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ダークサイド2  作者: 森 彗子
第2章 魂の絆
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魂の絆 1

 前作「ダークサイド」に登場したビョンデットというまどかの指導霊の過去編です。



 砂埃を巻き上げた馬車の車輪を眺めていると、自分が今いつどの時代に迷い込んだものかと考えに耽入っては、憂鬱を鼻息ひとつで吹き飛ばす。


 整備が行き届かない城下町の外側に点在する村の、わだちに溜まった泥水以外の場所は全て罅割ひびわれた粘土質の高い地面が剥き出しで、晴れの日も雨の日も、皮のブーツが汚れることは避けられない。


 質素な暮らしを送る待ち人達の表情は昏い印象だ。顔色もどことなく青白く、景気は最悪な様子。我が家も他人事ではない程に経済事情が悪化していて、使用人を全てやめさせてからというもの、こうして自らの足を運んで僅かながらの食料を買い求めて来たわけだが、物価は十日前より高騰して目を剥いた。予算内でパンと肉と野菜を買おうにも、わずか三日間程度のものしか買えない。


 国王が変わり、前王時代に発行された金貨・銀貨は通貨として通用しないため、両替商のところに行って纏めて交換したいところだが、その両替商が不在の村ではどうすることもできない。移動手段を求めて後払いで馬車をレンタルしようかと思ったのだが、気性の荒い馬が多いのか、馬のしつけが下手なのか、馬も食糧不足でいら立っているだけなのか、どちらにしても馬車はあれど馭者が不足していると言うわけで俺は待ちぼうけを喰らっている。


 時代というのは恐ろしいもので、権力者が次々に交代する世において発行される紙幣や金貨はすぐに価値を失う。物々交換をするにも、生産性の高い農家の方が行きやすい時代なのだろう。ギルドに加盟していない田舎村では、等価交換の原則のみが取引手段となっていて、女なら身を売ったり、男なら労働力を売ったり、子供なら家の用事を代行したり家畜の餌やりを手伝って日銭を稼いでいる有様だ。


 この経済システムははっきり言って要らないと思う。市民に野垂れ死ねと言っているようなものだ。


「伯爵様ですよね?」


 ぼーっと道端に突っ立ている俺に話かけてきたのは、見覚えがあるがすぐに名前が思い出せない薄い印象の持ち主だ。埃っぽい服を着て鳩胸を突き出すような姿勢をしている。口元には立派な髭まで携えていて、ハットのクラウンがやけに高い。小顔効果でも狙っているのだろうか。


「その顔は、私が誰かもうお忘れということですね?正直な人だな」


 彼は苦笑いをしたのだろうが、髭が唇の動きを完全に隠していた。エメラルドグリーンの目を包み込む柔らかそうな瞼や目元の皺だけが、表情を読むヒントになる。


 髭が流行りなのだろうか。彼のような人は多い。


「どいつもこいつも似たり寄ったりな髭なんか生やしているせいだ」


 まるで独り言のように投げやりな感想をつぶやくと、紳士は渋い表情を浮かべた。


「マルコム・セフィーロ・ゼメキスです」


「マルコムだけで十分だろ」


 彼はまたしても苦笑いに咳ばらいをした。


「相変わらずの人間嫌いですか、伯爵」


「その名で呼ぶな。もう剥奪されているし世襲したわけでもない。

そのうえ、使用人もいない貧乏人だ。

揶揄っているのなら喧嘩は買わない主義なんで、さっさと消えてくれ」


「ではビョンデット・S・アズナブールとお呼びしましょう。揶揄うなんてとんでもない。私はあなたの敵じゃない」


「……長い。俺のことは呼び捨てで良いが、どんな用があるのか先に言ってくれないか?」


 俺はうんざりした声で返事をした。


 前王が現王に倒されてから五年、俺の家族は前王の妃の実家ということで伯爵の称号を頂いていたが、王が変わって俺の父親までもが打ち首とされた時に平民に戻されたというわけだ。領主として村民から慕われていた父が死んで、妾の子である俺以外の兄姉は外国へ逃げ、連絡が着く者は一人もいない。落ちぶれた貴族。


 当時俺はまだ十三歳というガキだったお陰で処分されずに命拾いをしたのだが、捕虜のように捉えられとんでもない奉仕活動に三年も従事させられた。汚れ物の俺に貴族の風格などあるわけがないというのに、親父の人徳のお陰か村人達は未だ俺を見ると伯爵と呼んでくるのだ。


 妾の子というだけあって、母親に似てしまった俺の身形は女性に近い美しさがあると評判で、当の本人はその美貌を武器に自分一人養う程度には夜を渡っているというのが現状である。自慢できる要素はひとつもない。


「あなたに縁談の話をプレゼントします」


「縁談だと?」


 このマルコムと言う男を思い出す前にとんでもない話が出てきて、俺は頭が沸騰した。


「お前、話を聞いてないのか? うちはもう貴族なんかじゃねぇ、ただの貧乏人だ。縁談なんて受ける身分も経済力もないんだ。バカなこと言ってないでさっさと失せろ!」


 育ちの悪さが全面に出てしまってから、俺はハッと我に返った。捲し立てられたわりに、マルコムは平然と同じ場所に佇み俺の怒りをやり過ごした様子で、咳ばらいをする。


「金は要らないんです。ただ、彼女を紹介したいんだ。

あなたの裏稼業は心得ている私としては、彼女をあなたにしか紹介できないと思ってます。彼女もまた、落ちぶれた貴族の口減らしとして親に売られ、ついこの前まであなたと同じ場所で散々な目に遭ってきた。でも、奇跡的に精神を病んだり、不治の病にかかったりせずに奉仕期間を終えたばかりの身の上なんです。とにかく、会ってみて欲しい」


 まるで神に祈るように両手を握り絞めて、俺に懇願してきた。俺よりもはるかに年上の男が、だ。俺の裏稼業を知っていると言うのなら、客に違いない。こんな真昼間の街角で遭遇するなんてゾッとする。


「なんで?」


「似てるんです。あなたに」


「………」


 俺は返す言葉が浮かばずに、ただ見知らぬ少女のために頭を下げるマルコムの姿勢に心動かされてしまったようだ。そんなに言うのなら、一度ぐらい会ってやっても良い、と俺は思ってしまった。


「……両替に行くつもりだったのに」


「それなら、私が両替しましょう。彼女は我が家に居候しています。今から来ませんか?」


「マルコム。それが罠じゃないと保障しろ」


 咄嗟に出たのは以前、痛い目に遭ったせいだ。


 昼間の俺は誰の飼いネコにもならない、プライドがある一人の男なのだ。その聖域をあっという間に壊され、全治一週間の怪我までされた。相手の男は全治二週間の怪我を負ったらしいが、その後の様子は噂でも耳に入れなかった。力づくで大事なものを奪う奴のことなど髪の毛一本ほどの噂であっても知りたくもない。それが俺だ。


「その目、本当によく似ている。彼女は私にさえ心許さない孤高の少女だ。あなたにこそ相応しいと思ったんですよ」


 マルコムは喋りながら、懐から懐中時計を取り出して俺に渡した。


「それを担保にします。我が家に伝わる大事な時計です。刻印を読んでごらんください」


 丁寧な口調を買えないマルコムに言われるがまま、俺は片手で懐中時計のスイッチを押して蓋を開けた。蓋裏に刻印された家紋と文字、それに製造された年号と数字が書かれていた。


 思い出した。彼は学校の先生だ。


「先生?」


「嗚呼、やっと思い出してくれましたか? 伯爵」


「伯爵はおかしいでしょ。あんた人にどんな教育施してんの? 

歴史を踏まえたら、俺の家族に起きた事件を忘れたわけじゃないでしょう?

あんまり大声で連呼してたら、警官に捕まって手首切り落とされても知らねぇよ?」


「私の心配はご無用。それにしても、言葉遣いだけは直りませんねぇ」


 マルコムは口ひげを指で撫でながら、少し可笑しそうに笑った。


 担保なんか要らない相手と解っても、俺は懐中時計を自分の懐にしまった。彼のあとを着いていく道すがら、仕入れのしょぼい店が営業しながらマルコム先生に陽気な挨拶をする様子を眺めた。俺は普段、村人とは目を合わさないように決めていたから、いきなり人が変わったようには振舞えず居心地悪く歩き続けるしかない。




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