完成された屍
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私が“死体”に興味を持ったのはいつからだろう?
知人の葬儀の帰りに「死んだ人の顔見るの恐くない?」と誰かに訊かれ「いや、恐くない。むしろ死んだ人の顔見るの好きだな」と答え、その言葉の異様さに訊いた相手も、そして答えた自分も引いた。
別に、イレギュラーな趣味が有るとかではない。
自分でも意識して居なかったが私は死体が好きだ。
死体が好きなのだ。
ただ純粋に死体が好きなのだ。
生きている時の、その人間の性格の良い部分もだが悪い部分も抜けて只の“容れ物”となった死体の、何と清々しく美しい事か。
何も汚い部分の無い、生まれたての赤ん坊の様に無垢な存在だ。
絵画や彫刻を見るように死体と云うその完成された美術品を鑑賞したい。その欲求は、はたして異常なものなのだろうか?
気が付けばネットで死体の画像を検索したが、その殆どが偽物やリアルなイラストで、たまに本物を見付けたと思えばモザイクやボカシがかけられていて辟易する。
そんなある日、“それ”は突然私の前に現れた。
営業の合間に少し休もうと河川敷に車を乗り入れた。そこは大きな長い橋の下で丁度良く日光が遮られ涼しい日陰になっている。
仕事が行き詰まるとたまにこうして此処で本を読んだり、携帯でゲームをしたり、時には昼寝をしてサボっていた。良い隠れ場所だったのだ。
……が、先客が居た。
しかし、それは私の休憩の邪魔をする訳でなく、ましてや話掛けたり騒いだりする事なくただ、其処に居たのだ。
私は彼のそのフォルムに心を奪われた。
橋の欄干から下がるロープは彼の身体の重みで真っ直ぐに伸び、首はあり得ないほど傾きそのうち千切れてしまいそうな程だった。
苦悶の表情と云うよりは、何か思い悩んでいると云ったようなその顔は、やはり全ての赤みが抜けて青白く、夜になったら月の様に光るのでは無いかと思える程だった。
私は夢中で携帯のカメラに彼の姿を納めた。
あまり画質の良くない機種で残念だが、その画像は大切に保存した。
しかし、いつまでも“彼”をこうして置くわけにはいかない。
彼の姿を撮影した携帯で、警察へ通報した。
あまりに私が冷静過ぎて、到着した警察関係者達に怪訝な目で見られたが、誰が見ても明らかな自殺だったので私が殺したなどと要らぬ疑いを掛けられる事もなかった。事実、彼の着ていた上着のポケットから遺書が見付かったと警察も話していた。
サボろうとしてた事は上司に咎められたが、そんな事より、私は早く家に帰って、あの画像をゆっくりと見たくて仕方が無かったのだ。
画像は殆どシルエットしか写っておらず、半ば予想していた事とは言え、嬉々として画面を開いた私を何者かが嘲笑っている様に思えて仕方ない。
やはり私のこの思考は、神を冒涜するものなのだろうか?
死体を眺めていたい。
別に殺人を犯してまで死体を見たい訳ではないし、死体に悪戯などもってのほかだ。なのに、高尚な美意識ではなく悪趣味な性癖と受け取られるのだろうか?
考え出したら死体の事しか考えられなくなり、何も手につかなくなり、気が付いたらあの男が縊れていた橋に向かっていた。
別にまた首吊り死体があると思った訳ではない。
死体に執着するのは実は、“生”に何の希望も見出だしていない事に気付いてしまったからだ。
形だけの遺書もきちんとポケットに入れておいた。
縄の端を欄干に結び、もう一端を自分の首に掛けて飛び降りれば、自分こそが“完成された美術品”になり得る。
月の光りが反射して煌めく川面はまるで天の川のように美しく、その煌めき一つ一つが天女の掌のように私を招いていた。
〈了〉