月に向かう 1
月に向かう
月を左手に百進む。
必ず左手に月がある事を確認する。
そう自分に言い聞かせ、灯していた明かりを吹き消すと辺りが闇に染まる。
目を閉じ、深呼吸をして目を開くと少し闇に慣れてきて周りが見えてくる。
目の前には、鬱蒼とした木々が広がっている。
空を見上げると、丸くて赤く染まった月。
左手に月がくるように体の向きを変え、また空を見て月の位置を確認すると、数をかぞえながら慎重に歩を進めた。
道なき道を進んでいるのだが障害物になる木々は目の前で避けていくので当たる事はない。
二十進む度に空を見上げては月に位置を確認する。
この確認を怠ると、いつの間にかまったく違う位置に月が出ていたなんて事になり、初めからやり直さなくてはならない。
数をかぞえながら避けていく木々を見ていると、何故か酒場で聞いた音楽を思い出していた。
南から来たという姉妹で、姉が楽器を奏で、その音に合わせ妹が踊っていた。
浅黒い肌を見せ付けるような衣装で、ひらひらとした薄布を纏わせながら踊る姿はとても艶かしく、酒場にいた男共は皆釘付けだった。
今はそんなことを考えている場合ではない。
きっちり数をかぞえなくては今夜中にたどり着かなくなってしまう。
空を見上げて月の位置を確認してまた数をかぞえながら歩き始めた。
百まで歩いたら後は簡単だ。
月に向かって歩くだけ。迷う事はない。
先ほどと同じように、木々は目の前で避けていく。
こんな事を、こんな光景を、何度続けなくてはならないのか。
あちらの事情を考えると仕方無いだろうが、もうそろそろ普通に家に入れてくれてもいいのにと思う。
そうじゃなくても、できればこの工程の半分ぐらいにして欲しい。
しかしそう訴たところでこちらの言い分を聞いてもらえる訳ではない。
しかたない。
そう思った瞬間、ふいに目の前に門が現れる。
生垣の中に木で出来た粗末な門だ。
やっと着いた。
ほっと一息ついて、門扉に手をかけた。