くらげちゃん
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“くらげ”ちゃんが自殺した。
無理もない。親からあんな名前を付けられて、そのせいでイジメや嫌がらせを受けていたのだ。今までよく我慢したものだ。
教諭である私がこんな事を云うのも何だが、彼女の親は何を思ってこんな名前を付けたのだろう? と、疑問だったのだ。
家庭訪問に行った際、ほんのついでに訊いてみた事があるのだが
「ちょっとロマンチック過ぎましたよね、後悔してるんですよ。名前負けしてるんじゃないかと……」
と、彼女の母親は云う。
ロマンチックな名前ならそれもアリだと思う。女の子なんだから。綺麗な名前を付けてやりたいと思う親の気持ちは解るつもりだ。私だって人の子、人の親なんだから。
しかし
「“くらげ”と書いて“るな”と読ませるなんて、なかなか思いきったものですよね」
読み方も問題だが、何故“海月”などという字を使ったのだろう?
きっと彼女のご両親は“くらげ”に大層な思い入れがあるのだろう。初デートで行った水族館の“くらげ”が綺麗だった。とか、彼女の母親の次の言葉を聞くまではそう思い込もうと思った。が。
「えっ“くらげ”って……あの海に棲んでいる“くらげ”ですか?」
母親は驚いて目を丸くしていた。つまり、意味を知らずに漢字を当てたらしい。
それがいわゆる“DQNネーム”と云うものだと知ったのはずっと後の事だが。
「くらげちゃんおはよう。今日日直だね」
いつしか私は“海月ちゃん”の事を“くらげちゃん”と呼ぶようになっていた。
最初は彼女本人も受け持ちのクラスの子達も、彼女のおさげ髪がくらげに似てるからとか、くらげのようにフワフワしてるからとか、そう云う意味だと思っていたらしい。
「ねえ、先生。なんでるなちゃんの事“くらげちゃん”て呼んでるの?」
ある日生徒の一人がそう訊いてきた。
「ああ、るなちゃんの漢字はね、本当は“くらげ”って読むんだよ。るなちゃんのご両親はそれを知らないで名付けちゃったらしいね。こんな風に漢字の読み方や意味を知らないと大人になって大恥をかくから、君も漢字をちゃんと勉強するんだよ」
そうなのだ、間違っても私の教え子達には子供に恥ずかしい名前を付けるような親にはなって欲しくない。
日本語が壊れてゆく昨今、私の教え子には正しい日本語を使って欲しいのだ。
しかし、それから暫くして“くらげちゃん”はイジメに遭うようになって来た。
「るなの親ってバカなんだよー、大人なのに漢字分かんないんだってー」
「バカの子はバカだよな」
「“海月”って“くらげ”って読むんだよ」
ああ、ほら、云わんこっちゃない。よく名前が原因でイジメられるケースがあるが、これはその最たるものだ。
担任としてイジメは見逃す訳には行かず、ホームルームで児童達に注意するが、注意したところで無くならないのがイジメの道理だ。
彼女の母親が「先生のせいでうちの子がイジメられてる」と怒鳴り込んで来たが、責任転嫁も甚だしい。イジメられるような名前を付けたのはそっちではないか。きっと、こういう親をモンスターペアレントと云うのだろう。
やがて、学年が変わり、私は彼女とは別のクラスを受け持つ事になったが、彼女へのイジメは続いていたそうだ。
そうして、彼女が小学校を卒業し、中学生になって少し経った頃、この訃報が届いたのだ。
聞くところによると中学でもイジメられていたらしい。
「全く、気の毒な話だ。子供は親も名前も選べないからな」
そうひとりごちていると、背中の当たりがひんやりとして来た。
振り向くと、死んだ筈の“くらげちゃん”の幽霊が、まさに海中を漂う海月のように空中に浮かんでいた。
〈了〉