変わらない人
「はっ!!」
がばりと起き上がる。
いつの間にかソファの上で横になっていた。
目の前には、肩から顎までをマントで覆ったクレマン様が座っている。
アダンさんの姿が見えず、キョロキョロと辺りを見回した。
ゴトゴト揺れる扉が目に入る。
その奥から微かに、人の声が聞こえてきた。
「ルネ様にいったい、何したの!?」
「大事はありません」
「信用できるか!!今すぐ中に入れろ!!」
「通せません」
「なんで!!」
「答えられません」
「あー!もう!どいて!!どけ!!アダンのばか!!ハゲ!!」
「落ち着いてくだ……ハゲてません」
「ハゲろ!!」
「ハゲません」
おそらくドアの間近、大声で話してるにも関わらず、漏れ聞こえる音は小さい。
図らずも、この部屋の防音性を知った。
「……ご気分はいかがですか」
クレマン様が、彼自身の首へ手を当てながら、気遣わしげに、けれど近づくのも躊躇われるといった様子で話しかけてくる。
その姿を見て、確信した。
夢を見た訳では……ない。
ここずっと、夢まぼろしを疑いたくなるような事の連続だった。
けれど、そういった疑いは全て無駄だ。もう嫌というほど思い知った。
しゃんとしよう。
「気分は……大丈夫です。状況を説明していただいても、よろしいでしょうか」
アダンさんからは何も聞かずにと頼まれた。
けれど、正直、聞かずにはいられない。
何がどうして、こうなった!
クレマン様はどう説明するかと視線を巡らせ、私達の間にあるテーブルの隅を眺めながら口を開いた。
「まず、この……怪我は、私の不注意が招いたものです。襲撃などのイレギュラーによるものではありません」
……けが?
怪我の一言で済ませられるもの?
何かがゴロリと転がる様が、脳裏で再生される。
慌てて手の甲をつねり、意識を保った。
ひとまず、怪我で納得しておこう。
「アダンは護衛という立場ゆえに、責が無いにも関わらず負い目を感じ、過剰に心配しております。しかし、これはあまり大きな問題ではありません」
…………えーっと。
すごく大きな、だいだいだい大問題な気しかしませんが。
どう見てもアダンさんの反応が正常で、クレマン様が鈍すぎる。
「お呼びだてして、申し訳ありませんでした。このような物を見てお疲れかと思います。どうぞ部屋へ戻り、お休みください」
クレマン様が首を押さえながら立ち上がった。
エスコートのために手を差し出しかけて、引っ込める。
代わりか、今なおゴトゴト揺れる扉を開けようと歩き始めた。
「ま、待って!くださっ……!」
マントを引いて止める。
掴みやすい位置にあったからだけれど、すぐに後悔した。
絶妙なバランスを保っていた物が、揺れ動いた。
「ひぎゃあ!!」
おかしな声をあげながら立ち上がり、何とかそれが落ちるのを防ぐ。
「あ……ああ、あの!ごごごご、ごめんなさい!!」
「いえ……こちらこそ、申し訳ありません」
爪が頬へ食い込むほど強く掴んでしまった。
でも、力を緩めて良いのかも分からない。
こんな不安定な所に乗せてないで、いっそテーブルの上にでも置いた方が良いような……???
ダメだ。倒錯的すぎる。
何を考えているの。
「と、とりあえず、座りましょう。座った方が、良いかと」
「……はい」
クレマン様も大人しく従ってくれる。
私の腰掛けるソファの方が近かったため、隣り合って座る形になった。
恐る恐る、手を離す。
「…………」
「…………」
とりあえず、落ちない。
クレマン様が手を添えているから、しばらくは大丈夫だろう。
「……あの」
「はい」
指を弄りながら言葉を探す。
はしたないと気づいて手を膝の上に置いた。
わたわたする私に対し、クレマン様はとても落ち着いて見える。
何でも受け入れる、そんな年長者の余裕とも、諦めとも取れる表情だ。
「あ、あの、もし!もし私に出来ることが……あるの、なら……が、頑張りたい、です」
声が小さくなって行く。
私なんかに出来ること、あるのだろうか。
アダンさんがわざわざ私を呼びに来たのだから、何か手伝えるとは思うのだけれど……。
「……ご無理なさらないでください」
クレマン様がソファの上で、少しだけ距離を取った。
「貴女は事件に巻き込まれただけの、純然たる被害者です。私へ協力する義務も、義理もありません」
……義務?義理?
クレマン様が国防の要でもある辺境伯家のご嫡男で、私は男爵の娘だから?
たとえ一時でも、婚約した仲だから?
「ち、違います!」
つい身を乗り出した。
離された距離を詰める。
「義務とか、義理じゃなくて」
顔を上げ、揺れる濃紫の瞳を一心に見つめた。
「ただクレマン様が心配なんです、力になりたいんです!」
はっとする。
勢い余って近づき過ぎ、クレマン様のお顔が目の前にある。
さっと身体を引き、急に熱くなった頬を手で覆った。
「ご、ごご迷惑、でしょうか……」
「……いいえ」
こんな聞き方をして、はっきり迷惑と、そう言える人は中々いない。
申し訳なくなって俯いてしまう。
「……ありがとうございます」
クレマン様のぽつりと呟いた声。その声が、どこか幼く感じて。
下げたばかりの頭を窺うように上げた。
「あ、あの……私に、何かできますか?」
クレマン様は一度まぶたを伏せた後、真っ直ぐ私を見つめた。
「はい。ご説明します。もし途中でご気分が優れないなどあれば、遠慮なく仰ってください」
ごくりと喉が鳴る。
あの、その、ポロッと取れてしまう、あれに関わる話なのだから、大なり小なり、衝撃的な話だろう。
念のため、二度三度、深呼吸をしておく。
気を強く持ってクレマン様を見上げた。
「お願いします!」
ぐっと身体に力を入れた私を見て、逆にクレマン様は力が抜けたかのように、表情を柔らかくした。
薄く微笑んで見える。
見惚れて、つい私の気もゆるんでしまった。
いけないと、また力を入れ直す。
それを見てか見ずにか、クレマン様は表情を戻し、自身の腕……首へ添えてる手に視線を移した。
「アダンがルネ嬢、貴女を呼んだのは……これを繋ぎ直すためです」
これ……とは、つまり、それ、ですね。
「糸などで縫い止める方法もありますが、頭の重さを考えると安定させるのは難しく、アダンの氷結魔法で繋いでは見た目が不自然になり過ぎます」
頭と言ってしまいました。はい、頭です。
気構えていた私には平気です。平気、です。
「この身は、氷結魔道具によって凍り付いています。それを……断面だけでも一時的に溶かし、接合できれば、強度を上げられます」
「……それで、炎熱魔法ですか?」
「はい。ロウソクなどの火では火力が足りません」
「……火力が、足りない?」
クレマンが頷こうとして……アレが揺らぎ、動きを止めた。
グラグラ揺れたアレが落ち着いたのを見て、二人で息をつく。
私の心音が無駄に速まった。
「はい。仮にロウソクの火で溶かせたとしても、火元から離した途端、凍り付いてしまいます。首を繋ぎ合わせたまま深部を熱せられるのは、炎熱魔法使いだけです」
こっそり深呼吸し直しながら、クレマン様の話を聞く。一拍遅れて内容を理解した。
落ちる心配のない頭を傾げる。
ロウソクの火で溶けないものを、私の炎熱魔法で溶かす……?
あれ?これ、本当に私に出来ること?




