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ダークサイド2  作者: 森 彗子
第1章 闇を見つめて
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闇を見つめて 6

 鍵を開けると同時にドアを勢いよく開ける。


 何の手ごたえもなく、そいつは消えていた。



「……今、来てたな。例の女か……」


 私を背後から抱きしめた陵平が微かに震えていた。


「……誰だよ? 気味が悪いんだけど」


「お前に憑いてることは間違いないけど、夜部屋に通ってくる霊なら居場所を変えれば現れないのかもしれないよな」


 思いつきだった。でも、たとえ幽霊であっても気に入らない。そんなわけで、私は陵平を自分の家に連れていくことに決めた。


「明日の早朝バイトがあるんだけど」


「うちから通えば良い」


「え?良いの?」


 バイクの後ろに乗っている陵平はノーヘルメット。お巡りさんに見つからない道を選んで、片道十二キロを二人乗りで走った。


 陵平が私の体を必要以上に抱きしめてくるから、曲がる時も速度を落とすときも余裕がなくて参った。自分だって運転できるから知ってるはずだ。二人乗りの重心移動のことを。


「メット、明日にでも買いに行こう」


 ガレージにはまだお母さんの車は戻ってなかった。バイクを止めて専用シートを被せていると「大事にしてるんだな」と陵平が目を細めながら笑った。


 冷蔵庫にはありふれた食材がある。卵と冷凍された豚肉の細切れ、これに玉ねぎとカット葱を使って親子丼ならぬ他人丼を作る。米を三合炊きして豆腐の味噌汁を作ったら、ずっとキッチンの中をうろつく陵平がしっぽを振る犬みたいにまとわりついて騒がしかった。


「嬉しい。お前、いつの間にこんな料理……」


「いつの間にってなんだよ。やる時ゃやるんだよ、私だって」


 出来上がったものを食べていると、陵平が肘をついて体を斜めにしてあろうことか片足の踵を椅子の上にひっかけて立ち膝をした。


「……それ、やめた方が良いよ。食事の時ぐらいは正しく座るもんだ」


 結構、勇気が要る注意をすると陵平がきょとんとする。


「その脚だよ。椅子に正しく座って、身体をテーブルに向けて、そうそう。それが正しい食べる姿勢だよ。……ったく、ちゃんと覚えてくれないと一緒に居て恥ずかしいからな」


「……恥ずかしい、かよ」


 陵平が露骨に落ち込んだ。


 ―――― 嗚呼、もう。これだから、もうやなんだよ。めんどくせぇ。


 と、内心だけで文句を垂れつつ。


「習慣は慣れちゃえばどってことないんだから。なれるまでリハビリのつもりで続けて行けば、そのうち無意識にでも姿勢正しく食事できるようになる。世間ってのは、そういうところで育ちを見るそうだ。

うちもシングルマザーの母子家庭だから、こういうことには煩かったんだよ、お母さんがさ」


 陵平は拗ねた子供のようにアヒル口をして、不服そうに私を見つめ返す。


「そういう態度、何なの? 文句あるなら口で言えよ。ほら、食べよう」


 私は姿勢正していただきますをする。つられるように陵平もいただきますをした。


 料理を食べ始めると急にご機嫌になった彼は、美味いうまいとわざとらしいぐらいに喜んで食べた。「誰かが作った手料理が久しぶり過ぎる」と大喜びだ。


「で、どうしてたの? 新聞受けも酷いことになってたけど」


 当たり前な疑問をぶつけただけなのに、また急に暗い顔になった陵平は誰かの葬式に来たみたいな神妙な顔つきになって黙りこくった。


 ………っはぁぁぁぁ………


 大きなため息が重い。

 私は食べる速度を変えないまま、その様子の一部始終を観察しながら言葉を待った。


「……ちょっと仕事を頼まれて、数日間出稼ぎに行ってたんだ」


「出稼ぎ? どこに?」


「本州だよ。船に乗って行くの……。新潟とか、福井とか」


「……何の仕事?」


「荷物を運ぶんだよ。依頼人に引き取りに行って、届け先に持っていく。それだけ」


 やけにぶっきらぼうな言い方だった。しかも、かなり機嫌が悪い。よっぽどストレスを感じていたような印象だ。今朝見た夢が本物だというのなら、どうやって聞き出すか、そもそも聞き出して良いことなのか、判断しなければいけない。そんなことを考えてたら、味噌汁の味もわからならいまま飲み終わってしまった。


「わかった。もう良いや。まずはご飯ちゃんと食べよう」


 陵平はシリアスな表情のまま箸とどんぶりを持ち上げて、掻き込むように他人丼を平らげた。食後に緑茶を入れて持っていくと「爺ちゃんと暮らしてた頃が懐かしい」と大喜びでそれを啜った。


 ソファに居場所を移して並んで座りながら、リモコンでテレビをつけるとニュースが始まったところだった。そこには別の都市で連続行方不明事件という見出しで、高校生から社会人までの女性が三人もこの一か月間の間に突然居なくなったという内容のニュースが流れた。いずれも学校帰りや仕事帰りに、自宅に近い場所で忽然と消えたという。


 陵平は眠そうに瞼を閉じて、眉間に皺を寄せて黙っていたけど。

 私はつい彼の顔に近付いて息を吹きかけた。


 薄目を開け、驚いた様子で私を見つめ返す目には少しばかりの怯えた様子が伺える。ここで揺さぶって知っていること全部吐かせたいという衝動が突き上げてくるが、果たしてそれが功を制するのかどうかは誰にもわからない。


 どうしてなのか自分でも不思議なぐらい明確に、このニュースに読み上げられた事件と陵平が関わっているという確信がかま首をもたげるように私に訴えてくる。画面に映された女性達の顔は、どれも共通した特徴があった。吊り目で大きな黒い瞳、細い顎のライン、黒い髪はストレートで前髪が真っすぐに切られている。似ていない三人だが、ひとつひとつの特徴を上げると良く似ていた。これは同一犯で間違いなさそうだ。だけどニュースを読むキャスターやコメンテーターはそのことについて触れない。黒髪という部分だけは指摘しているけれど、細部の共通点にまでは及んでいない。


 私の無言の圧力のおかげで、次の項目に移行するまでの数分間を、陵平はただじっとニュースを見つめていた。そしてやけに顔色が青白く変化していて、額にはうっすらと汗までかいている。私が手を伸ばして、そっと汗に薬指で触れると陵平はビクンと全身を震わせた。張り付く胸と胸には、動揺を隠せない男の鼓動をしっかりと感じることができた。


「……どういうこと?」


 私の短い問いかけで、さらに陵平は全身を強張らせた。目を閉じて息苦しそうに肩を揺らして深呼吸をする。私は陵平の手を捕まえて、開いたその手に自分の手を重ねて強く握りしめた。ソファーに縫い付けるように両手を拘束したまま、私は陵平の膝の上に跨って座る。目と目が嫌でも合う距離だ。


「反らすな。私を見て」


 陵平が瞼を閉じようとした傍から命令する。苦しそうな呼吸と、激しく打っている心臓の音を感じていると、私まで緊張が移ってきて全身が気怠い熱に浮かされていくようだった。


「私の眼を見て。そのまま少しだけ……そのままで………」


 無意識だった。

 私は陵平の目から意識を彼の奥へと侵入させた。



 二年半前、ビョンデットが私にくれた何かは私に革命的な力を授けていた。そのひとつがこれ、他人の記憶にリンクすることができる能力だ。


 やられた方は最終的に眠りに落ちて夢を見た感覚になり、後遺症の心配はない。


 私が知りたい記憶らしき断片を見つけ出すために、おびただしい数の小さなカードをひとつずつチェックしていく。そんな地道な作業をしなければならないところは、どうしようもなく面倒くさい。


 良い検索システムでも作れたら良いのにな、と毎回思うけれどまだ高校生の私には知識も手段も知りえない。専門的な知識を取り込めば何か良い手段が構築できるかもしれないが、そんな時間の余裕も心のゆとりも持ち合わせていなかった。


 時間がひたすらかかる作業をしながら、自分の体力を計算した。これは幽体離脱と同じぐらいしか、肉体を離れられない方法なわけで、自分の体に戻らないとたぶん危険。息を止めて深い海の底に沈むようなものだ。


 手がかりを求めて、昨夜見た不可解な夢と同じ光景を探し出す。真上や空から見下ろした風景じゃなく、陵平の目線で見た記憶だから当時と同じものを、車でも良いし、ビニール袋でも、雨の中の穴掘り作業でも良い。どれかを見つけ出さなければ、あの死体は私を呼び続けるだろう。


 死体は探して欲しいと声を上げる代わりに、私に夢を見せるのだ。


 これまで十体以上の死体を発見し、匿名で通報をしてきた。それは、私にしかできないことだから、彼らの意思を尊重して、弔われることを願って、ボランティア活動として続けていることでもある。


 体力が切れてくると視界が赤く変化していく。朱色のフィルムがかった世界が徐々に深紅に変わり、強制的に終わりが来たことを意味していた。


 バネの引き寄せる強力な重力に叩きつけられるような、強く激しい衝撃と共に覚醒した。自分の体に戻っただけなのに、まだ酸素が足りない。吸い込んで、うまく吸い込めなくてもがくように暴れた私を、今度は陵平が掴まえてきた。大きな手に背中を叩かれ、咽るように息を吐き切った途端に新鮮な空気が肺に流れ込んだ。一呼吸ごとに緩和する締め上げられていたような苦痛が緩んでいくと、私はだらしなく陵平の体に身を預けた。


「……もう、大丈夫なのか?」


 心配そうに聞かれ、小さく頷いた。無理したせいで全身に力が入っていかない。


「おい、まどか……。お前、今何をしたんだ? 俺に何かしたんだろ?」


 気絶しない陵平が信じられず、私は重くなる瞼を何とか支えながら呼吸を続けた。手がかりが出なかった。時間が足りない。


「……陵……へ………い。頼みが……ある」


「何?」


 こんなことしなくても、ちゃんと自分の口から説明してくれ。そう言いたいのに、疲れが酷過ぎてどんどん体は動かなくなっていった。そんな私を陵平はゆっくりと押し倒した。


 ソファに寝かされたまま、私はまどろむ意識の中で何から掴もうか、そればかりを考えていた。



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