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嫁入りの悪夢(1)

 カタカタと鳴る馬車の揺れを心地よく感じながら、窓の外を眺める。

 森を抜け、なだらかな丘の続く牧草地を進んでいた。傾いた陽が辺りを橙色に染めている。


「きれい」


 ぽつりと呟き、口元を手で覆う。無意識で声を出してしまった。

 隣に座るクレマン様が視線を外へ向ける。紫紺の瞳に橙が映り込み、空と同じ色になった。


「……はい」


 高揚するようなむず痒いような、何とも言えない気持ちが胸いっぱいに膨らむ。勝手に口角が上がってしまう。


 クレマン様と二人、馬車に揺られているなんて。


 夢だ何だと思う事はやめた。だって夢ならば長過ぎる。

 私が300年眠りにつくお姫様ならまだしも、実際は長くて一日9時間しか寝ない凡人なのだから、夢じゃないと考える方が現実的だ。


 舞踏会から今日まで、怒涛のような1ヶ月間だった。

 すぐさま婚約が成立して、併せて結婚の日取りまで決まってしまったから。


 大急ぎで親戚に知らせを出し、わざわざ家まで来てくださったイノートル辺境伯やその近親の方々と両家顔合わせを済ませた。


 その後はドレスや持参品の用意、身の回り品の整理などひたすら嫁入り準備に追われ、友人知人への挨拶もそこそこに本日、イノートル辺境伯領へ移る日を迎え今に至る。


 忙し過ぎて昨日何をしていたのかも曖昧だ。けれど、どれも苦ではなかった。

 だって願ってもないような好条件の縁談で、しかもお相手はあのクレマン様なのだから。不満に思う方がおかしい。


「……?」


 クレマン様が首を傾げる。釣られて私も傾げ、あっと声を上げた。


「ご、ごめんなさい」


 ニヤニヤしながらずっとお顔を眺めていたらしい。慌てて目を逸らし、外に目をやる。


 クレマン様とはあまり会話が続かないから、今日は何度も窓の外を眺めている。なのに、不思議と居心地は悪くなかった。

 どんな景色も美しいと思った。見るもの全てが輝いて見えるほど、私は幸せらしい。



 ふと冷たいものが背筋を走り、ブルリと身体が震えた。幸せ過ぎて怖くなった訳じゃない。単に寒くなったからだ。


「どうぞ、コートをお召しください。これから更に冷えます」


 クレマン様が白いコートを手渡してくれる。かなり厚手でしっかりした作りのそれは、馬車へ乗り込む前にプレゼントされた物だ。

 家を出た朝は秋用のドレス一枚で平気だったというのに、辺境伯領へ入ってぐんぐん気温が下がって来た。


「ありがとうございます」


 受け取ってコートを羽織る。

 自由になったクレマン様の手が……私の頬へ触れた。心音が耳元でバクバク鳴り始める。


 手を辿って視線を上げれば、クレマン様が心配そうに眉尻を下げていた。


「お疲れのようですね。明日の移動は午後だけにしましょうか」

「え?あ!そそんな……と、とっても快適で、あの、馬車って事も忘れそうなくらいで、だから、大丈夫です!」


 ぶんぶん首を振る。

 うっ、またお行儀の悪い振る舞いをしてしまった。どうもクレマン様の前だと緊張でお作法がどこかへ行ってしまう。

 恥じて熱くなる両頬を手で押さえた。


 旅程を延ばすなんて出来ない。

 元々は一瞬で到着する転移魔法を勧められたのに、私のせいで馬車移動になってしまったから。


 お高い転移魔法は値段の分、長距離移動にはとっても便利だ。けれどあの胃の浮くような感覚が私はどうしても苦手で、即決でお断りしてしまった。


 まさか、お忙しいクレマン様が馬車に同乗してくれるなんて……思いもしないまま。


「もう間もなく、本日の宿泊予定地へ到着します」


 正面の小窓から、壮年の御者兼護衛の騎士様が顔を出す。にこりと笑ってまた前へ向き直った。


 頭の中の地図に、今日の旅程と宿場町の場所を描く。たった一日で随分と移動した。

 御者の彼が風魔法で速度を上げ、揺れを減らしているらしい。凄い魔力量と腕前だ。


「明日の予定については、休憩してからまた検討しましょう」


 クレマン様が優しい提案を続けてくれる。

 また首を振りたくなるも、かろうじて頷いておいた。検討まで拒否するのはきっと宜しくない。


 このスピードでも領都まではあと一日半掛かる。

 イノートル辺境伯領の広さに目眩がしそうだ。これで更に、15年前の戦争で得た飛地があるというのだから恐れ入る。


 オーディナ男爵領なんて、その飛地一つにさえ及ばない。そんな所から出てきた私が、未来の辺境伯夫人だなんて……ちゃんと務まるのだろうか。


 ううん、務めなければいけない。その為にも勉強する事は山ほどある。

 せっかく馬車を使ってるのだから、外の様子もただ眺めるのではなく、領内の様子をよく観察して――。


「あれ?」


 遠く、丘陵と森との境目に十数頭の動物が見えた。

 牛や羊ではなさそうだ。あれは……?


「……氷狼(ひょうろう)の群れですね」


 クレマン様の言葉に目をパチクリさせる。

 ひ……え、ひょ、氷狼??氷狼って……。


 ――魔獣だ。


 息が止まる。血の引いて行くような感覚がした。


 クレマン様が安心させるように手を握ってくれる。

 そのまま彼の側の窓を開け、馬で並走する二人の護衛騎士に声をかけた。


「アダン、行けるか」

「はい。トマス殿に後方援護をお願いします」

「ああ……しかし、ここに氷狼が出るのは些か不自然だ。私も出よう」


 ギョッとする。

 クレマン様が、直接行くの??


 動揺する私をよそに、二人が対処へ向かう方向で話がまとまってしまう。


「ゼリ、馬を貸してくれ」

「えぇ〜、馬を貸すんじゃなくて、あたしが行けば良くないですかぁ?」

「氷結魔法の使い手は一人残って欲しい」

「えー、えー、えー…………うちの子、怯えさせないで下さいよぉ?」


 ゼリと呼ばれた女性騎士様が幼児のような調子で言い、馬の首を撫でた。

 直後に思い切り良く足を回し、鞍へしゃがみ込む。躊躇いなく馬車の後方へ飛び移った。


 御者台の騎士様が声を荒げる。


「おい!一声かけてから飛べ!」

「信じてました!トマスさん!」


 どうやら彼が風でサポートしたらしい。

 二人の様子にため息を吐きながら、クレマン様が馬車の扉を開こうとして……止まった。

 私が、繋いでいた手を強く握りしめたから。


 慌てて離そうとして、両手で包み込まれる。


「……少しの間だけ席を外します。どうか心配せず、ここで待っていてください」


 手の甲へ唇を寄せられた。触れないまま、数拍。

 あ、口を付ける訳じゃないのかと思うのと、柔らかい物が触れたのは同時だった。


 ピシリ、身体が固まる。


 名残惜しむように手を離された。

 クレマン様は私の側のカーテンを閉めてから扉を開く。

 きっちりトマスさんに声を掛けてから馬へ飛び移った。手綱を締めて速度を落とし、後ろへ下がって行く。


 私は微動だにせず、その姿が見えなくなるまでただ呆然と眺め続けた。


 やがて誰も見えなくなった開けっぱなしの扉、そこへ生えるように手が伸び、次いでゼリさんが顔を出した。

 彼女は私を見て目をまん丸にしたかと思えば、すぐにそれを細める。


「ありゃりゃぁ、可愛い奥様」


 声をかけられビクッと肩が跳ねた。

 だって声を掛けられるとは思わなかったから……って、可愛い??奥様??


 キョロキョロと辺りを見回し、当たり前のように自分一人しかいないと再確認する。

 はっ、まさかゼリさんには私には見えない何かが見えて……。


「あはは、言い直しますね。真っ赤っかなお顔が可愛いですよ〜、未来の奥様」


 ゼリさんが笑いながら彼女自身の頬をつつく。

 顔が、真っ赤……。

 真似るように私も頬をつついた。分かってはいたけれど、直接指で触れてその熱さに驚いてしまう。


 熱い、とにかく熱い。

 さっき血の気が引いたかと思った顔が、今は強く脈打つように熱い。ここまで簡単に変わるなんて、自分で自分に感心する。


 だ、だだって、あんな、ふい打ちみたいな!

 て、手に!ふぁぁ!!


 思い出して身悶えた。

 社交デビューする前からお茶会やら何やらで遠目に見ていたクレマン様。その彼が本当の本当に私の婚約者になったのだと、今さら実感してしまう。


 あぁ、何がどうしてこんな幸運を手に入れたのだろう。

 婚約者として、クレマン様はあらゆる面で素晴らし過すぎる。


 今だって氷狼の群れが現れたというのに全く動じず、それどころかご自身で対処に向かわれた。

 こんなのそんじょそこらの紳士には到底出来ない。さすが次期イノートル辺境伯様としか……。


 そうだ。

 こんな領境近くでは珍しいかも知れないけれど、イノートル辺境伯領で魔獣が出る事自体は珍しくない。

 他領で見ないのは、北の魔窟から溢れる魔獣を全て辺境伯領で食い止めているから。


 遠吠えが聞こえた。


 身体が跳ねる。

 一時去った恐怖がまた背中に忍び寄る。


「あー……えーっと、大丈夫ですよ!こんなの、あたし達は慣れてますから!ちょちょいのちょいちょいちょ〜いなんで、安心しててください!」


 ゼリさんが勇ましく拳を掲げ、自信に満ちた笑みで励ましてくれる。それから扉を閉めて馬車の後方へ戻って行った。


 慣れてる、そうかも知れない。

 クレマン様の護衛なのだから、きっとこの三人はとても優秀だ。クレマン様自身だって大規模な魔獣討伐をされると言われている。


 私はここで大人しく守られていれば良い?

 おそらく、それも正しい。私の使える魔法なんて本当に情けない物で役に立たないし、多分そんな事も求められてない。


 顔を上げると、閉じられたカーテンが目に入った。私が怖がらないよう、閉めてくれたカーテン。

 その優しさに、ただ甘えていて良いのだろうか。


 ぶんぶんと首を振る。

 立派な婚約者様に恥じないよう、私にも出来る事があるはずだ。今すぐ成果の出るものじゃ、ないかも知れないけれど。


 まずは、やっぱり知ること。

 手を伸ばし、厚いカーテンを開けた。




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