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ダークサイド2  作者: 森 彗子
第1章 闇を見つめて
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闇を見つめて 4

 浮かんでくる疑問を本人にぶつけたいのに、それができない。目の前が真っ暗になる。


 ――― 嗚呼、これが絶望というやつか。


 ただ、ただ、もう動けないほど辛い。思考停止して、しばらくジッと耐えていた。パタパタと生温い涙が落ちて、バイクのシートに水玉模様を描き出す。犬の散歩に出てきた人が不審な私を観察している視線を感じて、ようやく踏ん切りがついた。


 思い起こせば二年半前。

 陵平の猛アプローチによって私は次第に彼に惹かれていた。


 佐伯美貴一家に起きた心中未遂事件に取り掛かった時、陵平は勝手に着いてきた。出会って三年、知らなかったことがどんどんわかり私達は急激に距離を縮めた。私が霊能力者だと知っても驚かずに、変わらない態度で接してくれたし、私の身の危険まで案じて守ろうとしてくれた。好きという気持ちをまっすぐにぶつけてきて、友達以上になりたいとわがままを言ってきたのに。


 アイツが私の心に入り込んできたのに。



 どうして、こうなった?



 なにがいけなかったの?



 私が拒絶したから?



 そんな理由で?



 浮かび上がる疑問が瞬きするたびに風と共に飛ばされていく。ハンドルを握る手に力が入り、必要以上に加速し過ぎて信号待ちのブレーキのタイミングを間違え、つんのめって止まった。危うく事故りそうだった。


 はやく、はやく、家に帰りたい。



 全身投げ出して泣きたい気分だった。


 

 住宅地を抜け、片道二車線の国道に出る手前の信号待ちで、ジャケットの内ポケットに入れている携帯端末が振動しているのに気付いた。交差点の向こう側にあるスーパーの駐車場に入り、バイクに跨いだままエンジンを消して電話に出ると、まさかの陵平だった。


「まどか?」


 か細い弱々しい声は、まったくもって彼らしからない気がして。陵平もまた、私と同じように打ちのめされたような気分でいることが推測できる。


「………」


 声が出なかった。何か言う気も沸いて来ないとは、このことだ。頭が真っ白という説明がぴったりの状況だ。


「たった今、お前……うちに来たよな?」


 ――― なんでわかるんだよ?


「お前の匂いが残ってる………。夢じゃないって思ったから、電話した……」


 声が震えていた。


「……はぁ」と、わざと大袈裟なため息を吐いた。


 電話口でも陵平がかなり気詰まっているのがヒシヒシと伝わってくる。どんな言い訳を用意しているのか興味が沸いた。だから、私から余計な言葉は絶対に言わないと思っていた。


「……ごめん。昨日はちょっとトラブルがあって、電話する余裕もなかった」


「………へぇ」


 ――― そっちの言い訳かよ。


 私はイラつきながら重いため息を繰り返す。


「今どこ? 戻って来れるなら、うちに来いよ」


 耳を疑った。


 そしてやはり言葉がすぐに出てきてくれず、私は耳に携帯端末をあてながら挙動不審な仕草をして瞬きばかり忙しなく繰り返した。何と言うべきかがわからない。そこに、さっき一緒に寝ていた女がいるんじゃないの? そんな直球な質問をぶつけて冷静じゃいられなくなることは避けたい。会って話ができるならそれが一番必要だと思うから、私はぎゅっと目を閉じて気持ちを落ち着けるよう努力した。


「……すぐに行っても大丈夫なの?」


「散らかってるけど、お前なら気にしないだろ?」


 ――― 気にするよ!


 女はもう追い返したとか?


 散々言いたい言葉が沸き上がるけど、まだだ。今じゃない。


「今から行く。朝飯買ってこうか?」


「……じゃあ、頼む」


 陵平の声は徐々にしっかりとして、そして最後には明るい声で「待ってる」と言われて電話が切れた。なんという心臓の持ち主だろう。


 私の残り香に気付いたところは評価してやる。だけど、その傍らで寝ていた女はどうしたんだよ? その女に匂いはないのかよ? あんな無防備な恰好で、殆ど抱き合って寝てるところなんか見た後で、その浮気現場となった部屋に今から朝食を買って行こうとしている自分にも、何とも言えない気持ちを感じた。これはどういう気持ちなのだろうか?


 マクドナルドの朝食セットを二人分をドライブスルー買って、私は陵平のアパートに引き返した。



 *



 玄関を開けた時のヤツの顔は、寝起きの顔だけどしっかりしていた。玄関にさっき見た女物の靴は消えていて、上がって行った部屋のどこにも彼女の痕跡は完全に消えている。


 私がいきなり何かを探し出したものだから、陵平は首を傾げていた。


「なに? なんか視えるの?」


 陵平の寝ていた布団はふたつに折り畳まれ壁際に押しやられていて、押し入れは全開になっている。日用品のストックと折り畳んだ衣類が積まれている他は、特に怪しいものはない。ベランダはなく、小さな落下防止の柵が取り付けられた窓を開けて周囲を確認した。一階の角部屋は出入りされやすい。空き巣が入りやすいこと、この上ない窓だ。


「ここ、危なくないの?」


「男二人所帯で、金目のものなんかないからな。気にしたこともねぇ」


 陵平は買い物袋から朝食セットを取り出して、折り畳みの座卓の上に並べていった。


「……ねぇ。私の残り香がしたのって部屋の中だった?」


「寝起きに、女の匂いがしたんだ。丁度夢でお前と……」と言いかけて、陵平が赤くなった。


「お爺ちゃんは?」


「今、入院中。結核で……」


「……そうかよ。じゃ、一人?」


「ああ、二か月一人暮らしさ。もう慣れたもんだけどよ」


 向かい合って座り、私たちは朝食を食べ始めた。痩せ気味の身体を眺めながら、頬っぺたいっぱいに食べ物を入れてモグモグしている陵平は、顔だけリスみたいで可愛らしい印象だ。さっき見た添い寝の女は私が見た夢だったのか、と思えてくる。


 さて、どうしたものか。


 まさか、私が霊能力で部屋の中を覗いたなんて秘密を打ち明けるべきかどうか悩みどころだ。二年前なら迷わずに言えたかもしれないが、今は……。


 陵平との間に出来た距離を把握しない限り、安易なことを言ってはいけない。そんな考えは陵平のみならず、誰に対しても私は持っていた。他人からプライバシーを覗かれるということほど気持ち悪いことはないだろうから……。


「黒いぱっつん前髪でサラサラロングヘアの女、付き合ってるの?」


 考えとは裏腹に、私の心はさっきの衝撃の真実を確かめたくて口が勝手に動き出した。


 陵平は吃驚したような顔をして、持っていたバーガーを包み紙ごと座卓の上に落した。


「なに言ってんの?」


 信じられないものを見ているような、そんな目で私を見つめるその瞳には、戸惑いと怯えた感情と、他にも色々な感情が忙しなく混濁していた。


「だって、見たんだよ……」


「どこで?」


 私は指をさした。今、座っているその場所がさっきまで二人の男女が横たわっていた布団が敷かれていた場所だから。


「うわ!! 気味悪いことを言うなよぉ! なんで……」


 最後まで言い終わらないうちに陵平は何かに気付いたように、目を見開いた。


「え?!ってか、お前、鍵かかってたドアからどうやって入ったの? まさか、窓から?」


 寝とぼけたようなことを。


「んなわけ、あるかよ?私を誰だと思ってるんだよ、お前」


 血の気が引いてくとはこのことだ。陵平は青白くなりながら、首を振っている。あわあわと言葉にならない様子は、まるで機械仕掛けの人形のようだった。


「……悪いことをしたとは思ってるよ。だけど、心配だったんだ。お前がちゃんとここにいるのか確かめたかった。でも、やっぱりプライバシーを侵害したことは悪いことだ。ごめん」


 先に何か言われる前に、私は自分のしでかした罪を恥じ謝罪した。

 頭を上げて再び陵平の顔を見ると、ゲロを我慢している酔っ払いみたいな引き攣った顔をしている。怒ってるのか、それとも女と居たことが私にバレている焦りなのか、どっちにも当て嵌まる気がしたから。私はもう何も言うまい、と思って正座をした。


「……話し合いたいってずっと思ってたんだ。まさか、こんなに時間が掛かるなんて……」


「プライバシーを侵害って……お前、何をしたって…?」


 まるで長距離を走ったかのように苦しそうに息をして、陵平は私の肩を掴んだ。


 目と目が合う。

 伸びた髪の隙間から除く二つの目は、どこか必死だ。


「あ、いや……だから。その、……玄関のドアを通り抜けてお前と誰かが寝てるところを見たんだよ」


 陵平は飛び上がって驚いた。


「……うわ……うわわわわわわわ」


 意味不明な驚嘆の声。そして、ガタガタと震え出す大きな体。様子がおかしい。


「どうした??」


 私は焦っていた。何かに追い詰められている人間の特有の、恐怖に怯える匂いが陵平から感じたからだ。殺虫剤をかけられてじたばたと暴れ弱り死んでいく害虫のように、陵平は畳の上に寝転がって天井を睨んだと思ったら、横向きになってアンモナイトのように丸くなった。胎児のポーズだ。


「おい!どうしたの?? なにしてんの?」


 いくら呼び掛けても、陵平は貝のように口を閉ざした。カタカタと震えながら、瞳を閉じてぶつぶつと何かを呟いている。


 しょうがない。


 そう思って、私は覚悟を決めた。立ち上がり布団を敷いてそこに陵平を誘導しようとしたけど、全然動いてくれない。だから、私は彼の背中に寝そべって抱きしめた。髪を手櫛で撫でながら、混乱と恐怖が遠のくまで付き合うつもりで体を密着させる。


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