ブラックリスト・アウト
伯爵令嬢、エリーシェス=アール=カーディフの一日は多忙を極める。
普通貴族の子女が一日にすることなど限られている。せいぜいおしゃれを楽しみ、茶やお菓子や噂話を楽しみ、結婚のための教養を養う程度である。趣味を持ったとしても、せいぜい淑女として無難な音楽や刺繍くらいで、毎日の大半を甘い夢想で使うくらいしかない。そして、さらに後宮へと入れられた娘なら尚出来ることはごくわずか。時間など有り余る程のものだ。
だが、エリーシェスは違う。
朝は同じく後宮に入れられた王妃候補の誰よりも早くに起き、部屋に一つある丸机に山ほど積んだ紙束を眺め、それから実家から連れてきた自分付きの侍女ファニエールと騎士リンシェの報告を聞きながら書き込んでいくのだ。エリーシェスの色々黒い思いの詰まったその紙束を、付き合いの長いファニエールとリンシェは「ブラックリスト」呼んでいる。
NO.423
14日目、早朝、部屋の前に死んだ蛙が置かれていた。蛙の種類はイボガエル。処理した専属騎士のリンシェ=バロン=モーガンの右手が被れた。犯人は王妃候補、バリー=ヴァイカウント=レイカス。実行犯はその侍女、マリア=モランズ。詰問のところ、両名とも認めている。
NO.424
14日目、午前、部屋に石が投げ込まれる。石には紙が巻きつけられてあり、『貴女は相応しくない』と書かれていた。筆跡から犯人は王妃候補、ソディア=マーキュイス=メイソンと推定される。実行犯は下女、ニコラ=イーレイ。こちらは専属侍女のファニエール=ヴァイカウント=マクスが捕獲。犯人は吐いていないが、家族が人質に取られ、脅されての行動と言っている。
NO.425
14日目、午後、後宮西側一角で襲撃に合う。襲撃者は黒づくめの暗殺者五名。四名捕獲、一名逃走(右腕に負傷有り)。捕獲した暗殺者四名は、全員自害。逃走した暗殺者を追跡したが、王妃候補、オーレリア=デューク=エリンズワースの部屋に入って行ったことから現段階で彼女を容疑者とする。
サッと短い音と共に、その名前の上に横線を引いたエリーシェスははぁとため息をついた。
「ついに誰もいなくなっちゃったじゃない」
「ふふ、皆様王妃に相応しくなかったというだけです。エリスお嬢様が憂慮されることではありませんわ」
侍女ではあるが、子爵令嬢でもあるファニエールはなんとも上品な口調で、国中から集められた由緒正しき名家の令嬢たちを容赦なく切って捨てる。
一日平均三十件起る嫌がらせ被害を書きつけた上等な紙束とは別に、人名の並ぶ安価な紙切れをエリーシェスは眺める。計29ある人名には、その全てに一本線が上から引かれ、そのすぐ後には日付が振られている。エリーシェスに初めて嫌がらせをした日付だ。そして、エリーシェスは『オーレリア=デューク=エリンズワース』の名前の後に今日の日付を入れた。
「あーあ、期待していたのに………エリンズワース公爵令嬢」
王妃候補たちの中で一番位が高かったのが、公爵家の彼女だった。父親は大臣の位にいるし、母親は先々代国王の妹の孫だ。王妃になるにはぴったりの人物だったが、後宮に暗殺者を引き入れ暗殺未遂を犯した時点でアウト―――王妃に選ばれるどころか、修道院にでも放り込まれるだろう。公爵も痛い立場に立たされ、他の縁者を王妃に推すこともまず適わない。
「リンシェ、もう一回確認しに行かない?」
傍で柱のようにまっすぐ立っている専属騎士に、椅子に座ったままエリーシェスは尋ねた。
「行きません。わざわざ危険を冒しに行く人がどこにいますか」
「少しの危険を代償に、嬉しい事実が得られるかもしれないもの」
すげないリンシェに、諦めきれないエリーシェスがごねる。だが、間髪入れずに「駄目です」と否定されてはエリーシェスもこれ以上わがままを言う事は出来なかった。
仕方ないと諦め、山ほどとなった紙束のうち、紐を通してまとめたものだけをいくつか手に取る。簡単にエリーシェスの苛立ちを書き綴ったものを確認したら、立ち上がってファニエールにいつものものを用意させるように言う。
ファニエールを待つエリーシェスは、多忙と面倒事で痛む頭を黙らせるために頭痛薬を一気に飲み干した。
※※※※
王妃のいない国王クライヴ=キング=アルクィンの執務室に、黒のロング丈ドレスとふりふりのエプロンの城の女官服ではない色物のようなメイド服を纏った女性が入って行くのを、近衛をはじめ文官武官の誰もが阻みはしなかった。
「陛下、どうするんですか」
報告書を叩きつけたメイドに、何故かクライヴはにぃと嬉しそうな顔をしている。
「何笑っているんですか、ついに王妃候補が全滅したんですよ。もう国内は諦めて国外から集めろと言うんですか?」
国力のバランスを考えて、さらに国王に見合うだけの身分の娘を集めるのは相当困難だ。今回のお妃選びの令嬢の選出をさせられたメイドは、どうせ次も自分にまかされるのだろうと思いぞっとした。
なのに、当の本人はにやにやといやらしい顔をしているものだから、メイドはひどく腹を立てた。
「なんですか、そんなに結婚したくないんですか! 女嫌いだなんて一言も聞いていませんでしたけど。それとも、好みの人がいなかったんですか? いや、候補が全滅したのは、ほぼ自滅ですけど………」
はじめは怒っていたのに、段々と落ち込んでいくメイド。
クライヴはその姿を面白げに眺めた。
王妃には、家柄や美貌だけでは足りない。王妃に足るだけの人格・教養・品性などを持っていなければならない。そのために、クライヴは王妃候補の中にそれらを見極めるための監査人を送り込んだ。
「エリス」
「はい」と、メイド―――もとい、国王付き秘書官の地位にある女は顔を上げた。その顔は先程落ち込んでいた名残はまったくない。有能な王の側近の顔だ。
「王妃候補は何人だ?」
「29名です」
想像通りの答えにクライヴは笑みを抑えきれなかった。
言ったエリーシェスは、それが間違いとも知らずに真剣な顔のままでいる。―――既に、罠にかかっていることにも気づかずに。
「ハズレだ。お前は王妃候補の数も把握していないのか」
珍しく叱られ、エリーシェスが眉根を寄せる。目線が上を向いた。きっと王妃候補の名前を一から全て数えていっているのだろう。29も似たような女を完璧に覚えてみせるところはすごいが、肝心な名前を思い浮かべられないのではだめだとクライヴは思った。
「エリーシェス=アール=カーディフ」
名前を呼ばれたと思ったエリーシェスが「はい」と返事をする。だが、クライヴは名前を呼んだわけではない。名前をあげたのだ。
まるでわかっていない秘書官に思い知らせてやろうと、クライヴは口の端を上げた。
「王妃候補をさらに募る必要はない。王妃は今この時を以て決定した。エリーシェス=アール=カーディフ、お前だ」
「はぁっ!?」
一国の王に向かって不敬罪ともとられかねない声を上げてから、エリーシェスは己のやってしまった失態と―――失敗に気づき顔を青くした。
「まさか………」
集められた王妃候補は、29人じゃない―――監査人として潜入したエリーシェス自身も含めれば、30人だ。そして、自分が今提出した報告書には、29人の王妃候補たちの不相応判定が記されてある。
エリーシェスは事務作業に関しては優秀であると自負していた。ミスだってめったにないし、まとめた書類は見やすいと好評だ。その書類の信頼性は下手な中堅文官をはるかにしのぐ。だからこそ、その書類の出来栄えが、エリーシェスの首を絞める。
すべてがかち合ったエリーシェスは、悲鳴のような声で叫んだ。
「騙したわね!」
誹られたクライヴはむしろ満足げな表情でくくっと笑う。
だが、長年思いに気づいてももらえなかったことで歪んだ性格は、思い人へ捻くれた言葉を返す。
「どこがだ。30人の王妃候補の中から、1人の王妃が選ばれた。歴史ある伯爵家の令嬢で、国一の腕を持つ将軍と国初の女大臣の優秀な娘だ。数代前に王女が降嫁しているし、血筋も問題ない。宰相はこの案をあげた時、諸手を上げていたぞ」
「……おじい様……」
ぎりぎりと己の祖父の狸な顔が浮かんで悔しげに歯噛みした。
何より悔しいのが、どうやら側近や重要人物には伝えられていたということだ。周囲からすれば、この王妃選びは出来レースのようなものだったのだ。その陰謀に気づけなかったことが、悔しい。
そして、この正面にあるしたり顔が腹立たしかった。
何か仕返しにとんでもないことをしてやろうと頭を巡らせ始めた瞬間、クライヴが「ああ、そうだ」と思い出したように声を上げた。
「結婚しても秘書官はやめなくてもいいぞ。どうせ王妃業とほとんど変わりない」
訳:王妃の仕事を覚えさせるために、秘書官をさせていた。
次の瞬間、エリーシェスの「やられたぁぁぁあああっ」という絶叫が響き渡り、それを聞いた宰相をはじめ側近一同がようやく決まった王妃ににんまりと顔を合わせたのだった。