Yet!【R15】
R15と言うか、表現が下品です。
一世一代の恋をした。
二十年目の初恋。なんて映画のタイトルにでもありそう。でも、笑ってはいられない。だって、それが私の初恋。失敗するわけにはいかない。
だから、慎重に、慎重に、そして彼を惚れさせてやるんです。
「トモ、床上手ってどうやったらなれるの?」
昼下がりキャンパス内のちょっとお高めな喫茶店で、突然そんなことを尋ねられた友人はぶはぁっ――――飲んでいたフラペチーノを噴き出した。
「な、何を突然言い出すのよ、あんたは!」
どうやら一言目を間違えたらしい。しっかり者で完全無欠な友人の慌てふためくさまは稀少だが、代償に盛大にフラペチーノをかぶることになった。しかも、なんか実家のオカンみたいなことを言っている。
「だって、トモ彼氏いるから」
「彼氏いるってだけでこんな質問しないでしょ、ふつー!」
理由を言いなさい。理由を。
そう促されては仕方ない。喋ってもらわなければ、高い相談料を払ったかい――――はないか。その相談料はたった今自分に吹っ掛けられたのだから。
「わたしが本懐を遂げるための尊い犠牲よ」
「ちょっ、わかった。や、なんとなく予感してたけど。絶対やめときなさい!」
トモ――こと向坂智子は悲鳴のように叫びつつ思った。こいつ既成事実作るつもりだ。
彼女の友人、井原ユウは少し――いやかなーり変わった人物である。
小学校からの長い付き合いのある智子は、そのことをよーく知っていた。
ある時は「女たる者料理はできなければ!」と宣言したと思うと有名料亭やら三ツ星レストランやらに修行に入りプロもうなるような料理が出来るようになったかと思うと「これじゃだめ」と言ってキャンパス側の人気食堂でアルバイトを始めていたし、またある時は「車が運転できた方がいいかもしれない」と呟いていたかと思うと下宿先の前でスクラップ車を数台解体復元繰り返してから教習所へ行ったし、そのまたある時は「化粧って奥が深い」と落ち込んでいたかと思うと行方をくらまし数か月した頃ふらっと見たハリウッド映画の特殊メイク班に名前を連ねていた――――とまでくればわかるだろう。彼女は何事も徹底的にやりすぎるのだ。
ふと、大学が同じと決まった時にユウの弟に土下座しながら「この馬鹿のことを見捨ててやらないでください!」と言われたのが鮮明に蘇る。
(なんでこんな爆弾娘をあたしに任せるのよ。責任重大じゃない)
智子は思った。
これは何としても止めなければ、こいつは医学を散々学んだ挙句「やっぱり実地が大切だね☆」なんて言い出して風俗で働き出すんではないか、と。
(やる。こいつはやる、絶対に)
それだけは何としても阻止しないと。
「ゆ、ユウ…あんた生命科学のイケメンに惚れてるんでしょ?」
「そう、生命科学部総合人類学科三回の篠田幸紘(20)。誕生日は一月十六日、血液型はA型。身長は176㎝で体重は60㎏ジャスト――――食べても太らない体質みたいだね。好きな食べ物は玉子料理。朝食は日替わりで玉子焼きとオムレツを食べる程好きで、特に『藤村亭』の卵焼きがお気に入り――――もがぁっ」
「ちょちょちょっ、ちょっと待って!」
嬉々として喋り始めたユウに、智子は嫌な汗が出た。何その情報。
「あんた、まさかその篠田さんのストーカーしてるわけ!?」
名前の後にかっこ付きで年齢が入っていたりする辺りがモノホンっぽいし!
「ストーカーはしてないよ」
「なら何してんのよ!」
「飲み会で酔い潰した西島君から訊き出してる」
「人の彼氏をソースに使うな!」
智子の彼氏の西島正人は建築学部建築学科の三回生で、篠田幸紘の友人でもある。
まぁ、確かに人のあふれかえっている私立の総合大学といえども、そこまで情報を流してくれる人間と言えば限られている。おまけにあいつは酔い潰れると口が軽いどころか締まりがなくなるやつだ。
「もしかして、あんたが急にそんな恰好し始めたのも?」
「篠田先輩かわいい女の子が好きらしいよ」
●ニクロリスペクトのモノトーン基本だったのが、ここ最近淡い色合いの服を重ねたような森ガール風になっている。あくまで風なのは、動きにくい服装なのを嫌うユウがわざわざ自分に着やすいように一から作っているからだ。ここにもやりすぎる性格は出るらしい。
「じゃあ、大学入ってからの奇行は?」
「料理を始めたのはお嫁さんに相応しいように。でも、料亭もホテルも毎日だと飽きちゃうしさ。それで藤村亭でバイト始めたの。車は先輩と遠出する時にいるでしょ? 先輩の実家ってちょっと田舎らしいし。化粧は一応どんなタイプにでもなれるようにって思ったんだけど、わたしチビだし巨乳美女は無理だから特殊メイクが必要かなーって」
まぁ、最悪整形すればいいんだし。
(軽く言わないでよ……)
どこから見ても儚げな美少女顔のユウに言われたくない。美容整形の先生もどこに手を付けていいのか悩むだろう。
そんな智子の苦悩も顧みず、ユウは嬉しげに声を上げる。
「でねでね! さっき英米の花山に訊いたんだけど、やっぱり女は体だって!」
他学部のユウは知らないだろうが、花山と言えば英米学科では言わずと知れた女たらしだ。下手に顔がいい分一回生の頃は引っかかる女子も多かったが、そろそろそっぽ向かれている奴だ。
「それでこの呼び出しね。わかった、花山シメとく」
「えっ、せっかく教えてくれたのに!」
「あれは間違った参考書よ。生産元にクレームいれないでごみ箱に捨てるだけ良識的だと思って欲しいわ」
「トモ、言ってる意味がわからない」
「あんたって本当日本語が残念ね。文学部にくればよかったのに」
それで、コミュニケーション力やら言語表現でも身に着ければいいのだ。
だいたいそこまで惚れ込んでおいて、実は喋ったことがないとか何の冗談だろうか。
西島の馬鹿も情報流す前に、飲み会でちょっと話すきっかけ作るくらい出来るだろう。なんて気の利かない男だ。
ちょうど一階フロアの客が帰って行ったのをいいことに、智子は声を張り上げた。
「馬鹿ユウ! さっさと篠田さんに告ってきなさい!」
「えええー、まだ無理だよ―――」
だって、まだ惚れさせていないんだもん。
「――――だって。お前ってとんだ策士だよな」
つか、詐欺?と実は二階フロアで話をすべて聞いていた正人は正面に座る幸紘を見た。
染めたことのない黒髪に、ただ切りそろえただけの特徴のない髪方、黒縁眼鏡を掛けたチェックのシャツに黒のズボンというあっさりとした服装の男。文字列だけとってみればまさしくがり勉!で実際幸紘はがり勉並みに勤勉だ――今だって、『行動分析学』とかいう小難しそうな本を片手にコーヒーを飲んでいる――が、顔がいいだけでこうも違って見えるものなのか、と正人は今更ながらに世の無常さを思い知った。
そんな工学部機械工学科の天才児井原ユウを射止めた男は、彼女の告白以上の奇行のかずかずを粒さに聞かされておきながら、その事にさして頓着した風もなくさらりと答えて見せた。
「だって、ユウが頑張ってるの見るのって楽しいじゃんか」
既に、勝手に下の名前呼びである。まぁデフォルトなので正人はツッコまない。
「おかげで、俺は『酒に酔い潰れるとなんでも喋る気が利かないダメな男』って年下の彼女に思われる目にあってるんだけどな」
「俺より先にくっつくから悪いんだ」
「いやいやいやいや、お前が時間かけすぎなんだろ! 俺知ってるんだからな! お前が新歓コンパで会長の席強奪してまで井原の隣に座ったって」
「さぁどうだったかな?」
この後彼女に怒られまくるんだろうからといじわるの一つでもしてみたかったが、このポーカーフェイスな友人の表情を崩すのは相当難易度が高いらしい。今は、ちまちまと経験値を稼いでいくしかない。
「ところでさぁ、お前井原に告白されたらどうするわけ?」
喋ったこともないのに。
少し間が空いてから「もうそろそろそういうのもいいかもしれないな」と本を見たまま呟いた。