魔王陛下の雑務大臣
魔王について、人はいったいどれくらい知っているだろうか?
世間一般に言われるのは、①魔族の王 ②残虐非道な悪の親玉 ③都合の良い悪役。だいたいそれくらいだろうか。
しかし、声を大にして言いたい。
「魔王」とはそういうものではない!
他国と交流薄い陸の孤島、ノヴァルゲルディズ。
正式名称、魔術大法国ノヴァルゲルディズだ。
名前が長くて呼びづらいので、トップの魔王陛下をはじめ国民誰もが魔国という略称を使っている。
そんなわけで、魔国の国王=魔王陛下となる。
決して、魔族の王でも残虐非道な悪の親玉でもない。一国家を魔術と法律で以て治める国主だ。それは、正式な呼称として国内では一般化している。一々「魔術大法国ノヴェルゲルディズ王」とか言うのも嫌だ。
というわけで、この国では誰もが「魔王様」もしくは「陛下」と呼ぶ。
そこで敢えて誰が一番呼んでいるかを数えてみれば、それはぶっちぎって彼女に違いない。
「陛下―、魔王陛下―、どこですかー」
魔術大法国ノヴァルゲルディズ城略して「魔王城」では、日常的に彼女の「へいかー」という呼ぶ声が聞こえてくる。執務室から定期的に消える魔王陛下を探しているだけなのだが、昼夜問わず探し回っているせいで「徘徊する魔女の怨霊」として魔王城の階段に数えられていることを彼女は知らない。
「あーもうっ、エスケープするのはまだ良いとしてせめて行き先くらいは書置きして言ってください、っていつも言っているのに! 手伝ってくださいって言っても皆さん適当に仕事仕事言って手伝ってくれませんし、部下は呆れるほど使えませんし……へぇぇぇかぁぁぁあ!!」
恨みのこもった断末魔の悲鳴のような「へぇぇぇかぁぁぁあ」に、がたんっと廊下に置かれていた花瓶が揺れた。
この辺りは、魔王城でもVIPな客人が宿泊するための客室がある場所だ。そのため、花瓶も見栄えがするように大きなものを使っている―――子供一人くらいなら隠れられそうな大きさのものだ。
キラン、と目が輝く。
「そこですか―――っ!!」
魔王陛下が捕獲された。
臣下に囚われて、ぷらーんと宙を浮くこととなった魔王陛下は目をうろうろさせながら言い訳を考えている。
その姿は、見るから勉強をさぼっている子供で、一国の主とは思えない。
数年前のとある戦いで魔術を使い果たしてしまったので、今は体を縮ませ省エネモードで凌いでいる。おかげで、女の細腕でも吊し上げられるリアル子供である。
推定10歳児な魔王陛下。救いなのは、烏濡れ羽色の髪と緋色の瞳、血を感じさせない白皙の顔が、人外レベルの美貌なことだろう。執務をサボるだめだめ国王様でも、この美貌の おかげでなんとかはったりが効いている。
勿論、効かない者もいる。
国内では魔王陛下に次ぐ地位の宰相のほかに、各省庁を預かる八大臣がそれである。
そして、彼女もその一人。
雑務大臣リズル=ハイルドザスヴィッチに魔王陛下のはったりは通じない。
「良いですか、陛下」
魔王陛下を床に返すと、リズルは分厚い絨毯に膝を下して人差し指を立てた。
「おわかりかと思いますが、陛下は現在魔力が常に枯渇状態です。つまり、ぶっちゃけますと、下位の魔物はもちろんちょっと大きな犬に飛びつかれただけでもポックリ言ってしまうのです。おまけに、ここ魔王城は陛下の懐の内と言いましても、不届者がいないとも限りません。悲しいことですが、身近に幾つか例がございます」
具体的には、綺麗好きと言えば聞こえがいいが潔癖症というより色情狂寄り綺麗好きな財務大臣とか、子供好きと言えば聞こえはいいが下には際限のないロリコンショタコンな祭務大臣とか、他にも歩く爆弾魔な部下Aとか魔物ホイホイな部下Bとか―――まぁ、エトセトラである。
安全と言い切れない自分の城を理解したのか、魔王陛下は少し青ざめて頷いた。
―――と、思いきや。
「まぁ、リズルがいるから大丈夫か」
と、のたまいやがる。
不敬罪ものだが「はぁ?」と声を上げたリズルに、魔王陛下はにんまり美少女然とした笑みを浮かべてくださった。魔王陛下は性別男なので、間違っても口には出せないが。
勿論、執務室に戻りますよね?と考えていたリズルを裏切るように、魔王陛下は執務室とは逆の方を向いた。
「じゃあ、次は―――」
「執務室に戻るんです! 今日の分が終わらなかったら、お夕食はおひとりで食べていただきますからね!」
ぷいっとそっぽを向いたリズルに、魔王陛下はわぁわぁ慌てはじめた。
実は、仕事で多忙を極める魔王陛下。日に数度蒸発するが、いい気分転換だと認められている節がある。おまけに、リズルが探せば三十分と待たずに発見されるのでプチ執務室出もいいところだ。
ちなみに、魔王陛下の自宅は魔王城なので、家出にもならない。それこそ、「徘徊する魔王陛下」は知る人ぞ知る魔王城の名物で、見かけた人はその日一日運もツキもごっそり持って行かれるとまことしやかに語られていたりする。
そんな魔王陛下がゆっくりと休める時間が、執務後の夕食・風呂・睡眠である。夕食中は、リズルと仕事を忘れてまったり話すのがお決まりで、魔王陛下の癒しの時間であったりもする。その夕食が一人になると、仕事→風呂→睡眠→次の日という味気ない灰色の流れとなってしまう。それだけは絶対阻止したい魔王陛下であった。
「り、リズル、ごめん! ちゃんと部屋に戻る! 戻るから! だから、そんなこと言わないでくれ」
きゅーんと落ち込んだ魔王陛下。
見るからに美少女なので、魔王としての威厳はないが、リズルの母性本能をくすぐる何かはあった。
両手を広げてよたよたと近寄ってくる魔王陛下を、むぎゅーと抱きしめてしまう。
実年齢は外見年齢からかけ離れている魔王陛下だから、そんな子ども扱いまがいなことをすれば失礼極まりないのだが、魔王陛下は抗わない。むしろ、自分からぎゅーっと抱き返す。
(リズル、少し胸膨らんだか……?)
子供となったことを良いことに魔王陛下がそんなことを考えていることは、当然秘密である。公然の秘密だが。
見た目は子供、中身はオッサン。実は、嫁も子供もいる魔王陛下である。
※※※※
勇者について、人はいったいどれくらい知っているだろうか?
まぁ、①魔物を討伐する職業 ②悪の大王を倒す英雄 ③なんでもアリなびっくり人間、というところだろうか。少なくとも、魔王陛下よりは人口に膾炙した役割だと思っている。
しかし、声を大にして言いたい。
①はともかく、②・③のような勇者はまったく違う! 特に、②で魔王城にやって来る勇者はただの迷惑な勘違い男だ!
アラート、アラート、勇者警報!
魔王城に鳴り響いた【勇者警報】に、リズルは「はぁ!?」と声を上げた。
なんてタイミングの悪い!
今、魔王陛下はエスケープ時間の真っただ中だ。うっかり勇者とぶち当たっても、子供と見逃してくれる―――こともないか。むしろ、子供が魔王城にいることから、王族だろうと狙いをつけられそうだ。
余談だが、魔王城は100階建である。
1階が玄関ロビー、100階が魔王陛下の寝室、階層が上がるごとに魔力濃度も上がるので上位者しか必然的に魔力の高い物しか上がれなくなる。そして、たいてい勇者が狙ってくる玉座の間は50階にある。
魔王陛下レベルになると魔力濃度が高い方が気分がいいらしく、あまり下の階層にはいきたがらない。徘徊しているとすれば、おおよそで50階以上となる。
(城内を探し回るより、勇者を始末したほうが早そうですね)
50階の玉座の間で待ちぶせておけば、先に魔王陛下に会うこともないだろう。
リズルは玉座の間へと急いだ。
50階にたどり着いたリズルは、吹き飛ばされた玉座の間の大扉に舌打ちを禁じ得なかった。
(物は大切に、って教わらなかったのか勇者は!)
どこの田舎者だ、馬鹿もん、礼儀知らず、とぶちぶち言いながら、リズルは玉座の間に入る。
「魔王、覚悟しろ!」
月並みなセリフを発する勇者に、リズルは怒りから頭痛がした。
おまけに勇者他は、剣士、魔術師、神官と代わり映えのしないメンツだ。せめて綺麗なお姉さんをそろえていれば見栄えもしただろうが、長旅で汚らしい汚れまみれの男揃い。魔術師・神官はまだいいが、体が資本な勇者と剣士は後ろ姿だけでも酷い有様だ。髪に浮かぶフケ、鎧の隙間から見える白シャツの汚れ、首と名のつく場所についた垢は見るに堪えない。
「覚悟するのは、貴方がたです―――っっ!!」
すぱーん。
涙目になりながら、重要書類で勇者の頭を叩いた。
「貴様! 何をする!」
「寄らないでください、汚物! 臭いがうつります!」
振り返った勇者はたぶん十代後半のリズルと年の変わらない少年だった。
だが、青少年の汗だってやっぱり……ねぇ。加齢臭がしないだけマシと思え、ということだろうか。
勇者より十は年上に見える剣士には近づかないでおく。何が、と言えば、それが、である。
途端、ぶはっと笑い声が玉座の間を騒がす。
よく見てみれば、玉座の間に宰相をはじめ国の重役勢揃いだった。魔王陛下も玉座に座っていた。いつも座り心地が悪いからと座りたがらないのだが、空気を読んだのだろう。
おまけに誰かが幻影の魔術をかけたようで、ガハハと大口開けた笑いそうな悪人顔の大男風貌となっていた。個人的好みは絶対零度な雰囲気放つクールビューティなので、リズルとしてはちょっと残念だった。美少女風な魔王陛下だが、元の姿に戻ればリズルの好みどんぴしゃなのだ。
「おまっ、そりゃ、酷だろ。悪魔か!」と工務大臣。
「おいおい、哀れだなァ」と軍部大臣。
「勇者も情けないものだ」と法務大臣。
「あーあぁ」と外務大臣。
「ふぉっふぉっふぉっ」と教務大臣。
おまけに、宰相が「…………ぷっ」と煙管をふかしながら笑ったものだから、勇者一行のモチベーションが急降下した。しかも、若い少女に言われたというのが、また彼らに傷となる。
しかし、怒り心頭なリズルはそんなことでは止まらない。
すっかり落ち込んだ勇者一行から十二分に距離を取ると、勇者を殴ってよれた重要書類を開け読み上げ始めた。
「怪我人8名。内重症者3名で全治三か月です。労災の申請が出ていますので、後ほど見舞金と一緒に用意が必要となります。幸い軽傷でしたが掃除婦のカティさんと用務員のドルク爺が退職届を出しましたので、退職金と後任探しも必要です。さらに、大門一組、玄関ロビーの大扉一つ、客室にあった花瓶、玉座の間の大扉一組以上の国宝の被害に加え、甲冑の置物、階段の手すり、赤絨毯、壁紙、他備品多数が被害を受けました。―――これらの被害、どう責任を取られるおつもりですか?」
リズルが読み上げた被害報告書に悲鳴を上げたのは、生真面目な工務大臣だ。用務員は彼の管轄に当たり、ドルク爺はよぼよぼでも現役張って頑張ってきた人間国宝だ。彼の後任を探すのは一苦労では済まされない。
血走った眼をした工務大臣が、勇者たちをぎろりと睨みつけた。
「お前らっ、覚悟しろ! 国はどこだ! たんまり被害金ぶんどってやる! ―――リズル!」
「紋章からして、大陸東のバルディア公国ですね。良かったです、最近貿易で稼いでいる国じゃないですか。これなら、被害相当額取り返せますよ」
リズルはさらさらとペンを入れると、書類を勇者に差し出した。臭いを耐えるために、眉間にしわがよってしまったのは仕方ない。
受け取った勇者一行は、書類を見て言葉を失った。国の年間予算を軽く超えている。三年分になるだろうか?
「こ、こんなもの払えるかっ! だいたい、お前ら魔族が!」
「―――それは、そちらの不手際です。この大陸に魔族という生物は存在しません。だいたい魔物と私ども魔人は別の生き物であり、魔人は貴方がたの言うところの魔術師です。魔力を持った人という意味ですからね。そちらのお仲間も、私達からすれば魔人ですよ」
急に話を振られた魔術師が信じられないという顔をした。
仲間たちの視線を集めて、違う違うと首を横に振っている。
「今はその真偽など置いておきましょう。別に他国を頼っても構いませんが、そんなことも知らなかったのかと馬鹿にされますよ? 出稼ぎに他国で宮廷魔術師をする魔人は少なくありませんから」
真っ青になった勇者一行に、リズルが微笑みかける。
完全な仕事用スマイルであり、その目は笑っていなかった。
恭しく頭を下げながら、冷たい一言を彼らの心に叩きつけた。
「では、独房にご案内する前に浴場にご案内いたします」
※※※※
魔王城97階、魔王陛下の私室にて。
「あぁ、もうっ。今日は災難でした!」
うきゃーっとリズルはふかふかのソファーに飛び込んで、苛立ちをお気に入りのクッションにぶつけた。低反発は嫌いじゃないが、やっぱり抱きごたえがある方がリズルの好みだ。
そんなリズルの後ろ姿を眺めて、魔王陛下はくすくす笑った。
「リズル、夕食の時は仕事の話はしない約束だろ?」
「だって、陛下、あいつら……」
「呼び方」
「お父さま、だって、あいつらのせいで明日から残業続きですよーっ」
「それは……殺すか!」
「それこそ、あいつらのイメージ通りの【魔王】じゃないですか」
止めてくださいよ、みっともない。
ソファーから顔だけ出したリズルは、どこか見下したような目で魔王陛下を見た。
美少女然とした魔王陛下。
「お父さま」と呼ぶその心に変わりはないけれど、やっぱり気持ちとしてはクールビューティな大人版魔王陛下を「お父さま」と呼びたかった。それに、どちらかと言うと今は逆に「お姉さま」と呼ばれたい。
「早く大きくならないですかね」
自分の数倍生きている人と知りつつ、リズルは魔王陛下の頭を撫でた。
ぎゅっと抱きしめるのも、頭を撫でるのも、嫌いじゃないけれど、抱きしめられたり頭を撫でられる方がずっと嬉しい。
「お前には、苦労を掛けるな」
「良いですよ、そんなの。そのために、雑務大臣になったんじゃないですか」
「良い子を持ったな、俺も」
「ふふ~、そう思うなら執務室から消える時は行き先書いてくださいね。お母さまに浮気してるって報告しますよぉ」
「それは勘弁してくれ」
「ちなみに、今回の手紙でお父さまが最近私の胸を気にしてることはきっちり報告しましたから」
「…………うっ」
それでも大好きな魔王陛下。
お役にたつ為ならば、どんなことでもやってみせましょう。
それが、私、リズル=ハイルドザスヴィッチ。
魔王陛下の雑務大臣でございます。