回想:涙と初恋の記憶(3)
――ザッ、ザッ。
――ザッ、ザッ。
一定のリズムで繰り返される音は、どこか心地良い。
感じているのは、安心感?
音の先にある人の気配を感じながら、目の前の白い花を摘んで行く。
ぼんやりと、けれど一つ一つ確認するように、男の子と話したことを思い出した。
『フィルは、もう亡くなったの?……ですか』
『はい』
ぷつり、花を摘んで反対の手で握りこむ。
『このままフィルが生き続けることは出来ませんか?』
『……彼は亡くなっています。動いていても、生きてる訳ではありません』
ぷつり、花を摘んで、やっぱり握りこむ。
『生者と死者、この二つには決定的な違いがあります』
ぷつり、花を摘んで……目の前に掲げた。
『生ける者は、本能的に生へしがみつきます。亡くなった者はその逆です』
『逆?』
掲げた花の先で、男の子が短剣を斜め下へ振り下ろし、土汚れを飛ばして落とす。鞘へ収めた。
その短剣が奏でていた音も止まる。
立ち上がって小走りで寄れば、思っていたより大きな穴が地面にあいていた。
しゃがめば私でも入れそうだ。
フィルは、穴のフチへ鼻を近づけ、くんくんと匂いを嗅いでいる。
『死者は、身体の死と精神の生との乖離に混乱し、統一させようとします』
私が眺めていたからか、フィルも顔を上げた。
大きな瞳に、私の姿が映りこむ。
『死霊術をかけた際、最初に制御するのは……その者の死への衝動です』
フィルの身体をぎゅっと抱きしめる。
やっぱり毛はパサパサで、身体に温もりは無かった。
「大好きだよ。ずっと大好き」
毛を梳くように撫でれば、しっぽがパタパタと揺れる。
こういう所は変わらないらしい。
「ロジェも、アンナも、フィルが大好きだよ」
今はここにいないけれど、二人がフィルを大事にしてきたことは間違いない。
「二人の気持ちが落ち着いたら、きっとここへ連れて来るからね」
いつでも来られるよう、この場所を選んだ。
森の奥の野イチゴ畑ではなく、屋敷近くの小さな原っぱ。
よく一緒に遊んだ、フィルのお気に入りの場所。
身体を離すと、フィルはするりと腕を抜け、それが当たり前かのように穴の中へ飛び込んだ。
男の子の言っていた通りなのだと、実感してしまう。
振り向いたフィルが身を乗り出し、私の頬へ鼻をすり寄せた。
さよならと、言っている気がする。
「…………さよなら、フィル。今まで、たくさんありがとう」
静かに離れ、穴の中へ戻ったフィルが、そばで見守っていた男の子を見上げる。
男の子は私たちの顔を確認するように見た後、フィルへ手をかざした。
紫の魔力が、フィルの身体から渦を巻くようにして溢れる。そして薄れ、消えて行った。
フィルの瞼がゆっくりと閉じられる。
力の抜けた身体が倒れ、そして……あっけなく眠りについた。
いくら眺めても、もう動かない。
それなのに、意味もなく眺め続けてしまう。
男の子に白い手袋を差し出され、やっと視線がそれた。
彼がしてるのと同じもの。予備か何かだろう。
上質な生地を汚すのは悪い気がしたけれど、ありがたく手袋を借り、二人でフィルに土をかけてやる。
少しずつ、姿が見えなくなった。
「……申し訳ありません」
声をかけられ、けれど反応が遅れる。
いつの間にか、またぼんやりしていたらしい。
……もうしわけ、ありません?
「この者と、皆様との別れを……台無しにしました」
男の子は、言葉通り申し訳なさそうに瞼を伏せている。
この子が、いなかったら……?
フィルが亡くなって、その後に動いたりしなければ?
ロジェもアンナも普通に泣いて、お別れ出来たのかも知れない。
――でも。
「謝らないで、ください」
手袋ごしに手を重ねる。
やっぱり温かくて、この子が見た目通り、私とあまり年の変わらない子供だと感じる。
「もし、あなたがいなかったら……アンナはまだ、森の奥に一人でいたと思います」
足をくじいて、誰も知らない森の奥で、一人きり。
「フィルは人を呼んで来たかったのに、それが出来ないままでした」
アンナのために走って途中で倒れたフィルは、どんな気持ちだっただろう。
悔しかった?悲しかった?
この子がいなければ……そのまま終わりだった。
「だから……ありがとうございました」
目を見てお礼を言う。
男の子の手が、ピクリと動いた。
何度か瞬きした後、視線をそらす。
「礼を言われるような事は、何も」
言いながら空いてる手を動かし、もう姿の見えなくなったフィルへ土をかける。
私も握った手を離し、同じように土を重ねた。
土をみんな被せてお山になったそれを、ぽんぽんと押し固める。
「とても、優しい魔法ですね」
「……優しい?」
繰り返した男の子の声に頷く。土のお山をなでた。
誰もがみんな、自分のやりたい事を全部やってから亡くなる訳じゃない。
残される側も、いつだってきちんと別れの言葉を伝えられる訳じゃない。
フィルと私は、本当なら出来なかったことが出来た。
この子のおかげで。
フィルと……最後の……。
「とても優しくて、温かい魔法だと思います」
ポタタッと水滴が落ちて、地面にシミを作る。
雨かと思って空を見上げれば、そこには変わらず、雲一つない青空が広がっていた。
「……そのようなこと、初めて言われました」
また頬が濡れる。
「あ……」
私が泣いているんだ。
汚れた手袋を外し、目元を手の甲でこする。濡れた頬は袖へ押し付けた。
それでも涙が止まらない。だんだん、鼻も出てきた。
男の子も手袋を外し、懐から綺麗なラベンダー色のハンカチを取り出す。
それを私へ差し出した。
「ヒクッ……うっ……」
お腹が震えて、喉から変な音が出てしまう。
肩を不規則に跳ねさせながらハンカチを受け取る。
涙や鼻を押さえて、その柔らかく滑らかな感触に驚いた。
濡れた視界でよく見えなかったけれど、想像以上に立派なハンカチだったらしい。
刺繍を見て、そういえばこの子はクレマンと名乗っていたと思い出す。
「あ、ありがっ……とう、ございます、クレマンさま」
うまく呼吸ができなくて、お礼が途切れ途切れになってしまった。
ハンカチを目元へ当てながら、大きく息を吸い、吐き出す。
それを何度も繰り返して息を整える。
もう一度、ちゃんとお礼を言おう。
ついでに、手袋もハンカチも洗って返すと言う。
そう思いながら顔を上げると、パチリ、クレマンさまと目が合った。
紫が揺れて、キラキラ光る。
私の瞳が濡れてるせいか……クレマンさまは涙なんか流してないのに、泣いているように見える。
無意識に手が伸びた。
午後の穏やかな陽射しの中、サラサラと風になびく髪。それをそっと撫でた。




