大晦日の夜
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“何かやり残した事がある”
それは毎年感じるのだが、今年は強く思った。
大掃除はした。ガスコンロ周りが厄介だったが、なんとか全てやり終えた。
年賀状も投函した。今年は簡易に絵付きの葉書を買って、一言手書きで付け加えたが、返ってパソコンで編集した賀状よりらしさが出ているような気がする。
仕事も、年内にやらなければならない事は全て終えたし、もし洩れがあったとしてもそれで責任を取らなきゃいけないような責任の有る立場ではないので知った事ではない。
そもそも、この“年の節目”というものを必要以上に大事にしているのは日本人だけだ。何もかも年内に済ませ、新しい年はさっぱりと新しい気分で迎えたいというのは解るが、やりすぎだ。
俺は毎年年の瀬になると、年が変わると人類が皆滅びてしまうんじゃないか? という錯覚にとらわれる。
年末の慌ただしさは死期を悟った人間が身辺整理をしているような、そんな感じがするのだ。
大掃除などしなくても、片付かない仕事が山積みでも、新年はやってくる。
それは時が流れている以上、確実かつ当たり前の事なのだ。
とはいえ、俺も日本人の端くれなので新年のおめでたい雰囲気は大好きだ。
今も年越しの買い物などをして家にたどり着いたところだ。
それにしても外は寒かった、取り合えず湯を沸かして熱い珈琲でも飲もうと、水を薬缶に入れ、それをコンロの上に置いた。
そして、コンロの着火スイッチを押した時、不意に自分のやり残した事を思い出してしまったのだ。
そうだ。節約と健康管理のため殆ど自炊している俺の台所はその分汚れも酷い。頑固な油汚れを落とす為にいささか力を入れすぎてガス管のホースを傷つけてしまったのだ。
生憎風邪気味でガス漏れの匂いが解らなくて、しかし、心配だからガス屋を呼ぼう。だがガス屋は大晦日に営業してるのだろうか?
……などと考えていたのだが、すっかりその事を忘れていた。
大丈夫だ。その他はやり残した事はない。
すさまじい爆発音が轟く間までのほんの一瞬、そんな事を考えていた。
〈了〉