが、思いのほか近くまで来ていた。
「せっかくのお天気ですからね〜!まだ午前ですし、少将も作りますよ!」
「懐かしいな。対戦は誰とするんだ」
た、対戦!?
「非番のみんなと、東警備の暇人にも声をかけようかなぁと。あ、ヒューゴ様も暇ですよね」
そんな大人数で!?
「まぁ暇だが……なあ、義姉さんにはちゃんと説明したのか?」
「説明?」
「雪だるまについて」
「雪だるま作りましょうって言いましたよ?」
「それだけか」
「はい」
質問の意図が分からないといった様子のゼリさんに、ヒューゴ様が頭を掻いた。
「あ〜、義姉さん、悪いな。義姉さんの知ってる雪だるまとは、全然違っただろ」
「へ?あ、えっと……はい」
雪だるまの姿形は、想像通りだった。
けれど、大将とか少将とか対戦とか、何を言ってるのか分からない。
「ゼリ、普通のご令嬢が雪だるま作りなんて、できる訳ないだろ。この辺で解放してやれ」
「えぇ?えぇー……!」
ゼリさんが口を歪め、不服をあらわにする。
あの、だから、皆さんの言う雪だるまって何なの。
「なぁ、気晴らしなら、代わりに馬にでも乗らないか?」
「え、う、馬ですか?」
「あぁ、気持ち良いぞ」
急に乗馬?
気晴らしって、何のことだろう。
私を乗せるためか、馬を降りたヒューゴ様が空を見上げる。
「天気も良いし、本当、延期なんて勿体ないことしたよな」
あっと、開いた口に手を添える。
そうか。
今日は、結婚式を予定していた日だ。
ゼリさんがヒューゴ様を睨みつけた。
顔だけで、余計なこと言うなと非難する。
彼女は……私が結婚延期のショックで塞ぎ込んでると、そう思ったのかも知れない。
だから外へ連れ出してくれたんだ。
「ほら、義姉さん。お手をどうぞ」
ヒューゴ様が手を差し出す。
隣の黒い馬も、どうぞと言うように鼻を鳴らした。
「え、えっと……」
どうしよう。
ゼリさんもヒューゴ様も、私に気を使ってくれている。だから、どちらも無碍にしたくない。
けれど、雪だるま作りは思ってたより大変な作業のようで、断念したい気持ちになっている。
対戦?も興味はあるけれど、参加するのではなく、遠目で見ていたい。
ちらりとゼリさんを見上げた。
「ん?なんですか?」
「えっと……雪だるま作り……」
「あ!やっぱり!ルネ様も作りたいですよね!」
「え?あの、え?」
「大丈夫!あたしも一緒に作りますから!2時間もあれば立派な……」
「いい加減にしろ」
胸を張るゼリさんの頭に、ヒューゴ様が手刀を入れた。
「義姉さん、いいからもう乗っちまえ。雪まみれにされるぞ」
「え、あ、え?」
手を取られ背中を押され、つい、あぶみに足を掛けてしまった。
ヒューゴ様に腰を支えられ、横乗りの形で馬へ上がる。
高くなった視界に気を取られてる内、ヒューゴ様も後ろへ跨った。
クレマン様と似た香り、そして正反対の温もりに包まれる。
「あ、ルネ様、ちょっと待ってください!」
ゼリさんが慌てて、黒髪の従者さんが乗っていた馬へかけ寄る。
彼は最初から馬を譲る気だったのか、既に馬を降り、手綱を差し出していた。
「ははっ、追いついて来いよ!」
ヒューゴ様がゼリさんを待たずに馬を出す。
馬上が大きく揺れ、私は慌てて鞍を掴んだ。
風が吹き抜ける。
馬が駆けても駆けても、果てなく雪が広がっている。
空の青と雪の白……シンプルで鮮やかな世界は、とても綺麗だった。
今だけ、悩みも何もかも忘れられる気がした。
……あぁ。
自覚はなかったけれど、私は塞ぎ込んでいたんだ。
きっと近いうち、クレマン様と……さよならする事になる。
それまでの日数を数えては、気持ちを押し殺していた。
視界が滲んで、俯いた。
開けていたコートの襟を閉め、顔を埋める。
「寒いか?」
「あ……だ、大丈夫です」
こっそり鼻をすすり、前を向きながら頷く。
寒くはない。
背中にはヒューゴ様の温もりを感じるし、何より、クレマン様のくれたこのコートが、とても温かい。
敢えて言うなら、さっきまで雪に触れていた手だけが冷たい。
襟から手を離し、息を吹きかけた。
「義姉さんは、あまり炎熱魔法を使わないんだな」
「……え?」
私が炎熱魔法使いという前提の質問に、少し驚く。
すぐ、クレマン様やアダンさんが知ってたのだから、ヒューゴ様が知っていてもおかしくないと思い直した。
「えっと、下手なんです。たぶん魔力も少なくて……母は魔法を使えない人だったそうなので、その影響かと」
「ん?使えない人……だったそう、って?」
話しながらもヒューゴ様は馬を蹴り、快調に駆け続ける。
丘をひとつ越え、遠くに森が見えてきた。
「母は弟の出産で身体を壊して、亡くなったので……小さかった私はよく覚えてないんです」
「あぁ、そうか。いや、そうだった。すまん」
「いえ……謝られることでは……」
肩を縮こめる。
この話題になると、大抵、謝られてしまう。
私は母の事を覚えてないし、父は再婚もせず、十分に愛情を注いでくれた。
寂しかったことが無いとは言わないけれど、周りが哀れむほど不幸を感じていない。
「弟がいなければって、思った事はないのか?」
思いもよらない質問に、目を丸くした。
聞かれている事が何なのか、頭の中で確かめながら口を開く。
「か、考えた事も、ありません」
弟の出産で、母が亡くなっている。
弟がいなければ、母は生きていたかも知れない。
言われてみれば確かにそう……だけれど。
「小さい頃に思ってたのは、母の代わりに弟の面倒をみないとって……ただそれだけです」
実際に面倒を見られていたかは別で、破天荒な弟を止められた事なんて一度もない。
「ちょっと困った所も、気が合わない所もあります。けれど、何だかんだ言って可愛い弟ですから……彼のいない今なんて、考えられません」
弟の憎めない笑顔を思い浮かべ、笑みが溢れる。
しばらく口を閉ざしたヒューゴ様が、ぽつりと呟いた。
「……義姉さんは、兄さんとよく似てるな」
へ?
またも思いがけない言葉に、反応が遅れる。
ねえさんは、にいさんと……?
クレマン様に他のご兄弟がいるとは聞いていない。
だから、たぶん、ねえさんとは私のことで、にいさんとは……クレマン様のことで?
私とクレマン様が、似ている????
どこをどう見れば!?
自分の頬をペタペタ触り首を捻る私に、ヒューゴ様が吹き出した。
「そんな顔するなよ。似てる似てる。似た者夫婦だ」
「っ!?ま、まだ夫婦じゃありません!」
「まだ、な」
あ……まだ、じゃなかった。夫婦にはならない。
どうも頭が切り替わらず、クレマン様と結婚する……クレマン様が生きてる前提で物事を考えてしまう。
ヒューゴ様はひと頻り笑った後、やっと説明らしい説明をしてくれる。
「俺が酷い迷惑をかけても、兄さんは文句ひとつ言わず、面倒を見てくれたからさ。そういう所が……似てるなって」
顔の造作を確かめていた手を止める。
そういえば、クレマン様のお母様も既に亡くなっていた。
私みたいに、覚えてないくらい幼い頃に亡くなったのだろうか。それとも、もっと最近?
「思ってること、全部顔に出るんだな」
またヒューゴ様が笑った。
「俺と兄さんの子供の頃の話、聞きたいか?」
「へ!あ、あの……えっと……」
聞きたいか聞きたくないかと言われれば、それは聞きたい。
けれど、私なんかが聞いても良い話だろうか。
「楽しい話じゃないと思うけど……まぁ、兄さんと結婚する人だから、知っておいた方が良いか」
ヒューゴ様が、雪景色のどこか遠くを眺める。
私の答えを待たず、ゆっくり話し始めた。




