陽気な北方騎士団
灰色の空の下、濃紫の旗が音を立てて翻る。
合間に何頭もの馬の息づかいが聞こえた。
今日は、イノートル辺境伯領の騎士団が魔獣討伐へ向かう日だ。
魔の巣窟と言われるウェデモナ山。その森林に現れた魔獣を、一週間かけて掃討するらしい。
魔獣の増える冬には、こういった大規模な討伐が数回行われるのだとか。
ふぅと息を吐く。
白く染まって消えた。
見送りにと出てきたけれど、少し早かったみたいだ。
クレマン様のお姿は見えないし、馬車への物資の積み込みも終わってない。
コートを着込んで出て、すぐ屋敷へ戻るというのは気が乗らない。
邪魔にならないよう端へ避けて、クレマン様を待つ事にした。
甲冑をつけた人々が出立の準備に追われ、目の前を行ったり来たりする。
何だか……そわそわしてしまう。
ここにいる人達、みんな、これから魔獣と戦うんだ。
もう一度白い息を吐き出す。
脳裏に浮かぶのは、氷狼の群れ。
そして、氷狼を倒した後、クレマン様の身に起きたこと。
もしまた、魔獣討伐に合わせて誰かが襲われたら?
ゾッとする。
背筋が冷え、肩が震えた。
「ルネ様、そんなに怖がることないですよ」
底抜けに明るい声と共に、ゼリさんの手が優しく肩へ置かれた。
「みんな、気のいいおじさんです!」
ニッと笑って歯を見せた。
え?おじ……さん??
数拍考える。
どうやら、私が騎士団の物々しさに怯えてると思ったらしい。
あまりにも良い笑顔で、訳もなく不安が薄らぐ。
「ふふっ、皆さんが怖いとか、そういうのではなくて……」
「おい!ひと纏めにおじさんって言うな!」
通りかかった騎士様が話に割って入り、ゼリさんを小突いた。
突然のことに目を丸くする。
見れば、確かにその騎士様はおじさんと呼ぶには若い気がした。
「え〜?じゃあ、みんな気のいい……ろう……老人なんじゃ……ロウソク何本……ローストターキー!」
「まさか、老若男女って言いたいのか?」
「あぁ!そうそれ!」
パッと顔を輝かせたゼリさんに、また別の、通りがかりの騎士様がツッコミを入れる。
「ローストターキーって何だよ!かすってもねぇぞ!」
「いや、“ろ”だけは合ってるな」
「待ってください。そもそも老若男女の使い方がおかしいです」
次々と人が集まって来て、ゼリさんを囲んで行く。
ついでに隣にいる私も囲まれてしまう。
「今回の討伐、ゼリは行かないんだってな」
「そりゃあ、ルネ様の護衛がありますから!」
「ちっ、お前と同じ班の希望出したのに、無駄になっちまった」
「俺も俺も」
近くにいた騎士様がみんな集まってしまった。
背の高い人が多いから、軽く圧倒される。
がやがやと賑やかになって、心なしか気温も高くなった気がする。
「ゼリさんが班にいると楽ですよね」
「簡単に魔獣の足止めしてくれるからな」
「そんで、アダンよりも付き合いやすい」
「ちょっと、なになに?褒めても何も出ないよ?」
照れるゼリさんの頭を、大きくて分厚い手が豪快に撫でる。
父親がお転婆な娘を可愛がってるような雰囲気だ。
「まぁ、アダンよりアホだがな」
「アホです」
「アホだなぁ」
「アホだ」
口を揃えた騎士様たちが、ポコポコポコッとゲンコツをくらう。
最後の騎士様が甲冑で防いだので、ゼリさんはすかさず蹴りを入れた。
蹴られた人のおどけた声に笑いが上がる。
皆さんの様子にたじろぎつつ、こっそりゼリさんの袖を引いた。
「あの……ゼリさん。もし何でしたら、討伐に参加されても良いですよ。私はお屋敷で大人しくしてるので……」
話を聞くに、ゼリさんの不参加は相当残念がられているようだ。
いくら氷結魔法使いの多い辺境伯領とはいえ、彼女ほどの使い手は少ないのだろう。
以前襲撃された時の様子から考えるに、たぶん、氷結魔法は防御に優れている。
彼女が一人加わるだけで、討伐における危険度は大きく減るんじゃないだろうか。
「なに言ってるんですか!あたしの仕事はルネ様を守ることです!」
ゼリさんがムッと口を曲げて、顔を近づけた。
「そりゃあ、あたしは優秀です!でも、氷結魔法使いは他にもいっぱいいます!」
「自分で優秀言うな」
最初に話しかけた騎士様がゼリさんの頭をペシリと叩く。
ゼリさんは構わず続けた。
「クレマン様からも、ルネ様のお側を片時も離れるなと言われてます!」
そう言って胸を張る彼女を、騎士様たちがぽかんと見つめた。
「……へぇ」
「わざわざゼリをつけて、“片時も離れるな”か」
「よほど大事にされてるんですね」
「あのクレマン様にも、遂に春が……!」
視線が全て私へ移り、感心するように頷かれる。
え?だ、大事?
そう……かも知れない。大事にされている。
でもそれは、春だの何だのといった理由からじゃない。単に、クレマン様が過剰な負い目を感じているからだ。
「あの、違うんです!これは、えっと……」
「いいんです、いいんです。皆まで言わずとも」
なんと説明すれば良いか分からない。
もごもごと口ごもってしまい、恥ずかしさや居た堪れなさから頬に熱が集まった。
「ふふっ、そう照れないでください」
「おいおい、初々しいな」
「……妻の若いころを思い出す」
四方八方から微笑みを向けられる。
て、照れてるんじゃない。
「妬ける」
「あー、妬ける」
「妬けるな」
一部、独り身と思われる騎士様方が方向性の違う呟きを漏らした。
「くっそぅ!!出会い!!空から降ってこい!!」
「はっ!ゼリ、俺と付き合おう!」
「寝言は寝て言え」
「だー!!独身仲間がまた減る!!」
「討伐から帰ったら、クレマン様もいよいよ結婚かぁ!!」
「っばか!」
結婚の話を出した騎士様の口が塞がれた。
討伐から帰ったら、結婚式。婚約当初はその予定だった。
けれど、もちろん結婚式はできない。
表向きには、襲撃犯探しや警備強化のため延期したという事になっている。
「あー、えっと、今のは……」
口を押さえた騎士様が目を泳がせた。
口を押さえられた騎士様は、他の方から拳をぐりぐり押し付けられている。
結婚式延期の話なんて、花嫁には酷だと思ってるらしい。
つい、笑ってしまった。
ゼリさんの言う通り、みんな気の良い人達みたいだ。
「お前ら!こんな所で集まって何やってるんだ!」
叱るような声に振り返れば、いつも優しく下がる眉を吊り上げたトマスさんが立っていた。
手にした備品のチェックボードのような物で、近くにいる騎士様の頭をトンッ、トンッと打っていく。
打たれた人から、それを見た人から、謝りながら散り散り持ち場へ去って行く。
トマスさんがため息をついて、眉を普段通りの形へ戻した。
「見苦しいものをお見せして、大変失礼しました」
「え?あ、そんな、とても楽しい方々でした」
一連のやり取りを思い出し、また笑ってしまう。
辺境伯領の騎士団は、国で一番危険な仕事、魔獣討伐を担っている。
だからもっとピリピリしていて、近寄り難い人達だろうと勝手に思っていた。
全然違ったみたいだ。
「ところで、ルネ様は何故こちらに?」
トマスさんに尋ねられ、顔を見上げる。
彼はとても身体が大きいから、どうしたって見上げる形になる。
「見送りをしようと思ったのですが、早過ぎたみたいで……」
「ここで、クレマン様が出て来るのを待ってるんですよ」
ゼリさんがいかにも暇といった風に、足下の雪を蹴った。
そんな彼女と私とを見て、トマスさんが首を傾げる。
「こちらでお待ちいただいても、クレマン様はいらっしゃいませんよ」
「…………え?」




