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ダークサイド2  作者: 森 彗子
第1章 闇を見つめて
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闇を見つめて 5

 体温は強張った体を安心させる。それは心にも作用するものだ。


 二年前、私の初陣直前。

 抱きしめてくれた陵平の体の温もりが、どれほどの勇気を与えてくれたのかを知っていた。


 頭で考え過ぎて、正しいことだけを選ぼうとするとき。

 間違うことを恐れて、人は躊躇してしまう。


 陵平の体に触れながら、そんなことをぼんやりと考えつつ、震える肩に頬を寄せて目を閉じた。すると陵平の手が私のもう片方の頬を包み込んで、それから両頬をつまむように顔を持ち上げられたと思ったら口付けされた。


 さっきの女のことが頭にチラついたけど、今はそれよりも離れていた距離を縮めるために、失うことを恐れないで、見返りを考えずに、ただこの体の奥に宿っている途方もない恋心を陵平に証明したかった。


 もつれるように絡み合う体。言葉もなくただ、強く抱きしめられてあらゆる場所に触れられる。


 心を許した相手だからこそ受け入れることを許せる。


 陵平の寂しさも私に対する強い想いも全部、この体温と仕草、そして視線と吐息から感じたくて、自分でも驚くほど没頭していく。



「もう離れないで欲しい。私の傍にいて」



 うわごとの中で願いを伝えようと言葉にするとき、溢れ出す想いが強すぎて涙が止まらなかった。


 

「……まどか、俺が馬鹿野郎って知ってるよね?」



 薄暗くなった部屋の中で、眠りから覚めたばかりの私に優しい声でそう言う陵平は、頬を濡らしていた。何事かと思って体を起こすと、体中が痛くて仕方がなかった。喉は渇き、まとわりつく匂いが気になっていると、陵平に腕を引っ張られて風呂場に連れて行かれた。


 小さなバスタブには透明なお湯が張られ、二人で入ろうと言った。


 笑っちゃうぐらい狭い風呂桶の中で二人同時に座ると、かろうじて体は収まったけれどざぶーんと大量のお湯があふれて零れた。違和感と痛みがお湯の中で溶けて、まだ離れたがらない陵平に抱きしめられながらめいっぱい首をひねって顔を見た。


「汚くて狭いボロアパートでごめん」


「そんなこと……」


 私は自分からキスをした。陵平はまた泣き出しそうに顔を歪ませる。へたくそな私のキスを受け止めながら、唇を震わせて泣いていた。


「もう、ダメかと思った。……もう、お前とこんな風になれないって」


 情けないかすれ声でそんなことを言うなんて、笑ってしまう。


「……俺、お前に合わせる顔ないってずっと思ってて……」


 湯舟の中で抱き合いながら、陵平の告白を聞く。


「悪いことばっかりしてたんだろ? 危なっかしいヤツだってことぐらい、とっくにわかってたってば」


 私の答えにまた、嗚咽を漏らして泣いていた。


「……お前が自分を大事にするのは当たり前なことなのに、それでもあの時は、拒まれたことがショックで、早くお前とちゃんと結ばれたくて……」


「ちゃんと結ばれるって、そういうことじゃないと思うけど」


「……じゃあ、どういうこと?」


 泣き顔で困った顔をしてる陵平が面白すぎて、どうしても笑ってしまう。


「……私もよくわかんないけど。でも、少なくてもこの一年間、音沙汰なしの間は私も色々考えてたよ。お前とどうなりたいのかをずっと……」


「……どうなりたいって思ったの?」


「今、こうしてることだよ。結局、男女っていうのはそういうことなんだよな。特別な関係になること。隠し事もなくて、一緒に生きてるって感じたいんだなって……。それに、ずっと言う機会もなかったけどさ。お前の家族に起きたことに関わるにはいろんな準備が必要だった」


「俺の家族?」


 陵平は驚いていた。

 

 どこから話せば良いのか、まだ半分夢心地なせいで判断がつかない。


 だけど、やっと話ができる。

 やっとスタ―ト地点に立てるんだ。


 妙に嬉しくて、私は立ち膝をして陵平の顔を自分の胸に閉じ込めるようにして抱き寄せた。大きな頭を抱え込んで、汗臭い頭のてっぺんにキスをして。


「……一緒に戦おう? お前の敵は私の敵だ」


「わかるように言ってくれないと……」


 そう言いながら、陵平は目をとじてしばらく私の胸に顔を埋めてじっとしていた。



 温まったところで同時にシャンプーから全身を洗うところまでやって、狭い風呂場でシャワーを浴びてから、陵平の大きなシャツを借りてせんべい布団にごろんとくつろいだ。


 外は暗くなり、土曜日が終わっていく。

 携帯端末を見ても、お母さんからメールは来ていない。


「女がいた???!」


 今朝見たことを正確に説明した途端、陵平はやっぱり怯えた顔をして立ち上がった。温まったばかりの体を抱きしめて、異変について語り始めた。


 おじいちゃんが入院した夜から、誰かの気配を感じていた。玄関のドアが開閉する音がしても、実際は何も起きていなかったり、女の声で何かを言っていたり、笑ったりするらしい。風呂場には黒く手長い髪が排水溝で見つかったりもしたそうだ。つまり、霊に憑かれていると思っているというのだ。


「気持ち悪いから、友達の家に転がり込んだらさ。

一緒に肝試しに行ったり、ナンパに付き合わされたりして、生きるためにいろいろと……」


 大分腹黒いことをしていたのだろう。バツが悪そうにごにょごにょと言葉を濁している。


「今朝の女は、本当に幽霊なの? それにしてはリアル過ぎたけど」


「もう、ほんっと、勘弁して。そんな女、俺知らないから!!」と、青ざめた顔で否定される。まさかの幽霊とは。


 霊に獲り憑かれている人間は知っているつもりだけど、いろんなケースがある。一概に見慣れているものと違うからと言って、これはそうではないということにはならない。でも、死後から時間が経った霊ほど発する色が世界と馴染まなくなる。そこだけセピア色をしたり、くすんでいたり、暗く冷たい冷気をともなっていたりする。対して、生霊と呼ばれる霊は強い思念によって、出している本人の知らないところで目撃される。体から抜け出した思念の一人歩きだ。この場合、生きている人と大差ない外見をしていることが多く、私でもすぐには判別できない者もいる。


 今朝の女はまさにそれだった。靴まであったし、服を着ているとはいえ寝相の悪い陵平の体に手を乗せて眠っていたのだ。それも、かなりの美人だった。


「寝顔しか見てないけど、結構な美人だったぞ。お前、ナンパで女ひっかけてこの部屋に連れ込んだとかじゃないの?」


 言いたくないことをなぜか口から飛び出す自分を、今すぐ黙らせたくなるのに、方法がわからない。陵平はショックを受けたように肩を落として「こんな貧乏暮らしに女連れ込むほど馬鹿じゃねぇし」と悪態をついた。


 陵平がなぜ私の部屋に入り浸りたかったのか謎は解けた。以前はこのアパートの前まで来て、一瞬ですぐに家に向かってそれまでだったから。自転車の二人乗りは後にも先にも陵平としかやってない。自分の暮らし振りが恥ずかしいだなんて、そんなことを気にしていたのかと驚いてしまう。貧しさを格好悪いことだと思っているのだろうか。


「気になったから聞くけどさ、将来のこと考えてる? 学校やめて働いてるの? それに、中三の時もやたら一万円札持ってたよね?」


「バイトしてたんだよ。中学生がバイトって、本当はダメじゃん?

おっきい声じゃ言えないけど、俺小六の頃から……お前と初めて会った時にはもうバイトしてたぜ。爺ちゃんの友達の廃品回収の手伝いとか、山の中でゴミ拾いとか、そういう肉体労働ばっかだけど」


 だから帰宅部だったのか。それにしては、不良共とチャラチャラ遊んでる印象が強い。


「あ、その疑いの目……。チャラいとか言いたいの?」


 相変わらず察しは良い。

 聞く前から質問を理解して、自分から喋り出すのは変わってない。


「俺だって骨休みぐらいしたいんだよ。爺ちゃんに負担かけないように真面目腐って働いて勉強サボってたら意味ないって叱れて、ガス抜き必要だろ?」


「ガス抜きって……。あんな連中と一緒に、人に自慢できないようなことしてるならもうやめて欲しい。自分の安全が約束されないような環境に、どうして近付くの?」


 陵平はごろんと転がって私を取り込もうと腕を伸ばした。一線を越えた後の私たちには、もう隔たりなんて必要なくなる。境界線の要らない関係に踏み込んだのは、陵平のことを全部引き受けようと思ったからだ。


 この覚悟を軽く扱うと後悔するぞ。言葉にこそしないけれど、私は精一杯の念を込めた視線を陵平にたっぷりと浴びせた。


「……俺のどこが好きか、聞いても良い?」

 

 ――― 馬鹿野郎だ。


 だけど本当に疑問の答えは自分の中で用意されていない。人を好きになることに、理屈なんか関係ないんだろう。陵平は簡単に悪意の取り込まれやすい男だと思う。でも、私がさせない。


「わかんない。でも、放っておけない」


 それが本音だった。それ以上でもそれ以下でもない、率直な私の想い。


 陵平は嬉しそうにほくそえんだ。下卑た印象さえ感じさせる唇なのに、私はまた自分から噛みつくようにキスをした。そして――― 


「お前さ、この私を安っぽく扱ったら後悔することになる。それだけは肝に銘じておくんだな」


「かっこいい」


 不必要なほどにまた体を寄せ合って、互いの意思を確かめた。目を反らすことのないキスをすることで、陵平の心の中に巣食う悪魔の気配を感じ取る。粘膜同士が触れ合うと化学反応が起こるみたいで、味気ないものがいつの間にかどうしようもないほど甘く愛しくなる。


 そうして夢中になってキスしていると、コトンとドアの外側で何かがぶつかるような音が響いた。ぴたりと動きを止めて、耳を澄ます。人の気配だ。


 目と目で会話をして、陵平がゆっくりと音もなく立ち上がると、音の正体を確かめるためにドアに近付いてドアスコープを覗いた。


 ビクッと仰け反った陵平の肩を捕まえて、場所を代わった私が今度は覗く。


 眼球だ。



 漆黒の瞳が、こちらを覗いている。



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