初詣までの路
アルバイト先の従業員たちと、仕事終わりに初詣に行こうと誘われたのは、もうすでに大晦日の事だった。
大晦日と言ってもフリーターで、恋人もいない俺としては何の予定もなく二つ返事でOKした。
早番だった俺は、いったんアパートに帰ってダラダラと過ごし、待ち合わせの場所であるファミレスに向かった。
ファミレスに着いたのは約束の時間より三十分ほど早かったのだが、バイト先で後輩の八千草さんはそれなりに混んでいる店の窓際の席で、一人ビールを飲んでいた。
「大蜷局さん、こっち」
俺に気が付いた八千草さんに手招きされて、彼女の向かいに腰を降ろす。
俺もビールをジョッキで頼んだ。
「ずいぶん早いな。一人で飲んでたのか?」
「アパートの部屋で一人で飲んでいたって、缶ビール一巻飲み切れないじゃないですか。こんなお店ならジョッキでカプカプいけますよ」
「いろいろ間違っている気がするけれど、俺が思うに家で飲めなくて、店で飲めるというのは、何人かの仲間と楽しく話をしながら飲むから飲めるんじゃないだろうか。ところで最近の二十歳のお嬢さんが初詣に行く時に、小豆色のジャージで行くものなのか?」
俺は届いたビールを一口飲むと、そう言った。
八千草さんが着ているのは通っていた中学校指定のジャージと思われた。
胸の所に白い布が縫いつけられていて、そこに「3年1組 八千草薫子」とマジックで書かれている。
「楽じゃないですかジャージって。中学の頃から愛用してるんですよ。基本普段はジャージで高校の時のジャージと着回してるんです」
「少しくらいオシャレしたらどうなんだって事だ」
顔の作りはそれなりに可愛いのに。
「いまどきMA-1着ている人に言われても困ります」
「バカ野郎、これは本物なんだよ。そこらのホームセンターで売っている990円の安物と一緒にしないでくれ。と言うかMA-1を知ってる歳じゃないだろ」
「田舎のお爺ちゃんがずっと着てました。農作業とかで。脳梗塞で倒れた時もMA-1を着てましたよ」
「俺はお爺ちゃんか」
「そう言えば、大蜷局さんていくつでしたっけ?」
「俺は四年に一度しか歳を取らないからな、いまのところ9歳だ」
「誕生日は2月29日ですか。普通はめんどくさいから前後に誕生日をずらすらしいですけど、めんどくさかったんですかね」
「あぁ、俺の親はそう言う人だった。何も考えて無い両親だった」
「だから大蜷局さんはそんなふうになったんですね」
「どんなふうなんだよ。俺の何を知っていると言うんだ。お前は俺の母ちゃんか」
「実年齢35歳。高卒。童貞喪失は20歳の時で、相手はバイト先で知り合った惣菜売り場担当38歳バツイチの女性。その時に借金の保証人になり、逃げられて自己破産。猫のタマミを溺愛していたけども、タマミが8年の生涯を終えた時、ペットロスで泣き暮らす日々が三ヶ月に及ぶ。現在は新たに三毛猫の小桃を迎え、幸せな日々を取り戻す。20代後半より職を転々とし、現在のスーパー金太郎は一年ほど勤務している。趣味はパチンコ。好物はマックのポテト。嫌いな物は胡瓜。好きな芸能人は日本エレキテル連合の小雪ちゃん」
「こぇーよ。どこで調べたんだよ」
「フェイスブックで大蜷局さんのお友達、山県さんとお友達になったんですけど、いろいろと教えてくれましたよ?」
「訴えてやる!!」
そんなどうでもいい話をしながら、ビールは進み、テーブルの上にはすでにツマミとは言えない量の食い物が並んでいた。
すでに約束の時間は過ぎていて、今年も残り僅かとなっている。
「みんな遅いな」
「ちょっと電話してみますね」
八千草さんはそう言うとスマホを取り出して、電話をかけ始めた。
電話をかけたところそれぞれに事情があって遅れるとの事だった。
まぁ、事情があるというのは当然だだろう。
なんせ大晦日なのだから、家族とか恋人とか色々あるだろう。
「そう言う、大蜷局さんは結婚したいとか、恋人が欲しいとか思わないんですか」
「めんどくさい。一人で生きていて何も問題がない。性欲は自慰行為で問題ない」
「そう言えば、風俗が好きとか言う話は山県さんから聞いてないですね」
「射精するより、パチンコで確変大当たりした時の方が気持ちいいだろ?」
「射精した事ありませんけど、それはそれで立派なダメ人間ですよね」
話がシモになり始めたので、心の中ではこれはもしかしてセクハラかと思い始めたのだけど、八千草さんは気にしている様子は無いようだった。
「そりゃ俺だって、若い頃はいろいろと興味津々で、チャレンジャー的な気分でいろいろと試してみたけれど、それは結局の所は生殖行為と言うよりも、あくまで自慰行為の延長であって、自意識の権化みたいなものだったんだよ。射精したついでに抜かないまま小便したら、相手がおかーさーん!!とか言って泣き始めて振られたりな。それでも俺はこんなもんかと」
「まさに肉便器ですね。鬼畜過ぎますよ。よく刺されなかったですね。それでそんな生活をいつまで続けるつもりなんですか」
「さぁ?」
「お店のオーナーに正社員にならないかって誘われているんでしょう?野菜売り場主任としてやってくれないかって」
「ありがたいとは思うけど、俺には夢があるんだよ。バイトの方が時間に自由があるからな。手取もバイトの方が多いんだぞ」
「夢って何です?」
「夢というのは無暗に口にするものじゃない。口にすると夢が漏れていくんだよ」
「パチンコと同じでオカルトですか」
「オカルト言うな」
「ですけど、小説家になりたいなんて無謀も良いところですよ。だいたいなれたところで食えないじゃないですか?」
「また山県か!!野菜売り場担当よりは食えるだろ」
「どうかな?」
「そういう八千草さんは夢とか希望とか無いの?」
「夢というのは無暗に口にするものじゃないんですよ。口にすると夢が漏れていくんです」
「それは俺の言葉だ」
「冗談はさておき、あえて言うなら、夢は幸せな家庭ですかね」
「壮大だな。よく言うお嫁サンバ」
「お嫁サンバというわけじゃないですよ、それは過程であって目指すのは家庭です」
「難しいな。俺には無理だな」
「小さくても持ち家で、庭があってそこにブランコがあるんです。そのブランコで遊ぶ男の子と女の子一人ずつを軒先で優しい旦那さんが笑顔で見守っている姿を、私はコーヒーを入れながら見ている。日々は穏やかに流れて、家族の誰も事故にあったり、大きな病気をしないで歳を重ねていって、大きくなった子供たちはそれぞれの家庭を持って出て行き、旦那さんと二人で暮らすようになった私達の所に孫をつれてときどき遊びに来てくれて、そんな日々を過ごしながら寿命で旦那さんより先に亡くなる年老いた私」
「難しいな。それを完璧にこなせする奴なんてそんなにいないよ。それが夢や希望だって言うならば、八千草さんの家庭はそうじゃなかったって事だろ?」
「そうですね。両親は私が小さい時に離婚して、母親に引き取られたんです。その母親が再婚したのは私が中学生の時でした。義父は畜生で、それこそ射精した後にそのままおしっこしたりするような人でした。突っ込まれたバイブレーターが中で折れて、子供が産めなくなっちゃいましたよ。まぁ、それで事件が発覚して母親が出刃包丁で刺して瀕死の重傷を負わせて刑務所に入ったりして。なかなか凄惨な人生ですよね」
「……マジ?」
「嘘です」
「リアルな嘘をつかないでくれ」
「父も母も普通です。家庭も普通です。普通すぎて居心地が悪いですけど、それが幸せだったという事にいつか気が付くんでしょう。ロードみたいですね」
それが本当だという確証も俺にはないし、彼女の口調もそう感じさせないものだった。
それがどうであれ、あまり深入りしたくない話だったので俺は口を濁す。
「オチとしては嫌だな。死んじゃうし」
「あ、新年ですよ。あけましておめでとうございます」
あからさまな俺の態度を気にもせず、八千草さんがそう言うので、店にかかった時計を見ると、午前0時を示していた。
「おめでとう」
結局、店の仲間たちとは近くの初詣をする神社で直接合流する事になった。
俺たちはファミレスを出て、暗闇の中に見える他の初詣に向かう人々の列に加わる。
雪はないものの、さすがに冷え込んでいるので、ジャージ姿の八千草さんは首にマフラーを巻いて横を歩いている。
「周りから見れば、私たちカップルに見えるんですかね」
八千草さんはそう呟いた。
「どう見ても、父親と中学生の娘だろ」
俺がそう言うと八千草さんは笑って答えた。
「それも良いですね。すごく背徳的です」